159 - 『無駄な遊び』
最初の一撃をかわし、その手を逃れる様に距離を取ってどうにか反撃に出ようとしたが、黒獅子は既に姿を消していた。
セフィを捕らえるのは容易くないと知ってか、それとも自らが手を下すまでもないと判断したのか――無数の魔物達が次々と攻撃を仕掛けてきた。
そして同時に、軍勢は街に向かって進行している。
留めなければといくら足掻いてみても全てを倒せるわけはなく、自らに襲い来るもの達を打ち倒すことしかできない。
遂に太陽は沈み、薄闇が徐々に広がりはじめた。
恐らく魔物は、黒い靄から現れている。
あの靄をどうにかしなければ――そう思いながら、迫り来たオークの振り下ろした拳を横に避け、反撃に火球を生じさせようとした時だった。
胸に痛みが走り、思わず膝をついた。頭上が陰り、幾本もの獣の手が迫る。
剣を振るうが、余りに数が多い。
ガツッ――
硬い爪に弾かれ、刃が折れた。
「!」
手の中のものを投げ捨て、氷結の術を用い辺りを凍てつかせるも威力は十分ではなく、ほんの一瞬を凌いだだけで、
――捕まるわけには、いかない……!
息が詰まる様な痛みに耐え、触れた大地の一部を剣の姿に変えてセフィは立ち上がった。
オークたちは分厚い唇を歪めて威嚇し、飛び回る一つ目の悪魔は耳障りな金切声を上げている。
低いところにある大きな月が、酷く明るく地上の争を見下ろしていた。
「退いてくれ! 道を開けろ!」
人通りは多いわけではない。だが、それでも決して広くはない通りに行き交う人々の間を器用に縫って前を駆けるリーに続くアレスは、強くそう言いながら馬を繰り走らせる。
『こっちだ!』
突如、どこからともなく現れた白い犬――否、ややその身を小さくした白狼が、アレスを抜き去り前に出た。
「レシファ!? なんで!?」
アレスは思わず驚きの声を上げた。
何故、ここにいるのか。セフィの傍に居ないのか。
『――セフィに、頼まれたからだ』
ほんの一瞬の間をおいて、感情を押し殺したような声が応えた。
本当は傍を、離れたくなどなかった。人間たちがどうなろうと構いはしない。セフィの為に自分は居るのだと――だが、だからこそ『お願いします、レシファート。あなたにしか、頼めないのです』と言われては、その思いを裏切ることなどできなかった。叶えてやりたい、と――。
セフィは、自分と引き換えに人々を救ってやろう、なんて、大それたことを考えているわけではない。
恐らく、ただ自分のできることをしようとしているだけで。
人々が救われるために、自分に何ができるのかを真剣に考えて、誠心誠意それを行おうとしている――
「……」
そのことが痛いほどわかるから、そしてセフィがレシファートの身を案じ、自分たちの身を案じた故であろうことは容易に想像出来たから、アレスはそれ以上何も言わず、ただその後を追った。
各区画を隔てる門を守る兵らは彼らの前に立ち塞がることはなかった。
それどころかまるで「お通り下さい」とでも言うように全て広く開け放たれていたのだ。
――あの男だ――。
カーティスが、外へ向かう旅人が来たなら、その行く手を妨げぬよう指示していたのを、レシファートは彼の後を追いながら見ていた。
それを知らないアレス達は無論、何故かと怪訝に思ったのだが――4人と1匹は、何も問わず応えず、ひたすら外へ外へと向かって疾走した。
――ありがたいなどと、思うものか……!
唸り声が漏れそうになるのを、白い狼は辛うじて堪えていた。
最外郭の城門前まで辿りついた時、そこは多数の兵士らで騒然としていた。
見上げる高さの門塔や城壁の上には今まさに部隊が展開され、灯火具に光が入り戦闘準備が成されようとしている。
「そこを退け!!」
そして門の前に集った歩兵らに向かってリーが声を張り上げた。
近くの者達は、その声に、勢いよく駆けつけた馬の音に驚いて彼らを見、そして避ける様に自然と人垣が割れていく。
「おい、そこ! 何をしている!」
リーを先頭に4人がそのまま馬を進めると、門の方からこの場を統括していると思しき一人の兵が駆け寄ってきた。
「何事だ、一体!」
眉庇を上げ、行く手を阻むように4人の前に立つ男に、
「あんたが責任者か。今すぐ門を開けてくれ」
リーは誰でもよいがとばかりに馬の足を止めないまま――やや強引にその場を押し通りながら言う。
「それはできん。ここは完全に封鎖されている。何者も街の外へ出ることは許されない」
「オレ達を通すだけでいい」
「できんものはできん! 止まれ!」
男は剣を抜き、そして傍に居た数名が彼の動きに追従する。
途端にざわつく周囲に、リーは小さく溜息を吐いた後で表情を険しくした。
「城壁もろともふっ飛ばされたいか。さっさと開けるんだ」
低い声での静かな恫喝。
男は背に冷たい緊張を感じたが、
「なっ!? 何を言っている! わかっとらんようだが、外には魔物が――」
この場所は譲れないと、なんとか踏み止まった。
『わかっていないのはキサマの方だ』
「!?」
だが、脳裏に響いた声に、
『我らをここへ来さしめたのは、カーティスという男。その意味が分からぬか』
「!!」
そして目に入った白い狼の姿に男――マレクは息を飲んだ。
先ほど確かに、カーティス士官と共に駆け込んできた存在だと気付いたのだ。
『理解したか、人間。早くしろ』
「し、しかし、城壁の外には結界が……門の外に出たところで――!」
「御託はいい。開けろ!」
荒げそうになる声を堪えたその瞳は鋭く、相手を射殺しそうな程。
男はごくりと息を飲んだ。そして、
「――わかった」
低く答え、周りの兵らに道を開けさせる。
そしてやや見上げるようにして、門柱を守る者に合図を出した。
開かれた門の外、すぐそこに岩の壁が迫っていた。
先ほどから何かがぶつかる様な音が断続的に続いている。
壁に沿って視線を上げていくと、暗くなり始めた空に飛んできた礫や火矢の類が、弾かれ威力を失い霧散している。
「で、どうするんだ? この向こうには既に魔物の群れが迫ってるってことだよな」
駆け出た白狼が取りすがり爪を立てるがびくともしない。
アレスはちらとリーを見遣った。
「少しの間、オレ達が通れるだけの穴を開ける。レシファ、セフィの場所は分かるか」
リーが、壁に手を触れながら問うた。
『愚問だ』
すぐさまの答えに、だろうな、と頷いて、
「開く時に、多少は薙ぎ払えるはずだ。そこからは――」
「俺が援護するよ。道は作るから、みんなはとにかくレシファの後に続いて」
リーの言葉を引き継ぐように、ロルが言った。
緊張感を殺ぐような声音だが、それは寧ろ彼の冷静さを表していて、
「――頼んだ」
リーは刹那ふっと頬を緩めた。
そして皆が頷くのを待って、壁に触れた手に力を込めた。
「――それじゃあ、行くぞ!」
瞬時に、樹々が枝葉を伸ばす様が緑の光と共に広がり、岩壁が透ける。
「!!」
壁の向こうに迫っていた無数の化け物の姿に、周りの者達が恐慌状態に陥るより早くそこは開かれ、同時に黒竜の姿をした衝撃波が薙ぎ払う。すかさず白狼とロルが駆け出し、すぐさまアレス、アーシャが続く。最後にリーがくぐると、穴は瞬時に塞がった。
僅かに走った辺りで、ロルは馬足を緩めた。その横を、アレスとアーシャが、そしてリーが脇目もふらず抜き去って行く。
魔物の軍勢の一部にできた空白地帯。そこを全力で駆けてゆく。
抜き放った剣で、射掛けられた矢を弾き、風が強く背中を押す。
黒くぬめる波の様に、魔物の大群が迫る。
「――?!」
咆哮と、奇声と、風を切る音、大地を蹴る音の向こうに、穏やかな歌声の様な響きが差し込んだ。
『応えよ、風よ、大気よ――気高く舞い踊り、歌えよ――空の主』
美しい声。耳慣れないその言葉の意味を知る者は、その場にはいなかった。
金の髪の青年は馬を繰りながら印を結び、そして
『光と音を従え――与えよ、畏怖を。示せよ、その力――我が前に蔓延りし敵に、裁きの鉄槌を――!』
頭上高く掲げた手を、前方へと振り下ろした。
それは光だった。白く眩い光。
あらゆる音は凝縮され無音となり――否、あるいは余りの爆音に耳が耐えきれなかっただけなのかもしれない。
それは眩しく激しい稲妻だった。
白は速やかに薄れ、自分を取り囲んでいた魔物達が灰になって消し飛び、あるいは黒く焼け崩れていることに気付く。
ふと見上げると、金色に爆ぜる光を纏った白竜が闇色の空に溶けていくところだった。
『セフィ!』
そしてとても近いところで声がした。
目を遣ると、橙色の双眸の獣がすぐそこに居て、
「セフィーっ!」
続けて自分を呼ぶ声がいくつも重なって聞こえた。
「レシファート!? リー、アレス、アーシャ……!」
馬を駆り、近づいてくる眩しい影。見紛うことなどあるはずのない仲間たちの姿があった。
ならば先ほどの雷光は、恐らくロルによるものだろう。
助かった、という思いよりも、込み上げた驚きと安堵感は、彼らの無事な姿を目の当たりにできたからだ。
だが、罪悪感にも似た申し訳ない気持ちが、セフィに笑みを浮かべさせることを阻んだ。
駆け寄った黒髪の青年は馬を飛び降り、
「怪我は」
確かめる様にのぞき込み、そして肩や首元を染めた赤を目にして眉間に皺を刻む。
「大丈夫です。大したことは――」
ないと、言い切る前に癒しの術が施され、全ての痛みや疲労が溶けて消えた。
「っ! ありがとうございます、リー、あの――」
「敵のアタマは?」
素早さに驚き戸惑いながら、差し出した剣を受け取るセフィにアレスが問う。
耐えたもの、効かなかったものもいるようだが、辺りの魔物はほぼ一掃されている。
それでも平原の向こうには黒い靄と、そこから飽きることなく湧き迫りくる魔物達。
「――黒い、獅子に似た魔物です。恐らく、あの靄をどうにかしないと」
その応えに、リーが二人を振り返り、そして少年少女は頷くとすぐさま駆け出した。
「! そんな、待って下さい――!」
自分が、対峙すべき敵の筈だ。それに、あの靄は――正体のわからない、嫌な感じがする。
「いけないっ!」
二人の後ろ姿を隠す様に、黒い靄が生じそこから巨大な牡牛の化け物が現れた。
他の雑魚とは違う。そして明らかに、狙いはアレスとアーシャだ。
「アレス! アーシャ!」
彼らの方へと駆け出そうとした瞬間、目の前を黒が塞いだ
「!?」
同時に身体を押されるほどの強い風と、すぐそばで鈍い衝撃音。反射的にそちらを向くと、青年と白狼の姿はなく刹那の残像は獣の黒く太い前脚――
「! リー!! レシファート!」
セフィは思わず叫んだ。
『――あれらが、そなたが人間に肩入れする理由か』
低い声と共に頭上が陰る。
「っ!」
弾き飛ばされた青年の姿を求めて気を取られていたため、反応が遅れた。
並みの人間の倍以上はありそうな手に強く、片腕を掴まれ引かれる。
「放しっ……!」
『案ずることはない。すぐにあれらも潰える。そなたが身を賭し戦う理由など最早なくなるのだ』
引き剥がそうとするセフィの抵抗など、まるで歯牙にもかけず
『さぁ来るがいい。これ以上、無駄な遊びにつきあっておれぬわ』
セフィを掴んだ獅子の手が、その巨体が、ゆるゆると黒い靄を纏う。
先ほどの雷撃によって戦力が大幅に削られ、黒獅子にも少なからず焦りが生じたのだろうか。
この靄に、取りこまれてはいけない。
セフィは咄嗟に火球を生じさせ放った。
「!!」
外し様のない至近距離。だが、その近さが無意識的に威力を弱くさせた。
黒獅子はもう一方の掌を顔の前に翳して防ぎ、そのまま炎を握りつぶしてニタリと嘲笑う。
『――効かぬな』
腕を折られそうな気配はないが、全くびくりともしない。剛力に捕まれ、靄が触れた指先に冷たい感触が沁みた。
「放して下さい……!」
手に、腕に冷気が絡みついてくる。握りしめたはずの拳から力が抜けていく。
――連れていかれる訳には……!
セフィは瞳を巡らせた。
牡牛の化け物が、アレスとアーシャに襲い掛かるのが見える。黒髪の青年の姿を、現れた巨大な爬虫類に似た後ろ姿が隠す。
『別れを惜しむ必要などない……審判の刻は直ぐだ』
黒い獅子は、真紅の瞳を細めて嘲笑っていた。
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