101 - 船倉

 船体は少なからず損傷を受けたものの、海賊の襲撃による積荷への被害はなかった。だが、奪われたものはあった。

「力及ばずで、申し訳ありません」

やや憔悴した様子で、セフィは船長室に現れた。

彼は、ロルがローズに呼ばれ船室を去った後も船医と共に怪我人の手当てを行っていた。懸命に手を尽くしても救えなかった者、既に手の施しようの無い者も中には居た。

「仕方ないとしか言いようが無いよ。あんたが気に病むことはない」

備え付けられた机の向こうの彼女の表情もまた、苦いものだった。

 船尾楼内に設けられたその場所は、正面奥に船長の座る机と椅子、その手前に向かい合うように長椅子が据えられ、応接室の様な会議室の様な造りになっている。実際、航路や進度の打ち合わせの際に使用されている船橋室といったところだ。

船長の背後奥に天井から張られた布の向こうが船長の私室となっている。

「船乗りってのは、そういうもんだ。救われた者も多いさ」

「……」

ローズの言葉に緩く首を振って隣に掛けたセフィの、膝の上で握り締めた両手をロルは優しく叩いてやった。

彼の慰めに、音を伴わない声でありがとうございますと呟いてセフィは向かい合って掛けたギュンター、ヨハンナから奥の葡萄赤の髪の船長へと目を遣った。

「この後のことを少し話していた。知っての通り、船の損傷は幸い大したことが無かったから、このままレグアラへ向かう。進路は変えない。目的地も、変えようがないからね」

そこまで言って、彼女は椅子に片胡坐を引き上げ机に頬杖をつく。

「アレスにアーシャ、それからお嬢ちゃんがあっちの船に乗って行っちまったらしいってことは、話したね。悪いが、捜索は出来ない。あたしらとしても、やられっ放しってのは癪だが、こんな場所で深追いをすれば、遭難して座礁しちまうのがオチだからね。ともかく、レグアラへ急ぐ。出来るだけ早く着ける様にする。あたしらにできるのはそんなとこだ」

「……ジズナクィンのどこかに連れて行かれていると、信じるしかないってことですね」

主の不在の理由を聞かされたばかりで青ざめた顔をしていた侍従達はローズの言葉に何とか頷いた。

「そういうことだ。まぁ、アジトみたいなもんがあるのか、あっちの船の船長がどんなやつなのかって聞ける相手が居るのはありがたいといえるかもしれないね」

「聞ける相手?」

「そうさ」

ヨハンナが不安げに首を傾げたのに、ローズは不適に笑った。丁度その時扉を叩く音がし、彼女が促すと

「……失礼する」

入り口の梁にぶつけない様やや頭を下げて男が入ってきた。副船長のヴォイチェクだ。

彼の後ろ、開かれた扉の向こうに居た二人を無言のまま引きずりこむと副船長は扉を閉めた。

「!?」

両手を前に縛られた二人の男はまろぶようにしてそのまま、驚き立ち上がった彼らの前に跪く。

「ローズ船長……」

「だーいじょうぶだって。せっかく治してやったんだろう。あんたの手をまた煩わせるようなことにはしないさ」

椅子から立ち上がり、腰に手を当てて二人の男――ローズの部下らにも似た様相の者は居るが、取り残された、あの黒い船の船員、海賊達――の前に立って見下ろしたローズの険を含んだ表情にセフィは思わずその名を読んだが、彼女はにやりと笑って言う。

「ただ、あんまり素直に話してくれないってんなら、気が変わっちまうかもしれないけどねぇ」

派手な美女に艶然と微笑みながら凄まれた男達は、情けなくも震えだしてしまった。



「どーしてこんなことになってるのよ!?」

「いや、だって、ヘルガが……」

声はひそめているものの、思わず語気が荒くなる少女に詰め寄られ、彼はもごもごと弁明の言葉を口にする。

「仕方ないじゃない。せっかくの好機だったんだもの、逃す訳にはいかないわよ」

それに続けたのは、悪びれない様子の娘だった。

「好機っつっても……」

だからと言って、単身海賊船に乗り込むと言うのは無謀が過ぎる。

『守ってくれるのでしょう?』と言った彼女の言葉に、頷きはしたがこんな風に我侭でいられたら、守りようが無い。

「で、どうするのよ、これから」

「そうね……さすがにあんなにあっという間にユーディットと離れちゃうなんて想定外だったわ」

相手方の船に乗り込んでは見たが、指示を出しているらしきものは見当たらなかった。

足場が外され、すぐに速度が上がり、容易に戻れないと気付いて慌てて隠れられる場所を探すうちに船の奥へ奥へと下りていってしまっていた。そうして辿り着いた船倉の空の木箱の中。三人はなんとか、互いを潰してしまわない様、妙な格好になりながらそこに収まっていた。

しばらくの間はガヤガヤと人の出入りがあったため、息を潜め緊張していたが、どうやらユーディットを振り切ったのだろう、武器類を片付けに来たのを最後に、扉を開く者はいない。

「とりあえず、ここから出たいわ。ねぇアレス、誰も居ないわよね?」

「ちょ、待てよ、ヘルガっ」

「なによ。ずっとここに隠れてるわけに行かないでしょう」

頭で少し蓋を押し開けて様子を探っていた少年の横で、同じように隙間から外を一瞥したヘルガは言うが早いか蓋に手を掛けた。

「おいっ!」

「大丈夫よ、誰もいないわ」

蓋を開け、立ち上がって伸びをする。そして悠然と木箱の外に出た。

そこは船倉の最奥部だった。山と詰まれた荷物の多くには縄が掛けられ、船の揺れに動いてしまわないようになっている。

入り口はひとつきり。窓付きの、やや幅広の扉が詰まれた木箱の向こうにあるはずだ。薄暗い辺りを照らす灯は、その扉の窓から漏れて来ているだけ。

「話の出来そうな人を捕まえられたらいいんだけど……。どうするの? そのままそこ居る?」

辺りを見回し、ヘルガは木箱の中の二人を振り返った。

アレス、そしてアーシャが無言で木箱を出る。

「……船の、どの辺りなのかしら?」

「このままどこかに着くのを待つってわけにもいかないよな……」

二人は辺りを見回す。灯が乏しく、全てを見通す事はできないが随分な広さがある。

所々に暗闇が蟠り、船の揺れと軋みが相まってどこか気味の悪い雰囲気だ。

――……。

灯が遮られ、暗さが増す。

「え?」

「しっ! 誰かきた……!」

三人は慌てて詰まれた木箱の陰に隠れた。

――変わった様子は無かったと思うっスけどねぇ

――なに、ちょーっと中見せてもらえりゃ気が済むからよ

そんな話し声が遠くから、だが確実に聞こえてきた。続けてガチャガチャと扉を開く音。

『どうする!?』

咄嗟に三人は顔を見合わせる。

――どの辺りだ?

野太い声がやや近付く。入ってきたのだ。

「あたしが囮になるわ。一人見つければ、安心するでしょ」

隠れた陰の一番外側に立つアーシャが言ったのに、アレスは慌て首を振る。

「いや、それならおれが!」

「だめよ。あたしじゃヘルガを守れない」

――もっと奥か

漆黒の大きな瞳が覗き込むように少年を見詰た。有無を言わせない、強い意志の光が射抜く。

「なんとか船長のところまで行って、話をつけて、迎えに来るから」

――こっちだ

そしてヘルガを見、言うが早いか最初に潜んでいた木箱の中に入った。

服の裾を、わざと目立つように挟んで。

アレスの、引きとめようと伸ばした手はただ虚しく空を掴み、しばし行き場を失ったままだったが、近付いた明かりにその手を収めてヘルガを背に庇うように更に暗がりへと身を潜めた。

――何か、変わったもんあるっスか?

 足音は3種類。

木箱の中でアーシャは全身の力を抜いた。

近付いた瞬間に飛び出そうか。それとも、意識の無い振りをして確実に一人を捕らえようか。

ダラリと伸ばした指先に、右の外腿に装備した小刀が触れる。

「こんなところに何が居るってんだ? ん?」

一番重たい足音が近付いてきた。

「あれ? なんスか、それ」

「……」

それに先立って、無言で木箱の蓋に手を掛けたのはおそらくやや軽い足音のうちのひとつ。

「おい、危なくねーか?」

「大丈夫だ」

射し込んだ、瞼を閉じていても感じる明るさに思わず顰めそうになる目元に何とか平静を装わせて、アーシャはそのまま誰かが近付くのを待った。

「女の子!?」

「どういうこった? 誰かが連れ込みやがったのか?」

「ややや、そらないっスよ! 出港してからここまで、隠し通せてるわけがねぇっス!」

「じゃあ、どっから来なすったんだよ」

野太い声と、軽い口調の男二人が疑問で一杯の言葉を口にする。

「どっから、って、でもさっきの船からも誰かが何かを持って帰ってこられたとも思えねぇ……」

「つーか、生きてんのか?」

更にこちらに向けられた光が眩しい。

「……呼吸はしているようだな」

ふっと暗い影がその光を遮る。覗き込んでいるのは、恐らく一番無口な男だ。

意識の有無を確認しようとしているのだろうか、暗がりが濃くなる。

もう少し傍にきて。もう少し――

「っ!」

小刀を抜き放つべく、ぐっと右手に力を入れて握った瞬間。

「……危なっかしい事はしないでくれるか」

その手首を強く掴まれ、思わず目を見開いた。

逆光で表情は読めない。否、それどころか、鼻梁半ばから下が布に覆われ顔つきすら隠されている。

「みず――っ!」

「詠唱もナシだ」

咄嗟に開きかけた口を、もう一方の手で塞がれる。少女は口惜しさに相手を睨み付けた。

囁く様に言った声は硬質で冷たく、頭巾と覆面の隙間から覗く瞳は鋭い。だがなぜか酷く澄んでいるようにも感じられる。

「どうする?」

アーシャを取り押さえた男は、背後の男に問うた。

ちらと視線を巡らせると、大きい方が困った様に頭を掻くのが見えた。

「とりあえず、縄かけるしかねーな。……なーんか、イケナイことしてる気になるけどよ」

そして顎を杓ってもう一人に指示をする。

「魔法を使わないと約束するなら猿轡はしない。分かるだろう。オレはお前が詠唱を終える前に止められる」

その場に立たされながらそう静かに言われ、アーシャは無言のまま頷いた。従う他無かった。

「お嬢ちゃん一人か? 他には?」

「居ないわ。あたしだけよ」

「そっか」

口調は粗野だが、どこか優しげな物言いの男は、怖がらせまいとしているのか顔に対して小さな青灰色の瞳に笑みを刻む。

「……」

だが、覆面の男はアレスらが隠れている暗がりの方を向いていた。見えているはずは無いだろうがアーシャはギクリとした。

「どーした?」

「誰も居ないったら!」

思わず苛立った声になってしまったアーシャの言葉など意に介さぬよう、彼は暗がりを見詰め、

「そこにいるんだろう? 出て来るんだ。今なら手荒なマネはしない」

腰に下げた剣の柄に手を置く。

「誰か居んのか?」

「……」

無言で小さく頷き、だが、確信があるように視線はそこから離さない。アーシャはそれ以上何も言えなかった。言葉を発すれば、余計に怪しまれてしまう。

 彼らが自分達をどのように扱うのか分からない。『手荒なマネはしない』と言ったが、有無を言わさず船牢に押し込まれたり、ましてや話を聴いてもらえないまま海に放り出されでもしたら、どうしようもなくなってしまう。

どんなに善人然りとしていても、霧に紛れて奇襲を掛けてくるような連中だ。そして、自分達は招かれざる客、侵入者なのだ。何の役に立つとも知れないお荷物を、ここからまだ距離があるだろうジズナクィンまで厚遇するとは思えない。ただ負担となる不要物なら、放り出されても仕方が無いだろう。

ここで全員が一度に捕らえられてしまうのが、得策とは思えなかった。だからアーシャは、出てこないで、とただ瞳で訴えるしかなかった。

「この娘がどうなってもいいのか」

ひとつ溜息を吐いて、焦れた様に彼は言った。

――だめよ、アレス……!

アーシャの思いも虚しく、陰が蠢き、不承不承少年が姿を現した。鋭い瞳で威嚇するように男を見詰め、瞬時激しく視線が交わる。

だが、その背に庇っていた橙の髪の娘が、少年を押しのける様に前に進み出て、

「お願い、匿って!」

彼らの無言の牽制を打ち消す声で、一番大きな男にそう訴えた。

「? 匿う……?」

「ここで放り出されるわけには行かないの。どうしても、あなた達の首領と話がしたいのよ!」

ヘルガは青灰色の髪の男をじっと見上げる。先ほどからのやり取りで、誰に言うのがもっとも効果的か分かっている様子だ。

彼は面食らったように何度か瞬きをした後で、首を傾げた。

「放り出しはしねぇと思うが。それをして、おれ達に何の得があるんだ?」

「っ!」

ヘルガは言葉に詰まった。

「そもそもレグアラへはまだ何日もかかる。その間の水や食料をコッソリ調達してきてやる、なんてこたぁ出来ねぇ」

船上での食料や水の管理は厳しくなされているのが普通だ。無断で持ち出したとなれば、厳罰をもって処されることになるだろう。

男は緩く首を振った。

「悪いが出来ない相談だ。指示を仰がにゃならんから、この船の長には会わせてやるよ。言いたい事があるんなら、とりあえずそこで言やぁいい」

口調は至って親しげだが、懐柔できる余地は全く見て取れない。何も言えない娘にそう言い放つと、彼は二人に命じアレスと、それからヘルガに縄をかけさせた――。

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