097 - ティーフゼー・ペルレ

「あたしを雇いたいって? どこまでだい?」

彼女は紅をひいた唇に余裕の表情を浮かべて、頬杖をついたまま水色の瞳を三人に向けた。

名を聞いた時に、心当たりがなかったがやはり初めて会う人物だった。こんなにも印象的な女性を忘れる訳がない。そして彼女も、ヘルガのことは知らないようだった。


 訪れた二軒目は先の店よりも心なしか明るい雰囲気の店だった。それが元々のものなのか客層によるものなのか判別はつかないが、先の店で心得たヘルガはおとなしく二人と共に店に入り、ギュンターが店主に目的の人物を尋ねるのを見守っていた。

 そうして対面を果たしたオツェアンという人物は、派手で華麗な女性だった。同じ卓を囲むのは皆、屈強な体躯の男達。

だが彼女はその誰よりも堂々として格好良く、目を引く生彩を纏っていた。

「レグアラまで行って欲しいの。船は勿論、こちらで用意するわ」

その気配に、一瞬気圧されそうになりつつヘルガは言った。ここからは、ギュンターではなく自分が話すべきだと思ったからだ。

「レグアラ! この時期にジズナクィンへ行こうってのかい。とんだ世間知らずのお嬢ちゃんだ」

腰の辺りまでたっぷりと伸びた緩やかな巻き毛は深紅の薔薇を思わせる葡萄赤。

思わず目が行きそうになる、豊満な胸元。口元の黒子が艶やかさを添えている。

到底自分には適いようもない魅力的な彼女に、それでもヘルガは怖気ることなく真っ直ぐな瞳を向けた。

「世間知らずじゃない、って言いたいところだけど、そうでもないみたいだったわ。でも、海賊が出るってことなら知ってるし、そのせいで多くの人が困ってるって、被害のことも知ってる。だから今、レグアラへ行かなきゃならないのよ。何が起こっているのかを、突き止めなきゃならないから」

「突き止めて? 海賊どもを? どうにかしようってのかい? お嬢ちゃんが?」

目尻の鋭い瞳を瞬いて、疑問符でいっぱいの言葉を口にする。周りの男達も同じような感想なのが表情から読み取れた。憚ることなく失笑する者も居る。

 たくさんの人が困っているからどうにかしたいという思いは、可笑しいのだろうか?

ヘルガは思わず、ニヤついた男達を睨み付けた。

「誰も何もしないんだから、仕方ないじゃない。自分に何ができるかなんて分からないけど、実際にこの目で見てみないと、どうすればいいか考えようもないでしょう?」

自分に、できることなど限られていると知っている。それでも、何もしないで黙っていることなどできない。

動かずにいることは、何もしないのと同じだとヘルガは感じていた。

あまりにも真っ直ぐに向けられた深い緑の瞳に、彼女はふっと笑って、

「……誰も何も、か――稚いね。まぁ、いいわ。ちょうど退屈してたところだし、もう少し詳しく聞かせてもらおうか」

周りに席を空けさせ、三人に椅子を勧めた。

「船でレグアラに向かう。ちょいと危ない航海になるだろうってことはわかってるね?」

「えぇ。もちろんよ」

ギュンターとヨハンナの緊張は感じ取れたが、オツェアンの聞いてくれようという姿勢にヘルガは興奮を抑えるのに必死だった。

「それで、なんとかしてレグアラにたどり着けたとして、それからどうするんだい?」

「とにかく街の、人々の状況を知りたいの。聞くと海賊の根城はどうやらジズナクィン側にあることが濃厚だっていうじゃない? レグアラに近い海域ほど遭遇率が高くて、あちら側ではザクファンスへ向けて以外の船もほとんど出せてないって。だったらここより、その海賊に関する情報も多いと思うの。海賊達が何故ジズナクィンを封鎖したいのか、何を求めていて、何が望みかというのが知れたら良いんだけど……」

「本当は、レグアラに向かう途中で海賊どもに出くわせたら、なんて思ってたりするだろう?」

即答する娘に、彼女はさも愉快そうに続けざまに問うた。

ヘルガもまた悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「少しね。そうなれば、手っ取り早い気もするし」

「はははっ! 話して通じる相手と思ってるのかい。面白いじゃないのさ。出会い頭にバッサリやられない様に気をつけるんだね。それで、船は用意してくれるって? どれだい?」

卓に肘を着いてやや乗り出しわずかにひそめた声で問う。

彼女の態度に、ヘルガは高鳴る胸を何とか悟られないよう努めながら答えた。

「船はユーディットよ」

「いい船じゃないかい。船員はあたしの手下でいいね。そこの後ろの二人もついてくのかい?」

「……」

「勿論です!」

ギュンターは無言で、そしてヨハンナは両手を胸の前で組んで請うように頷いた。

その様子に苦笑しながらオツェアンは、傍の男に何やら記帳させている。

「とんだ貧乏くじを引かされたようだね。どの程度腕が立つのか知りゃしなけど、自分の身は自分で守るんだよ。

それから、食料やなんかも勿論そっちでもってくれるんだろうね。ま、荷を預かって行くならその代金で――」

「荷物を預かる?」

「そうさ。せっかくレグアラに行くってんなら、荷運びをすりゃ、多少収入になるだろう? ま、ユーディットはそんなに大きな船じゃないし、荷を奪われる危険性もあるから、頼むやつがそんなに居るとは思えないけどね」

「収入って、別に私はそんな――自分がレグアラに行きたいだけで」

オツェアンの言葉に、ヘルガはそんなつもりはないと首を振る。自分はただ、レグアラへ行って現状を知りたいだけ。もしその途中で海賊に出くわすことがあれば、直接事情を聞きたいと思っている。だから、どうにかして誰かに何かを届けたいわけではないし、届けたい物もない。まして輸送業を行いたいわけではないのだ。実際どんな航海になるか分からないのだから、誰かの荷物を受け負う事などできそうにない。

「稼がなくて良いってのかい? そいつぁ失礼したね。そこまでの金持ちとは思わなかったわ。あたしら、そんなに安かないよ?」

彼女はどこか呆れたように、当て擦りを言う。

「え?」

「え? じゃないよ。お給金の話さ。船の大きさからいって、人数はそんなに要らないだろうし、日数も近距離だから掛からないだろうけど、一人頭いくら出してくれるつもりなんだい?」

「……」

ヘルガは思わず口を開いたまま黙り込んだ。

正直、そんなことは全く頭になかった。

船に乗ってくれる船長と船員を探し出す、というだけで"雇う"という概念がなかったのだ。

 確かに先に訪れた店メーヴェン・ネストの店長が"金を出す雇い主"と言っていた。つまり、自分が金銭を以って"雇う"前提で彼は話していのだ。

"高い給金以上にどんな大義名分が――"と彼は言った。面白いと思わせることができても、仕事を請けてもらうのに給金が不要なわけではない。

彼らは金銭によって雇用される船乗り達なのだ。アルジュート家が抱える船乗り達も変わりはない。ただヘルガがそういったことに思い至っていなかったというだけで。

「あんたまさか……そこまでの世間知らずだってのかい?」

何も言わないヘルガに、オツェアンは呆然とも吃驚ともとれる表情で彼女を見た。

「あのっ!」

無料タダであたしらを!? 全く、ふざけるんじゃないよ!」

何か、言わなければと口を開くが、オツェアンは立ち上がり

「興が殺がれた。この話はナシだよ」

「待って!」

見下す、凄みのある瞳。だがヘルガは同じく立ち上がり彼女を行かせまいと立ち塞がった。

彼女に、なんとしても船長としてユーディットに乗って欲しいと思った。おそらく最初に一目見た時に感じた、魅力と覇気。

今からまた、他の誰かを探す気になどなれない。

「交換条件、で、どう? お金はあなた達の思う程は出せないと思う。けど、もしちゃんと行って帰って来られたら……うちの家で専属契約を――」

「悪いがね、お嬢ちゃん。船乗りみんながどっかの商家の専属になりたいってわけじゃないんだ。あたしらは、そんなものに縛られたくはない。自由な船乗りでいたいんだよ。全く魅力のない取引材料だね。さ、話は終わりだ。これ以上無駄話には付き合ってられないよ」

「待って! だったら……」

彼女が食い付くものは何か。窺うようにヘルガは思い起こす。トラウゴットの言葉、メーヴェン・ネストの店長の言葉、そして今彼女が言った台詞――

「……船をあげるわ」

自分の持てる札など、限られている。

アルジュート家の船を勝手に取引の材料にしていいはずがないのも分かっている。

だが、兄は"船を使うならユーディットにしろ"と言った。使い方は、言わなかったはずだ。

なによりも今は彼女の求めるものをどうにか提示しなければならない。

ギュンターとヘルガが何かを言いかけて、口を噤む。

こめかみを汗が伝っていく感触がした。

「船を? くれるって?」

オツェアンの水色の瞳がキラリと光った。ヘルガはすかさず頷く。

「えぇ。この仕事が成功したら――無事に、レグアラに行って帰って来られたら、ユーディットはあなたのものよ」

「成功したら、ね。つまり後払いってことだね?」

これまでに見せなかった興奮気味の笑みを浮かべるオツェアン。

「そうよ」

「もし、航海の途中であんたがどーにかなっちまったらどうしてくれるんだい? ただ働きはゴメンだよ」

「私の中で失敗はありえないから、受けてくれるならあなたのものになったも同然だと思うのだけど。いいわ、それなら、私がどうなろうと、船はあなたにあげる。でもそれは、あなた方が万が一にも船欲しさに私たちを排除するなんてことがないって信用するからよ。わかる?」

やっとヘルガはいつもの強気を取り戻し、じっと目の前の女を見つめた。

「はは! もちろんだよ。思ったよりしっかりしてるじゃない」

「そう?」

「あぁ、そこんとこは大事だ。闇雲に下手に出られたんじゃ、こっちも訝しむからね」

葡萄赤の髪の女は元のように腰掛けて、卓のグラスを煽る。そして、

「……仕方ないね。小娘の無謀に付き合ってやろうじゃない」

ニヤリ、と彼女は笑った。

「本当に!? ありがとう!!」

ヘルガは卓に両手を着いて乗り出し、満面の笑みを浮かべる。本当なら、飛び上がって喜びたいところだ。

「ただし、あたしらだって命は惜しい。船上の規律は守ってもらうよ」

「えぇ、わかってるわ」

「それから、ユーディットくらいの大きさの船でも、四、五人は護衛が欲しいね。戦いに慣れたやつらだ。あたしらはあくまで船乗りだからね。対魔物の用心のためにも手配するんだ。金さえ出してくれりゃ、顔見知りに声を掛けてもいいが」

言いながら彼女は傍の男に記帳させていた何やら用紙を受け取った。

「……護衛は自分で探すわ」

「そうかい。ま、レグアラへ渡りたがってる旅人を捕まえるのが手っ取り早いだろうね。あたしらを見込んだあんたの目に適うやつらを連れといで」

言外に、あんたは目が高いとほのめかすのは彼女の自信の表れだろう。

笑みを浮かべる彼女に、ヘルガは頷いた。そして、

「今更になっちまったけど、あたしの名はローズだ。ローズ=オツェアン」

「ヘルガ=アルジュートよ」

"一筆書いてくれ"というのに応じて差し出された用紙に署名し、そして、契約成立の握手を交わしたのだった――。

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