092 - 街道にて
フェンサーリルに滞在したのは、3日。国王やウィダ司祭らとの面会と僅かの休息の後、馬をもう1頭手に入れて彼はランノットへと向かった。ここでのセフィの足取りはすぐにつかめ、そしてどうやら青い髪の少年が仲間に加わったらしいことも分かった。
ランノットからはウォグズ街道を北方へ、ひたすらその足跡を追った。とは言え、絶世の美貌を持つセフィと、マーサまでが美丈夫と評したロルはどうあっても目立つらしく、数件の宿を訪ねていけば情報を得ることはさして難しいことではなかった。
そうして辿り着いた街道の交差する街ベーメンでは、赤い髪の少女と連れ立っていると聞いた。
荷物を2頭に分散させて載せ、自身が騎乗する馬も日ごとに換えて彼は通常よりも早い速度を保ちつつ北へ向かっていた。
ベーメンを過ぎると、道はやや狭く険しくなる。ザクファンスへと続く街道は平地ではなく、森とワト川に沿った山裾を通っているからだ。
彼らを目撃した日が段々と最近になっていき、確実に距離を縮めていることに気分をよくして更に足取り軽く先へと進んでいた彼だが、ベーメンを発って3日目の午後、前方に嫌な気配と嘶きを感じて眉間に皺を寄せた。
食料や水の調達に道を外れたりした際に、魔物からの襲撃は何度かあった。そして街道とは言え、既に所々魔物に対する結界は綻びを見せているため、街道上で魔物に出くわすことは、ありえないことではない。
だが――
「……!」
商隊だろうか、幌付きの荷馬車が街道上で立ち往生している。
奇声と悲鳴が響き、馬車を挟むように二名の男が身構えているのが目に入った。
二足歩行で武器を携えた狼面の化物が、地面を這い無数の触手をうねらせる巨大な一つ目玉が、毒々しい色の羽を広げて飛び交う鴉大の蛾がそれらを取り囲んでいた。
「チッ……」
馬の足を速めて見えた光景に、彼は思いつく限りの罵詈雑言を心の中で並べ立てた。それは先を急ぐ彼にとって厄介事以外の何ものでもなく、単なる魔物の襲撃以上に面倒なことになりそうだと渋面になりながら、彼は剣を抜いた。
馬の1頭をその場で待たせ、騎乗した馬の腹を蹴る。
「……!」
後方から接近する激しい馬音に、男たちが怯えた瞳を向けた。
「下がってろ!!」
駆け抜けざまに剣を振るい、巨大蛾を全て地面に落とす。
馬車の前に出ると御者台に恰幅のいい初老の男が、2頭の馬の手綱を握る歳若い男が各々武器を滅茶苦茶に振り回していた。
前方から襲い掛かろうとしていた目玉の群れを大地から生じさせた無数の石槍で貫き、馬首を取って返す。
此方に標的を変えた狼面の化物の首を、1匹、2匹と撥ねて馬車の横で馬を下りるとその尻を叩いて後方へ向かって走らせた。
それに気をとられて飛び上がった数匹の目玉を一閃、紫の粘液が飛散し3匹の狼面がまともに被って悶える。
「うわぁぁぁ!!」
「ひぃ!!」
同時に、背後から悲鳴がした。二人の男に巨大蛾がたかっている。
――まだいたのかよ!!
「眼を閉じて息を止めろ! 鱗粉を吸うな!!」
光を弾く微細な粉が舞う中、一人は必至の形相で剣を振り回し、もう一人が武器を取り落としてうずくまる。
粘ついた剣で狼面にとどめを刺しながら叫び、リーは中空に光を掲げた。
男たちを襲っていた4匹と、新たに木々の隙間から現れた全ての蛾が吸い寄せられるように飛んでくる。
跪き、彼が大地に触れると鋭い石の飛礫が次々と蛾を打ち落とした。
「なっ!?」
光をそのままに蛾に襲われていた二人の男に駆け寄った時、突如馬車が動き出した。
――この、阿呆が!
動きに反応して目玉達が、うぞうぞとその車輪に触手を絡めていく。
「止まれ ! おい!!」
鱗粉を吸い込んだのか激しく咳き込む男に解毒呪文をかけ、うずくまっていたため被害の少なかったもう一人に任せてリーは瞬時に駆けた。
動き出したものの触手に阻まれ、なかなか進めない馬車の幌を、残っていた狼面が切りつけている。
1匹の胴を背後から一閃、振り返ったもう1匹を袈裟切りにして御者台を見ると初老の男が錯乱しているかのように鞭を振るっていた。
――もう一人は!?
「く、来るな!! やめろぉ! 」
思った瞬間に、幌の向こうから叫び声と金属音。
咄嗟に馬車の後方に回り、逆側へ目を遣る。後ろの車輪を背に座り込んで、男――額から流れた血が片目を塞いでいる――が剣を振り回していた。
襲い掛からんとする、狼面2匹。車輪に絡んでいた目玉が彼の背後から触手を伸ばす。
リーは地面を蹴った。瞬時に距離をつめ下段から両手で振り抜き、血飛沫をかわす様に身を翻して最後の1匹の喉を貫く。
「……」
無言のまま、硬直した男を馬車から引き剥がし、目玉に剣を突き立てた。
そしてそのまま馬車に手を触れると、絡み付いていた目玉たちが一斉に地面に落ちてつぶれた。
ヒヒィィィン――!!
枷がなくなり、突然馬車が走り出す。が、少し進んですぐに止まった。
ざわめきが消え、辺りにしんとした空気が舞い降りる。
「う……」
「傷を見せろ」
「あ、あんたぁ……」
叫びすぎたのか、涸れた声の男は縋るような瞳を傍に跪くリーに向けた。その額には打撲と擦過傷。傷口には砂粒が付着し、目を塞ぐほどの出血は一部やや深い切り傷の部分からだ。おそらく馬車から転げ落ちたか、慌てて飛び降りて変な転び方をしたかのどちらかだろう。
リーは男の視線に取り合わないまま治癒魔法を施し
「……目に入った血は洗い流した方が良い。このまま少し行ってから川に下りるんだな。――そこの二人も、鱗粉は無毒化したが吸い込んだり目に入れないように。念の為に川の水で洗うなりしたらいい」
よろよろと此方に歩み寄ってくる、巨大蛾に襲われていた二人の男にも言い、リーは立ち上がった。
離れたところで待たせている2頭の馬がそこにいるのを確認してその場を立ち去ろうとした時、
「お待ち、下され!」
しゃがれた声が彼を呼び止めた。
御者台から飛び降り、転がるように駆け寄ってきたのはでっぷりとした腹の初老の男。
「助けて下さって、ありがとうございます!! 魔物に囲まれて一時はどうなることかと……いやいや、本当に、貴方様は我々にとって天の救いです……!」
広い額に浮かんだ汗を拭って、小さな茶色い両目を涙で潤ませて男はリーを見上げる。
「あたしは、ザクファンスで店を営んでおります、ソグ=ハンゼルという者。このベルエス、マヌエル、デジンは店を手伝ってくれとる者達です。貴方様が助けて下さらねば、あたし共は今頃……おお、考えるのも恐ろしい……!!」
大仰に身を揺すって肩をすくめる男。
縋りつかれるのではという勢いに、リーは思わず後ずさった。どうも嫌な予感がする。
「そうか。それはよかった。悪いがオレは先を急いでるんだ」
長々とした口上に付き合うつもりは無いと、彼は無表情のまま踵を返そうとした。
だがそれをまたしてもソグが留める。
「まま、待って下され! こんな、命を助けて頂いたのにお礼の一つもしない訳にはいきませんよ。街に着いたら、あたしの店で目一杯おもてなしさせて頂きます……! どうか、一緒に……」
「断わる。礼はいらないし気にする必要もない」
リーは掴まれた腕をやや乱暴に振り解いた。
この男の言い分は分かる。助けてもらった礼がしたい、それは当然の気持ちだろうとは思う。だがそれ以上にその向こうに見える本音の方がリーには厄介だった。
ザクファンスへは今のままの調子でもまだ3、4日はかかる。馬車の旅ともなればそれ以上だ。
その間にまた、魔物の襲撃があるかもしれない。つまりこの男は礼と称して自分を護衛に使いたいのだろう。そんなありがちな思惑に気付かないわけがない。
「そんな」
「先を急いでいると言ってる。馬車の旅には付き合ってられない」
「で、ですが、このままでは、あたしらの気持ちが……」
――気持ちが治まらないんじゃなくて、道程の安全が欲しいだけだろう……!
内心で悪態を吐きながらリーは、
「――悪いが
溜息と共に言い放つ、それでも刺のある言葉。
そんなつもりはないと言うか、それとも――
「だ、だったら、金は払う! いくらだ? いくらで受ける!?」
馬車を守ろうとしていた三人を気遣う素振を全く見せなかったこの男だから、そう出るのではないかと思っていたが、彼の本音にリーは不機嫌を顕にする。
「今出せるなら、何故街で雇わない。さっきも言ったが、先を急いでる。あんたらに付き合ってる暇はないんだ」
今度こそ、リーは男に背を向けた。
「ま、待て! 待ってくれ! 通常の3割り増し……いや、5割増しで払う! だから……」
リーの背に、男が焦った声を掛けた。
「……」
彼を待つ馬が、大人しくじっと此方を見ている。
「2倍! 倍だ、倍払うぞ!」
無言のまま取り合わない彼を何とか留めようとソグは値段を吊り上げる。だがリーは眉間の皺を濃くするだけだった。
「倍と……街に無事着いたら、更に3割上乗せする!」
「……あぁ、そうだ」
尚も言い続ける男の声。
ふと思い出したことにリーは足を止めて振り返った。
一瞬、男の表情に安堵が過ぎる。
「それはそうと、街道から盗ったものを出してもらおうか」
一歩、二歩戻ってリーは手を差し出した。
「な? 何、を……」
「盗ったんだろう?」
狼狽した様子のソグに、リーは確信を得た。そして何のことか分からないという様子の男達を少し哀れに思う。
「綻びを全て直すことは出来なくても、しないよりマシだ」
街道に施された魔物に対する結界。それを維持している結界石は、時に心無い者達によって持ち去られてしまう。
そうして綻び――穴が生じ、街道を行く者達を脅かすのだ。
「……知らん。何のことだ?」
男は額の汗を拭うこともせずに首を振る。
リーは小さく溜息を吐いた。不安そうに自分と、そして主であるソグを見る三人の男達。
「出す気がないならいい」
もう一度、彼は男達に背を向けた。街道に魔物が出ようが自分はさして困らない。勿論、行く手を邪魔されるのだから文句は言いたくなるが、それは寧ろ結界を破った愚か者達に対してだ。
一体何の話をしていたのか分からない男達が、疑問を口にするのが聞こえ、お前達には関係ない、さっさと出発の準備をしろと命じるソグの苛立ちを背後で感じながらリーはほんの少し葛藤していた。
あの主人は面倒な類の人物だ。正直、関わりたくない。だが他の者達は――
「……自分にない善意をオレに求めるなっての」
うんざりとしながら彼は馬に跨った。
魔物が増え始めて約20年。
殊にこの15年余りはその増加速度も高まっていて、例え街道を行くとは言えそれなりの危険は覚悟しなければならないはずだ。
それなのに、どうだ。彼らの備えは。
危険に対する備えを怠り――いや、出し惜しんだのかもしれない――その結果が、これだ。
そうして偶然通りかかった自分のようなものに縋る。
親切を強要する。それではあまりに自分勝手ではないか。
――オレは"善い人"なんかじゃないんだ
彼は大きく溜息を吐いた。
そして不愉快な思いを抱えつつ、慌てて体勢を整えている馬車の一行の傍まで来ると、
「――この少し先でオレも川に下りるつもりだ。そこまでなら付き合ってもいいが」
まだ魔物の襲撃による恐怖が顕な男達にそう言った。
彼らは喜び、そして急ぎ馬車に乗り込んだのだった――。
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