057 - 談笑
『一人旅は、大変ではないですか?』
そう訊いたことがある。
『まぁ、ね。気楽ではあるけど』
そう、彼は以前答えた。
"一緒に旅がしたい"
その言葉に、安堵したのはセフィも同じだった。
よかったねぇと暢気に言うロルに頷いて、よろしくおねがいします、と嬉しそうに微笑む。
「でさでさっおれ、別のところに泊まってるんだ。さっきあの支配人、泊まって行ってよ、とか言ってたよな? おれもいいのかな? 荷物とか向こうに置きっぱなしなんだけど」
アレスがあまりに大喜びして言うので、セフィとロルの二人は顔を見合わせ笑い合い、
「後で取りに行けばいいんじゃない? エーリヒはアレスも込みで言ってくれたんだと思うよ」
「そか。うん。じゃあそうする」
アレスは満面の笑みで応えた。椅子に座り直し、肉料理に手を伸ばす。
その様子を嬉しそうに見守って、
「そういえばロル、あのエーリヒさんという方とお知り合いなんですよね?」
支配人のことを親しげに話したロルに目を向ける。
「うん。ヤルトゥーシュって街で会ったんだ。この"アシ・ル・マナ"のオーナーの居る街なんだけど」
「ヤルトゥーシュ?」
肉を咥えたまま、アレスが問うた。
「ヤルトゥーシュといえば、随分東方の大陸ですね」
「そう。だからなんでこんなとこにいるのかなぁとね。もしや左遷とか……?」
ロルは笑い含みに言って背後を振り返る。
「栄転、って言ってくれないかなぁ?」
酒瓶とグラスを片手にそこに立つエーリヒが苦笑して抗議した。
先ほどは乱れてしまっていた青鈍色の髪を下ろしたままで整えて、タイを解いた彼はすっかりくつろいだ風。
「ご一緒させてもらって構わないかい?」
髪と同じ色の瞳を微笑ませた表情は二十代半ばの青年らしかった。
三人が快く応えると、空いていた席に着き、
「とっておきなんだ」
と言って酒瓶の栓を抜いて注ぐ。そしてロルに勧められるままに、残っている料理に手を伸ばした。
「料理はどうだった? お口に合ったかな」
「美味かった!」
「美味しかったです」
「美味かったよ」
三人が三様に、同時に言ったのに満足そうに笑う。
「それはよかった――あぁ、そうだ。部屋をどうしようかって、聞こうと思ってたんだ。どうする? 1、2でいいかな?」
エーリヒの問いに三人は顔を見合わせた。先ほどの話題を思い出したのだ。
「因みに」
そして、笑いを堪えてロルが挙手する。
「それは、セフィが一人? それとも俺とセフィが二人部屋?」
アレスとセフィという組み合わせはなさそうなので、却下。
「え、いや、それは、任せるけど……」
「じゃあ、
「ま、まぁ……ご希望とあらば、用意するよ」
僅かに声をひそめて問うロルに、エーリヒはちらとセフィを見、照れたように口ごもる。
「つーか、俺、さっきのヤツらみたいなこと言ってる?」
「いや、恋人同士なら、別に問題はないと……」
「恋人同士? 私とロルがですか?」
話の流れから出てきた言葉を聞きとがめセフィが眉をひそめる。
その表情に、エーリヒは瞳を瞬いた。
「違うんですか?」
「違いますよ。男同士で恋人同士も何もないでしょう」
セフィは溜息と共に言った。問うまでもなくアレスとロルが言った通りだったことに、どんな表情をすればいいのか分からず、思わず口調が憮然となってしまう。
「え……? えぇ!?」
一瞬自らの耳を疑い、だが聞き間違いでないことを相手の態度から知ると、エーリヒは持っていたグラスを落としそうになった。驚愕のあまり身を乗り出す。
「男性!? 本当に……!?」
「……紛らわしくて、すみません」
まだ信じられない様子の支配人に、セフィは言う。
「い、いや、謝らなければいけないのは僕の方です。失礼な勘違いをしてしまって……」
深々と頭を下げて、上げた時、盛大なにやにや笑いを浮かべる垂れ目の青年に気付いた。
「ロル、言ってくれてもいいじゃないか」
「え~? なんで~?」
意地の悪い笑みは、明らかに面白がっている表情。
エーリヒは溜息をついた。おそらく何を言っても無駄だろうことを、知っているから。
エーリヒの勘違いに悪乗りしたのはロルだが、自分が気付かなかったことによる失態だ。
「――本当に、失礼しました」
改めてセフィを向き支配人は詫びた。気にしないで下さい、とセフィは困ったような微苦笑で答える。
そして誤解が解けてよかったです、と続けた。
「そういえばエーリヒ、ジャコモって誰?」
一区切りついたのを見計らって、ロルが次なる話題を持ち出す。
「え?」
唐突な問いに一瞬、エーリヒはきょとんとした。
その名が出た時、彼はまだ現れていなかったのではなかったか?
そう思いつつ、とりあえず答える。
「――ジャコモはここの前の店主の名だよ」
「それは知ってる」
一体どこで誰から聞いたのやら、訊くのはおそらく愚問だろう。
――本当に、耳敏いというかなぁ……
エーリヒは思わず苦笑する。
「ここは元々、ちょっといかがわしい店だったんだ」
詳しく話せと促すようなロルの瞳に、抗うことなど出来るはずがなかった。
話を聞くつもりが、愚痴ってしまいそうだと思いながら、エーリヒは酒で喉を湿して続ける。
「料理の味は悪くなかったみたいなんだけど、雰囲気が一般向けじゃなかった、というかね。食事をするところというより、宿……簡単に言うと、連れ込み宿だったんだ」
支配人の言葉にセフィとアレスは不快げに眉根を寄せる。
だがロルは動じる風もなく、
「娼館ではなくて?」
「う~ん、そこまでではなかったと思うんだけど……。お色気たっぷりの見世物はやってたかな。まぁ、店としてやっていけてたのは、そういう需要があったからなんだろうけど、店長がどうしようもない人間でね。
女性店員の弱味に付け込んで関係を迫る、なんてのは日常茶飯事だったらしい。客も、とりあえず部屋が使えればいい、女の人が見られればいいっていうのだったから、店内は荒れ放題。――店を買い取って、内装や家具を入れ替えるだけでも一苦労さ。それに加えて、ジャコモがボドワン達みたいな連中と結託していたもんだから……」
今とは全く違う人々の集う場所だったのだ。
当時の様子と苦労を思い出してエーリヒは小さく溜息をつく。
「どうしてそんな店を買い取ったんだ?」
わざわざそんな面倒な物件を買い取って、店を開く必要などないのではないか。
もっと別の場所でもよかったのではないのか?
アレスの問いにエーリヒは、それがさ、と苦笑して
「オーナーがね、『善良な街の人達にとってよくない店、治安を悪くする温床を取り除いて、楽しめる場所にして商売できたら、そんないいことはないだろう』って言うんだ」
どこか諦観めいた口調で答える。
それによって生じる部下たちの苦労や困難を分かっていないわけではない。
だが、高く志すことが大切なのだという思いに自分たちは惹かれ、そしてこんなに遠くまで来たのだ。
「あぁ、あの人の言いそうなことだねぇ」
ロルは自身も知るその人柄を思い出して苦笑する。
「素敵な考えですね。きっと、魅力的な方なのでしょうね」
「魅力的、というかな……」
二人の語る人物像を思い描き、微笑んで言ったセフィの言葉にエーリヒとロルは顔を見合わせ渋い表情をする。
「強いよね、あの人は」
「うん。むしろ最強だね。まともに立ち向かえるのはロルくらいだよ」
「立ち向かう?」
「いや~立ち向かうなんてそんな、怖すぎでしょ」
「怖い?」
「ははは……」
乾いた笑いを浮かべる二人に、事情の分からないセフィとアレスは首をかしげた。
どうやら深く思い出したくないことでもあったらしい。
傷口に塩を塗り込むのも気が引けたので、それ以上追求はせずに別の問いを向ける。
「ですが、そういった危険を冒すなら、何か手は打たないのですか?」
「そーそー。だから俺も用心棒は雇えって言ったのに」
セフィの言葉にロルが続けた。
危険を冒すなら、それに備えていいはずだ。分かっていたなら、手を打って然るべき。
「いないんだよ、人がさ。――ロルみたいに強くて客を呼べる特技を持ってる護衛ならすぐにでも雇いたいんだけど」
エーリヒは溜息を笑顔に変えてロルを見つめる。
「そりゃ高望みしすぎだよ。俺みたいに優秀な人材がそうそういるわけないじゃん」
「うん。だから誘ってるんだ。一緒に働かない?」
「!?」
鷹揚としたロルの態度と支配人の真剣な瞳。驚いたのはセフィだった。
強くて、歌が上手くて、手品もできる。見目麗しく、その美しい声で語る話題は豊富で楽しい。
彼を欲しがるものは多くいるだろう。一国の王すら、彼に信頼を置いたのだ。
そして求めるなら、彼は多くのものを手に入れることができるはずだ。
だが、当の本人は興味も動揺も見せずに微笑み
「嫌」
にべもなくきっぱりと撥ねつける。
「なんだよ、もう少し考えてくれてもいいだろう」
「考えるまでもないよ。つか、前も断ったでしょ」
食い下がる支配人。だがロルの答えは素っ気無い。
「うん。でも、今ならどうかなって」
「いつ言われても、何度言われても嫌なものは嫌なのー」
「……そう、言うと思ったけどね」
子供じみた口調で話す垂れ目の青年にエーリヒは、だが然したる落胆も見せずに苦笑した。
「ま、君がその気になってくれたなんて知れたら、オーナーに引っ張って行かれるだろうけどねぇ」
「それは絶対嫌~……」
あぁ、目に浮かぶ、と二人はまたどこか遠い目をして黙り込む。
オーナーってどんな人なんだろうねぇとアレスと話していたセフィは、先ほどのエーリヒの言葉――ロルを誘った言葉――に思わずドキリとしたが密かに胸をなでおろした。
「心配しないでね、セフィ」
その意を見透かすようにロルは柔らかに微笑む。
「俺ってそんなに浮気性じゃないから、ね? 実は誠実だったりするもんね」
途中からは、どこか冗談めかした口調。セフィは思わず苦笑する。
「そうですね」
「自分で言うあたり、どうなんだよ?」
呆れたように言ったのはアレス。この垂れ目の青年のつかみ所のなさに変わりはなかった。
「実は、っていうのも怪しいよねぇ」
ささやかな意趣返しとばかりにその会話に乗りかけた支配人だが
「あの、エーリヒさん」
控えめに掛けられた呼び声に、そちらを見遣った。
小柄な調理服の少年が少し離れたところから自分たちの様子を伺うように見つめている。
「やぁ、ティル。どうかしたかい?」
支配人が微笑み手招きすると、少年はパッと表情を明るくして駆け寄ってきた。
「お話中すみませんっ、あの……エーリヒさんと、その三人さんに、どうしてもお礼が言いたいって人がいるんです。さっき絡まれてるところを、助けてもらったからって」
「あぁ、あの二人か」
まだ幼さの残る声で早口に言った言葉にエーリヒが思い出し
いいかな? と三人に問うた。
彼らが承諾の意味で頷くとティルは二人の男女を連れてきた。
深い緑の髪と茶色の瞳。男女の差はあるものの、顔形がよく似ている。
「モニカとサミュエル。山手の村から来たんだって」
ティルが手短に紹介して促すが、どこか緊張した様子の二人は頬を高潮させ、言葉を忘れてしまったかのように突っ立って動かない。
「……」
――カタン――
「!?」
青い髪の少年が卓にグラスを置く音で、二人はハッとなって目を瞬いた。
気遣わしげに自分達を見る眼鏡の美人と、面白がるような表情の垂れ目の青年。セフィと、そしてロルに、すっかり見惚れてしまっていたのだ。
二人は慌てて深く頭を下げた。
「あ、あの、助けて頂いて、ありがとうございますっ」
姉弟らしく声がぴったりそろっている。
「わ、私はモニカ。こっちは、弟のサミュエル。私たち、アイゼナって村から来たんです。それで、あの、あの……」
微笑ましく見守る者たちに何かを伝えようとしている娘は、だが緊張のためか言葉を続けられない。
「あの、僕達、その……」
弟が代わり口を開く。だが姉と同じく定まらない視線と言葉。
そしてセフィはそこに、緊張だけではないどこか切迫した様子を感じた。
「――お困りのようですね? 何か力になれますか?」
怖がらせないように、構えさせないように、穏やかな声でセフィは問うた。
「……!!」
優しい瞳と、声。
弾かれたように、姉弟は目を見開き唇をかみ締める。
――涙を堪える表情だった。
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