056 - 与えられた機会
乱闘騒動が収まったとは言え、店は営業を続けられる状態ではない。ボドワン一味を倒した英雄に握手や言葉を求める者、食事を適当に終えて帰路について行く客達、その対応をしなければならないのだ。
店員とエーリヒの巧い立ち回りのおかげで三人は辟易とする前に店内の片隅に設けられた卓に着く事が出来た。
「……あれは、訂正しておいた方がよくないか?」
「そーだねぇ。俺としても、せっかく用意してくれた部屋が
やっと落ち着いて席に座ったアレスが不意に言ったのに、ロルがおどけて答える。元来あまり人見知りをしない性質の二人は既に打ち解けた風だった。そのことを微笑ましく思いながら、意味のわからない会話に首を傾げるセフィ。
「? 何のことですか?」
「……」
二人は顔を見合わせ、そしてセフィを見て頷く。
「ま、間違うなって方が無理があるかもだけどね」
「セフィは美人だもんな」
「?」
悪戯っぽく笑うロルと、真剣に言うアレス。話が飲み込めていないセフィに、
「さっきの支配人が、セフィのこと女の人だと思ってるみたいだったから、言っておいた方がいいんじゃないかって」
「そーそー。んで、部屋が恋人同士仕様だったら困るねってハナシ」
二人は言う。
「まさか」
「いや~さっきの、あの連中の態度といい、エーリヒの様子といい、確実だと思うな」
ロルはわざとらしい真面目顔で頷く。
「……」
セフィは複雑な表情を浮かべた。だが丁度その頃に料理が運ばれてきて、二人はすっかり食べることに夢中になってしまい、それ以上言及することが出来なかった。
「ま、後でエーリヒに聞いてみればわかるよ」
とロルは笑った。
街にたどりついたところだったセフィとロル、そしてまだほとんど食事にありつけていなかったアレス――注文をして待つ間に少し席を離れ、戻った時には既に乱闘が始まっていた――は旺盛な食欲を見せた。
給仕達は入れ替わり立ち代り料理を持って現れ、気安く話しかけては平らげられた空の皿を持って去っていく。実に手際がよかった。
「そういえばアレス、あなたは何故この街に? ケルレインに向かうと言ってましたよね?」
食事が一段落した頃、セフィはアレスに尋ねた。
「う、うん……いや、おれもケルレインに向かってたつもりだったんだけどさ……」
言いにくそうに口ごもる。
「つかさ、ケルレインに着いたつもりが、この街だったんだ」
「え……?」
「は……?」
「街に入って人に聞いてみたら、ここはランノットだって言うんだ。俺、ケルレインに着いたつもりだったんだけど。なんでかなぁ?……ま、今までも向かってた先に街がなかったとか、違ったとかはあったから、別にいいんだけどさ」
ボソボソと言って、最後は開き直ったように頭を掻いて苦笑した少年に、セフィとロルは顔を見合わせる。
「エンテスから、北に向かったんですよね?」
「そう」
「オムネラ半島平野の方へ?」
「うん」
アレスは頷くが、それにしては随分と東に逸れてしまっている。
街道もあるし、地図も持っているなら、そうそう「向かった先に目的の街がない」などあるはずはない。
「少年……もしや、方向音痴だったりしない?」
それは、旅人として致命的ではないか?
表情が崩れそうになるのをなんとか堪えつつ、ロルが問う。
「少年って言うなって! それに、おれは、別に方向音痴じゃ……」
「確か、3年前くらいから旅してるって話だよね? 帰れなくなったとか、そういうんじゃないよね?」
「そんなことは、ないぞ! 自分の国<ホーグランド>の場所くらい、分かってる!」
胸を張って言うが、どこか白々しい。ロルは思わず噴出した。
「わはははー面白いね、アレス、お前って」
「な、なんだよ! 笑うなよっ!」
「そうですよ、ロル」
そう言うセフィも、笑いを堪えた表情。この二人のやり取りは、なんだか面白い。
「セフィも笑ってんじゃんよー」
「そ、そんなことはないですよっ」
「むぅ……」
慌てて否定するセフィをアレスがじっとりと見つめる。
「ほら、言ってみれば、アレスが道に迷ったおかげでこうやって会えたんですから、ね?」
ニッコリ。
「……」
慰めになっているのか、なっていないのか。
多少論点はずれているが、心を蕩かす様なその微笑で言われては二人は言葉を失うしかない。
その綺麗な笑顔に、思わず暫く見惚れてから、
「――ホーグランドと言えばさ、俺、行った事あるんだよね」
「え……!?」
果実酒を煽って、気を取り直したロルが思い出したよう言ったのに、二人は驚いた。
「ホーグランドに? 本当ですか、ロル?」
「うん」
「なんで!? いつ!?」
「なんで、って旅の途中に立ち寄ったんだ」
アレスの驚きを楽しむように笑んでロルは答える。
「時期は……そんな、昨日今日じゃないけど。3年前よりかは最近だから、アレスが旅立った後だね」
「おれが旅立った、後……」
旅の空の下、故郷を思わないことはない。その様子を知る者が居るなら、訊きたくなって当然。
それを自身もよく知るロルは、優しい声での賛辞を惜しまない。
「いい所だったよ。フロレンティナ王女は可愛いし、国王陛下を称える声は其処彼処で聞いた。フェンサーリルよりは大分田舎だけど、街もよく整備されててさ」
そして、故郷を褒められて嬉しくないはずがない。
「そっか、うん。そーだろ? いいところなんだ」
アレスはどこか照れたように笑う。
「あぁ、でも、ちょっと気になる奴がいたな――ヴィトルド卿っての」
「ヴィトルド卿!」
「有名な方なんですか?」
素早く反応したアレスに、そしてロルにセフィが問うた。
「悪名、と言った方がいいのかもね」
「あいつ、嫌な奴なんだ」
「嫌な奴……?」
「うん」
「多分、その表現が一番正しいと思う。な~んか、嫌な奴なんだよね」
二人は顔をしかめ頷く。そしてアレスは何かを考えるように黙り込み、皿に盛られた素揚げの芋をつついた。
「俺に言えたことじゃないんだろうけど、心配なら……帰れるなら、帰ってみるのもいいかもよ?」
「そーだなぁ……」
故郷の両親を、姉夫婦を、そして親友を思う。
何も言わずに旅に出て、帰りたいと、会いたいと思うことは幾度となくあった。
それは例えば、辛い時や寂しい時――だがそれよりも強く思ったのは、すばらしく心動かされるものに出会った時、その感動を分かち合えるような誰かが傍にいれば、と――
「セフィ?」
その時ふと、自分と傍らの青年を見つめる司祭の視線に気付いてアレスは呼んだ。
「どうかしたか?」
「いえ……」
はっとなり、セフィはどこか陶然と微笑む。
「不思議だな、と思って……」
「不思議?」
アレスとロルは先を促すように言葉を繰り返す。
「人の出会いと言うか、縁と言うか……もっと別の場所で出会っていたかもしれない貴方達が、今ここで初めて出会い、こうやって同じ卓を囲んでいるという偶然が……。とても、不思議だと思いませんか? もしかして出会わなかったかもしれない。でもホーグランドや、もっと別のどこかですれ違ったり、出会ったり、していたかもしれない。そう思うと……」
世界は、決して均一ではない。
浜辺に打ち寄せる波に大小があるように、海流や気流が強弱を持つように、人々の流れもまた均等に巡ってくるものではない。
いつ、どこで、だれと、出会うか。言葉を交わすか。そして友と呼べる存在となるか。
目の前の二人を見ていて、セフィはその
「そうだねぇ」
「確かに……」
アレスはロルを見、そしてセフィを見た。
この宿の支配人と偶然再会した青年、その彼と故郷で出会っていたかもしれない自分、そして目の前の美貌の司祭とは、ほんの少し前に出会って、別れた。
あるいはもう二度と会うことは無いかもしれないという思いと共にフェンサーリルを発ったこと。同時に、その時飲み込んだ言葉を思い出す。
『一緒に行かないか?』と言いたかった――その思いにつられるように、問う。
「……セフィはどうしてこの街に? やっぱり教会関係の何か?」
「えぇ、まぁ……」
唐突に問われセフィは歯切れ悪く応える。
「あ、もしやまたおれ、聞いちゃいけないこと聞いた……?」
「え? いえ、そんなことはありませんよ」
アレスはセフィが聖職者であることを知っているし、その特殊な任務に当たっていたことも知っている。今更変に隠し立てすることもないだろうとセフィは思っていた。
それに、旅立って行ったアレスを見送った時、彼は旅人なのだからもう会うことはないだろうと、そう自分に言い聞かせながら、それをどこかで寂しいと思った自分をセフィは知っている。だからセフィは、彼の思いを探るようにその瞳を見つめた。
セフィの答えにアレスは安堵して問いを重ねる。
「また、何かの調査? どこかへ行くのか?」
「宝探しの旅、だよね」
その思いに勘付いてか、楽しそうにロルが言いセフィが続ける。
「えぇ。今回は少し、長くなりそうです」
「旅……!? 少し長く、って、じゃ、じゃあさ、おれ……!」
思わず立ち上がり、興奮気味に詰め寄るアレス。
一度は、別れた。だが、再び出会った。それは何故か。
――これは、与えられた機会だ。
喉の渇きに言葉を切り、僅かに逡巡する間に
「一緒に行きますか?」
セフィが問うた。自身も願う、その思いを込めて真摯に。
「いいのか!?」
「はい。あなたさえよければ」
瞬いて頷き、大粒の瞳が少年を見つめる。
断る理由など、何もない。
ホーグランドへは今はまだ帰らなくていい。もし近くに行くことがあれば、立ち寄ればいいだけだ。
アレスは硝子の向こうの瞳を見据えて、そして力強く頷いた。
「セフィと旅がしたい! 一緒に行きたい……!」
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