046 - 足りない気がするのは

 少年が、勢いよく青年に切りかかる。

青年はそれを後ろに退いて避け、次に踏み込んで少年の左側に切っ先を突き出す。

少年はそれを振り下ろした剣で弾き更に切りかかった。

 一連の動きを目の当たりにし、居残り固唾を飲んで見守る兵士らは歓声を上げそうになるのをぐっと堪えた。

皇子はまだ幼いながらも剣術の腕はなかなかのものだ。

殊にここ数年は自ら進んで訓練を受けている。セフィと打ち合うこともあり、3度に1度勝つこともあった。

もっともセフィは剣が専門ではないし『手加減をしている』とリオンは憮然とするのだが。

 兵士らの多くは諸国をめぐる放浪人の勝利を確信している。

だが、目の前で交わされる試合はどうだ?

もしかして――

「恐ろしい男だな」

「……」

兵士長の呟きにセフィは無言の肯定をする。

「なかなかの、どころではないぞ……」

剣舞のような、それでいて無駄のない動き。

戦闘において邪魔になる、長い髪の動きすら意識下においているような。

すべての動きを把握している、

そう、相手の動きすら――

だがそれはごく自然な流れで、横柄さはない。ただ見るものには気取られることはないだろう。

「リオン様は感づいているでしょうか」

「どうだろうか。だが知れば立腹なさるだろうな……」

勝負は、一瞬。

リオンの剣を剣で受け止めた青年、ロルはそれを軽く往(い)なし、踏み込むとそのまま荒い息に上下する首元に切っ先を突きつけた。

 鋭く絡み合う視線

静かなざわめきが刹那途切れ、カシガルが決着を宣言すべく片手を挙げようとしたその時、言葉を剣戟音が遮る。

先ほど弾かれた剣を下段からすばやく、わずかに身を引いて振るい、ロルの剣を外側に退けて、その懐に飛び込んだ。

「!!」

「皇子!」

が、剣が弾かれると共に身をひねり交わして、飛び込んできたリオンの背後を取る。

「くそっ」

すかさず剣を片手に持ち替え、振り返りざまに薙ぎ払うリオン。だがわずかに届かず、

「失礼っ」

それを待っていたかのように短く言うと、青年の刃先はがら空きになった少年の右肩口から胸、脇腹の上部までを薙いだ。

「っ!」

「リオンハルト様!!」

思わず周りから叫びのような声があがる。

訓練用に刃引きした剣で、しかも浅くではあったが、重たい衝撃に押され平衡を崩したリオンは尻餅をついた。

もう少し深ければ仰け反り倒れこ込んでいただろう。

ロルはすばやくリオンの剣を足で抑え再度切っ先を突きつける。

「勝負あり! 勝者ローレライ=ウォルシュ!」

少し待って、今度こそカシガルは決着の手を挙げた。

 ロルは剣を収め足を退けるとリオンに手を差し出した。

倣岸ごうがんさはない。だがそれが逆にリオンには腹立たしかった。

ロルに答えず地面で握った手には、先ほど取り落とした剣の柄があった。

「これで、認めて頂けますか?」

セフィと共に行くことを。

「っ!」

――こいつは、自分の場所を奪いにやってきたのではないか――?

つい数日前に、青い髪の旅人が現れた時にも浮かんだ懸念。

認めない。渡さない。セフィは、誰にも――

そんな考えが頭をもたげた瞬間、少年は手にした武器を振るった。だが、

「止めなさい、リオン! 貴方は自分が何度殺されたか分からないわけではないでしょう!?」

その刃は相手にまでは届かなかった。

鋭いセフィの声に少年は身をすくませ、辺りは静まり返る。普段の柔和な雰囲気からは想像がつかないような強い口調。

「ロル、貴方も……甘受しようだなんて、思わないで下さい。お分かりでしょう? 彼の斬は子供のそれではありません」

「え~でも、俺ってばまるっきり悪者じゃん。皇子様見てたら、これくらいの報いは当然のような気がしてきてさぁ……。ってか馬に蹴られて死ぬよかマシだと思……」

「ふざけないで下さい。これは審判を立てた正式な試合でしょう。勝負はついているのです」

――彼の品位を下げるつもりですか

歩み寄ったセフィがただ、ロルにだけ分かるように囁く。それはどこか辛苦の様が含まれていた。

――そーくるか……

一度天を仰ぎ溜息をついて、セフィを向き直って笑むと彼は「セフィが、止めてくれると思ったから」と朗らかに言った。

「何を……」

その屈託の無い表情に、セフィはふっと息を吐き表情を緩める。

「……」

頭上で交わされる気安い雰囲気のやり取りがまたリオンを苛立たせた。

「カシガル兵士長、すみませんが皆さんを解散させて頂けますか。――リオン様、どうぞ御立ちを。お怪我はありませんか?」

言うと司祭は跪き、俯いたままうなだれる少年に手を差し伸べた。彼に続き二人の戦士に歩み寄った大男は承知、と頷いて周りを囲んだ者達にお開きの意を伝える。

「リオン様?」

「そう呼ぶなと言ってる」

再三、言ってもセフィが自分を"リオン"とは呼ばないから――"リオンハルト様"や"皇子"よりはまだ許せたから――仕方がないと諦めていたが、今はそれが譲れない。

セフィの手を借りずに立ち上がると、顔を背けた。

「ですが――」

柳眉を潜め、紫の瞳が困惑に揺れる。

「さっきはちゃんと呼んだ」

「あれは……思わず……」

そんな主従のやり取りを見守るロルに

「あのっ」

「ん?」

カシガルに命じられ、青年と少年の解く武具を引き受けに来た二人の若い兵士が声をかける。

「さっきの司祭様が仰った『何度殺されたか』とは一体どういうことですか?」

「あ、あれ……? え~と……」

言ってよいものだろうか。言葉を濁す青年。

「――カシガル兵士長が決着を言い渡す前に、僕は既に負けてたってことだ。見て分かったろう? 最初の一打で、完全に――」

そうだ。勝負は一瞬でついていた。リオンが切りかかり、それをロルが避けた後の反撃。あれをかわさせたのはロルだ。そういざなった。彼は自分の攻撃など余裕で見切り、かわし、いつでも自分を打つことができた。手加減されていたのだ。

「えぇ~っと……」

気まずそうに頬を掻きロルは視線を泳がせる。

「僕は、本気を見せろといったはずだ! 手加減など……!!」

リオンは掴み掛からん勢いで長身の青年に詰め寄った。

「僕が皇子だからか!? 一国の後継ぎに、怪我をさせるわけにはいかないからか!?」

「リオっ……」

「……」

皇子の怒りを諌めようと声を掛けかけたセフィを、ロルが無言で制した。

「僕は一剣士として戦いを挑んだんだ!! こんな、無礼を、侮辱を……よくもっ!」

「本気を出させるほどの実力も持ち合わせずに本気で戦えというのこそ、剣士として相手に無礼ではないのですか」

「……!」

見下ろす青い瞳は声音と同様冷厳。リオンは思わず目を見張った。

「失礼ですがリオンハルト皇子。私は、あの剣であっても貴方を殺す自信があります。しかし、殺さず本気で戦えるような腕は持ち合わせていない。――殺人の罪を犯すつもりはありません。まして、このような場で貴方を手にかけるなどできるわけがない。当然でしょう」

相手の身分など関係ない。

戦士が身に付けてきたのは、いかに素早く確実に相手の息の根を止めるかということ。

彼にとって本気で戦うとはつまり、本気で相手の命を奪ろうとすること――。

「……」

その通りだ。リオンは言葉を失い俯くと拳を握り締めた。傲岸不遜とも言える物言いだが、正しい。

そのことが分かるから、リオンは自分の子供じみた激情が浅はかなものに思えて、情けなかった。

「失礼、司祭殿……」

静まるのを待っていたのか、カシガル兵士長がセフィを呼ぶ。

――国王陛下が応接室に来るように、と

「分かりました。すぐに参ります。――リオン様……」

そう返事をしたセフィが、リオンを向き直る。その表情は見なくても容易に想像がついた。

困ったような、申し訳なさそうな――

「行けよ」

悔しくて、情けなくて、また涙が滲みそうなるのを堪え、リオンはセフィとロルに背を向けた。

「そいつの強さは分かった。行けよ、どこへでも」

自分にとってセフィが特別であるように、

自分はセフィにとって特別な、必要な、存在なのだと心のどこかで思っていた。

だが、それは自分の勝手な思い込みだったのだろう。そう思いたかっただけかもしれない。

「リオン様……」

申し訳ありません、とセフィは深く頭を下げた。

 彼はこんなにも簡単に離れていってしまう。

それならば自分も、要らないと言ってしまいたかった。特別なんかじゃない、と。

「どこへでも、行けばいい」

そう思わなければ、あまりに悔しくて、切なくなるから。

リオンは背を向けたまま、視線もくれず足早に歩き出した。

 これ以上、その場に居ても惨めになるだけだ。

セフィは優しい。

だがそれは、自分だけに対してだけでなく、自分が特別だからでなく。

否、あるいは、父国王の息子であるというのは特別であったかもしれなかったが。

あの男――ウォルシュが嫉ましかった。

父の関心も、セフィの信頼も彼のものだ。

――国王陛下は貴方を愛してらっしゃいますよ

その言葉は心から信頼できた。

だが、それでも、足りない気がするのは、一番欲しいものが手に入らないから。

「……要らない」

先ほど自ら要らないと突き放したものが、それであるという考えに再び辿り着き、リオンは慌てて言葉にした。

呟いて立ち止まる。

「要らないっ! 要らない……いらない……っ!」

何度も、何度も搾り出すように否定の言葉を紡ぐ。だが言葉にする度、声にする度、心が悲鳴をあげた。

「いらなっ……」

あまりに苦しくて、痛くて涙が零れた。

縫い付けられたように、足が動かない。これ以上、セフィから遠ざかりたくなかった。

「あ、の……リオン皇子……」

 いつも、まだ幼いながらも胸を張り颯爽と城内を歩く彼が、立ち止まり肩を震わせている姿に、僅かに距離を取って後を付けてきていた護衛兵がおずおずと声をかける。

どういうことなのか、彼には全く分からない。何が皇子を追い詰めたのか。何故、最も慕っていた司祭にあのように言ったのか。

見ない方がいいのかもしれない。構わずただ控えているだけの方が、いいのかもしれない。

歳若い彼には涙を見られたくない気持ちは理解できたから。

だが声をかけずには居れなかった。

「大丈夫、ですか?」

叱咤が飛んでくるだろうか。そう思ったが

「……」

無言で向けられたのは縋るような瞳。

彼はまだ、13歳の子供なのだと思い出す。

「トーニ……」

強がる必要などもはやなかった。その姿を見て欲しい人は傍に居ないから。

「お部屋に戻りましょう、皇子」

彼に言えることはそれだけだった。

「……」

ひとに促されてやっと、足が動いた。頷き、俯いたままリオンは再び歩き出す。

足早に、振り切ろうとするように――。

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