029 - 少女(2)
晴れ渡る空に浮かぶ白い雲は、風にざわめく草の上を少しずつ形を変えながら滑るように流れてゆく。
丘を行く一頭立ての小さな荷馬車は轍を辿り、そんな空へと向かっていた。
果物の詰まった樽とその他の荷物、それから干草と一緒に少女は荷台に転がっていた。
つばの大きな麦藁帽子を上手い具合に日除けにして。
ガタゴトという馬車の歩みが、もたれかかる干草に振動を伝えて心地よく揺れる。太陽の光をたっぷりと浴びたその香もたまらない。
小道の両脇には黄色い花が点々と散らばる鮮やかな緑の牧草地。道沿いに設けられた簡素な柵は延々と続いている。
御者台に座るのは老夫婦というにはまだ少し歳若い二人の男女。
洗いざらしの簡素な衣服に日に焼けた肌。その表情はとても健康そうだった。
「あぁ、見えてきたよ、アーシャちゃん」
「ホントッ!?」
男が言うと少女――アーシャはぴょこんと起き上がり、四つん這いのまま干草の上を登って御者台の背に手を掛け、前方を望む。
馬車は丘の頂上を越え、これから緩やかな下り坂へとさしかかろうとしていた。
「うわぁ……!!」
眼下に広がる景色にアーシャは思わず声を上げた。
牧草地はなだらかに続き、濃い緑をした森で途切れるまで次々と風を伝えて揺れる。遠くの方に、青く霞む高い山が見え、空の拡がりはこれまで見た中で一番大きかった。
そしてもっと近く、この小道の先に小さな村があった。
玩具のような茶色や灰色の家々が寄り添うように集まっている。
「素敵……!!」
赤い髪の少女が愛らしく笑って言ったのに、
「そうだろう」
夫婦は得意げに頷いた。
アーシャは大きな黒曜石の瞳を閉じて思い切り息を吸い込んだ。爽やかな緑の香が全身を通り抜けてゆく。
正面からはすくい上げるかのような風が吹き、そのまま空へと駆け上がれそうな気にさえさせる。
「気持ちいい……」
ウットリと言う少女を夫妻はホホと嬉しそうに微笑んで見守った。
まるで、我が子を見るような優しい眼差しで。
だが、そう。アーシャはこのフィタ二夫妻の娘ではない。
出会ったのは数刻前。
夫妻が隣りのトール村から自分たちの村、クミンへと帰る途中の森の中でだった。
ディセイル地方ホルス街道から脇に逸れた、地道を暫く行った辺りに点在する小さな村落。
その日、夫妻はトール村へ嫁いだ娘の所に孫たちの顔を見に行き、その帰りにちょうど季節を迎えた
朝に摘んだ分は、娘夫婦と孫たちに振舞ってしまったためだった。
そして、
一方のアーシャはと言うとホルス街道を西へ、フォンティンの街へと向かう途中だった。
先のヴィナエの街で、フォンティンへはどれくらいかと尋ねたところ
『女の足なら7、8日は掛かる』
『そんな細足で歩くなんてバカなことはやめとけ』
『大人しく馬を買うかそっちへ向かう商隊に同行させてもらった方が身のためだ』
と言われ、更に
『そもそも女が一人で旅なんかするもんじゃない』
『そんなに行きたいなら俺たちに"お願い"してみろよ』
『気が向いたら、フォンティンまで送ってやっても構わないぜ?』
などと見下しながらニヤニヤ笑って言った男達の態度が頭にきて――どの道馬を買う金などなかったから――歩くことにしたのだった。
――だから男は嫌いなのよ。
――女を支配することで優越感を味わおうとする愚かしい生物……
旅に出た初めの頃は、とにかく早く距離を稼ぎたくてひたすらに歩き、足にたくさんのマメを作ったことも、それでもムキになって歩き続け、見事にそのマメを潰してしまい目も当てられないような状態になったこともあった。
無論、治癒魔法を使えば済むことなのだが、傷付いた身体で"自らに治癒の魔法を施す"ということは更なる痛み――下手をすれば、意識を失いかねないほどの――を伴うことがある。
そのため、一人旅の身ではなるべくならば使いたくなかった。
だが今は、旅慣れたとまでは言えないものの、自分の
あんな、毎日酒ばかり飲んでへらへらしている奴らに頼らずとも、自分一人で辿り着く自信くらいあった。
それにホルスは古い、大きな街道だ。そういった街道の敷石には魔物除けの石が埋め込まれているのが大概。それを知った者達が自分たちの家の護りにと盗って行ってしまうこともあると聞くが、比較的安全な道程といえた。
何はともあれアーシャは街道を行っていた――。
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