025 - 眩暈(前編)

「今日は助かったよ」

「いえ……」

見送りに戸口に立ったネイビス司祭に微笑んで応えセフィは扉を押し開けた。

暖かな日差しと緑色の香が柔らかに漂う。

辿ってきた廊下の向こうからは、はしゃぐ子供達の声。

「残りの、お片付けをお願いしますね」と言って出てきたのだが、何でも遊びにしてしまう無邪気な子供たちの姿が目に浮かんで、思わず顔が綻ぶ。

「それでは、失礼します」

「あぁ」

振り返り、頭を下げた若き司祭にネイビスは肯き外へと目を向けた。

「え……?」

「!?」

突然、舞い降りてきた黒い影と大きな羽ばたきに二人は驚き

「っ!」

ネイビスは思わず後ずさる。が、

――……鷹……?

「――こんな所に……どうして……?」

セフィはそちらを見上げ、ごく自然な動作でそっと手を差し伸べる。

「お、おいっ……!?」

猛禽の鋭い爪に対して、その手はあまりに柔く傷付きやすそうに見えた。

ネイビスが慌て制止するがセフィは「大丈夫です」と微笑み、迫り降り立とうとする大鷹に優しく声をかける。

「……どうかされたのですか……?」

翼の風に、被っていた頭巾フードがパサリと肩に落ち、揺れる前髪の向こうで黄金色の瞳が鋭くこちらを見下ろしていた。

――? 何……?……何か……

不思議な感覚に触れた。と、その時。

「ソニア――!」

すぐ側で、だがなぜか遠い呼び声。

切なさに満ちた甘い感触を連れて、それは音としてよりも先に、脳裏に響いた。

――誰?

ハッとなり目を遣った先には息を切らし佇む金髪の青年――。

――誰……

既視感にも似た眩暈が襲う。


青年がフラリ、と足を踏み出す。僅かに、表情を緩めたように見えた。

「あ……」

強く、羽ばたき空へ駆け上がる大鷹に一瞬、気をとられたセフィが再び青年へと視線を落とそうとした時――。


揺らぐ緑の大気と光になびく黄金の絹糸。

駆け寄ってくる、青年。

 その光景はセフィの瞳を奪い、次の瞬間には風の香と異国の衣を纏った青年の腕が身体の自由を奪っていた。

「……っ」

抱きすくめられ、淡い苦しさがあった。

だが抗う術をセフィは知らない。

自分の身に何が起こったのかを理解することすら困難だった。

「あぁ……ソニア……やっと……やっと、見つけた……」

背筋がゾクリとするようなハスキーヴォイスの、甘く切ない、今にも泣き出しそうな囁きに、思考だけでなく身体の動かし方さえ忘れてしまう。

 堅い胸板の向こうで早鐘のように打つ熱い鼓動、春風と太陽の愛撫、そして清しい花の香だけを感じながら彷徨い出した意識はゆらゆらと中空を漂っていた――。

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