026 - 眩暈(後編)

――ソニア……?

――……誰……?

――やっと……会えた……?


――誰……?


『逢いたかった』


「あれ?」

呆けた脳裏に頓狂な声が射し込み、固化した身体を抱く腕が弛んだかと思うと青年が自らの身体をゆっくりと引き離した。それでもまだ身体に固執しきらない意識を抱えたままセフィは首を傾げる。

「……?」

「……ソニアじゃ……ない……?」

小さく呟いた青年の視線が絡みついてくる。遠い意識の向こう側が、なぜかチクリと痛んだ。

「なんだね?  君は?」

不意に、厳しい声が耳に飛び込む。ネイビス司祭が自分たちを――目の前の青年を鋭い瞳で睨みつけていた。

「あ、悪ぃ」

両腕を掴む青年の感触がパッと離れた。だが与えられた熱はすぐには消えず戻りかけた意識を惑わせる。

「すまない……突然こんなことをして……」

青年は綺麗な顔を僅かに歪めて苦笑し、詫びた。

「……あ……いえ……」

その言葉が、自分に向けられたものであると認識するのに少々間があったが、セフィは何とか首を横に振った。

それを認めると青年は今度はネイビスを見遣り

「驚かせてしまったようで、申し訳ない」

丁寧な口調で言う。

「何者だね? 君は?」

一方ネイビスは引きつった表情のまま再度問うた。むしろ威嚇するかの様に。

「旅の者だ……」

痛いくらいのネイビスの視線に、やはり接近しすぎていたのだろうと感じたのか青年はセフィから少し離れ、続ける。

「人探しをしている」


――あぁ……ソニア……やっと……やっと、見つけた


脳裏に焼き付きこだまする声。

「ソニア……さん……?」

誘われるようにセフィは呟いた。視線を移すと、青年はなんともいえない寂しそうな、だが穏やかな表情で笑み「そうだ」と頷く。

 また、どこだか分からない心の奥が軋むように痛んだ。

「――では、そのソニアという人物と、この者を見間違えたと?――それ程に、似ているのかね?」

もっともな疑問だった。

「いや……それが……」

先ほどの、自らの行為を冷静に分析する鋭い瞳の司祭に青年は苦笑し、頭を掻きながら

「見間違えた、ってのは、そういうことになるんだろうケド……」

言いにくそうに口篭もる。

「……似てないんだよなぁ。全くもって、これがさ」

「……」

「……」

にへら、としか形容のしようのない青年の表情と物言いにネイビスとセフィは思わずどう反応してよいのかわからず黙り込む。

「顔、姿も……背の高さも、髪の色も……」

黒よりも濃く深い緑の髪をしていた、と。そして何より、ソニアは女性だと。

「……呆れたな。似てもいないのに、何故間違うようなことがあるんだ?」

しかも、そんなにも大切な人と、だ。眉間に皺を寄せ、険しい表情のネイビスは溜息をついた。

 これまでも、女性に間違われたことはある。だが、こんなにも切ない瞳で見られたことはなかった。セフィは戸惑い、何も言えずにいた。

 愛しい娘を探すと言うこの青年を、惑わせあのような行為に至らしめたもの、それは――。

「この、瞳だ……」

セフィのその、頬に触れ瞳を覗き込む。艶かしいほどにウットリとした声で、青年は囁いた。

 無論、あのような距離からその色までもを認識できたわけではなかったであろうが、確かに彼はそこに何かを見ていたのだ。彼の記憶と意識に響くような何かを。

「……!?」

すぐ、側に迫る端正な顔立ち。

海や空さえもが羨むような青い瞳に捕らえられセフィはまたしても固化してしまう。

自らの瞳を曝け出したまま、瞼を閉じることさえ叶わなかった。

 ネイビスは咄嗟に何かを言いかけたが、青年のセフィに向ける優しい視線と真剣な様子に口を噤む。

自分が水を注すべきではないと、無意識が訴えていた。

「この瞳……。まさか本当に、こんな瞳を持つ者がいたなんて……」


――コンナ瞳ヲ持ツ者ガイタナンテ――


「……っ」

セフィは思わず身体を強張らせた。

その後に続く言葉は容易に見当がつく。

 優しい瞳で笑みながら、酷く、胸に痛い言葉を投げつけられたこともあった。

そんなことには慣れていた。

それでも、言って欲しくなかった。

この声で。

目を閉じて、その手を振り払って、耳を塞いでしまいたかった。

聞きたく、なかった。

傷付かない訳ではなかったから。

 抗おうとしたその時。だが、

「……綺麗だ……」

発せられた言葉は、刃でなく。

「――え……?」

セフィは自らの耳を疑う。

柔らかな羽の優しさで耳を擽って


――俺が、驚いたのは、あんまり綺麗だからっ!!

――……気味悪いなんて自分で言うなよ――


――オレは、好きだぜ? その色……


蘇る暖かな声と同じ様に、欠片ほどの偽りも無く。

そして今、それでも新たな出会いの度に臆病になっていた自分の不安を蕩かすような、声。

「こんなにも綺麗な紫苑の瞳を持つ者が、本当に……」

膝の力が抜けそうになった。

だが、続けられた言葉は更なる衝撃をもってセフィの瞳を見開かせることとなる。

「ソニアの他にもいたなんて……」

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