021 - 少年と子竜と
無機質で機械的な匂いのする薄暗い通路に、歩みを進める足音が小さく響いてゆく。
「何の用だって……?」
黒髪の少年は鋭い瞳を先へと向けたまま呟いた。
すると、少年の肩に乗った紫銀色の子竜が、その青白くさえ見える頬に触れるように答える。
「――何も聞いていない。ただ、来い、と」
少年はそれを聞き、声に出さず「そうか」と応えて黙り込んだ。
壁に埋め込まれた人工の光源は、単調な波で少年と子竜の姿を堅くすべらかな壁に映す。
他に、行き交う者はない。おそらくその存在さえ知る者はいないであろう通用路は、この施設の最深にして最高部へと続いている。
さしたる長さはなく、すぐに行き止まりの壁が見えてくる。そこは継ぎ目なく閉じられた扉。右手側には小さな赤い感知装置(センサー)の光。
少年が光に手をかざすと、高電子音がその存在を確認し
「――俺だ」
その声を待って扉がシュン――という音とともに開く。
中は黄昏ほどの明るさ。幾つものモニター画面から発せられる光や大きな円筒形水槽のシアンブルーに蛍光する水が冷たい鈍色の壁に色を落としている。
少年が部屋に足を踏み入れると扉は再びシュン――という音とともに堅く閉じた。
「……おい――」
つかつかと部屋の中ほどへと進みながら少年は、居るべきこの部屋の主を呼ぶ。
「……」
一際大きな水槽の向こう、いつもの場所に彼はいた。
「――来たな」
椅子に腰掛けたまま少年の方を向き、男は襟足程まで伸びた深い青緑の髪を掻き上げる。
年の頃は20代後半といったところか。
『座れ』と勧める男に、いらないと首を振って応え少年は腕を組んで静かに問う。
「それで、何の用だ……?」
「手掛かりを得た」
男はどこか事務的に言葉を紡ぐ。いつものことだった。
「手掛かり……?」
「そうだ。――"淡紫の瞳"についての、な」
「っ!?」
男の薄い唇から発せられた言葉に少年は一瞬ビクリと肩を振るわせた。
「どういう……!?」
「お前の探し人は"西"に渡っている。――かなり確かな情報だ」
「……」
信じられぬ知らせを耳にし動揺を隠せない少年に男は静かに言い放つ。
「……つまり――生きているということだ」
ドクン――と高鳴る少年の鼓動が、男には手に取るようにわかった。
「……それは……確かなのか……?」
「"かなり確かな"と言った」
口の端を僅かに――笑みの形に歪めて男は応える。
「……そうか……――。……それで詳しい場所は分かるのか?」
少年は消え入りそうな声で呟き、麻痺したような頭を振って問う。
「いや。そこまでは。まだ不明瞭だ。――やはり奴らが噛んでいてな」
左手側スクリーンに眼を遣りキーボードを叩きながら言う男の言葉に少年は表情を強張らせた。
「奴らが……!?――くそっ! やはり……!!」
忌々しげに吐き捨てる少年に「ナメたマネをしてくれる」と男もまた静かに同意を示した。
「――取敢えず俺はすぐに"西"へ飛ぶ。――どのみち封印の調査もせねばならんしな。怪しまれはしまい?」
「そうだな。私はもうしばらく探りを入れてみることとする――何か分かり次第、知らせてやろう」
「あぁ。頼む」
少年は真っ直ぐに男を見下ろして頷いた。
「それからもうひとつ――イザヤ、お前の兄、確か名をローレライと言ったな……?」
「――……そうだが……?」
肩の子竜が一度、黒翼を大きく広げ、少年は深く瞬きをする。
「そいつもまた、"西"にいるらしい」
「何……だって……?」
勿忘草色の瞳が大きく見開かれる。
「最近確証を得た。"西"<ティグレ>だ」
男は頬杖をつき少年を見上げ、
「どうだ……?」
無表情のまま、だがどこかおもしろがっているかのように問うた。
「時が再び……か……」
少年は呟き考え込む。
「……」
「――」
暫しの沈黙の後
「用件はそれだけか?」
徐に少年が口を開いた。表情はまた、冷たく凍り付いていた。
「あぁ。話は以上だ」
との言葉に
「……そうか」
と踵を返しかけた少年を
「まぁ、待て」
男が呼び止める。
「……何だ?――話は終わったと……」
「眼を見せろ」
言って男は立ち上がる。切れ長のペリドットの瞳が今度は少年を見下ろした。
「――必要ない」
「私が、見せろと言っている」
「……」
男の鋭い物言いに少年が黙り込むと、寄り添う子竜が僅かに漆黒の翼を広げて、じゃれる様に頬に口付ける。少年は優しくその頭を撫でてやり、そしてそっと手――子竜が肩に乗った方の――を前に差し出した。
すると子竜はその腕を伝い進み、手の甲の辺りまで来るとスルリとそこから零れ落ちた。
だが、固い床に降り立ったのは十にも満たないであろう幼い人型の子供。子竜の姿は、少年の腕と床の間僅かな距離の中空で掻き消えていた。
紫銀色の長い髪を背中の中程で結わえた、まだ少年とも少女ともつかない幼子。
片方だけが露な、大きくだが目尻の鋭い瞳は太陽の光を孕んだ琥珀の黄金。
「いらないと言っている」
子竜が姿を変えた幼子は言いながら男の方へと進み出る。
「いいから見せろ」
男は言うと、自らの腰の辺りまでしか背丈のない幼子の小さな顎をぐいと持ち上げた。
幼いながらも整った顔を自らの方に向かせると、もう一方の手で右目を覆った紫銀の絹糸を退ける。
現れたのは血に濡れた大粒の紅玉(ルビー)。
男はその瞳を覗き込むと一方の手をその前にかざした。
「――問題ない様だな」
「だからそう言った」
幼子が言う。
「あぁ。知ってる――」
男は僅かに瞳を細めて笑み幼子から手を離した。そしてまた、元の場所へと腰掛ける。
「……――また来る」
その様子を見守ってから幼子は踵を返した。
「――行くぞ、イザヤ」
男が軽く応えたのを背に聞きながら、無言で従う黒髪の少年を伴い幼子は足早に部屋を出て行く。
堅い鈍色の通用路を小さな人影が二つ、寄り添うように闇えと消えていった。
「"伝承者"の末裔、か……」
誰もいなくなった部屋で男は一人呟き、シアンブルーの光を湛えた水槽に虚ろな視線を向けた――。
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