第5話 ネクストバトル

 笑顔には時折……恐怖が含まれることがある。

 それは他者を圧倒する笑顔だ。他者を慄かせる笑顔だ。


「ねぇ、鉄斗君」

「安心してくれ。ちゃんとカレールーは買って来たぞ」


 キッチンで鉄斗は買い物袋を差し出す。君華はそれを受け取って、ゆっくりと置く。次に包丁へと手を伸ばし、凍り付くような笑顔のまま、切断途中だったにんじんをすぱん、と切り落とす。

 それが合図だった。撃針が雷管を穿つが如く。


「どうして買い物に行っただけで、重傷を負っているの!?」

「へ、変な子に絡まれただけだ」

「変な子、どんな子、誰の子よ! おかしいよ!」

「全く同感だ」


 相槌を打った鉄斗だが、君華の怒りが収まる様子はない。

 仕方ない、と妥協して素直に謝ることにする。心配をかけたのは事実だ。


「悪かった」

「う、謝って済むなら警察いらないんだよ?」

「その警察官に追われてたっぽいんだが」


 二の句を継ぐと、君華は息を呑んで包丁を落とす。まな板に鈍重な音を鳴らして包丁が突き刺さる。


「指名手配……指名手配されたの鉄斗君!?」

「いや、そういうもんじゃないさ、たぶん。職務質問程度だよ」

「職務質問でそんなあざはできないでしょ!」


 ごもっともな指摘に鉄斗は反論できない。どうするか、と視線を逸らして如何にも不服そうなバケモノと視線が合った。先程から切なそうな表情で、キッチンを見つめている。

 人恋しい? 否、食事恋しいのだ。


「とりあえず、料理を続けてくれよ。バケモノが今にも泣き出しそうだし」

「ハングリー」


 ぐぅぅ、とお腹が鳴る。ちょっとした寄り道があったせいで、ただでさえ食事が遅れているのだ。君華の腹の音も同期されたように鳴り響いて、彼女は頬を赤く染める。


「む、う、わかったよ。……でも、後でお説教だからね?」

「ああわかってる」


 応じて工房の中へと引っ込む。愛用の銃器の類に囲まれて、全身に治癒魔術を施しながら思索を進める。

 あの警察官の少女――恐らくはくノ一――は間違いなく実力では敵わない強者であるが、鉄斗の胸中は安堵で包まれている。戦った時の感覚でわかる。彼女は本質的に善人だからだ。いろいろやり過ぎなきらいはあったが、無闇に人を傷つけることはないと断言できる。

 その証拠が、今なお修復されつつある傷だった。君華は重傷を負ったとパニックを起こしたが、逆に言えば重傷程度で済んだのだ。一か八かの突撃の折り、彼女が本気を出せば、自分を再起不能なほどに打ちのめすことができたはず。

 それをしなかったのは、一重に彼女が良人物だったからだろう。ありていに言えば手加減されたのだ。


「全く敵わんね。だが……」


 ああいう人間が才能を持っていることに、鉄斗は悪感情を抱かない。良い人間が善行を成すための力を持つのは決して悪いことじゃない。問題は、あのサングラス男のように、他人を傷つける存在に才能が満ち溢れていることだ。


(それに、あの子は才能ないと思っているようだし)


 どうやら同類のようであるし、彼女の存在自体はそこまで脅威的ではない。圧倒的ではあるものの。

 やはり問題はあのサングラス男とその裏に存在する組織だが、生憎ほとんどわからなかった。どうやら傍観を決め込んでいるようだ。当然である。彼らにしてみれば、獲物が目の前で勝手に争っているようなものなのだ。上手くいけば、手を汚さずに本命を確保できるのだから、静観は妥当である。


(でも、水面下で間違いなく動いているはず。警戒を強めるべきだが――)


 正体がわからないと厳しい。もっと正確に言えば、正体がわかっても厳しい。

 くノ一やバケモノの義姉から逃げ果せたような荒業をまたできるかと問われれば、無理だと全力で言い返せる。とにかく情報が必要なのだ。

 だが、フィールドワークでも何も得られなかった――と言えば、そうでもない。

 一つだけ、引っかかることがあった。

 くノ一と交戦した時、現れて然るべきの人間が現れなかったのだ。

 工房からカレーを今か今かと心待ちにしているバケモノへ視線を移す。スプーンを握りしめて、カレーの香りを鼻をすんすん言わせながら楽しんでいる彼女。

 その義姉はなぜ現れなかったのか? 姿を現せられない理由でもあったのだろうか。鉄斗は考える。やはり彼女から先に対処するべきだと結論付ける。

 それがどのような理由であれ、良い結果を生みそうにはなかったからだ。



 ※※※



 神宮と合流を果たした紅葉は、喫茶店でひたすら砂糖を投入したコーヒーを味わっているところだった。甘い。だが、それがいい。上機嫌でお子様ですら受け付けなさそうな甘味の集合体を楽しんでいる。


「俺だったら吐いてるな」

「そんなことないと思いますよ? 飲みます?」

「遠慮する。っていうか年頃の娘がそう易々と他人に口付けた飲み物を渡していいのかね」

「……なぜです?」


 きょとんとする紅葉に、神宮は嘆息する。生まれてこの方修行に身を投げていた紅葉はその手の話題に疎い……というより知識がない。


「ま、今はいいさ。あいつも時間かけて構わないって言ってたし。それよりも、いろいろとわかったことがある」


 神宮は茶封筒から資料をテーブルの上に広げた。そこに写る写真の人物には見覚えがある。ついでに言えば、拳覚えもあった。


「あっ、この子」

「お前が交戦した奴だ。名前を赤上鉄斗。ま、一般の警察じゃ暗示に誤魔化されるかもしれんが、俺には長年の経験で培った技術があるからな」


 暗示の突破なんて朝飯前だ、と不敵に笑う。


「鉄斗さん、ですか」

「敬意を払うに値する相手、か?」


 年齢的には同い年ではあるものの、社会人である紅葉は彼より年上となる。それでもわざわざ尊敬の接尾を付けたのは、彼が敬うに値する人物だからだ。


「いい方ですよ?」

「それは拳で読み取ったのか?」

「はい」


 即答に神宮は呆れる……はずもない。そうか、と呟いて納得した。


「お前の拳は雄弁だからな。信じるさ。それにどうもデジャブを感じる」

「デジャブ、ですか?」

「ああ、この苗字。赤上。同じ苗字を持ってた名前で、知り合いがいた」

「先輩の知り合い……ということは達人、ですね? 一度手合わせしてみたいものですが」

「残念ながらそれは無理だ。もう墓の下だ。それにな、あいつ、弱いし」

「無神経な発言を謝罪します。……けれど、弱い、ですか? 先輩の友達ですよね?」


 意外な気分だった。先輩の知り合いに弱い人物がいるとは。訝る紅葉をよそに、彼は懐かしむような表情を浮かべて、


「ま、でもお前が戦ったら負けたと思うけどな」

「それは私が未熟者だから、でしょうか」


 少しだけ紅葉はしょんぼりする。至らないのは知っているが、これほどまでとは。

 だが、違う違うと先輩は飄々に否定した。


「アイツは弱い。才能もなかった。けれど、最後は勝つんだよ」

「あ……」


 確かにデジャブを感じる。紅葉はハッとした。

 あの少年と交戦した時、実力は確実に自分が上だった。

 恥さらしと罵られようとも、紅葉は自身の実力を把握できている。

 謙遜も驕りもなく、確実に実力は彼より上だった。

 なのに結果は、間違いなく自身の敗北である。


「競争だったら才能は関係あるさ。けれど、戦場に才能は関係ないからな」


 競争は基本的にお膳立てができている。自身の実力を適正に発揮できる場が設けられている。だが、戦場ではそうはいかないのだ。如何に相手の実力を発揮させないかが戦術の基本であるのだから。


「やはり至りませんね、私は」

「卑屈になることはねえさ。お前にも才能がある。ただ、お前が望んでいたものとは少しベクトルがずれていただけだ。とにかく、だ。話を戻すぞ」


 先輩は写真を指差した。


「ま、彼はお前の拳を信じて、マークするだけにしよう。どうやら幼馴染も巻き込んでいるようだが、そちらも放免とする」


 神宮の言葉に紅葉は安心する。彼は既に鉄斗の自宅の目星もつけているはずなので、捕まえると言ったら最後、彼は絶対に捕まるのだ。

 しかし彼には何かしらの目的がある。少なくともその目的が判明するまで逮捕は勘弁してあげたかった。


「問題は、三番目の連中だ」

「三番目? え? 二人目、ではなくですか?」


 目を白黒する紅葉に、先輩は解説を続ける。


「そうだ。言っとくが、この鉄斗少年の謎のデート相手とも違う。本来ならあるはずのピースが欠けている。そもそもだ、最初の事件でなぜ鉄斗少年は銃をぶっ放したのか? それもただのチンピラ風情相手に。彼の力量なら銃を使わなくても問題なく切り抜けられたはずだ。魔術師と一般人の実力差は歴然だ。それも戦闘訓練を受けていないチンピラ相手ならなおさらな。だが、彼は銃を撃った。となるとそこには当然、銃を撃たなくちゃいけない相手がいた」

「例の、鉄斗さんを追いかけていた魔術師では?」

「そいつも凄腕なのは間違いない。だが、サングラスをかけていた誰かさんとは別人だ」


 神宮は茶封筒から押収したサングラスを取り出す。二つに割れていたそれは、チンピラが自分のものだと言い張り、付着したDNAもチンピラのものだった。

 だが、神宮は素知らぬ顔でその物証を否定する。


「これをかけていた大男は、自分の存在をなかったことにしたかったらしい。だけどな、初歩的だ。科学技術は騙せても、俺の目は誤魔化せない。どうしてわざわざ不良のDNAを付着させたんだ? それもこんな露骨に。相手はどうやら、こちらを見くびっているらしい。これは絶好のチャンスだ」

「とすると、カチコミ、ですか?」

「どこでそんな言葉覚えたんだと言いたいが、まぁ当たってる。けれど、それには問題が一つ。決定的かつ絶対的な問題だ」

「問題? 何でしょう」


 紅葉が首を傾げると、先輩は今までのクールさが吹き飛ぶような一言を放った。


「敵の正体がわからん」

「せんぱーい……」


 順調に積み上げられていた頼れる先輩像が鮮やかに崩れ去る。先輩は、まぁ急くな、と落胆した紅葉に作戦を説明し始めた。


「連中は用意周到に姿を隠してる。が、鉄斗少年と交戦した謎の騎士ほど徹底はしていない。例の吐血した誰かさんよりは。……少し俯瞰をしたい。遠からず少年と騎士が交戦するであろう時に。そうすればすぐに当たりがつく」

「だったら私が前衛を」

「それはダメだ」

「えーっ!? 何でですか!? やはり私がみじゅくも」

「ん」


 神宮が有無を言わさず紅葉の眼前に突きつけたのはスマートフォン。そこに写る画像だった。

 画面の中には、雑居ビルに突き刺さったスーパーカーが鮮明に映し出されている。


「あっ」

「それとこれ」


 次の写真に記録されていたのは……アスファルトを貫く電柱の雄姿。


「ご、ごめんなさいぃぃ!」


 ひれ伏す紅葉の姿を眺めながら、神宮はコーヒーを優雅に嗜んだ。


「謝ればそれでいい。お前の行動は周囲に被害を与えすぎる。悪気があるわけじゃないから構わないし、そこまで大した金額でもない。俺の小遣いも余ってるしな」

「うぅ、怒ってませんか……?」


 上目遣いで恐る恐る神宮の様子を窺う紅葉は、先輩の態度に気を取り直した。


「ほ、良かった……けれど、私じゃダメなんです?」

「まぁいざとなればそのまま確保したいし、いい目くらましが必要になるわけだ。奴を雇う。どうせ暇してるだろうし」

「あの人、ですか。んー、わかりました。先輩の護衛に努めます! ところで、私、先程から向こうのガラス棚に陳列してあるタルトが気になっているのですが」

「気付いてる。いいぞ、好きに食え」

「ありがとうございます、先輩! ああ、先輩の部下で幸せ……」


 とろけるような笑顔をみせた紅葉は意気揚々と注文しに向かう。

 その様子を見送った神宮は苦り切った笑みを浮かべた。

 胸の内に浮かぶ想いは一つだけ。どうして生身の女の子より、凶悪なおもちゃを扱う傭兵の方が安心できるのか、というあべこべな状況に対する疑問だった。



 ※※※



「ふふ、うふふふ……」


 漁夫の利、という言葉を思いついたジャパニーズはそこそこ賢い。

 思わず感心してしまうほどである……グルヴェイグの魔女兵器としても。


「たまさか、このような状況に転じるなんて。ああ、運命はいつだって私の味方」


 私は神に祝福されている。そう思わずにはいられなかった。

 天からの慈愛を噛みしめる少女は、名前をビシーという。

 魔術同盟の過激派組織、グルヴェイグに所属する魔女兵器だ。

 そう、兵器。組織に、兵器として育てられた。

 当時は我が身を呪ったものだ。

 だけど、快感を覚えた。

 あの騎士が自らと同じ境遇に身を落としたことに、強烈な快楽を知ったのである。

 魔術騎士の名門に生まれ、才能に満ち溢れ、将来が約束されたかの少女は、父親の死後、穏健派ゆえにかの家を疎んでいた数多の魔術師から見放され、グルヴェイグに流れついたのだ。

 これが痛快でなくて何だと言うのだろう。高貴な血とやらは地に堕ち穴を穿ち、地獄の底へと失墜した。

 その姿は、とても美味だ。しかし……ある時を境に、その味が薄れた。

 希望を見出したのである。彼女は。生気を失っていなければならない彼女が。

 だが、それも失われた。フランケンシュタインのあだ名を持つ魔術師が死んでからは。

 などと、周囲は思っていた。だが、彼女は違う。

 断言できる。自分ほどアウローラ・スティレットというごちそうを真に理解している存在はいまい。

 彼女の振る舞いは演技だ。例の実験体が死んだという報告は欺瞞だ。

 だから、ずっと見ていた。最初からそうであったように。

 観察を止めず、耐えた。そうして、罠にはめた。

 既に彼女は重篤であろう。だが、彼女は止まらない。

 だからこそ、とても美味しい。

 苦悶に顔を歪める姿。それでも必死に希望を守ろうとあがく姿。

 そして最後は、止めてくれ、と自分に懇願する姿。

 そうする彼女の目の前で――私は、彼女の希望を踏み潰すのだ。


「ああ、ダメじゃない。あなたは兵器なのだから。私と同じ、哀れで惨めで、犬すらもよりつかない残飯なのだから。あはは、ははははっ」


 抜け駆けは許さない。彼女には、苦行が似合いなのだから。

 魔女ビシーの在り方は歪んでいる。

 だが、それでいいと。むしろそれがいいと、彼女は歪みを加速させる。

 その配下である魔術師たちは、黙々と次なる作業へ移っていた。

 主に最高峰の美味を与えるために。


 

 ※※※



 作戦と呼ぶほど大それたものではない。単純に彼女が現れるという予感があった。

 装備を整えた鉄斗は、人気のない廃工場へ堂々と侵入する。

 廃棄された工場とあって、その中は荒れている。窓ガラスの近くに至っては、破片が散乱している状態だ。下手に足を踏み入れれば、靴に破片が突き刺さるかもしれない。

 なので、鉄斗は忠告した。自身の後ろをひょこひょことついてくる彼女に。

 バケモノに。


「そっちには行くな」

「お、オフコース」


 大丈夫か、と不安視しながらその頼りない足取りを見つめる。

 どうやら暇を持て余していた間にホラー映画を勝手に視聴してしまったらしく、おっかなびっくりという様子である。君華め余計なことを、と思いたくなる鉄斗だが、自分たちを信頼して送り出してくれたので文句をぶつけようがない。

 それに臆病ぐらいが丁度よい。彼女の役目は誘き出しだ。

 戦うのは鉄斗の方である。確かに彼女は何かしらの力を持っているだろうが、あれを無闇に使っていいものだとは考えていない。

 彼女は衝動的に人を殺そうとしている。恩人である博士という人物が殺された時もそうだし、サングラス男に自分が殺されそうになった時もそうだ。

 それはよい傾向ではない。戦場においての殺人は、計画的、事前的なものである。衝動的なものと結果は同じかもしれないが、過程が違う。回路が違う。

 そんな状態で無理やり強行すれば回路は不具合を起こしショートする。

 ……それがどんな結果を生むのか考えたくはない。ただでさえ手一杯なのだ。


「段取りを確認するぞ。お前さんの義姉が来たら、お前は隠れる。俺は、彼女と正面切って戦って……戦闘不能にする。ここまではいいな」

「うぅむ……」


 鉄斗は背負っていたギターケースを置いた。無論、ギターを演奏しに来たわけではない。もっと強力な音色を放つ中身を取り出す。

 CTAR-1。コンパクトタボール。

 イスラエル軍が制式採用するブルパップ方式アサルトライフルTAR-1のカービンモデルであり、軽さと取り回しに優れている。

 鉄斗がこの銃を選んだのは、TPOに合わせたからに他ならない。

 通常室内戦で主に使用される主武装はサブマシンガンかショットガン、マシンピストル辺りだが、相手は常識を覆す魔術師である。それも強力な魔術騎士となれば、室内戦のセオリー通りことが運ぶとは思えない。

 だからこそ、遠距離戦も率なくこなせるコンパクトタボールに白羽の矢が当たったのだ。軽量であることもまた良かった。走り回るのは確実だ。

 これが強力な魔術師なら、拳銃一丁でもエンチャントを施して対応できたかもしれないが、生憎鉄斗は雑魚である。装備選択から既に戦いが始まっていると言っても過言ではなかった。

 過酷な環境での使用を想定してあるタボールシリーズは、未知の敵魔術師を相手取る上で最適である。この選択は間違っていないはずだ。

 鉄斗は己に言い聞かせる。弾倉を叩き込んで、チャージングハンドルを引く。


「うぅ、私も……やっぱり」

「お前さんはダメだ。すぐ連れ去られて終わりだからな」


 前述した問題もあるが、やはりバケモノの参戦は難題だらけだ。彼女の実力は未知数だが、既に知りうる情報と照らし合わせてもこちらが劣勢なのは確定的だ。

 そんな場所にひょこひょことバケモノが出て行っても、鉄斗と共倒れするのが関の山である。

 単独で戦うしかない。無論、既に諦めているので問題はない。


「いいから隠れていろ。俺に任せておけ」

「イエス……」


 しぶしぶと言った様子でバケモノは頷いた。

 やれやれ、と肩を竦める。命知らずは一人だけで十分だ。

 訓練を受けた兵隊の如き身のこなしでコンパクトタボールを構え、周辺を警戒。

 まだ現れていない――と思った矢先、


「返してもらう……!」

「ッ!?」


 いつの間にか目の前に出現していたバケモノの義姉による斬撃が、喉を浅く切り裂いた。

 よろめきながら、銃撃。バケモノの義姉……フードを被る魔術騎士は距離を取った。

 喉元の傷を左手で押さえる。よく死ななかったものだと自分の身を褒めたい衝動に駆られる。背中が冷えていくのを感じながら、鉄斗は銃口を向けた。


「あんたはやはり、何らかの特殊訓練を受けてるな。隠密に長けながら実力も兼ね備えている。なのに、奇妙だな。それほどの実力者なのに、俺は全く顔を知らない」

「…………」


 バケモノの義姉は応じない。もし正規の(そうして高慢な)魔術師であれば、ここでべらべらと聞いてもいない身の上話を始めるものだが、彼女は違う。

 殺しに来た相手に、語る言葉を持たない。まさしくアサシンの手口。

 だが、アサシンとは異なっている。なぜなら彼女は平和に忠誠を誓っていないからだ。中東に本拠地を構えるアサシン教団は、魔術師も人間も等しく扱うまさに調停局のような存在で、信条を尊び無垢の人間に危害は加えない。平和と自由の守護者である。

 しかし彼女のそれは汚らしい殺し屋の技術だ。なのに、その技術はあくまでもベールであって、ベースではない。彼女の真骨頂は腰に差してある剣のはずだ。が、今手に収まっているのはナイフである。


「侮っている……わけじゃない。そして、バケモノに遠慮して手心を加えてるわけでもない。あんたは」


 鉄斗が推論を述べ終える前に、ナイフの暴風が振りかかる。彼女の攻撃はシンプルで直情的。ただナイフを振り下ろす。だが、実力差が開いている鉄斗と騎士では、そんな単純な攻撃も生死にかかわる。


「くうッ!」


 瞬時に避けられないと判断し……あえて左腕で受け止める。血が宙を舞う。が、気にせず接射する。騎士は赤子の手をひねるように完璧な回避をした。

 防護魔術を一点集中したおかげで軽傷で済んだが、脳内では危険信号が点滅している。

 これはまずい。ただの一撃を防ぐだけでこれでは、程なくして殺される。


「ふむ」


 焦燥する鉄斗とは反対に冷徹な表情で血の付着したナイフを見下ろした騎士は、打って変わって興味深そうに鉄斗を観察した。


「なぜだ?」

「何だ?」

「なぜ抗う? 勝機はない。そもそもなぜ出てきたのだ。殺されると知っていながら」

「まぁ俺は……諦めてるからな」

「……何」


 今度は騎士が問う番だった。鉄斗に自嘲気味の笑顔が灯る。


「見ての通り才能はない。雑魚と罵られるだけで既に身に余る栄誉だ。ろくでもない人生だってのはわかり切っている。なら、情けなく言い訳だらけの人生よりは、自分の心に正直になってくたばりたいんでね」

「なるほど……。貴様に対し、私は思い違いをしていたようだな」


 騎士はナイフの血を振り払う。そして、


「――では、確実に殺さねば。そうとも。心のどこかで殺さなくても良いと考えていたが、それが貴様の信念であれば」

「泣けるねぇ」


 と言いながらもその対応は当初の予定通りだ。鉄斗は躊躇いなく引き金を引く。

 マズルフラッシュが、薄暗い工場内を照らし出す。

 やはり銃弾は命中する気配がない。弾切れになったので弾倉を交換するが、


「来るよな当然!」


 騎士が肉薄してくる。予想していたのでナイフによる迎撃を行うが、刃の直撃は抑えられたものの魔術によって補強された蹴りが身体を穿った。

 威力を押さえきれず後退する。が、血を吐きながら踏み止まってナイフを騎士の足元へ投擲。瞬時に意識をナイフ――その刃先に刻まれたルーンに回す。


「む?」


 騎士が訝しんだ。

 訝しんだだけだった。

 足元から膨れ上がった火炎を騎士は己の魔力で吹き飛ばしただけである。

 ルーンの術式は単純だ。対応するルーンを対象に刻み後は魔力を注ぐだけで効果が発揮できる。現代魔術にもその利便性は採用されている。

 が、単純な魔術で戦うためにはそれだけ――才能が必要となる。

 鉄斗の控えめな魔力量では、高位魔術騎士を傷つけることすら叶わない。


「くッ――」


 圧倒的な戦力差を目の当たりにしながらも鉄斗は諦めない――否、諦めているからこそ引き金に指をかけた。

 そして、致命傷を受けた場合に自動で発動するようセットしていた術式が起動、強制的に後方へと急速回避する。


「しまった……!」


 入念に施していた防護術式が解けていく音を耳にしつつも、鉄斗は何が起きたのかを理解していた。

 というよりも使用者ならわからないはずがない。ただのオウム返しだったのだから。

 目を瞑る騎士の眼先……鉄斗が立っていた位置に記されている文字が淡く輝いて消える。炎のルーン。たった今鉄斗が行った攻撃を、鉄斗より素早く、鉄斗より強力に騎士は発動してみせた。


「ルーンであれば私も嗜んでいる」

「く……」


 炎の竜巻に包まれた身体は、魔術の影響を受けていない。そのための保険だったのだが、発動はいささか早すぎた。何せ彼女はまだ本気を出していないのだから。

 少なくとも彼女の本気――本心を、この場で捻り出す必要があるにもかかわらず。


(わかっていたさ。こうなることは)


 保険が想定通りのタイミングで効果を発揮するとは考えていなかった。

 誰でも学ぶことができるルーン魔術で彼女に対抗できるとは思っていなかった。

 そもそもの前提として……鉄斗は勝てない。そして、鉄斗自身も勝つ気はない。

 バケモノとは倒すと約束したのだ。勝つことと倒すことは同じじゃない。


(とにかく、舐めプ状態で負けたら話にならない。どうするか……)


 否、冷徹な自分は既にその解決策を閃いている。だが、甘い自分がその実行を赦さない。そうこうしている合間にも、騎士は自分を抹殺する気満々で歩みよってくる。

 もはや戦闘の速度ではない。瀕死の相手を介錯する速さだ。そこに一切の外敵は存在しない。危険因子は含まれていない。

 だが、敵意を持たない影響力のある存在は確かにいる。


「義姉さん!」

「バケモノ……」


 一度は隠れたはずのバケモノが姿を現していた。

 足は震えているが、真っ直ぐ義姉を見つめている。彼女の義姉を想う気持ちは本物だ。例えどんな出自だとしても、血が繋がっていないとしても、彼女は本心から義姉を慕い、救いたいと考えている。

 そんな健気な義妹をバケモノと呼ぶ少女……いや、それは果たして本心なのか。


「そこで見ているがいい。すぐに終わらせる。案ずるな、お前の記憶は抹消する」


 それは誰のために? 自らの保身のため?

 それとも、バケモノの身を案じてか?

 答えは出ない。いや、鉄斗には自信がない。

 何せ才能がないのだから。

 どうしようもない無能野郎だから。

 だとすれば……雑魚なりの方法を用いるしかない。


(悪いな……バケモノ)


 鉄斗は息を乱しつつ右手でライフルの狙いを騎士に合わせる。

 同時に、左手で拳銃P226を間髪入れずに抜き取った。

 銃声が響く。

 弾丸が迸る。構えただけのライフルではなく。

 バケモノに向けたピストルから。

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