第5話 昔のお出かけは
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「ここに来るのも久しぶりだな」
電車から降りた時、横にいた主人はそう言った。
私はそれに大きく頷いた。目の前に広がるのは、そびえ立つ大きなビル、ビル、ビル、そして人、人、人……あと車。
雑多としているのに、私のテンションはみるみるうちに上がっていった。
「わあー!」
「いたく上機嫌だな」主人は苦笑いながら言った。
「だって、楽しみなんですもの!」私は喜びを隠さずして答える。
主人は白いワイシャツにスラックス。私は赤っぽいワンピースを着て、何年ぶりかの繁華街にやってきていた。
目的は、私の身の回りのものを買い揃えることだ。買うものは決めているけれど、店は決めていない。
「まずは、デパートに行きましょ!」
そう言うと、主人は「分かった分かった」と言って、はしゃぐ私に目を細めた。
デパート……今で言う百貨店は、駅から直接向かうことができる。昔のように、バルーンがたくさん浮かんぶ建物が大きくなっていく、と言ったあのワクワク感がないのが少し残念だけど、それでもオシャレな外観の入口をくぐるのが楽しみでしょうがなかった。
昔の“お出かけ”と言えばデパートだった。滅多に行けないのもあって、そこは夢の世界にも思えた。
「昔はちょっと暗かったけれど、今はめちゃくちゃ明るいわね」
「そうだったか? まぁ確かに、昔はちょっと薄汚れた感じがしていた気がするが」
主人は思い出すようにしながら言う。
これも若くなったせい、なのかしら……ここに来るまでも、主人と私の見えている世界が違っているようにも感じられた。昨晩、申し訳ないと思ったけれど『加齢臭が気になるの』と正直に打ち明けたからか、しきりに臭いを気にしている。一階の化粧品コーナーで、女性用だと言うのにコロンをじっと見ていた。
そこで買い物はせず、私たちはエスカレーターに乗った。ギラギラと輝く貴金属、鼻腔をくすぐる化粧品の匂いの煌びやかな世界は次第に、落ち着いた雰囲気漂う紳士服の階に移り変わってゆく。『帰りにちょっと見るよ』と、主人は言った。
そのまま上のフロア・婦人服売り場で降り、ぐるりと一周してみたが、どれも私の食指を動かすものはなかった。
目的の店は更に上の階にあった。私たちはそこで降りと、すぐにぼうっと白い光を放つトルソーが出迎えた。その光が、纏っている色とりどりの薄い布を引き立たせている。
「居づらかったら先に上に行っていていいよ」
「い、いや大丈夫だ。こう言う機会でないと、男はこんな所で降りられないからな……」
「まぁ、確かにそうよね」
ここは、ランジェリーらを主に扱っているフロアだ。
男の人が踏み入れるには、相当の勇気が必要になるかもしれない。
「あ、この下着可愛い! こっちも、ああ、この色いいわね!」
私はそんな主人を置いて、気になる店に入っては手に取り形状などを確認してゆく。
時おり身体に当てては
「ねぇ、こんなのどう?」
と主人に尋ねてみる。
それに主人は「い、いいんじゃないか?」と言うが、毎回その後に「まだ、年齢と合わないんじゃないか」と続けた。
その光景に、店員は怪訝な顔を隠せないようだ。『これは若い子にも人気でして――』と続けるも、『“お父様”からするとちょっと心配になられるかもしれませんが……』とフォローを入れる。
そう。オジさんの主人、若くなった少女の私――今の私たちは夫婦ではなく、親子に見られているのだ。娘が肌が透けて見えるような下着を身体に当て『どう?』なんて訊ねる光景は、誰が見ても眉をしかめるものだ。これらの下着の主な目的は、若い男性にアピールするのが目的なのだし。
「えぇっと、じゃあコレとコレと……ああ、あとあのブラもお願いします」
「わ、分かりました……」
私は特に気にした様子もなく、気に入った下着を購入した。色は白を中心として、若い子向けの綿の下着も多めに購入してある。薄ピンク、若草色、薄青色……ちょっと冒険して、濃いめの紫も選んでみた。
複雑な表情の店員の見送りを背に、私たちはもう一つ上の階へと移動した。若者向けファッションのフロアだ。
「へぇー……今の若い子って、こう言うの着てるのね」
「カーディガンやタックパンツが流行した頃とは大違いだな」
「ふふ、“プロデューサー巻き”とかやったわね。
そう言えば、色あせたジーパンみたいなのも流行ってなかった? あなたがよく着ていた覚えがあるんだけど」
「ああ、あったなあ。今思うと恥ずかしくなるようなものばかりだ……。
お前の方も、一時期、花柄のドレスみたいなの着ていなかったか?」
「あ、“ピンクハウス”ね! あれは可愛かったわー」
いくら多様性に溢れると言っても、今は少し浮いてしまうかもしれない。
服を買いに行くための服がない。周囲をぐるりと見渡すだけでもそれが理解できた。
私が今着ている赤っぽいワンピースも、この街、このフロアにいれば『芋っぽい』と思われてしまうだろう。私が買ったのはいいけれど『ちょっと色が若すぎた』と言うで押し入れの奥にしまい込んだ服だ。
今の若者には“選択”に満ちあふれている。
私はその中の一つに目を向けた。マネキンに着せられた、ラメがキラキラと輝くシャツだ。
身体のラインをハッキリと浮かばせるそれは、他の展示されたシャツよりもひときわ目立っている。私は『いやらしい』と思う一方で、『これいい』と理由も分からず惹かれていた。
「何か、垢抜けた感じがするな」主人は不思議そうな目で私を見ていた。
「そう? でも確かに……以前とは感じ方が違うわね……」
今この時代は、“欲求”をすぐに満たす誘惑にあふれている。
友だちのマキちゃんと話をしていても、彼女が語るのはまるで別世界を生きているような、甘い蜜であふれる世界の話だった。時おり話す失敗談は、それをより引き立たせる塩味となる。
若者たちは今、この時代を謳歌している……と言えばそうだ。
一方で、私の気持ちは四十六歳の私のままだ。マキちゃんがよく『紀子さんって所帯じみてるよね。あ、悪い意味じゃないよ!』と、よく言うのはそのせいだ。酸いも甘いも経験してきた大人の私が、十七歳の私の行動を抑制し、規範に従わせようとする。
――だから、平凡な人生を送ることになったのだ
ふいにそんな言葉が脳裏をかすめ、ぶんぶんと頭を振った。
「ど、どうしたんだ?」
「あ、いえ、何でもないわ。
適当にそうね……あっちの服を見てみましょう」
若者向けの階をぐるりと見て、当面必要な物を買いそろえてゆく――。
ここにきて分かったのは、色気は若者の武器だ、ということだった。
そして、もっと言うなれば“若さ”が付随する。つまり、若者の色気は武器である。
(青春の正体はこれなのかしら……)
それらを振りかざすのが、若者の世界なのだろう。
当時と今ではずいぶんと違うけれど、テレビなどで○○族など称された、広場などで踊る不良たちの姿は確かに活き活きとしていた。
女の子は髪を脱色し、恥ずかしげもなく肌を露わにしては男の人とベタベタするのもいた。
多くの大人、真面目にやってきた私たちは思わず舌を出したものだ。
そして、それよりも後だったか、清純な女の子の髪型が流行った。
前髪を肩で隠し、後ろ髪をゆるくカールさせた物……あれなら真似てもいいと言われ、皆がこぞって同じ髪型にしたのを覚えている。私はそれよりも“サーファーカット”にしたかったものの、親に『はしたない』と一蹴されてしまった。
つまりは印象による体裁の問題だろう。悪い虫が付かないための親心と言うのも分かる。
しかしそれが、いつしか『規範に反してはならない』とすり込まれていた。
今この時代は……言わば、開放的だ。
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買い物を済ませた私たち夫婦は、百貨店の最上階にあるレストランのフロアへと足を運んでいた。
「お出かけのメインイベントってこれだったわね」
「お子様ランチやパフェとか定番だったな」
「あら、今でも人気よ? 私、イチゴパフェにしましょう」
最上階のレストランでご飯を食べて帰る。
今では食堂のような店はないけれど、当時はこれと新しい洋服が目当てで両親の買い物について行ったと言っても過言じゃないはず。
「今思えば、大して美味くなかった気がするんだが……。
旗が刺さっているだけで、何であんなに美味く感じたんだろうな」
「ふふ。きっとそれは、あなたが大人になったからよ。
今度、お子様ランチにしてみる? 旗もつけてあげるわよ」
「よしてくれ」
顔の前で手を振った主人に、私はくすくすと笑った。
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