自由帳

@777iwanuga

そんなぁ

好奇心が猫を殺した。


動物虐待だと言う人もいるだろう。しかし考えてみてくれ、「好奇心」が「猫」であった場合を。「猫」という形を借りた「好奇心」が、同じ形をした猫を殺した。それは傍から見れば同族による殺しだ。

この場合、好奇心は猫の社会(という概念があればだが)の法に触れることになるのだろうか。人の世において同族の殺害は罪となる。猫の世ではどうだろうか。仮に人と同じ倫理観を持っていた場合、好奇心は猫を殺したことによって裁かれなければならなくなるだろう。

しかし、その殺害を命じたのはほかでもない、「好奇心は猫をも殺す」という言葉を口にした人間なのだ。

彼(あるいは彼女)が、その言葉を発する、記すことによって思想が形になり、他者へ発信された時点で、好奇心が猫を殺したという事実が生まれる。


なんてかわいそうな好奇心!


好奇心は猫を殺したくないかもしれないのに!(逆に好奇心は殺したがっている可能性もありえはするが)


好奇心が猫を殺すのはこれで何度目になるのだろうか。

ギネス記録に載ってしまうかも。


そうなったら、好奇心は喜んでくれるのだろうか。悲しむのだろうか。


好奇心に感情はあるのか?


好奇心が感情ではないのか?


冒頭で好奇心が猫であった場合を仮定したが、その、もしそうだったら。


好奇心は「猫」を殺しもするが、猫の姿をした好奇心自身もまた、自分を殺めていることになるのではないだろうか。

もしかして、好奇心は世界で一番殺しをした存在であるとともに、世界で一番自殺をした記録の保持者になってしまうのかもしれない。

あまり喜ばしい記録とは言い難いが、それでも「世界で一番」という事実自体はすごいことである。一番をとるということは、難しいものであるから。


今日もどこかで「猫」を殺している「好奇心」に幸あれ、と願い今回は締めたいと思うのだが。

どうだろう。

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