第一話 「爆誕」



 爆誕‼ 現役就活生純然たるニートの魔法少女⁉



 


 いつものように部屋の窓枠に腰を掛け、星空を眺めてみる。


 いや、嘘だった。

 いつもは星空を眺めるなんていう事はしないし、またそんなキザっぽい行為に陶酔する事もない。

 だいたい星座に詳しくもないし、そもそもこんな都会じゃ星なんてかすむくらいにしか見えない。


 どうして今、ボロっちいアパートの一室でほげぇーな顔して窓を見つめているのか。

 まあ、平たく言ってやることがないというだけの事だった。


 田井原重夫22歳、無職。

 言い方を変えると就職浪人とか言ったりするらしい。

 大学在学中、特になんの感慨もなく過ごしていたが、自身の認識の甘さと準備不足からご多分に漏れず就職活動の時期と方針を見誤る。

 そのまま何の事なく卒業して今現在に至るという――そこらで聞き及んだような生活を送っている。

 つまりはまあ、穀潰しの粗大ゴミだ。

 今なお大学生活を共にしたこの使い古されたボロアパートに居を構え、わずかな貯金にて〝不働〟の精神を貫き通す歴戦の猛者である。

 そんな手合い。


 さて今日もまたなーんの意義もなく一日が過ぎ去った。

 だが、今この状況に焦りや不安を感じているかと訊かれれば、 実は小生、自信を持ってNOと答えられる強靭な精神の持ち主なのである。

 ただ単に開き直っているだけというのではなく、またこういった事に麻痺を感じてきたというのでもない。

 抽象的になるが、あえて言葉にするなら――

 自分が生きているという事に実感を持てないというやつか。

 ここでの生きているという定義は、無論生命活動を維持しているだけといったものではなく、一人の人格として世間様に対する居場所といったものを指すのだと思う。


 自分の周りの人間はきっと立派に生きてるのかもしれない。

 でもどうしてそうしていられるのか、それがわからない。

 今の自分は消費を続け、代謝を繰り返し、ただ現状の肉体を維持するだけ。

 それが真っ当な人間の生活ではないと認識はできても、そこからこの現在を変えようとするだけの動力を見出せないでいる。


 何でもかんでもを時代や社会の所為にするのが浅慮なのは知ってる。

 でもやっぱり今の自分の現状は、自らの内側にある要因よりも外側から来る要因の方が割合的に多いのだと思える。

 もっと取っ払った言い方をするなら、今この世界に必死こいて生きるだけの価値を見つけられない――

 そういう事なのだと思う。


 この世界はきっと良くも悪くもなく、限りなくグレーな領域に立っているのだろう。

 人生を謳歌し世界を賛美できるほどこの世界は美しくはなく、あらゆるものに敵意を見せ世界を嘆くほどにこの世界は汚れてもない。

 無論人々の合間に悪意は介在するが、同等なくらいに善意も内在してる。

 こんな小さな部屋に篭っていながらも、不条理な事、不可解な事は絶えないけど、それでもやはり同じくらいには穏やか気持ちでいられる事だってある。

 世界が憎くもない。人間がキライというのでもない。

 でも何か形容できない突っ掛かりがそこにはあって、それを厭い始めたら最後、もうそこに価値を見出せなくなってしまう。


「ふう、やっとまともな座標に出られたモフ。まったく、魔技研の装置も、触れ込みほどに大した代物じゃないモフね」


 そうつまりこの世界は魔技研の代物も大した触れ込みでモフ――モフ? 


「やあ、はじめまして田井原重夫くん。僕の事、どうか驚かないでほしい。これから君にすごく大事な話があるモフよ」

「……んん?」


 歩く度に床が軋むそんなボロアパートの一室、2階の一番左端のこの低賃貸物件に自分以外の何かが唐突に姿を現した。

 しかも、なぜか人様の名をフルネームでお呼びになった。

 天から降ったか地から湧いたかはどうでもいいが、こんな不可解な現象を目の当たりにした自分の頭がスパークしてフリーズしちゃっても仕方ないと思うんだ。


「え? ――何これ? いや、うん……え?」


 無茶振りをされた三流芸人のようなリアクションで、今目の前にあるその無茶をどうにか収めてみようとする。


「だいぶ取り乱してるモフね。でもどうか落ち着いて、僕の話を聞いてほしいんだ」

「ああ、うん……そうだよね、落ち着かなきゃね。どんなときでも、極力冷静でいる努力はするべきだね」


 促されたからではないが、まずは落ち着いて整理してみよう。できるだけ平静を保つようにしよう。

 とりあえずあれだね。ここは無難に現在の問題を一つずつ取り上げていこうか。


 はじめに、この古くて狭いボロの部屋に自分以外の何かがさも当然のように居てはるという事。

 こんな夜更けに誰か友人でも訪ねてきたのだろうって? 

 はっはっは、私の交友関係を見くびらないでもらおうか。こんな夜更けに、いやそもそもわざわざこんな狭くて汚いアパートにやって来る友人などいない!


 次に、その何かが、絶対的に人間ではないという事。

 人間でないなら何だと言えるのだろうか。

 ネコ? ネズミ? あるいはゴキブリ? 果てはユウレイかモノノケか?

 見た感じでは言えば、まあ猫が一番近いかもしれない。

 クリーム色のふわふわとした体毛に覆われた小動物の外見、耳はネコよりも大きく垂れ下がっている。

 珍しい種類とでも言われれば納得しそうだが、しかしそれは一番それっぽいというだけの話だ。

 あー、なんかすごく猫っぽい生き物だよね。いや猫って断定はできないんだけどさ、猫に限りなく近い何かだねー。うん、あー、そうか。犬っぽいと言われたら、案外そっちもそっちで納得できそうではあるねー。

 ――そんな外見だったりする。


 さらには、その何かがフヨフヨと宙に浮いている事。

 なんかねー、なんだろねー、限りなく自然体で浮いてるよねー。え? 重力? 何それ? ――みたいな感じでさあ。浮いてる事に対しての違和感とかまったくないんだ。むしろ、何で周りは浮いてないの的な雰囲気すら感じられるんだ。


 もう一つ、先ほどからその何かがしきりに言語を介してること。

 喋っちゃった。普通に喋っちゃった。しかも語尾が妙なことになっていながら、今もなお一生懸命喋ってる。見た感じかなり猫チックで語尾の通りにモフモフで長いオヒゲがピンと張った、そんな愛らしいお口元を動かしながら、そして何とも可愛らしいお声で――

 ねえ、みんな! この子すっごいしゃべるよ!


「ちょっと待って! ――いや、すごく待って! わかんない、全然わかんない。なんか説明してくれてるみたいだけど、ごめん全く頭に入ってこない。――何コレ?   どういう状況?」

「……かなりの混乱が見受けられるモフね。こんな登場の仕方になってしまったから、君の心境は察するに余りあるモフ」

「うん、えっと……うん? よくわかんないけど、そっちは非常識だって認識はあるんだ。そうだよね、今なんか突然出てきたもんね。俺が油断してる隙にさ、気付いたら部屋にいるんだもんね。混乱するよね大概」

「わかったモフ。そちらが落ち着いて、話を聞けるようになるまで待っているモフ。だから存分にリラックスしてくれて構わないモフよ」

「えっと……そうか、そうくるのか。それでその、仮に俺が落ち着こうとしたとして、自分はずっとそこに居るわけだ?」

「僕のことは気にしないで。無い物として認識してくれていいモフ」

「いや……いやいやいや、それは無理でしょ? 無理があるよそれは? だってね、その心の平定を妨げる存在に変わらず目の前に居続けられるワケでしょ? それは難しいと思うんだ、実際」

「言われてみれば確かに……。僕とした事が、そんな程度の事を見逃していたモフ。わかったモフ。君が落ち着けるよう、僕はちょっと部屋の外に出てるモフ。十分にリラックスできたら、声を掛けてほしいモフよ」

「あー、うん。――いや、ちょっと待って。それも良くない、それもマズイよ。ほらねだって、自分の玄関前に、なんかよく分からない生物が浮いてるわけだよね。それは非常にマズイ。ご近所の目とかもろもろの事情的にマズイ」

「なるほど、ご近所の目モフか。それは確かに無視できないデリケートな問題モフ」

「何ていうかね、あの……わかった! 歩み寄ろう、お互いに。取りあえずお互いの距離を縮めてから話そうか。大丈夫! 俺一応は宗教やUFOとかよりも科学を信奉する派だけど、でも自分の理解の範疇はんちゅうを超える存在に出会ったからといって、それを排除しようとかは思わないから! だから歩み寄ろう! お互いの理解を深め合おう!」


 そう、たとえコレが人類初の地球外生命体との接触であったとしても、その大任を自分などの一般人に押し付けられたとしても、だからこそ理解ある人類の代表としての態度を取らなければならない。

 ようし、そういう風に考えれば少しだけ納得できたぞ。


「そう言って貰えるとこっちもありがたいモフ」


 うむ。地球外生命体のネコモドキも、この自分の理知ある英断に心服しかけているではないか。

 宇宙を股にかけた惑星間同士の戦争など起こしてはならないのだ。

 そのためのファーストコンタクトを見誤らなかったのは、さすがは自分と褒めておこう。


「では何よりもまず、自己紹介から始めさせてもらうモフ。僕の名前はリンド・A・ジョナサン。気軽に『リンド』とでも呼んで欲しいな」

「わお、なんかフツーの人名っぽいんだ。じゃあまあ、気軽に『ジョン』ってよばせてもらうよ。おーしおしおし、ジョン! グッボーイ、ジョン!」


 ちなみに余談だが、子供の頃に近所で飼われていた大型犬の名前が確かジョンだった。すごく人懐っこい犬で、誰隔てなく尻尾を振るとんだ淫売野郎だった。

 懐かしいなぁ、今はどうしてるかな。

 ――ああ、特に何の関連性もない話だった。


「君がそれでいいなら、僕は特に気にしないモフ……。そ、それじゃあ、次の話モフよ! もう察しがついているとは思うけど、僕はこの世界の住人ではないモフ!  簡単に言っておくと、僕は異世界からの使者なんだモフ!」

「ああ、異世界。そっち系ね」

「あまり驚いてないモフね……。僕の話、よく伝わらなかった?」

「そんな事ないよ。秒で理解したよ」


 たぶん、なんかそっちの世界がなんかすごいどチンピに陥ってて、そんでこっちの世界からそのどチンピを救う勇者候補みたいなんを何人か連れて来いって話なんだろうきっと。

 テンプレだもんな。


「じゃあ、僕たちの世界を突如として襲った危機、その事について詳しく説明するモフ」


 ネコモドキ(ジョン)は、言葉で咳払いを表現しながら、神妙な面持ちへと切り替えた。

 と言っても、人間のそれとは違うからだいたいそんな感じだ。


「僕たちの世界では、次元の境界線上にある類似世界というものが科学的に認識されるようになってから、それなりの年月を経てきたモフ。分かりやすく言うと、僕たちは君たちが存在しているこの世界の事を知っているし、だいぶ前から監視もさせてもらっていたモフ」

「おおう。不思議の国のメルヘンファンタジー系統ではないのか。ちゃんとした科学的考察を取り入れたサイエンスフィクションっぽいやつなんだ」


 外見からしてそういったものを想像していただけに、結構ちゃんとしてた世界設定に驚きを覚えてしまう。

 まあでも、こんな愛くるしいお姿なんだから、設定はどうあれ、きっとあっちはみんなモフモフなんだろう。語尾が物語ってるしね。


「そして、そこで問題が発生したモフ。今まで、僕たちの世界から君たちの世界を認知はできても、そこから先、それ以上の直接的な干渉を持つ事ができなかったんだモフ。……詳しい話は専門的な分野を理解できるだけの知識が必要になるので省くけれど、きっとそれはこれから先も容易に成し得る事柄ではないと断定されていたんだ。けれども、今僕がこうやって君の目の前に姿を現している事からも分かると思う。その難解とされていた事象がこうもあっさりと成立してしまったという事に」


 なんかよくはわからんが、その壮大チックな声色に取りあえずは大事なんだなと理解しておく。

 そしてジョンの話は続くっぽい。


「そうだね。イメージしやすいように噛み砕いた表現をするなら、こちらとあちらとは実映と虚映の表裏一体の世界なんだ。それはどちらかの世界の存在が確立されてはじめて、もう一つの世界を垣間見ることのできるようなもの。決して交わることのないその二つの世界――ただただ鏡のように覗き見ることしかできなかったその二つの空間の狭間に、人為的なゲートのようなものが造られてしまった。もちろん、それが人為的な代物である事はすぐに分かったんだけど……。問題は一体何の目的で――いや、そもそも、そんな不可能と思われてきた事をどうやって可能にしたか。そういった諸々の事情はこちらでもまだ把握できてないんだ。けれど本来交わるべきでない世界を強引に繋げるようなそんな無茶をしてしまったせいか、今この二つの世界のバランスは崩壊しつつあるんだ。このままでは近い将来の内に君の世界も僕らの世界も、何か取り返しのつかないような事態を迎えてしまう事になる……と、という事なんだモフ!」


 ああ、やばい。

 話にどんどん熱がこもってきて、多分すごく大事な話をジョンはしてくれてるんだと思う。

 でもどうしよう、何か途中から語尾を忘れて素のトーンで話してたのが気になってしょうがない。

 ていうか、そもそも話が長くて頭に入って来ん。


「――と、ここまでの話の流れは理解してくれたモフか?」


 うわ、まじかよ。話振ってきたよ。まあ、そりゃそうか。

 てんで聞いてなかったとはっきり言おうかな。でもあんなに真剣に説明してくれてたし、それはちょっと失礼だろうか。


「まあ、大体の部分はね。あのー……うん、あれだよね、結論的に言わせてもらえばさ、うん、ほら何ていうか……つまりジョンは語尾に『モフ』を付けるだけで幸せになれる新興宗教の勧誘員って事?」

「ち、違うモフ! 全然違うモフよ! 一体どこからそんな話に持っていけるモフか⁉ いや、そもそも宗教上の理由でこんな変な語尾なんか使わないよ! これはあくまでキャラづけのためであって……」


 ジョンがモフモフなそのお口を「しまった」という風に、やっぱりモフモフなお手々で塞いだ。


「……ん?  自分、今なんて言ったん? 今なんかすごくメタ的なこと言わなかった? なんかまるで中の人がいるかのような発言したよね?」

「なな、なんの事かよく分からないモフ! そ、それよりも話をそらさないで欲しいモフ! 大事な話だからちゃんと頭に入れて!」

「そっちも確かに大事かもしれないけど、こっちもこっちでスルーできる内容じゃないよねえ。かなり話の根幹に関わってくるよね、今の発言」

「ちょ……ちょっと待ってほしいモフ。そちらの言いたい事は凡そ把握してるモフ。でも待って欲しいモフ。その事を承知で、どうか敢えてのスルーをお願いするモフよ。こちらにも事情というものが……」


 なんだろう、なんだかすごく締まりがなくなってきたぞ。

 おそらく今の発言は絶対に漏らしちゃいけない部類の中でも一番上の方にあるんだろう。

 ものすごーく、困った様子のジョンが今俺の前にいるわけだ。


「……まあ、事情があるのは分かった」


 取りあえずそう言って、一旦言葉を区切っとく。

 ――勿論、そのあとにワンクッションを置いて追撃を掛けるため。


「けどじゃあ、一つだけ聞かせてくれるかな? ぶっちゃけ俺はね、自分ら全員そんな姿形と口調でね、そっちの世界は何ていうか、小さい女の子とかが喜びそうな、こう……メルヘェェェンな感じを想像してたんよね。でもようするに、察すると……違うん?」

「ノ、ノーコメントだモフ。そういった類の話は全部ノーコメントとさせてもらうモフ。それよりも、話の続きなんだモフ!」

「えー? それぐらいは答えてくれないと、なんか萎えるなー」

「真面目な話モフよ! このままでは二つの世界がバランスを失って、どうにかなってしまうかもしれないモフ! どうかもっと危機感を持って欲しいんだモフ!」

「まあ、わかったよ。でもその世界バランスがって話、何ていうかイマイチ実感めいたものがないじゃん。それが本当に言うほどの危機ってのに繋がんの?」

「実感が持てないというのはもっともな話モフ。いわば、君たちにとって僕らの存在はいきなり降って湧いてきたようなもの。信じろという方が難しいモフが……」


 そう複雑そうに言って、ジョンは何もない虚空をぼんやりと見つめている。

 何だろうか。なにかこちらには探知できない情報でも、あちら側から受信してるんだろうか。

 あるいはこの一連の出来事が既に常軌をいっしてるとはいえ、それだけを証明に相手の言葉を鵜呑うのみにするのはまだ尚早だろうと思う。

 それをジョンも分かってるので、次の言葉に紡げないでいるのか。


「あとそもそもさあ、世界の危機とかいう大変な事態にあって、なんで俺の元へなんか来たの? まさかとは思うけど、つまりその二つの世界の危機を救えとか、そのために協力しろなんて言わないよね。うん、あくまで仮定の話だけどね。……無いよね? ……絶対無いよね?」

「すごく否定して欲しそうな中、申し訳ないモフが……まさにその話の内容通りなんだ」


 あ、そっかぁ。なら仕方ないかぁ。

 ――とはならんよね、実際。

 テンプレ通りならそうなるが、でもそうじゃない。

 そこを認めてしまっては、きっと負けなんだと思う。

 食い付かねば。ここは執拗に食い下がる場面なのだ。


「何それ? 何それ――おかしくない? どういうことそれ? なんで世界の危機を一個人に押し付けようとしてんの? みんなの問題だよ? 何そのRPGの中の村人みたいな思考? 伝説の勇者様が魔王倒してくれるまで村にこもってますみたいな状態? よくないよ? 絶対よくないよその誰かが何かしてくれるまで受動的でいるの?」


 自分の現況はさて置いといて、現代日本社会にはびこる何事に対しても非能動的な風潮を取り沙汰し、弁を熱してみる。


「待ってほしいモフ。その事に関しては、きちんとした理由があるんだ。もし僕たちのよう存在や、今現在進行中の世界の危機などを公にした場合、こちらの世界ではとてつもない大混乱を来たす事になるのは想像に難くないモフよ。だからこそ、広がる衝撃の輪を極力小規模に収めるために望ましいのが、君のような何の派閥にも属さない一個人だったんだ」

「その辺の話はなんとなく理解できるけど。でもやっぱり一個人に限定するのはいくらなんでも狭め過ぎてない? 能力の有無関係なしに、個人でできることなんて限界が見えてるし、やっぱそこはもっと大掛かりな政府機関とかにでしょ?」

「じゃあ逆に訊ねるモフが、君の言う政府機関とは一体どの国の事を指し示しているんだモフ?」

「え? そりゃあ……」


 先ほどまでとは少し違った鋭く抑揚のない調子に驚き、思わず口篭ってしまった。

 重夫、不覚を取ったなり。


「さっきも言ったように、僕たち側はきみたちの世界の事をずっと前から見ていたモフ。だから現在、この世界がどのような状況にあるかは確認している。それを踏まえて言わせて貰えば、今の君たちの世界のような、大小の様々な異なる勢力同士の並列の只中にあっては、どこか一方だけに加担するような方針は取れない。それが引き金となってもっと大きな利潤闘争に繋がる危険があるから」

「うーん……。そう言われれば、確かに一国に限定するのもおかしい話か。じゃあもっと、公正で統括的な機関かどっかに……」


 いや、そんなもんは何処にもないか。

 あるいはそれに近いのものとして、この世界に国際連盟というものが存在してはいる。だが結局のところ、それらも第一次世界大戦の戦勝国側が作ったものに端を発してるそうで。とてもじゃないが、公平な機関なんて呼べない代物。

 そう考えるなら確かに、今すぐにでもこの世界が統一されない限り、どこか特定の国という派閥に肩入れしてしまうのは危険なことなんだろう。


「わかってくれたモフか? この問題は非常にデリケートなんだモフ。下手をしたらこの情報を君ら側にもたらしたというだけで、今辛うじて均衡を保っているそちらの世界を乱してしまう事になる。猶予や準備もなくこの事実を君たちの世界全土に向けて発信でもしてしまったら、取り返しが付かなくなることだけは目に見えている」


 あれれー? なんだかすごく真面目な方に話しが進んでいるよー?

 ぶっちゃけこれまで頭使うようなことを避けてぼーっと過ごしてきた俺の人生なのに、何時の間にか随分と小難しい議論をしている。

 これじゃあ、キャラ崩壊がマッハやん。

 人生設計は破綻させても、キャラは破綻させないのが最低限のマナーですやん。


「それに何も君一人に全てを任せておくつもりはないモフ。僕たちが可能な限りサポートに徹して、君を助けるモフよ。そして何よりもこれから話す事こそが、――君にとって一番重要な問題になるんだモフ」


 ジョンは勿体付けてそんな風なことを促す。

 やだなぁ。使い古された手だけど、そう言われると嫌でも心臓が波打つじゃないか。


「なにそのいかにもな事実が明かされますって雰囲気?」

「その事をこれから説明しようと思ったんだけど……うん、ちょうど良い頃合いとなったモフ。重夫くん、これから君には、今までの僕の話が全て真実であるという実感を否応なくして貰うモフよ」

「え、なにそれ? なんでそんな本気モードになっとるん?」

「説明は後だモフ。今から一緒にとある場所まで向かって欲しいモフ」


 うわぁい、ものすごいシリアスな空気になってるよこれ。

 もう面倒臭いんで帰ってくださいとか今さら言えなくなってきたよ。

 えぇー、行かなきゃダメなのかな。

 もう日にち跨ぎそうだから寝たいんだけどな。

 などと心の中でのた打ち回った挙句――

 まあ結局、雰囲気に呑まれてホイホイついて行ったのは言うまでもない。













 さあ、やってまいりました。

 ニートの特権、真夜中の街中散策のお時間。

 次の日好きなだけ寝ていられるニートだからこそ許されたこの至高の嗜み。

 現在の季節は初夏。

 本格的に暑くなり虫達の声も盛大になり始めるこの時期だと、やはり夜中であってもその熱気もおさまりません。

 額に汗を滲ませながら、静かな町並みを横目に流しつつ歩いております。

 えー、わたくし未だニート暦数ヶ月の若輩ものではありますが、今日はどうか、この拙い私目の真夜中散策にお付合い頂ければこれ幸いなことであります。

 さらに本日はなんと、特別ゲストを迎えての真夜中散策となります。

 どうでしょうか? みなさんお見えになるでしょうか? 

 私の右斜め前方30度辺りに、地面からおよそ1m浮いた状態で滞空しております。

 彼が今回のゲスト、異世界からの使者、タレミミネコモドキこと通称ジョンです。


「ハーイ! 調子はどうだいジョン? しかし、今夜も実にアツイ夜だねぇ。おっと、ワイフとの夜もっとアツいぜなんて言うのはよしてくれよな! HAHAHAHAHA!」

「なぜか知らないけど重夫くんのテンションが振り切れてるモフ……」

「いやなんかさー、真夜中の誰も居ない町ってテンション上がらん? めっさとこさテンション上がらん?」

「言いたい事は概ねわかったモフが、もう少し抑えて欲しいモフ。これから君が目撃するであろうことは、君の生涯でもっとも鮮明に記憶されるような事かもしれないモフよ?」

「でもここってアパートの近くの公園じゃん。ていうかお決まりの散歩コースじゃん。特にこれと言って何もないじゃん」

「その『何か』はこれから起こるんだモフ。よく目を凝らしておいて欲しい。きっととてつもない体験なはずだモフ」


 そう言うと、ジョンは押し黙り、何もない中空をただ見つめる。

 その先にあるのは疎らな星明かりの宵闇だけだ。

 つられてしばらくはそうしていた。

 けど特に何の変化もない夜空にはすぐ飽き、近くにあった背の高い鉄棒で重夫式超級覇王デンジャラスインパクトという名のぶら下がり健康法を開発する事に心血を注いでいた。


 すると、まさにそんな折――

 静寂を纏っていたはずの夜空が突如として唸り出した。

 それはまるで石壁と石壁を物凄い力で擦り合わせていくかのような、そんな不気味で耳に不快な音だ。


「――きた! 重夫くん、その目で確かめるんだモフ! 今この世界がどのような状況に陥っているかを!」


 そのジョンの叫びがなくとも、轟音を立てるその夜空へと俺の意識は釘付けられていた。

 濃い闇の空が割れる。

 その割れた隙間から覗くのは奇妙に発光する帯状の光だ。

 黄色とも緑色とも取れるそんな光が凝縮された異様な空間、言葉にして表わすならばそんなところだろう。


「――うわ! なにあれキモッ⁉ 気持ち悪ぅ‼」


 思わず素直な感想がもれ出る。

 実際その空間は、なんかウニョウニョとしていて、あるいはグニョグニョしていて、果てはギョーンギョーンって感じで――

 それはもう気持ち悪いことこの上ない光景だった。


「あれが僕らと君達との世界の狭間にある空間、いかなる干渉も受け付けない絶対不可侵の領域……だったものモフ」


 ジョンが神妙な顔つきでそう言葉を口にした。

 うん、まあだから、あえて喩えるならそんな感じってことね。

 猫だから。いや猫っぽいから。正直表情とかわかんないから。


「うわぁ、なんかよくわからんけど……うん、やっぱよくわからんな」

「僕らの世界では、あれを次元断絶界――あるいは単純に、『魔の領域』とも呼んでいるモフ」


 空を指して説明するというよりも、呟くようにジョンはそう口にした。

 その奇怪に裂けた空はもう地鳴りのような音を出すこともない。

 ただ闇空にぱっかりと穿てられた割れ目は、自身のその存在を不気味なまでに演出している。

 これを魔物と呼んだのには、成る程、言い得て妙と感心する。


「というかジョンってば、あそこを抜けてきたの? それって正直どうなの? 案外平気なもんなの?」

「今まで少し勿体つけていたのは、実はその事についてなんだ。重夫くん、君の世界と僕らの世界では決定的な違いがあるモフ。それが何かわかるモフか?」

「真面目な質問? 体毛とか肉球とか語尾とかそーいうんじゃなくて?」

「大真面目な方でお願いするモフ」

「あれでしょ、そっちの世界ではこの……何? 次元断絶界? ――みたいなんを感知してたり、こちら側の存在に気付いてたり。つまりまあ、こっちの世界とは駆け離れた……技術でいいのかな? そういうのを持ってるってわけでしょ?」

「大正解モフ。分かりやすくたとえると……重夫くん、君は『黒魔術』ってものを信じてるモフか?」

「あの儀式とか生贄とか錬金術とかのあれ? いや、俺そういう胡散臭いのにはアレルギーでる体質だからねぇ」

「さっきも言っていたようだけど、重夫くんはそういう類よりは合理的なものに信を据えているモフね。じゃあ、もしも……もしも現存する科学の力が、『魔術』というもあやふやな物を証明してみせたとしたらどうかな?」

「……あー、なるほど。わかるよーな気がする。――言ってることは多分わかるかも。つまり科学技術っていうのんも、未だ万物を実証できるだけの代物ではないわけで。それがこの先、もしかしたら現在はその存在を否定的に捉えている――魔術だとか幽霊だとか神様だとかいう超常的なものを実証し得るかもしれないって話ね」

「そう、まさにその実証し得た世界というのが僕らの世界の事を指すんだ。僕らはもう150年も前から『魔術』と呼べる超常の力を論理的に証明し、実践的に活用しているんだ」

「つまり魔法の力を使ってジョン達はこの事実を知り得た。そんで二つの世界を救うべく、こちら側にやってきたと」


 なんとまあ、本当にあちら側は魔法世界だというではないか。

 やっぱりメルヘェェェンな雰囲気なのだろうか。

 いや、話から察するに、もうちょい近未来的というか――その二つをミックスしたようなもんだろう。


「そしてこの事態を打開すべく、重夫くん――僕は君のところへやってきたんだ。これは偶然ではなく、全てこちら側の思惑があっての事。その意味する所をこれから、その身を持って知ってもらう事になる……モフ」


 なんだかジョンが一層、またシリアスに事を運ぼうとしている。

 ていうか何? 身をもって知ってもらうって? 

 すごく辞退したいです。


「何? なにすんの? まさか今から俺あそこに放り込まれるとか?」

「さすがにこちらの力をもってしても生身の君をあんな所に放りこめないモフ。そんなことしたら境界域の違いで、重夫くんの肉体はそのまま擦り潰されて無くなるモフ」

「いや、磨り潰されるってどういう状況? さり気に恐ろしい事言うね」

「今から重夫くんに、こちら側の力……まさに魔法の力と呼べるそれらを授けるモフ。そして――」


 これまでで一番情感を込めたと思しき声色で、ジョンがそう言葉を区切る。

 その様を見た俺のその胸裏に流れたのは、俗に言う嫌な予感というヤツだ。


「これから重夫くんはその力を使って、こちら側の世界からの空間修復を行ってもらうモフよ」


 はい、来ましたー。

 なんか良くわからない内に、重要そうな役職に無理やり任命されましたー。


「うんうん。あのねー、そう来ると思ってたよ。だから全然驚いてないよ。じゃあ、早速質問タイムに移ろうか。あれだよ? 俺絶対自分がきっちり納得できるまで、『はいそうですか』にはならないからね?」

「それはもちろん。こちらとしても事の重要性とその役割をしっかり認識してから作業に充たってもらいたいモフよ。そういう意味で、重夫くんが納得いくまで君の疑問に答えるつもりモフ」

「オーケー。じゃあまずは単純に、なんで俺なのかって所を聞かせてもらいたいですなあ」

「まあ、一番気になる所ではあるモフね。でもその事を説明するには、少しだけ僕らの世界のこの力――僕らはこれを魔法技術と呼んでいるけれど、それの説明をする必要があるんだ」

「それって長くなる? 後半聞く気も起きないくらい長くなる?」

「できるだけ掻い摘んで説明するモフが、場合によっては……」

「じゃあ、なるたけ簡潔に頼むね。重要部分だけを取り出す感じで」

「わ、わかったモフ。できるだけ期待に応えるモフよ。そうモフね……簡潔に言うなら、僕らの世界のこの力は使用者を選ぶというか……個々の適正率が大きく作用すると言い直すべきか」

「おーう、良いね。実にシンプルで。そしておそらくだけど、そっちの言わんとしてる事が判った。つまり魔法が使用できるという、その適合者に俺は選ばれたという話か」

「理解が早くて助かるモフ! 万人にも手軽に扱えるようにと魔法を技術として確立させた僕らだけれど、純粋にその力を発現させようとした時、そこには使用者のセンスといったものが必要不可欠になってくるんだ」

「自分で言っといてなんだけど、それって本当に俺でいいの? 別に俺、実は天才設定とか選ばれた特殊な血筋設定とか無いよ?」

「その点に関して僕らが太鼓判を押すモフ。君はこれまで監査対象であった人間の中でもずば抜けた適正率を保持しているモフ。十年、いや百年に一人の逸材と言っても過言ではないモフよ!」

「そこまで言われると……確かに悪い気はしないどころか、ちょっと調子に乗っちゃうぐらいはしちゃうね。あ、でも待って、今地味に引っかかった部分があんだけど。監査対象って? そういえばこちらの世界を監視してたとかも言ってたね」

「そう、僕らはそちらの世界の動向を常に監視しているモフよ。そして同時に、このような事態への懸念から、君のような適合者をずっと探していたんだ。こんな時のために、僕らに協力してくれる存在として」

「ちなみにそれ、どれくらい前から俺の事を監視というか、その適合者として見なされてたの?」

「ざっと見立てて、11年前といったところモフ」

「……11年? えっ、うそ――11年も前からずっと見られてたの俺? いや、長いよ11年って……。てっきり1、2年前だと思ってたけど、11年は長いよそれ。だって俺の一生の半分だよ? ていうか、俺の半生はジョン達に見守れてきたわけ? 何それ、もうそれ守護霊の役目じゃん。そんなの意識しちゃったら、もうジョン達の事他人として見れないよ。第二のご先祖様的なあれだよ」

「それほど前から、重夫くんの事を観察していた僕らだからこその判断なんだモフ。そこは信頼して欲しいモフよ」

「えぇー……? どうも腑に落ちないというか納得いかない。いやまあ、今更どうこう言ったところでどうなるワケでもないけどさー。しかしなんだ、取り敢えず『ふぁっきんがむっ!』と言っとこう」


 やり場のない怒りをあからさまな声にして発散してみるが、何と言うか、いや普通にショックだろうこれは。

 自分のこれまでがよく分からない相手に筒抜けだったなんて、プライバシーとかそういう観点でどうなんだ。


「やっぱりいきなり過ぎて、容易には僕らの事信頼できないモフよね……」

「まあ確かにいきなりだしね、そこは簡単にはいかんね」

「わかったモフ。ならもう、論より証拠。実際に今から体験してもらう他に方法はなさそうモフ!」

「いやだから、やだよ俺? 痛いのとか怖いのとか、絶対やだよ?」

「大丈夫、危険な事をさせるつもりは欠片もないモフ。さっきも少し言ったけど、重夫くんにやって欲しいのはこちら側からの空間修復だモフ」

「――空間修復? つまりあれをどうにかしろ、と」


 自分達の少し上空にあるその奇妙な光景を指して訊ねる。

 先ほどから不気味にその存在感を募らせてはいるものの、その後特に何の変化もしない裂け目だった。


「あの剥離された空間を正常に戻すには、そちら側の力では何の手立ても打てないモフ。だから一時的に、重夫くんに僕らの力を貸し与えるモフ。それを使ってあの空間を元の状態に戻して一件落着」

「はい――質問です」

「何モフか?」

「その役は自分じゃないといけないんですか? ぶっちゃけ、そのままジョンがやれば良いと思います」

「そういえば、まだ話してなかったモフね。重夫くん、ちょっと僕の体を触ってみてほしいモフ」

「ん、いいの? めっちゃモフるよ? すっごいモフるよ? 思いの丈を全て込めてモフモフしちゃうよ?」

「構わないモフ。どーんと来るモフ」


 ジョンがその愛らしい肉球お手々で胸を叩く。

 こちらはその仕草を皮切りに、わきゃわきゃさせた両指でターゲットに狙いを絞った。


「うおおっ! モッフモフやぞ! モッフモ……あれ?」


 俺のハートヒートをMAXに、必殺のバインドクロスキャプチャアームが相手の真芯を捉えた思った瞬間――

 しかしその両腕は虚しく空を切っていた。


「あれ? あれ? もしかして……――うおっ⁉ マジかこれ、掴めん! いや、ていうか触れん!」


 何度も腕を交差させるが、目の前に浮いているジョンの体をその2本の腕はすり抜ける。

 まるでそこには初めから何も無いかのように。


「これはあれか? ホログラフとかいうヤツなのか?」

「詳細に言うなら違うけど、同じようなものと認識してくれて結構モフ。これで分かった思うモフ。あの空間を越えてくるにしても、元の状態――つまり実体を伴った有機生命体のままでは、様々な弊害を伴う。安全面の問題から、無機物かあるいは今の僕のような精神体と呼ばれる状態でなければダメなんだ」

「なーほど。その状態じゃあ、こっち側では何もできないって訳か」

「だからこそ、君のような人間の協力が不可欠なんだ。重夫くん……突然すぎる話に、今まで経験したことのないものの連続で、心が不安定になってしまっているのは重々承知している。それでも、どうか僕達に力を貸して欲しいんだ。僕らは決して自分達の利益のために動いているんじゃない。純粋にこの二つの世界を救いたいんだ。どうか僕の事、信用してはくれないだろうか……?」

「……うーん……」


 ジョンは説得というよりは懇願という形でその思いを吐き出したっぽい。


 胡散臭い事にはまるで変わりない。

 けど、何でだろうか――相手の表情など読み取れないし、声の調子も抑揚をつけた淡々としたものだったのに、今のジョンに切実な何かを垣間見た気がした。


 確かに話は突拍子もないし、未だによく分からない事は沢山あるのだけれど、それでもジョンの事は信用できるんじゃないかと心のどっかが確信している。

 まあそれと後は、早く帰りたいからテキトーに承諾しちゃおうかという深層心理の表れだな。


「んー、なんだろね。……まあ、良いよ」

「えっ……? 『良いよ』ってことは……僕の事を信頼してくれたって事モフ?」

「うん、まあね。ほら、俺は知っての通り、一日中意味のない事を考えて時間を潰してるダメ人間なわけだしさ。時間ならたっぷり空いてるから、それを使って世界が救われるっていうならさ、これ程コストパフォーマンスに優れた事はないじゃない」


 そりゃそうだろう。

 世界を救うのに必要なのが、ニート一人の労働力っていうのだ。こんなにチープな救世も、なかなか見受けられるもんでない。


「さすがモフ! やっぱり重夫くんを選んで正解だった! 僕はずっと前から確信してたモフ。十一年前のあの日、小学五年生だった君が道が分からずに途方に暮れていたおばあさんを日が傾くまで案内してあげていた時から、君なら世界を救う人間として申し分ないと判っていたモフよ!」

「……いや、あのね? 人が微かにしか覚えてないような昔の記憶、さも熟知してるように言わんでくれる? すっごい恥ずかしいわ」


 どうやらジョン達は、俺の守護霊としての任務も違わずに遂行してくれてきたらしい。

 この場合、訴えるとしたらあっちの世界での司法に頼るべきなのだろうか。


 まあそんなこんなで、ニートの俺は世界を救うヒーローへとランクアップした。もの凄い大躍進だけど、こんな事まず誰にも話せないだろうな。


「んじゃあさ、その空間修復とかいうの、 さっさと終わらせちゃった方がいいんでない? こんな光景、人に知れたら間違いなく大パニックだ」

「ああ、それなら心配ないモフ。こちら側はある程度この空間剥離現象――つまりまあ、次元断絶界との干渉が起こる場所と時間を予測できるモフよ。だから前もってここら一帯をカモフラージュさせて貰ってるモフ。周りからこの現象が見えることはないし、そしてこの公園に僕ら以外が立ち入ることもない」

「おお、さすがは魔法の力だ。この上なく便利と言うかチートだな」

「でもずっと放っておく訳にはいかない。何より、重夫くんがやる気になってくれていて嬉しいよ。早速準備に取り掛かるとしようモフ」


 俺よりも断然やる気に見えるジョンがそう言って、またもどこか焦点の定まらない中空を眺めた状態で固まった。

 どうやらこれはあちら側の世界と通信とかそういう風な時におこる仕様らしい。


「……よし。重夫くん、その場所から一歩さがってほしいモフ」

「さがる? 一歩下がれって?」


 言われた通りにささっと後ろへと下がる。

 するとどうだろう、それまで自分が居た地面が急に黄色い光を吐き出した。そして見る見る内にその光が幾何学模様のような何かを描き出す。


「――うおおっ⁉ すげー、魔方陣だ! 魔方陣ってやつだこれ!」


 少なくない興奮を覚えながら、目の前で起こっている非現実的な光景を見守る。

 イエローの光が描き出した円の中心に、どうやら何かが転送されてきたようだった。

 光が収まると、その地面の上に今まで無かったものが置かれている。


「重夫くん、そのブレスレットを腕にはめてほしいクポよ」


 ジョンが指差すそれは、銀色の光沢を持った何やら複雑そうな形の腕輪みたいなものだった。

 危険はなさそうだったが、おっかなびっくりな様子でそれを摘み上げてみた。


「大丈夫クポ、それ自体はただの装置モフ。スイッチを起動させないと何も起こらないモフよ」

「おおう……腕にはめればええのね」


 こちらの心境を見透かしているジョンにせっつかれながら、その複雑な形の腕輪を右手首に装着してみせた。

 特になにも変わった部分はなさそうだが、俗に言うマジックアイテムってやつだ。正直怖さもあったが、テンションは無駄に上昇中だった。


「そのブレスレットについての説明だモフよ。ブレスレットの表面、その中心に備え付けられてる緑色した宝石のようなものがわかるモフか?」

「うん、これの事?」

「それがスイッチ。その宝石を押し込めば装置は起動し、そのブレスレットに付加された魔法の力が発動するモフ。ちなみに、その横側についてるピンが安全装置になってる。必要がない時は絶対にそのピンを外さないでほしいモフ」

「おっけー。今はこれ外してええの?」

「これから実際に使用してもらうから、今は外しておいて」

「いっよし……じゃ、じゃあ、今からこのスイッチを押してよいのだね?」

「ぐいっと押し込むモフ」


 こういうのは思いっきりが大事だ。

 何が起こるかはさて置いて、腕輪の宝石の部分を指の腹でぐっと押してみた。

 カコンッというなんともギミックチックな音を立てて、それは腕輪にめり込むようにへこんだ。


「んーと、押し込んだけど……何も起きる気配がなさそうなんだけど――って、うおう‼」


 何事も起きなさそうに見えた次の瞬間には、はめていたその腕輪が白く輝きだした。

 その眩い光は伝うかのようにして腕輪から俺の右腕へと広がると、あっという間に首から下の全身を覆ってしまった。


「うお‼ ――おおおう!? 平気なん⁉ これ平気なん⁉」

「落ち着くモフ、重夫くん。今それは君の体の表面を覆ってるに過ぎない。分かり易く説明するモフ。そのブレスレットは、こちらが特製で用意した防護服のようなものに着替えるための装置モフ。スイッチ一つでオンとオフの切り替えができる優れものモフ」

「おおふ……。それで、俺はいつまで光り輝いてないといけんの?」

「初期装着だから今は登録中なんだ。今それは君の体型とか寸法とかを読み取っている。もう少しの我慢だモフ、一度登録を済ませれば次からは瞬時に切り替わるモフよ」

「ほーん。そんで防護服ってどゆこと?」

「あの空間――次元断絶界は境界域の違いにより、一応、物理的な干渉は一切されないと推察されてる。しかし万が一の可能性で、あの空間に重夫くんが吸い込まれてしまった時の保険としてその防護服を作らせたモフ。その服を着ている限りは、あの空間に入り込んだとしても数時間程度なら持ち堪えられる設計になってる。いわば宇宙服のようなものモフね。ただ、あの空間は一切の物理法則を無視する異常なもの。常識が全く通じない次元で、どこまでその防護服の役割が果たせるかは疑問が残るけど……」

「さっきも言ってたけど、生身であそこに突入したら、体が擦り潰されてミンチより酷い状態になるって?」

「ミンチというか、そもそも跡形も無くなるモフ。――でも、大丈夫。大体、そんな事が起こらないって前提の話モフ」

「ないって前提の話だけど、いちおーの保険は作ったと?」

「そう、万全を期したんだ。それにそんな事が起こるような内容の作業ではないモフよ。はっきり言って、地味というか平凡なものモフ」


 などと話してる内に、体を覆っていた白い光が次第に薄れていく。どうやら登録ってやつが終わったらしいっぽい。


「言ってる間に終了しそうモフね。これで次からは瞬時に切り替わるようになる。あとその他の機能についての説明なんだクポが、一通りまとめて説明しようか? それとも追々必要に応じて説明した方がいい……モフ……」


 ジョンの言葉はまるでフェードアウトしてくかのように次第にその調子を失っていき、最終的には押し黙る形となった。


「………」


 ここに鏡になるようなものはないが、それでも自分が今どのような格好をさせられているかぐらいは分かる。

 防護服と呼ばれたそれは、やたらとキラキラでヒラヒラでフリフリでモコモコで、それはもうまるでお伽噺の中のお姫様のよう――おいマジふざけんなこれ。


「あっれぇぇ?  なぁにこぉれぇ? もしかして俺、……担がれてるぅ?  ていうか、からかわれてる? 実は世界の危機とかそんなものなくて、自分ら、罰ゲームか何かで俺んとこ来てこんな格好させたん?」

「いや――ちがっ……ちょ、ちょっと待って! これはきっと何かの間違い! 何か、こちらで手違いがあったんだ! 今、確認するから……ほんとに違うんだ!」


 白色が基本のやたらと乙女チックな装飾に、極めつけのフリル付きスカート。そこから覗く脛毛まみれの生足がとっても魅力的。

 これで町中を歩けば禁固十年はくらいそうだな、裁判員の心象的に。


「ねえ、なんで自分こんな事するん? 泣くよ? 俺、わりとすぐに泣けるよ? 不良に絡まれた時とか、条件反射で泣くよ?」

「だ、だから違うんだ重夫くん……! こんな悪ふざけのような事、僕らはしない……――ああ! そうか、悪ふざけ……また魔技研の馬鹿共が調子に乗ってこんな……まったく!」


 小声でぶつくさと呟きだしたジョンのその口調がどうも素のようだ。


 だが、重要な問題はこちらにある。

 正直、二十歳過ぎの野郎がフリフリのスカート穿かされて目に涙を湛えているこの状況……。

 とても酷いとしか形容できない。


「今すぐ、ちょっと確認取るから、もう少しだけ待って欲しい! ほんとにすぐ確認するから!」


 とうとう頬に流れ出てきた俺のティアーズを見るに見かねてか、ジョンが慌てた様子で取り繕う。

 野郎の涙でも憐みくらい惹けるもんだな。


 そうしてまたさっきのように空中で動きを固めたジョンだ。

 今度のそれは随分と短いものだった。


「も、申し訳ないモフよ、重夫くん。こちらの不手際で生成した装置が間違っていたモフ。今代わりを早急に手配したから、付け替えて欲しいモフよ」


 ジョンがそう喋っている合間に先ほどと同じく地面がイエローに光り出し、そしてまた腕輪が現れた。

 今自分が付けているそれを外してみると、ぱっとだけ光ったかと思うやもう元の服装に戻っていた。

 そして新しく送られてきたらしいそれと取り換えるのだった。


「さ、さあ! 気を取り直してまたスイッチを作動させるモフ!」

「うん、わがっだ……ぐすん」


 またしても謎の発光現象が俺の体を包む。まあ特に何も感じないし、一度体験すればすぐに慣れる程度のもの。

 ただ、どうにもこの光り輝いてる時間が短くないので、何だか手持ち無沙汰である。


「あー……うん。基本デザインは変わらんのね」


 光が収まり、自分の見える範囲で体を確認したが、白を基調としたフリフリのキラキラはどうも変わらんようだった。

 違いと言えば、スカートが半ズボンに変わっていた所ぐらい。

 いや、だからどっちにしろアウトだっつーの。


「み、見た目はこの際関係ないモフよ! 大事なのは中身、その機能性にこそあるんだモフ!」


 ジョンが必死でフォローしてくれようとしている。

 しかし、まあその……もうどうでもよくなって来たんだけどね。


「ともかく、これで準備は整ったモフ。今から実際に、あの異常な箇所を修復する作業に入ってもらうモフ。何度も言うように、危険はまるでない単調な作業。安心して事にあたっていいモフよ」

「了解だけど、まずはどうすりゃいいの?」


 目の前の斜め上空に広がる奇妙な光景をまじまじと眺める。

 これほどの異常は確かにないだろうが、如何せん、特に危機感は煽られないのが現状だ。


「腰の後ろにバックパックが付いてるはず。まずそこから必要な道具を取り出すモフよ」

「バックパックってこのキューティクルなポシェットの事? 呼び方って大事やんねー」

「そ、そこから、刷毛の形をした道具と折り重なった短い棒状のものを出すモフ」

「えっーと、刷毛はこれでよくて……棒状のナニは……ああ、コイツか。しかし、毛と棒とはこれまた何とも」

「――ゴホン! その鉄棒は折畳み式で広げる事ができるモフ。十分な空間を取って前方に放り投げてみるモフ」


 言われた通り、何段階かに折畳まれているそれを広げるように空中へ放る。

 すると、途端に何か別の力が加わったよう、カシャンカシャンと音を立てて展開し出した。

 それは見ている合間に、元の体積を遥かに凌駕した物体へと変わった。


「おお、スゲー! まさに魔法って感じだ! ……あ、でも、出てきたのは普通の脚立なんだ。なんだろう、ちょっとがっくし」

「万民の生活を豊かにしてこその〝技術〟なんだ。必要以上に大掛かりなものや、大層なものを作ることはないんだモフ」

「アッハイ、そっすね。そんでまさかとは思うけど、この脚立に登ってこの刷毛であそこの部分を塗りつぶせとか言わんよね?」

「重夫くんは本当に理解が早くて助かるモフ」

「ファック、その通りなのかよ。いやぁ、そこはさー、こう魔法の呪文を唱えるだけでさー、シュビデュビデュバーンと空間が元に戻るとかさー」

「過不足のない状態が何事も一番モフ。実際にそれで空間修復が可能なんだから、必要以上に高度な技術を詰め込めむ必要はないモフ」

「でもさ、この日雇いアルバイトのような作業工程はどうなのよ。世界の危機って言葉からまた一歩遠ざかったよ?」

「そこはあれ、つまり世界の危機が一歩遠ざかったと思うんだモフ」

「上手いこと言うね――こんちくしょう」


 そうぶつくさと文句は垂れながらも、よっこいせーっと空間が異様な事になってるその場所まで脚立を運んで足を掛ける。


「そういや、この刷毛何も付けてないけどこれでいいの?」

「柄の先端の小さいバルブを少し回すと、それで準備完了モフ」


 刷毛の持つ所に付いている本当に小さいバルブを緩めると、淡い七色の光が毛先の部分を染め上げる。


「こういう部分だけはちゃんとマジカル仕様なんだぁねぇ」


 脚立の天辺まで上って腰を掛けると、真ん前をその不気味な空間が塞ぐ。

 割れたようなひびと裂け目、その奥から緑とも黄色とも言えない帯状の光がなんかウネウネしていた。

 どぎつい紺色の下地に、上下にユラユラと描かれた奇妙な光の帯。

 正直眺めてるだけで鳥肌が立ってきそうだった。


 注意深くその交わった断面に手を触れてみたが、バチッという音と共に俺の手は弾かれた。

 一応は何度もジョンが説明したように、この空域を通り抜けるという事は不可能らしかった。

 もっとも、このまま脚立が倒れこんだ勢いであの奇妙な世界へと放り出されそうな不安はあったが。


「ちゃんとムラが残らないように均等に塗っていって欲しいモフ」

「はいはい。……あれ? でもちょっと待てよ」

「どうしたモフか、重夫くん?」


 俺の少なくない険を含んだ疑問符に、ジョンがどこかしら白々しく声を掛ける。


「いやね、さっき魔法を使うのに使用者の適合率が云々ってあったやん?」

「う、うん」

「このフリフリの衣装も、マジカル脚立や刷毛も……ほんとに使用者を選ぶの?  なーんか、担がれてる気がしてならんのだけど」

「ほほ、ほんとうに魔術は使用者を選ぶモフよ! ……その、純粋な力の発動には……」

「うん、さっきも聞いた。という事はだ――今おれがやってるような事は、実は誰でも出来るって結論に行き着くワケなんよね」

「いやっ、そう断定するのは……モフ……」


 短くない、そしてとても気まずい沈黙が流れていた。


 敢えて俺は深くは突っ込まずに、相手の反応を舐るように堪能してやった。

 いやはや、三千世界一の駆け引き上手とは俺の事を指す言葉だったか。

 しかしながら、ジョンはそれ以上言葉を費やす事ができないでいるらしい。

 なので、空気の読める自分はやれやれと眼前の作業に没頭する事とした。


 重夫っちてば大人やん?










 公園の時計を確認すると、時刻はもう深夜0時を20分は過ぎた所。

 そんな人気のない場所で、大変な事になってる夜空に、妙ちくりんな格好で、せっせと刷毛を往復させているのが――そう、この俺だ。

 キャーステキ! 抱いて!


「うわぁ……原理は全然わからんけど、本当にこんなで空の状態が戻ってくよこれ。すっごいけど……ものっそい作業感なせいで、なんかもう……」

「だから言っておいたモフ。危険はないけどすごく地味な作業になると」

「まあ、それはそれでいいんだけどね。しかし、この日曜大工の延長線上のようなこの何とも……――ありゃ?」


 空間が剥離したその裂け目の左側部分を修復し終わった辺りで、その向こう側からやってくる僅かな影のようなものに気が付いた。


「どうしたモフか? 重夫くん」

「なんかあっちから流れてくるんだけど……。なんだろあれ? なんかでっかいコンテナみたいなんがこっちに近づいて来てんだけど」

「次元断絶界を? それは有り得ない話と、何度も言ってるじゃないかモフ。あそこはいかなるものも阻む不可侵の領域モフよ」

「いやだって……実際なんか流れてきとるもん」

「ほ、ほんとに? ちょっと見せて――」


 俺の言葉に、それまで定位置だったジョンが肩の付近までフヨフヨと上昇してきた。

 そのジョンに次元断絶界とやらから、こちらへと近づいてくる物体を指で示す。


「何かコンテナみたいなんが流れてきてるっしょ?」

「ちょっ‼ ――なっ⁉ 重夫くん、離れて!」


 これまで聞いた事のない切羽詰ったジョンの呼び声に驚いて、脚立の上で危うくバランスを崩しそうになる。


 まさにその次の瞬間――

 まるで盛大にガラスが割れるような音を響かせて、その次元断絶界を流れてきた何かがこちらの空間へと飛び込んできた。

 それはやはりコンテナのように細長い長方形の大きな筒だ。

 俺の直ぐ脇を掠めて出現した。

 そしてこちらの空間へと全体が入り込むや、重力に引かれて真っ逆さまに落ちる。


 地面に激突する際のその鋼鉄を打ち鳴らしたような轟音にまたも俺の体勢は崩れ、今度こそ地面へとダイブしたのだった。

 顔から落ちそうになったものの、辛うじて地面に手を着けられた。

 けど、手首痛いねん。

 グンって、こう曲がらない方向にグンってなってんもん。


「いでででで……なんぞいなこれぇー?」

「ど、どうなってるんだ……? こんな事、有り得る筈がない」

「ジョンってば、たびたび口調が素になっとるよー? ああ、ていうかもう! 折角上手に塗れてたんに、これじゃまた最初っからかい」


 そのコンテナのような物がこちら側に出現したせいか、あの空間剥離とやらがさっきよりも酷いことになっていた。

 単調作業でこういう事されると、ほんと腹立つね。


「――重夫くんケガは?」

「だいじょぶ。ちょうどギリギリで横を擦り抜けてったから。にしても、これは何よ? ジョン達が送ってきたってワケじゃなさそうだけど」


 公園の石タイルを砕き割って着地したそれは、どう見ても鉄製か何かのコンテナだった。

 中に何が入っているのかは分からないが、それの周りをぐるりと見渡しただけでもやたらと厳重に施錠されている扉が目に付く。


「次元断絶界を自力で渡ってきた……いや、あってはならないそんな事……これじゃあ、僕らがやって来た事の前提条件が元から覆る事になるじゃないか……」


 またもキャラ崩壊を気にせず、素っぽいジョンが小さな声でいかにもな台詞を放つ。

 だから人生を見失っても、キャラは見失ったらあかんて。


 その時――

 しんとして誰もいない筈のこの公園に、なんとも場違いな声が響き渡った。


「はははは! 中央局の連中の間抜けっぷりは、相変わらずだね!」

「なんだ? ――誰だ⁉」

「え、なに――新キャラ? 新キャラなん?」


 公園に鳴り響いた第三者の声に、定石通りの反応を示すジョン。こっちは思わず、展開の成り行きにハラハラしてしまう。

 ついでにジョンと二人、声がするとしたら一番それっぽいであろうコンテナに視線を移すが、どうもそっちじゃ無さそうだった。


「こっちだよ、リンド高等情報官殿」


 その声に促されるまま公園の中央に設置された噴水の頂上を仰ぎ見れば、そこに僅かな電灯に照らされた一つの小柄な影が映った。


「何者モフか⁉ 正体を表わすモフよ!」

「お、口調戻った」

「ちょ、ちょっと重夫くん、そういう発言はやめてって言ったじゃないかモフ……」

「ああ、ごめん」


 ジョンに怒られてとりあえず素直に謝った後、ここに至っての登場をかましてくれた相手を注視する。


「何者かだって? ふふふ……そんな事もわからないのか。自分達がいかに出遅れているか、まるで自覚もないってのかい?」


 辺りが薄暗いせいでその人物の全容をはっきりと捉えることはできないが、それでもそのシルエットが随分と小さく華奢なものであると判別できた。

 またその響いてくる声にも、やけに幼すぎると感じるものがある。


「どういう意味だ⁉ 出て来い、正体を見せるモフ!」

「いいよ、見せてあげよう。もっともボクの姿を確認した君がどういう反応を示すか、だいたい察しがつくんだけどね」


 明かりが充分に届かない噴水の上から、その影は地面へと降り立つ。

 それだけでも、公園内に設えた微かな外灯の光がその影だったものの全容を捉えた。


「その姿は、まさか……」


 そしてそこに映し出されたのは、奇抜というかまるで見慣れぬ格好をした十歳かそこらくらいの子供の姿だった。


「あははは、どうしたんだい? こんな所で同郷人と会えるなんて思いもしなかったかい? もっともボクは見ての通り――お前達が使っているような精神体だけを飛ばす、そんな陳腐な装置で送られたきたワケじゃない。実体を伴った、在りのまま姿さ!」


 銀というよりは青色に近いショートヘアな髪に、灰色ともとれる浅黒な肌。

 それは白人でも黒人でもない特徴だろう。

 少しつり目だが大きめの丸っこい眼、肌の色合いに反して健康そうなふっくらした頬、華奢さが映えるすらりとした四肢、加えて年相応の愛らしさも損なわれることなく――

 まあ、つまりあれ、いわゆるどストライクです。


「いけなぁい! こんな所でロリロリなボクっ子なんて出してはいけなぁーい! これまで華のないムサイ内容でお送りしてきたというのに、いきなりこんな嫁キャラを出すなんてどうかしてる⁉ なによりもまず俺の劣情を制御し切れない! とりあえずそこの君、結婚して俺のママになってください!」

「――ちょ、な、何をトチ狂ってるんだクポ重夫くん!」

「――何だコイツ⁉ き、気持ちの悪いヤツだな……。だいたい、ボクは男だぞ!」

「ほう、男の娘……? ふむ、やはりそうでしたか。はっはっはっ――いやこの重夫、斯様な可能性の域も考慮しておりましたぞ。男の娘でも何の問題もありません。勿論でございますとも。――だから君! 結婚して俺のママになってください!」

「――何なんだこの変態は⁉ 仮にも中央局が、こんな人物を協力者として選んだのか!」

「いや! ――ちょっと待つモフ! 今までの発言に関しては、こちら側はまるで関係なしモフ! ていうかフォローできないよ重夫くん‼」


 まるで汚物を見るような目で、ジョンと男の娘がこちらに視線を当てている。


「なんだよ、なんだよお前ら。お前らもそうやって俺の事迫害すんのかよ。いいじゃなねぇかよ……俺が誰を愛そうが、自由なはずだろぉ!?」

「お、落ち着くモフ重夫くん。残念ながら僕らの世界でも、君のその性的嗜好は限りなくアウトで……」

「いやジョン、違うねん。そういうのとは違うねん。俺はただ可愛いロリっ子やショタっ子とかとな、イチャイチャしたいだけやねん。わかる? やましい事なーんもないねん。ただな、幼くて純粋なモノにな、存分に甘えてみたいだけやねん。わかる? ――この清廉潔白な感情」


 特に大事な部分なので繰り返し言葉にして、俺の衷心を彼らに伝えた。


「どっちにしろ、そういう不毛な話題はやめるモフよ――お願いだから。というか君がそんなだったなんて、十一年間気付きもしなかった……」


 ジョンが心なしか失望と憐憫が混じった眼で俺を見てる気がする。

 失敬な話だな。

 今まで勝手に監視だなんだしておいて、挙句強引に手伝いさせてるのはそっちじゃあないか。


「くそッ! 予想外の変態のせいで話のペースが乱された! まあいいさ、こちらの目的は果たしたんだ。今日は顔見せだけという事にしておくよ」

「ま、待つモフ! 一体お前達の目的は⁉ ――どうしてそんな技術を⁉」

「ふふっ……そうだった。ようやく行動を開始したのろまな中央局へのプレゼントを用意してきたんだった。情報官殿には実体がないから、どうする手立てもないかもね。でもまあ、せいぜい傍から堪能するといいよ」

「おお、もう行ってしまうのか我が嫁よ」

「――うるさい変態! お前は今から改良を加えたこちら側の生物兵器により、その身を醜く引き裂かれるんだ! せいぜい恐怖しろ!」

「プレゼントってそういう系統のサプライズ? なんだてっきり俺は、リボンを体中に巻きつけた君が俺の胸へ飛び込んでくるのかと……」

「――死ね‼ 惨たらしく死ね‼」


 暴言を撒き散らしながら、ショタっ子の体はその場に直に現れた魔方陣の光の向こうへと消えていった。

 んもう、ツンデレだなあ。


 後に残される俺と、何やら混乱というか焦燥し切っている様子のジョン。

 おそらくは件のプレゼントというヤツであろうそのコンテナへと意識を向ける。


「話の流れからして、このコンテナの中に生物兵器とかいうのが入ってるっぽい?

 でも、さっきからまるで動かんねコレ。落下の衝撃でおっ死んでたりして」

「それならありがたいんだけど……。ともかく一体何がはいってるのか、まずその調査が必要になるモフ。けれど何が居ようとも、できれば君の言う通りである事を願いたいよ。あまりにも状況が乱れている……。今までの内容は本部でも把握してるだろうからすぐに通信が入るだろうけど、その間、これどうすればよいか……」

「つまりジョン達はさっきのショタっ子の手がかりとなるこれを手中に収めたいけど、こちら側ではろくな調査もできず、あちら側に送るにも実体を伴ったままの転送はできないと。まあ、ショタっ子はできるみたいだけどね」

「君のその事態の呑み込みの速さは賞賛ものモフ」

「んで、どうすんの? 正味、ジョンは何もできないワケだから、何かするなら俺が手伝う事になるんでしょ。妙案でもあんの?」

「なんか重夫くん……やる気まんまんというか、かなり機嫌良さそうモフ」

「ナイヨー? 俺の嫁キャラ出現でテンション振り切ってるとか、そういんじゃナイヨー?」

「……聞かなかった事にするモフ」


 などと言っていると、またもジョンがフリーズ状態に陥る。

 あちら側からの通信が来たんだろうけど、なんで全体的に停止するんだろう。


「……うん。とりあえず、こっちで出来る限りの調査をした後、安全のためにそのまま物理消滅させるモフよ」

「物理消滅とな? 爆弾でも仕掛けるとか?」

「今の僕らじゃ物理的な性質を持つものは保護なしに次元断絶界に入れないけど、純粋なエネルギーに相当するものなら簡単に往来可能なんだ。つまり膨大な魔法エネルギーをあちらから送ってもらって、それをこちらでコンテナに投射して粒子決壊を起こさせる」

「詳しい事は全然わからんが、それで俺は何をすれば?」

「何もしなくていいモフ。調査も破壊もこちらで全部事足りるから」

「……さっきの話に戻るけどさ、やっぱりあの空間修復とかいうの俺がする必要ないよね? ――ね? ――ね?」

「ノーコメントという事でお願いするモフ……」


 言葉尻から、とても苦しそうな雰囲気が伝わってくるのであった。


 何もしなくていいというなら進んで何かする気はないわけで。

 しかし気に掛かるのはこのコンテナだ。

 一体何が入ってるのやら。

 しかも本当に中の物は落下の衝撃で死ぬぐらいやわな作りだったのだろうか。


 そんな事を考えてる間にジョンがフヨフヨといった感じでコンテナに近づき、その前足を端にピタっと付ける。

 物に触れないらしい今のジョンなので、彼を媒体にしてあちらから魔法の力を発動させるとかしてるんだろう。

 事実またあの光の魔方陣がコンテナを含む地面に出現し、その光の輪っかがチカチカと明滅してる。

 調査というやつをやってるんだろう。


 暇になってしまったこっちは、ともかく自主的に動く事にする。

 どうせやらなくちゃならないんだろうから、今の内に壁塗りならぬ空間塗り作業を再開する。 

 ていうかやっぱりあの魔法の力を使えばこんな地味な作業する必要ないんでないかい? ――という疑念は拭えないが、そこは大人な重夫っち、愚痴る合間にも倒れた脚立をどっこいせーと立て直しいそいそと作業を再開した。


 そんな時だったろうか。

 ガガンッという鈍く大きな音が鳴り響いてまたも脚立の上でバランスを崩しそうになったのは。

 しかもその音は一度きりではなく、二度三度とその大きさを強めながら鳴り渡る。探すまでもなくその音源はあのコンテナだ。


「うわぁ、来たよ。絶対これ何か出てくるフラグだよ」

「そ、走査魔法を緊急解除して速やかに目標の破壊要請を――」


 ジョンの言葉をまるで遮るかのように、一層大きな音と共にコンテナが跳ね回って躍動する。

 そして今一度、その轟音と振動が辺りを穿った時には、もう厳重に施されていた鍵付きの扉はひしゃげた不恰好な形で外れ飛んでいた。

 吹き飛んだ扉の残骸が公園のタイルを擦る。


 その嫌な音に混じって聞こえてくるのは、低い獣の唸りのそれだった。

 歪んだコンテナの奥から、ともすればのっそりとも見える動作で這い出てきた大きな影から、それは発せられている。


「これは――いや、間違いない! 重夫くん、気をつけて!」

「俺、ネコよりもイヌ派を標榜してるけど……あのワンちゃんは無理だわ」

 

 コンテナの闇の中から姿を現したその生物は、体高だけで優に2メートルを越えている四足歩行の大型動物だ。

 体長に至れば4,5メートルに達していて、巨大な犬というか狼というか――そういう外見だった。

 四足歩行と表したが、実を言うとこのワンちゃんってば足は6本あるのが特徴。

 地面に付いている4本のしなやかな前後脚の他に、人間でいう肩甲骨の辺りからさらに2本。

 これはまるで熊や虎のそれのように、太くがっしりと筋肉質なものだった。


「ねえジョン、あのワンちゃんの背中から生えてるヤツはただの飾りだよね? あれで捕食するとかいう理に適った使い方はしないよね?」

「――何を悠長に構えてるモフか⁉ 実体のない僕はともかく、重夫くんがあんなのに狙われたらただじゃ済まないモフ!」

「仮に相手がじゃれ合うつもりだったとしても軽く死ぬるよねー」


 よし、こういう時はあれだ。

 山ん中で熊と遭遇した時と同じ対処の仕方だ。決して急激な動きはせず、相手の目を見てゆっくりと後ずさる。

 ――あ、ダメだわ。

 こっちが一歩下がった途端、もの凄い勢いで距離詰めてきた。

 これはあれですね、完全にこっちをロックオンしてますね。


 俺とワンちゃんの緊迫した睨み合いが続いていたその時、地面にあの光の陣が浮かび上がる。

 大型獣が居る場所を中心として、今度はかなり広い範囲にそれは展開する。


「――や、やったか⁉」


 ジョンが上擦り声をあげて、目の前の獣の動きに凝視している。

 どうやら、あれをどうにかするため、何事かの魔方陣を展開させたらしい。

 だがその円陣から伸びる光の幕が半球体のドームを完成させる直前、獣は一声大きく吠えると、その場で垂直に跳躍する。

 闇夜の空に達するのではないかというぐらいの高さまで跳んだ獣は、そうして悠々と円陣の届かぬ場所に着地した。


「ダメだったモフ……」

「な、な、なんとかならんのー?」

「無理だモフ……! こちらから座標のデータを送って、そこで初めてあちら側からの魔法援助を受けられる段取り。ああも機敏に動く相手じゃ、こういった間接的な方法では対処し切れない……!」

「あきらめるなよジョン! 何物にも代えられない俺の命が掛かってるんだから! 

 マジそこんとこちゃんと考えて⁉」

「こうなったら重夫くん! 君にアイツの動きを留め付けておいて欲しいモフ!」

「馬鹿を言うな馬鹿! ――死ぬわっ!」

「だいじょうぶ! 君の防護服は高層ビルからの落下や機関砲の掃射にも耐えられる性能を有してるモフよ!」

「――まじで⁉ 正味、無敵じゃんそれ!」

「ただしその……一日の使用回数に制限があって……」

「うわ、いらない――そういうの絶対いらない」

「どんな攻撃にも3回までは耐えられるモフ!」

「――少なくない⁉ 3ってありがちな数字だけど実際少ないよそれ!」

「とと、ともかく! 奴の攻撃を3回受けきるまえに、何とか相手の動きを止めてほしいモフ――って、ああ! そんな事言ってる間にアイツが重夫くんにまっしぐらモフ!」

「いやあああああああっ‼」


 二人だけで盛り上がってるのを快く思わなかったのか、一声唸るとワンちゃんはすっごい勢いで俺の元へ駆けてきた。

 それはもうマタドールの猛牛の突進は遥かに凌駕する勢いだった。

 ごめんよ、俺に君の全てを受けきれる度量はないんだ……。そう心の中で呟いて、全力でケツまくって逃げる。

 とは言え4,5メートルはある四脚の獣相手に、大して足が速くない俺のような人間が逃げ切れるわけはない。

 数メートルも稼ぐことなく、後ろにとんでもない風圧を感知した。


「んほおおおおおおぅ‼」


 何が起こったかまるで分からないまま、俺の断末魔の声が響く。

 僅かな視界が捉えたのは、目の前を淡く発光する緑色の膜が覆った部分だけ。

 そのまま緑色の膜に抱かれて、地面を凄い勢いでごろごろとした後、公園内の樹にぶつかって動きを止めた。


「――え? え? もしかして、今ので一回? てか何されたの俺?」

「危ない重夫くん! 上だ! 逃げて!」


 ジョンの切羽詰った声を聞いた時にはすでに遅かった。

 見上げた夜空を黒い大きな影が遮る。

 異様なほど目立つ背中の二本の腕を振り上げて、それは高度から迫り来る。


「あああおおぉぉん‼」


 二度目の断末魔が辺りに届いた時、俺の体はやっぱり緑の膜に覆われて地面をごろごろと転がっていた。

 そしてガッシャーンという音を立てて止まる。 

 今度はどうやら置いていた脚立にぶつかったらしい。

 見上げれば、次元断絶界とやらの奇妙な空間が真上に覗ける。


「ええ⁉ もう二回目? だから俺、何されたんだよ?」

「お、落ち着くモフ! さっきから奴の背中の腕でブン殴られてる! ――あっ! そ、そこの脚立を取って戦うモフ!」

「いや、脚立て! わしゃジャッキーかい!」


 何度も見てきた映画の中では、竹竿とか椅子とか机とか自転車とかでド派手に敵を蹴散らしていくアクションスターが居たが――そんなん無理やわ。

 が、しかし、そう贅沢も言ってられない。

 同じ人類の香港人が椅子に縛られながらも、その椅子を利用して敵をバッタバッタと倒していくのだ。

 その気になれば脚立も立派な武器なはず。

 俺は急いでそのアクションスターの力を手にする。


「うおりゃぁーっ‼ くらえ! 田井原家秘伝の闘脚立術奥義! 人生メリーゴウアラウンド!」


 脚立を両肩に担いで回転するこの攻撃法。望んでもないものを背負わされてぐるぐるぐるぐる回り道を強いられる己の人生を表現した渾身の出来であった。

 計算し尽されたこの奥義の完成形に死角はない。

 がしかし、あろう事かワンちゃんは回している脚立の先端部にがぶりと噛み付いたではないか。


「どうおお! ちょっ――ちょっと待って、それはいけない! 離しなさい! ね?」


 考えても見れば、標準の人間と4,5メートルの大型の獣である。

 単純な筋力の差は歴然としていた。

 咥えた脚立を首の力だけでぐわんぐわんと振り回す獣。

 無論、その脚立と今や一心同体の俺も重力から解き放たれてぐわんぐわんと一緒にアラウンド。


「……うわーい、なんかのアトラクションっぽーい……」


 これを絶叫マシンか何かと思えば、恐怖も薄れるだろうと無理に笑顔を作ってみたが――うん、やっぱどうにもならんかった。

 遠心力で一繋ぎの梯子になった脚立に必死でしがみ付いていたが、とうに握力の限界は過ぎている。

 遂には宵闇の空を一人で舞っていた。


「なっるほどぉぉぉ‼」


 べしゃりと地面にへばり付く前に、またも緑色の膜が視界を覆った。

 しかしそれは俺にとっての最終宣告に等しいものだ。


「……あ、あれぇ? 今なんか、例のやつ発動しちゃったぁ? いやー、あれはさホラ、頑張れば両足複雑骨折ぐらいで済んだから別に使う必要なかったんだけどねぇ。見切り発車っだったよねー、今の。んーと……こ、これで何回使用したことに、えっと、な、なるのかなぁ? た、多分俺の数え間違いだと思うんだけどぉ……三回目だったような……いや、多分絶対数え間違いだとは思うけどぉ……」

「重夫くん、その……き、君の勇姿は忘れないモフ!」

「――いやああああぁっ‼ 死にたくなぁい! 死にたくなぁぁい‼」


 死の際に瀕して俺の隠された真の能力が発動する。

 それは死の淵において醜く無様に泣き喚いて現実を見ようとしない、きっと誰もが持っている特殊能力だった。

 獣がもう必要ないとばかりに咥えていた脚立を俺の眼の前に放り捨てる。

 低い唸りを発しながらにじり寄ってくるその様に、意識は遠のくばかりだ。


 だが、ここで容易く死んでやれるほどの人生は歩んできていないのが田井原重夫だ。  

 ――いや、ごめんなさい嘘です。

 ほんとはまるで意義のないぺらっぺらな人生でした。

 しかしだからこそ、何も成し得てきていない俺だからこそ、容易くは死ねないのではないだろうか。

 ――え? あ、そんな事ないですかそうですかすみませんでした。

 だとしても、そうだったとしても、俺はこんな所で簡単には諦めない。


 何か――何かないかと辺りを見回す。

 しかし、そもそも何とかなるような手立てがあったらこんな状態にはなっていないのだった。

 まるで残酷に嘲笑うかのように、俺の真後ろにあの不気味な次元断絶界とかいうのがそびえている。

 もうなんかあの世界が地獄への入り口に見えてきた。


 しかしその時、俺の脳髄を稲妻が駆け巡った。


「……次元断絶界……?」 


 ちょい待ち。

 この次元断絶界とかいうの……――もしかして伏線じゃね?


「――そうか! わかった……わかったでぇ! この局面を打開する最終で最強の策! 伏線やっ! 今までのあれは全部伏線やったんやぁっ!」

「重夫くん、恐怖のあまりついに精神が……」


 ジョンがこれでもかというぐらいの哀しみの目を俺に向ける。

 だが俺には分かっている。

 ジョンがしつこいぐらいに俺に示し続けてくれたそのキーポイントを! 

 つまりはこの次元断絶界とやらと、そしてジョンが用意してくれたこのマジカルウィッチーな防護服が鍵だったのだ。

 本来あの空間を有機生命体が渡ってくる事は不可能だった。

 しかし目の前のこのワンちゃんとあのショタキャラは、それを可能にしてやって来た。

 おそらくだが、その時にあの子は次元断絶界に何らかの細工をしたのだ。

 なんかほら、盛大にガラスが割れるみたいな感じでコンテナ突っ込んできたやん?

 たぶんあれのせいで今はその空間、こうばーって行ってがぁーって入れんねん多分。まあ詳しい事はええやんかもうそんなん。解説とか別にいらんやろ、堪忍しときーな。


 ただ、勿論生身での進入は不可能だ。

 そこで必要になってくるのが今俺の着ているような防護服であり、あのワンちゃんが入っていたコンテナのような代物だ。

 しかし、今あのワン公は防護の役目を果たすものを何も着ちゃいない。 

 つまりはそういう事なのだ。


「だらっしゃあああっ! かかって来いやぁ⁉」


 渾身の素早さで奴が吐き捨てた脚立を立て直し、その一番上へと登る。 

 その俺の後ろ、具合良い位置にあるのはあの次元断絶界である。

 まさに魔物のようにぱっかりと口を開けたその体で、俺とワン公を一直線上に捉えてやがる。


「――どないしたぁぁぁっ⁉ わしゃあ此処じゃけぇ‼ 飛び掛ってこんかああぁぁいぃ‼」


 両腕を広げ、カモンダイブの意を全開で表わす。

 その俺の精一杯の虚勢だが、しかし奴は反応を余儀なくされている。

 牙を剥き出し、低い唸りと共に、前足を低くした前傾姿勢を取る。


 正直に言おう。

 これは大変危険な賭けである。

 もし運よく奴と同時に次元断絶界に入れたとして、本当にこの防護服が機能してくれるか、あるいはその後どうやって脱出するかといったプランがまるで無かったからだ。

 だがもはやこれ以外に策などない。

 自力であの大型獣に勝てるワケもないのだ。

 この賭けに全てを託すしか道はない。


「田井原重夫22歳童貞! これより真の〝漢〟となるゥッ!」


 意気込みは完璧だった。

 もはや何も恐れまい。

 今は誇りを示す時。


「――重夫くん⁉」


 ジョンの驚愕に満ちた声が聞こえる。

 しかし、もう誰にも止められはしない。


 獣の脚が地を蹴る。

 その様を捉えた俺は、胸に大きく吸い込んでいた息を――

 いやさ、心意気を向かってくる相手に対して吐き付けた。


「バッチ来いやぁぁぁぁぁっ‼」


 獣もその背中の両腕を限界まで広げ、俺の手前で力強い跳躍をしてみせる。

 自分と相手との高さが入れ替わり、その凶暴に並んだ上下の牙が鼻先まで迫る。

 俺は両手を突き出し、自らの上体を後ろに反らして、奴の重みを体で受け止めた。

 無論、受けきれるはずはなく、俺と奴の身は勢いに乗って後ろへと流れた。


 そして――


「んぬふぅぅぅっ‼」


 バチィッという音と共に、なんか俺とワンちゃんの体は壁の様な物に弾かれた。

 勢いをそのまま返されたかの如く、何か良く分からない境界に拒否られて飛ばされる。

 それはもう結構な勢いで、地面へと叩きつけられると同時に顔面を軽く削られた。


「イタイイタイっ! 背中痛い! 顔も痛い! もうやぁだ……!」

「ちょっと重夫くん、一体何してるモフか……?」


 驚きと困惑の混じったジョンの声がする。

 ふうむ……どう考えてもここは次元断絶界ではなさそうだ。

 なんだろう、もう死にたい。


「えっと、ワンちゃんは?」


 辺りを見遣ると、俺の斜め前方くらいに居た。

 なんかどうやら、彼もどっかで鼻をぶつけたらしい。

 しきりにフガフガ言いながら、器用に両前足でその箇所をさすっている。


「い、今がチャンス――」


 乾坤一滴――的なアレ。ジョンのその叫びに応じるように、獣を取り込む魔方陣が展開する。

 今度のそれは範囲こそ狭いものの光のカーテンは瞬時に半球体のドームを形成し、中に獣は見事その場に取り残される。


 奴が気付いた時はすでに遅い。

 何度も吠えるようにし、半球体の内側から体当たりをかましているが、その牢獄はびくともしないのだった。


「……や、やった? ――やったモフよ!」

「お、おお! えっと……うむ。さすがはジョン、俺と打ち合わせた通りだ」


 とりあえず大仰に腕組をして、はいこれを狙ってましたー的な雰囲気を出すことに全力を捧げる。

 いやまあ、ですけどね? 

 実際ね、こういう展開もね、計算の内には入ってましたから?

 重夫の脳内スパコンはこういう結果もはじき出してましたから? 

 ただ言ってなかっただけですから?


「なにはともあれ、重夫くん良くやってくれたモフ。もう安全、この魔方陣による結界は何があっても破れないモフ」


 ジョンが安堵の念をかみ締めるように、その光で出来たドームへ近づく。

 中であのワンちゃんは、まだ諦め悪く爪や牙を振り乱して暴れていた。


「いや、マジで何とかなったねぇ……ふぃー……。あ、そいで、そいつ破壊するとか言ってたけど」

「……唯一の手掛かりであるこれは、こちらでやれるだけの調査を終えたら安全の為に消滅させるのが望ましいモフ。そう、なんだけど……」

「けど何? どしたん?」


 表情を読み取れはしないが、何やら複雑そうで悲しげなジョンの口調がとても気になった。


「……その、これは本来、生物兵器なんかじゃないんだモフ。この子たちは本当なら、僕らの世界で人命救助の役割を担っていたとても優秀な存在。困難な地形での救助活動を念頭に置き、車輪などが通用しない不整地を走破するための強靭な四足の脚と、土木などの障害物を取り除くための剛質な二本の腕を備え、これまで幾多の人命救助に貢献してきた存在なんだ」

「そりゃ、なんとまあ……」

「しかしここ数年、その圧倒的な機動力とパワーに目を付けた何者かによって、この子たちを殺戮兵器として転用させたテロ活動が頻繁していたんだ。おそらくこの子も、元は人の命を助ける為に生み出されたはず……それなのに、あろう事か兵器として改造させられて……今のような状態になっているんだ」


 悲しげなジョンの声が耳朶を打った。

 その話が本当なら、さすがの俺も腹立たしさを隠せないところだ。

 今そうやって自分が何者かも分からず、狂った獣そのままに吠え猛っているその境遇を察すると、さすがに遣る瀬ない。


「つまりジョンはその子を出来れば助けてやりたいと?」

「……」

「でも、確かジョンの側の世界へは生きたまま送り返せないんだよね? こっちの世界で何とかしてやれんの?」

「それは可能だモフ。遠隔からの使用になるけど、脳波コントロールでこの子を元の状態には戻せるんだ。ただ元に戻せたとしても、重夫くんの言う通り、僕らの世界へ帰してやる事ができなくて……」

「あー、そういう事。こっちで面倒を見てやればいいって話ね。けど、こいつを今の日本で飼うとしたら相当な無茶が付くな」

「その事は熟知してるモフ。そしてその為の必要な処置も、こちらからは惜しまない。ただ見ての通り、実体のない僕では完璧に世話をできないモフ。だから無理を承知で、重夫くんに面倒をお願いしたいモフ……」


 ジョンが項垂れるように頭を下げた。

 とりあえず俺に分かっていた事は――

 この愛くるしいお姿の中の人はなかなかに「良い奴」だという事だけだ。


「まー、別に構わんよ? てか、さっきの話聞かされた後じゃ断るに断れんでよ」

「本当に? 良かった! さすが重夫くんだモフ!」

「でもさ、この見た目だからねぇ。他所にばれりゃ、マスコミが大手を振ってやってきそうだな」

「勿論そんな事にならないように、こちらが必要な処置は施すモフ!」

「そっちには超便利なマジカルパワーがあるし、まあ、ジョンがそう言うなら特に心配はないのかな」

「じゃあさっそく、僕はこの子に植え付けられた殺戮衝動の暗示を取り除く作業にあたるモフ! そうすれば、この子はこんな凶暴じゃなくなるモフよ。この子たちは本来、とっても人間に従順で聡明で、そして優しい子たちなんだ」

「んん……この見てくれで?」

「えっと、見た目の件はその通りかもだけど……」

「まあ、そっちの事は任せたや。その間俺は……っと」


 そろそろ夜が明けそうなのか、東の空が白みがかっていた。

 しかしその爽やかな光景に不釣合いな箇所が、これでもかとその存在をアピールしている。


「――あれをまた塗り直さにゃならんのね。面倒だなくそったれ」


 ため息と一緒に本音が漏れ出た。

 まあそれすらも、明るみ始めた空を飾るに相応しいと思う事にしよう。


 と、こうしてまあ――

 世界を救う為に魔法少女のコスプレをして何か良く分からないものを塗り塗りする俺の新感覚ライフは幕を開けたのだった。


 マジカル、ハピネス。

 世界に幸あれ。


 そういや深夜アニメ見逃した。







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