レイニーデイ ホリデー Brute - fact & force

禾常

プロローグ

暗転

 

 

 

 朝。睡眠時間が足りずに、まだ眠りたがる身体に鞭打って身支度を済ませ、出勤。

 日中。夏熱く、冬寒い職場で労働。

 夜。日付が変わるまで残業をこなし、帰宅。諸々の雑事を済ませて就寝、眠れる時間は平均で四時間ほど。

 そしてまた朝が来る。

 

 そんな生活が、もう十年近く続いている。


 一月の残業時間が百を超過し続けた場合、健康を損ねる可能性が跳ね上がると言われていが、その倍近く働く日々が続いていのだ。

 毎日がデスマーチである。


 正直なところ、体力的にきついし、精神的に辛い。

 残業代が出るとか出ないとかは、もうどうでもいい。金を払うから、休みをくれ。

 そんな事を、披露で鈍った頭で願いながら車を運転していた、帰路の最中だった。

 その筈だったのだが。


 しかし気が付けば、何も見えず、何も聴こえず、何も感じない。

 できる事は、こうして思考する事だけ。

 そしてこれも、いつま続けられるか判らない。

 そんな状態になっていた。


 突然だった。

 トンネルを抜けたら雪国なんて表現もあるが、それに近いかも知れない。

 眩しさに目をつぶった次の瞬間には、この状態だった。


 いつもと変わらず、日付が変わって他の車の一台ともすれ違わない夜道を通っていたのだが、あの、眩しく感じたのは何だったのか。

 駄目だな、判らない。


 過程は判らずとも、結果は想像がつく。

 車はそれなりの速度で走行中だったのだから、つまりは、、になるのだろう。

 認めたい事では無いが。


 似た様なケースが、たまにニュースで取り上げられていた。

 でもそれは、どこか他人事ひとごとに感じていたのだ。

 けれど今度は、俺があんなふうにニュースとして報道されるのかも知れない。


 車を運転中に、意識を失い、事故を、起こした……と。


 本音を言えば、あまりに突然過ぎて、実感が湧かないと言うか。信じられないと言うか。

 違うか、信じたくないのか。

 運転中に意識を失って、事故を起して死んだなんて、その瞬間を覚えてないのに、認められやしない。

 けれども、感情的な事を除いて考えると、それしか今のこの状態を説明できる仮説が、他に思い浮かばない。


 車を運転していたら、突然に全ての感覚が消えたのだ。

 そうだと知覚しないまま、瞬間的に肉体の重要な部分が重度に損壊してしまったのだろう。

 ああ、あの一瞬だけ明るくなった気がしたのは、その時の衝撃が見せた錯覚だったのかも知れないな。


 そうか。俺は死んでしまったのか。

 認めるしかないんだろうな。

 死ぬのは嫌だが、下手に苦しまなかったのだから、その点は良かったのだろう。

 あとは、誰かを巻き込まなかった事も。

 途切れる直前の記憶では、田んぼの中の直線道路を走っていた。あの状況でなら、単独事故だっただろうし。

 そうだな。きっと、走行していた勢いそのままに車道から飛び出して、そのまま稲が青々と茂った田んぼの中へ、ってところか。夜中だから真っ暗だっただろうが。


 登校中の小学生の列へ車が突っ込んだ惨事がニュースで流されたりしていたが、ああはならなくてホントに良かった。

 ああ。だけど田んぼの持ち主の農家さんには、申し訳ないな。

 賠償金は、保険会社に払ってもらえるだろうから、それで許して欲しい。



 他にできる事も無いからあれこれ考えて来たが、それもどうやら終わりが近いらしい。抗い難い眠気がやって来た。


 この眠気に負けた時が、俺の最後なのだろう。


 未練は、勿論ある。無いわけがない。


 い車に乗りたかったとか。

 バイクで北海道ツーリングしたかったとか。

 美味い物を食べたかっとか。


 忙し過ぎる日々を送っていても……いや、だからこそ、か。人並みの欲は、強く残っている。

 あとは、そうだな。あのまま働いていたら結婚したかは怪しいが、育ててくれた祖父母に孫の顔を見せて上げたかった。元々叶わなかった夢だが。


 あの世であったら、許してくれるだろうか。

 まあ、祖父じいさんの事だから、軟弱者って叱られるだろうな。じっと静かに見据えられながら。


 そうだった。

 いつの間にか忘れてしまっていたが、祖父さんみたいな老人に、なりたかったんだ。

 背筋にも生き方にも、ぴんと一本筋の通った、あの祖父じいさんみたいな生き方をして、老いて死にたかったんだ。

 忙しさに追われて、忘れてしまっていた。

 駄目だな。祖父さんが死んだ時、あんなに強く思ったのに。


 祖父さんたいな生き方ができてたら、こんな死に方もしなかっただろう。

 祖父さんなら、疲れたからって背中を曲げずに前を見据えて生きていた筈だ。

 自分の中に不平を溜め込んで、溜め息を漏らすなんて事はせずに、職場の環境そのものを改善しながら躍進した筈だ。

 祖父さんは、そうして生きた人だったから。


 なのに俺は、忙しさに負けて、このざまだ。


 あぁ。祖父さんみたいに生きれなかったのが、何よりも、心残りだ。


 嫌だな。

 このまま終わってしまうなんて、いやだなぁ。



 せめてさいごに、祖母ばあちゃんの作ったいなり寿司……食べたかった、な。


 それで、げんきになって……。


 おれも、祖父ちゃんみたいな……男に……。

 

 

 

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