第24話

 一方何が起こったのかわからないのは影族の方だ。


「歓迎しよう、生命たち」


 そう亜芽が告げた瞬間、亜芽の影から這い出てきた黒い大蛇に大きく広がったその喉と反対に細められた目に飲み込まれたのだけは見ていた。それ以外は何もわからない。


 その生理的な恐怖を呼び覚ます大蛇に呑み込まれた亜芽と人間たち。

 そして瞬きの間にまたそこに立っていたのだ。亜芽は、黒い髪だまりの中に。地に伏せた人間の風紀員たちを見下げていたのはわかったが、それ以外の表情は後ろにいた影族にはわからなかった。そして風紀委員長は亜芽が一歩踏み出した音を聞き、うつむいていた顔を上げた。なぜか亜芽の顔を見てふらりと気絶してしまったのだ。


 何が起こったかわからない影族は、くるりと大したことなさそうに振り向きさくさくと歩いてくる亜芽に一気に警戒態勢に入る。その中でツァルツェリヤは。


「みかちゃん!」

「ツェリ!」

「エリ、危ねえからって何度言やあ」

「みかちゃん、平気? 人間たちに何かされなかった? 大丈夫?」

「これ見て俺の心配するとかお前も相当だよな」


 前にいた剣を構えた師団員の間をするりと駆け抜け、速歩で亜芽のもとへ向かう。何が起きたのかもわからない状態のため、出来るだけ亜芽と接触させたくなかったヒナゲシがひらりとなびいたツァルツェリヤの赤いマフラーをとっさに掴もうとするが、手が追い付かなかった。


 亜芽に抱き着いたツァルツェリヤの心配に、「まあ悪い気はしないけど」と告げながら抱き返す。ぽんぽんとツァルツェリヤの広い背中をあやすように叩きながら、長い髪の隙間から見える口がにっと笑う。そんな亜芽に、尻尾があったら千切れんばかりに振る勢いで嬉しそうにしている。


 さすがに人々が倒れている前で家族と仲良くするような悪趣味とも言える趣味はないため、早々に離れたが。

 そんな亜芽に腰に佩いた剣の柄を掴みながら、ヒナゲシはゆっくりと正面から近づく。


「殺したのか? 蛇神殿」

「まさか。死んでねえよ。ただ少ぉしばかり絶望してもらっただけだ。まあちょっとばかり精神に傷がついただけだ。おかしくなる奴はいるかもしれねえが、それだけだな。むやみに殺す趣味はない」

「……『アンジェリカ・キラル』は一夜で滅ぼしたと聞いたのだが」


 探るような目で見てくるヒナゲシ、決して剣の柄から離さない手に亜芽に抱き着いていたツァルツェリヤがむっとして、亜芽を背後にかばうみたいに前に出る。

 それをぐいっとどけながら、たいして興味もなさそうに亜芽は言う。


「ああ、あの俺のカヤコを殺した奴らが住んでた街か。ふーん、そうゆう名前だったんだ」

「カヤコ? とは、どなたのことか聞いても?」

「俺の依存対象」

「依存対象? 依存対象を作るのは混血だけで……まさか」

「俺も混血だけど。エリと一緒」

「……それ、本当? みかちゃん」

「嘘言ってどうすんだよ」


 若干亜芽という名前の蛇神になってから、反応が冷たいというか態度と口が悪いが。一緒というところで、信じられないものを見るように目を見開いて亜芽を振り向いたツァルツェリヤの手をそっと取る。

 きゅっと優しく握られた手から、心地よい手の温度が伝わってきて「ああ、これは螢丸の温度だ」とツァルツェリヤは安心する。


 そうだ、同じならいいじゃないか。同じ不老不死ということだ、いつまでも一緒にいられるということだ。なら、全然かまわないどころかむしろ歓迎すべきことじゃないのか。


 そんな直結な結論にたどり着いたツァルツェリヤは嬉し気にぎゅっぎゅっと手を握り返す。

 ほわほわとそこだけ花が舞っているかのようなのんびりした空気に頬を引きつらせながら、ヒナゲシは思った。


(そうだ、ツェリは美桜螢丸のこととなると頭が弱かった……)


 螢丸を馬鹿にした=殺せ、螢丸を褒めた=なんで知ったような口を利くのか、殺せ。

 基本それ以外はどうでもいいとばかりに流れに身を任せていたのに、螢丸のこととなると馬鹿みたいに真剣になったのである。今師団総長をしているのも、螢丸を保護した時に最高の環境をつくるためだ。

 なんだか自分だけが剣の柄を握って構えているのが馬鹿らしくなったヒナゲシは、1つため息をつくとそっとそこから手を離した。戦闘態勢を解いたヒナゲシに、周りの師団員達も肩から力を抜き、戦闘形態を解く。

 ふと、亜芽は思い出したみたいに黒々とした底知れない目で、座り込んでいた飯島和音とその近くに置かれた北見蓮を見る。


「純血種の王、頼みたいことがある」

「……大事な部下のお姫様の言うことだ、聞こう」

「お姫? ……まあいい。カズネとレンの手当てを頼みたい。俺はどうも治療系には向かないらしくてな。うまく歌えないんだ」

「わかった。2人を救護室に。……歌えない?」

「あ? ああ。混血は歌に力を練り込ませることで願った効果を実現できる。……知らなかったのか?」


 当然のように首を傾げながら尋ねてくる亜芽に、師団員に2人を救護室に運ぶように言ったヒナゲシは目を見開く。すぐに担架がやってきて、てきぱきと2人をのせ、去っていってしまった。最後まで、担架に乗せられた飯島和音は何か言いたそうに亜芽の方を見ていたが。

 そんな話は聞いたこともない。ただでさえ純血と人間との間に子どもが生まれることは稀なのに。なぜそんなに詳しい生態を知っているのかとじっとりと見るヒナゲシに、肩をすくめながら亜芽はため息をつく。

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