第15話

「天使だからだ」

「エリ? 天使って何言ってんだよ。俺は実験にどうしても使いたいからって」

「みかちゃんだって、覚えてるでしょ? ……記憶の始まりの言葉はなに?」


 いつも、まぶたの裏には思い出せる1つの言葉がある。そう、誰ともわからない優しい声で紡がれた言葉が。


「「『あなたは選ばれし者なのよ』」」

「ミカくん? 何言って」

「ミカ?」

「エリ、俺お前にこの話したことないよな? なんで」

「ぼくもみかちゃんと同じ、『選ばれし者』だからだよ」


 吐き捨てるように、その美麗な顔を歪めながらツァルツェリヤは言った。いつもはにこにこしているツァルツェリヤにそんな顔をさせているのが嫌で、螢丸はそっと顔に手を伸ばすと。

 むにっと両手で頬を軽くつねった。顔に手を伸ばされていること自体気付いていなかったツァルツェリヤはきょとんとして、螢丸のその行動に癒されたように眉を下げた。そのことにほっとして、螢丸はツァルツェリヤの頬から手を離す。


「ぼくたちはそれぞれ天使の名をつけられた。蛇神を召喚するために贄として。ぼくも覚えてないけど教会に預けられる前に何かの実験台にされたはずだ」

「なっ」

「待って、螢丸なんて天使の名前、聞いたことないわ。」

「そ、そうだ。俺みたいな名前の天使なんて……」

「いるでしょ? 三大天使と呼ばれた、ガブリエル・ラファエル、そして……」

「ミカ、エル?」


 どくん。鼓動が早まるのが感じる、螢丸、ミカエル。たった1文字違いだ、ただそれだけだというにはあまりにも違和感がありすぎる。そう、違和感。

『ミカエル』という名前を聞いた途端螢丸の中に芽生えた、それはまるで手の内を全て見透かされてしまったようにどくどくと跳ねる。知らない力に螢丸は怖くなって、ぎゅっとツァルツェリヤの白いマントを握った。

 その掴んだ手を上から握りながら、ツァルツェリヤはふっと笑む。


「ぼくの名前はツァルツェリヤ。この名前はね、72ある別名の1つなんだ。ぼくの天使としての名前はメタトロン、神の代理人と称される天使だよ」

「メタトロ、ン。……なんかかっこいいな!!」

「「「は?」」」

「みかちゃん、ぼくの話聞いてた?」

「え、天使なんだろ? それで、メタトロンなんだろ? なんかかっこいいじゃんか!」


 俺もミカエルよりそっちが良かったぜー。と呟いている螢丸はそれがどれだけ大事なことかわかっているのだろうか。天使を集めると召喚される蛇神。その材料である天使がいかに狙われることになってしまうのかとか。思わず北見蓮と飯島和音、2人を支えているずっと黙っていた深田みのりまでも「は?」と言ってしまったが、ツァルツェリヤは頭が痛そうに上から握った手を離してゆっくりと振る頭に当てる。


 あきらかに呆れた様子のツァルツェリヤに、むっと唇を尖らせたのは螢丸だ。さっきまでの自分の鼓動とは違うものは徐々に収まり、いまでは完全に聞こえなくなってしまったから。のど元過ぎればなんとやらで一切気にせず、ツァルツェリヤのマントを掴んでいた手を離してツァルツェリヤの両頬を自身の両手で掴むと、ぐいっと自分の顔に寄せる。


「わっ」

「そんなこと言ったって、エリはエリなんだから別にいいだろ」

「みか、ちゃん」

「それとも何か? エリはメタトロンって天使になったら俺のこと嫌いになるのか?」

「そんなわけないよ!!」


 あまりの剣幕で叫んだツァルツェリヤに驚いた螢丸がぱちぱちと目を瞬く。そしてにっと笑って、当然のようにこつんと額と額をあわせた。


「だろ? ならいいじゃんか。ミカエルでも、メタトロンでも。俺たちは俺たちで家族なんだから」

「みかちゃん……」


 紅梅色の目がゆっくりと潤み始める。あ、これ泣かれると思った螢丸あわてて手を離すと、軍服の中に着ている白いパーカーで目元を拭う。自分や飯島和音、北見蓮はともかくツァルツェリヤ自身の部下に見られるのはなんとなく気まずいだろうなと思って。自分の怪我を拭うときは軍服で拭う癖にそこらへん愛情の差ということだろう。


 飯島和音と北見蓮はくしくし拭いてやっている螢丸を深田みのりは大人しく……というか嬉しそうに拭かれているツァルツェリヤを呆然と見る。それくらい衝撃的だった。普段は好戦的で冷徹とも言える2人からは想像もできないくらいに。

 ほのほのとした空気で戯れている2人。

 さくりと木の葉を踏む音にはっとして深田みのりが後ろを見る。忘れてはならないのが、飯島和音と北見蓮、深田みのりは戸口に立っていて、そこから一歩も中に入っておらず。ドアは開けっぱなしということだ。

 そこにはあんぐりと口を開けた第二師団長から第五師団長までがいた。


「し、師団総長……」

「なんだ。今は忙しい、後にしろ」

「え、エリ忙しかったのか? 悪い」

「ううん、みかちゃんはいいんだよ。ここにいて?」


 冷酷に紅梅色の瞳を光らせて固い声で命じたツァルツェリヤだったが、忙しいのならと螢丸が身を引こうとするとにこっと笑って甘い声で腕を掴む。意地でも逃がさないつもりだ。

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