謳う吸血戦姫
詩野
一章
①
人の目の届かぬ天の
極光の中で二体の人影は対峙していた。
「いい加減、諦めたらどうだ」
巨大な槍を持つ影が感情の籠っていない平坦な声で告げる。
対峙するもう一方の影は血の滴る頬を拭い、苛立ちを隠さぬ舌打ちで返した。
嫌悪の籠った眼差しと何の感情も映さない鋭利な視線が交差する。
「お前に行き場はない。此処で朽ちるのがお前の結末、行く末だ」
「それは経験談か? 流石は出戻り組、言葉の重みが違う」
「戯れ言を……」
巨大な槍の先端に光が収束していく。暴風と共に空間を軋ませる程の力の奔流を感じる。
(相変わらず油断も容赦もしてくれないか。やれやれ、強者なら強者なりの余裕を持ってもらいたいものだ)
その圧倒的な力を前にして冷や汗が背中を伝うのを感じる。
「
だがそれを表情に出す事はしない。それはせめてもの抵抗であり、矜持だ。
「その通り! 貴様は勝手に語る者! 他者の罪を声高に叫ぶ者! 主神を名乗りながらも数多の名で自身を偽る臆病者! それが我らの――!」
笑みを浮かべ、敵対者を煽る言葉を並べ連ねる。
それがたとえ届かなくとも、叫ぶ事だけは止められない。
「
収束した光と力は槍の投擲によって解放される。世界を揺るがす程の一撃がただ一人を滅する為だけに放たれる。
槍の形をしてはいるが、それは目に見える形通りの攻撃ではない。
回避は不可能。防御も不可能。耐える事すら烏滸がましい。
「ぐっ、うぅぅぅぅうううううあああああああ!」
着弾の瞬間に割り込ませた翼など何の抵抗もなく貫かれ、その身を貫いた。
「……!」
だが槍の投擲者は驚愕したように僅かに目を見開いた。
敵対する者を貫いた槍は役目を終え、持ち主の元へと転移する。
貫かれ、紅く染まった羽を散らしながら堕ちていく”彼女”の口元は血に濡れ、しかし弧を描いていた。
「よもや……よもやそこまで堕ちていたとはな」
堕ちる。堕ちていく。最早この極光の中に留まる事は出来ず、重力という下層世界の理に囚われた。
「自らに流れる高潔な純血すら啜るか――
堕ち行くその身に侮蔑の言葉を吐き捨てられ、彼女は血を舐めとる。
(高潔だろうと純血だろうと、私にとってこれは……泥と同じだ)
堕ちていく。数多の勇士が目指し、憧れた頂から、彼女は力尽きた蝙蝠のように失墜した。
◇◆◇◆
「つい昨晩、およそ六年ぶりに日本でオーロラが観測された。今までの記録では日本で観測されたのは一部地域だけで、今回のように広い範囲で見ることができるのは初めての事だそうだ」
大学のとある一室。
オレンジがかった茶髪に切れ長の目、それを覆う黒縁の眼鏡。知性を感じさせる所作でタブレットを操作し、動画サイトの映像を再生しながら彼女は隣に座る少年に語る。
彼女の名は
『日本で最後に観測されたのは六年前、あの大災害と同じ時期でしたが、全国的、広い範囲で観測されるのは――』
「……それは珍しいだけであって、オカルトではないのでは?」
動画から目を離し、彩華に視線を向けて少年は疑問符を発した。
『非科学現象証明委員会』のもう一人の正規会員であり、彩華の右腕と本人に称される少年の疑問は尤もである、と彩華は頷く。
「オーロラの発生原理自体は非科学ではないとも。今回の議題に挙げたのは全国的に観測されたオーロラが何故、一部地域――つまりはこの街では見られなかったのか、だ。専門家たちはそれらしい理由を語ってはいるが、それを裏付けるものはないんだよ」
タブレットを置き、取りだしたルーズリーフを少年の前に滑らせる。其処には動画から文字に起こしたのだろう、いくつかの文章が羅列されている。
「天候や季節風の影響でこの街の上空の温度が上がって光が遮られただとか、完全に解明されていないオーロラ爆発の不可思議な作用だとか、成程。確かにそれらしい。だがね」
再び持ち上げたタブレットを操作し、彩華は一枚の絵を表示した。
「オーロラの名の由来の一つにローマ神話の女神がある。古代中国では赤い竜、西欧では神の怒りに喩えられもしている。現代人から見ても極光の輝きは神秘的に映るだろう? これも非科学から見たオーロラの姿だ」
その絵に描かれているのは鎧を身に纏い、剣を握る女たちの姿だ。即ち、北欧神話に語られる女神の集団――。
「
不敵な笑みを浮かべ、彩華は語る。少年は一拍置いて、口を開いた。
「日本にまで出張って、戦乙女も大変そうですね」
そんなあんまりな感想にキリッとした表情をふにゃりと崩し、彩華は机に腕を投げ出した。
「君はどうしてこう、夢のない感想しか出てこないんだ?
詠歌と呼ばれた少年は困ったように苦笑する。
「いや……此処は日本ですし」
「何を言う。日本には
「はぁ……そもそも僕は神様とか信じていないですし。拠り所としての宗教を否定する気はないですけど」
そう告げる詠歌が『非科学現象証明委員会』に席を置くのは会長である彩華の為に過ぎない。
詠歌には先輩である彩華にそれなりの恩があるのだが、それは割愛しよう。
「まあいい。私が求めているのは賛同者でも信奉者でもないからね。君に理解者であってほしいとは思っているが」
「努力します」
溜め息交じりに返し、詠歌は先を促した。『非科学現象証明委員会』は議論だけをする場ではない。インドア派に見えて、その実はアウトドアでアクティブでエクストリームという実にエキセントリックなサークルである(サークル紹介文原文ママ)。
「オーロラを戦乙女の鎧の煌めきだとして、何故それがこの街で途切れているのか、を考えた時、君はどう考える?」
「天の川で水浴びでもしていたんじゃないですか」
「うむ、実にウィットに富んだジョークだ。今度何か奢ってあげよう。つまりは鎧を脱いだ、或いは鎧から輝きが失われた、そう言いたいんだろう?」
そこまで考えていたわけではないが、彩華的に満足のいく答えだったらしい。敢えて訂正することもなくそれに耳を傾ける。
「昨晩のオーロラはそれは美しい煌めきだった、が最後には血のような不吉な赤色に変わり、そして消えた。赤いオーロラは珍しくないが、戦乙女というだけあって彼女たちに争いは付き物、あのオーロラは戦場の煌めきだったのではないかと思うんだ」
そこまで聞いて詠歌はこの後の展開を予測し、席を立った。
「つまり戦乙女は戦いに敗れ、その流血で鎧の煌めきが――ってこら、まだ話の途中だよ?」
「こないだの隕石探しの次は戦乙女探しって事でしょう?」
「……ふむ。君は話を理解するのは早いが、私のロマンを理解はしてくれないのだな」
咳ばらいを一つ、彩華は大仰に右手を突き出して宣言する。
「傷ついた
そうして彼女も立ち上がり、意気揚々と外へと飛び出していった。
詠歌は部屋に施錠をし、その背を追うのだった。
◇◆◇◆
何処とも知れぬ暗闇の中、”彼女”は傷つき倒れていた。
「……」
傷口から流れ出るのは血液だけではない。自身を構成する力も共に流れ出ていくのを感じる。
あの一撃は効いた。翼を盾にしたとて、防ぎきる事など到底不可能な一撃だった。
とはいえこの身は
(奴らに首をくれてやるのも癪。さりとてこのまま野垂れ死ぬのも……癪ではある)
死が奴らの与える慈悲である、などと納得できないからこそ、彼女は反逆を選んだ。
選びはしたが、奴らにとってはどちらでもよかったのだろう。素直に宣告に従えば慈悲深き行いであると称賛を、こうして反逆を選べばこの首は奴らにとって神に捧げる供物へと変わる。だが此処で孤独に息絶えてもそれでは選択した自分の意思が潰える事に他ならない。
(行き詰まりもどん詰まり。結局、生き延びるしか奴らに苦虫を食い潰させる術はない。さりとて生き延びる術は今はなし……くくくっ、成程、病で臥せた人間が心細さから神に祈る心理が少しは分かる)
痛みに耐え、どうにか体を転がし暗闇の中で天を見上げる。無論、暗闇の内では何も見えはしない。元々、今より遥か頂にあっても天の姿など見えはしなかったが。
(だがまあ……まだ時間は残っている。今は精々、弱まっていく己の命を感じながら、時を待つとしよう)
地に堕ち、刻一刻と力と命を失っていく身でありながら尚、彼女の口許には笑みが浮かんでいた。
慈愛に満ちた笑みではなく、凄惨な笑みこそが”奴ら”が最も嫌う己の表情だと知っていたから。
◇◆◇◆
詠歌たちの住む街は五つに分けられる。活動拠点である大学の存在する中央区、六割近くが山で構成される北区、海に面する南区と残りの東区、西区。
現在二人が居るのは南区のファストフード店である。
「いやぁ、中々見つからないねえ」
「適当に歩き回って見つかるなら、今頃僕たちはUMAハンターですよ」
大学を出発しておよそ三時間、時刻は夜七時程。年が明けたとはいえまだまだ日は短い。既に夕日は沈んでいた。
ずぞぞぞっ、と不満気な顔つきでバニラシェイクを啜る彩華に呆れ顔で返す。
もうまもなく二十一歳になろうという女性で、オカルト趣味という一般的ではない嗜好を持つ彩華だったが、それ以外の嗜好は実に女性らしいものだった。
そもそも普段のキャラからして大分作っている感がある、というのは詠歌の弁である。
「もう良い時間ですし、今日はそろそろ切り上げますか?」
「うぐっ、もうこんな時間か……」
オカルト、特にホラー寄りのモノは夜にこそ起こりそうだが、彩華は夜遊びというものを基本的にしない。
詠歌と同じく一人暮らしの身ではあるが、実家が厳しく、毎日夜の八時には自宅の電話に連絡が来るそうだ。
過保護だと思わなくもないが、彼女の突飛な行動を見ていればそれも無理からぬ事だろう。
「ああ、そうしようか……というか君、それに気付いてこっちに来ていたんだね」
「ええ、まあ。以前門限を破った後の会長の様子を見るとそうもなります」
彩華の住むマンションは南区、それも此処から歩いて十分程の場所にある。
以前、ツチノコ探しに夢中になって遅くなった時(ちなみに見つかったのは丸々と太ったアオダイショウであった)、門限を過ぎた事に気付いた彩華の表情は筆舌に尽くし難かった。
「面倒をかけるね……。仕方ない、今日は諦めて――」
渋々といった様子で時間を確認していたスマートフォンを仕舞おうとした時、彩華の目が見開かれた。
「詠歌君! これっ、これ!」
瞳を輝かせ、画面を詠歌へと突き出す。
「オーロラ、二日連続ですね」
そこに表示されたのはニュースアプリであり、またオーロラが観測された事を伝えていた。
「しかも昨日と同じで広がっている! オーロラ爆発だよ!」
そう興奮した様子で叫んだ後、此処がファストフード店の中である事を思い出し、小さくなる。常識も良識も兼ね備えているのだ。ただ少し、それを忘れやすいだけで。
「もし今日のもこの街で途切れるようなら、また明日探しましょう。とにかく今日は帰りますよ」
送りますから、と彩華を促すが唸るばかりで動こうとしない。
「うぅー……」
「会長」
「……分かった、分かったとも。だがエスコートはいらない。その代わり」
「……分かりました。代わりに僕が探しますから」
まるで子供をあやす様に言うと彩華はにっこりと笑った。
探すと言っても自宅への道すがらの話だが、それを知ったとしても文句は言わないだろう。そういう人物だと詠歌は認識している。
「オーロラの動きはこちらで逐一報告するからねっ。家に戻ったら連絡を入れて、リアルタイムでオペレートしよう!」
ゴミを片付け、出口前でそう言って詠歌を催促する。また忘れてしまったらしい。本人もすぐに思い出し、口元を押さえた。
「分かりましたから。帰り道、気を付けてくださいね」
念を押して、二人は店の前で別れた。
小走りで去って行く背中を見送り、詠歌も帰路へと着く。ほんの少しだけ空を気にしながら。
◇◆◇◆
闇に
忘れるはずもない。
(死してやる事が女と爺の使い走りとは、つくづく救えない)
そう呆れるも、自分にはそれらに太刀打ちする術すらない事に自嘲する。
(時間はまだあると思っていたが、余程奴らは私を消し去りたいらしい。大層な名で称えられながら、
予想よりも早い己の死期。その淵にあって、彼女は思う。
(ああ、そうだ。奴らに思い知らしめたいものだ――本当の勇士というものを)
自らが選ぶに足る、真実を。
自らが選定した、真の勇者を。
迫りくる気配。もはや毒にも等しい聖なる力に当てられ、さらに力が弱まっていくのを感じる。
「見つけたぞ、
「……ほざけ、雑兵」
◇◆◇◆
『どうだい? 何かあるかい!?』
「のどかな田園風景が」
耳に当てたスマートフォンから聞こえる彩華の興奮した声にのんびりと返す。
自宅へと通じる田舎道。詠歌の住む家は北区の端、山の麓にある。それなりに栄えている他の区と違い、この周囲は昔から変わらない片田舎の風情だった。
『ああっ、君、帰り道だなっ! ……確かにミステリーサークルとかありそうで、探す場所としては間違ってないかもだが……』
「作らないでくださいよ。普通に犯罪ですから」
会話を続けながら見上げても、昨晩と同じく空に星以外の煌めきはない。二日連続のオーロラ、二日連続の避けられた街、確かに不可思議ではあるが、そういう事もあるだろうと深く考える事はない。
『ううん……どうやら最後まで観測されていた地域のオーロラも、今消えたようだ。今夜のは極一部の地域だけだったようだね』
「夜のニュースでその辺りの説明はされると思いますよ」
彩華の言うそれらしい説明で証明されて、世間は納得して、忘れていく。それを忘れないのは彩華のような一部の人間と、専門家ぐらいのものだろう。
日蝕や月蝕、スーパームーンにダイヤモンドダスト、そういったものと同じ、一時のものだ。
『……仕方ない、今日は君も切り上げてくれたまえ。また明日、今度は別の方を探してみよう』
「はい、そうしましょう」
返答し、通話を切り上げようとした詠歌の耳に入ったのは通話の終了を示すツーツーというビープ音だった。
いくら田舎道とはいえ、電波が通じない程ではない。だが詠歌のスマートフォンもそれなりに使い古し、何度か落としたりと酷使された代物だ。こういった事もないわけではない。
スマートフォンの調子が悪い旨をメールで送信し、ポケットへと仕舞いこむ。
すっかりと陽の落ちた田舎道に、ただ彼が歩く音だけが響く。
車もほとんど通らない暗い道に何を思うでもなく、ぼんやりと歩く。
そのまま数分程歩いた時、詠歌は足を止めた。
「……?」
慣れた道、無意識に動く体、流れていく視界の風景、その中で見つけた気がした、この場に似つかわしくないもの。
足を止め、暫くそこで考える。確かに今、何かが視界に入った。
考えても無意識の記憶は徐々に薄らぎ、それが本当だったかも疑わしくなっていく。結局、無駄だと気付き、記憶を辿るのではなく歩いた道筋を辿る事にする。
ほんの数歩前、木々に囲まれた雑木林の中で見た気がしたものが夢か現実かを確かめる為に。
「……」
思わず、息を呑んだ。
あまりに現実離れしたその光景に。
木々の間から差す月明かり、それに照らされた人影。そしてその足元に這い蹲り動かない、無数の屍に。
「――――」
月光が透き通るような蒼髪の女。
言葉を発さず、しかし動く事も出来ない。詠歌の心はこの非現実を前に空白だった。どうすれば良いかも分からず、その場に立ち尽くす詠歌だったが、視線を外すことは出来ない。
時間にしてほんの数瞬だったが、酷く長い時間に感じた。先に動いたのは、その茶色いマントの蒼髪だった。
ピクリ、とその耳が動く。そこで漸く詠歌は気付く。その蒼い髪を持つ美貌も、血の滴る剣も、確かに驚愕に値するだろう。しかし何よりも異常だと感じるのはその耳だ。
人が本来持つ耳はその蒼い髪に隠れて見えない、詠歌の存在を察知したのは、その頭上に着いた二つの耳。人のモノではない、獣の耳。一番近いのはネコ科のモノだろう。
その耳はピクピクッと二、三度振動し、詠歌の方を向いた。それを追うように横顔しか見えなかった女が振り向いた。
髪色と同じ瞳。そして見た。その瞳孔が猫のように縦に細まるのを。
「――――」
女は血の滴る剣を一振りし、それを払い飛ばす。木々へと付着したそれは重力に従い、落ちていく。
そして一歩、足元の屍を気にした様子もなく踏み越えた。
声を発するものは此処にはいない。だが両者共理解していった。
女は目の前の男を殺すだろう事を。
男は目の前の女に殺されるだろう事を。
(殺されるわけにはいかない)
空白となっていた詠歌の心が出したのは、そんな当たり前の回答。
だが、その為の途中式を問いかけても心の解答用紙は埋まらない。
ならその答えに意味はない。
気が付けば女は既に目の前まで迫っていた。身長は詠歌の胸程、だがその視線が詠歌を見上げる事はない。ただ真っ直ぐに貫くであろう胸を見つめている。殺す相手の顔を覚えるつもりもなく、ただ其処を突いて終わり。そんな自然な動き。
ゆらりと剣を握る右手が持ち上げられる。それを突き出せば詠歌という人間の命は終わる。
だとしても肉体は動かず、その刃の軌跡を目で追う事しか出来ない。
――だが、その軌跡の中で見つけた。
腕と共に持ち上げられたマントが風に揺れ、その隙間から覗く光景。
「――――」
倒れ伏す屍の中、その一番奥。
だが確かに生きている。詠歌が死ねばその次に殺されるであろう命。
それを見つけた瞬間、詠歌の身体は自由を思い出した。
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