イルミネーションの片隅で
街はクリスマス気分で賑わっている。今日は祝日で、工場内は社長と誠だけだった。事務処理後、社長は階段を降りながら、
「誠、ベッピンが来たぞ」と、嬉しそうに下で清掃をしていた、誠に声をかける。社長は美智と以前に数回顔を合わせて、挨拶を交わしていた。
「じゃあ悪いが、上がる前にシートを被せといて」と言いながら、美智と軽く挨拶を交わして、前に駐車していた車と共に工場を後にした。
美智は挨拶の後、夕食の食材を片手にやってきた。いつもの休前日の日課だった。
「お前? 明日は?」誠は、外の物品に雨が掛からないように、ビニールシートを掛けに行く途中だった。夜からは雨の予報だったから。
「明日。公休日。それって、何枚もあるんだ」美智は続けてビニールシートを、食い入るようにみつめて言った。誠は美智の瞳に狂気を感じて背筋に寒さを感じてしまう。
「え? ああこれか? あるけど?」
「そう」美智は静かにそう言い終えると、先に二階に上がった。
誠は食後のシャワーの後に、美智が虚空を見ながら、壁に持たれている姿を見て、何処か違和感を感じ胸騒ぎがした。
「誠。私の言う事聞いてくれる?」美智は呟く様に発した。誠は瞬時に悟った。美智は『何かをする気』だと。
「明日、私にこの場所を貸して欲しいの。社長さんに内緒で」そして、ある物も用意して欲しいと。
「そんな……もの。何に」誠の問に対して美智は応じなかった。
「明日は早く終わるんだよね」
「えっ? ああ。午前中に終わる」以前 、誠がぼそっと発した言葉を記憶していた。「クリスマスイブは、半日になる」と。若い世帯持ちが殆どのこの職場での、社長の少し粋な計らい。だという事も併せて憶えていた。
もちろん社長に、断りもなく使用させるなんて、誠には考えもつかない事だった。
『明日何をする気だ』誠はそう訪ねたかったが、
「美智、風呂入ったのか?」これ以上は何も聞けなかった。美智は、妖しく微笑んで頷いた。
「うん。ここ来る前にね。一度部屋に帰ったの」決意を持つ美智の顔は、妖しく美しく、どんな言葉でさえも受付ない雰囲気を醸し出していた。
誠は美智の言う通りに行動するしか無い。他の道は、許されてはいない。そう思わずには、居られなかった。
「誠 来て。しよ」誠は傍にいる美智に、魂をもぎ取られ操られていく。この美しくも儚げな天女に。『望むなら、命さえもお前にくれてやる』誠はそう心に誓いながら、布団の上に押し倒すのだった。
美智は、横に眠っている誠を見て、口づけをしていた。
「誠だけを愛せたら良かったね」
「そうしたら 幸せに慣れただろうに」独り言を言う美智に対し、誠はスヤスヤと寝息を立てていた。美智自身も、気がついていた『誠を愛し始めている』事を。でも、気づくのが遅すぎた。誠が目を覚ます。
「ん。美智?」
「寒いね」
「そうか?」誠は凄く愛おしそうに、美智の頭を撫でる。
「明日誠は、私の部屋にいてくれる?」と美智は再び唇を重ねた。誠は哀しい表情を見せ「一緒に。 いてやる……」
「美智……俺を独りに……するな」と手を繋ぎながら話した。美智はこの世のものとは思えない位に、慈愛に満ちた顔で、「誠は幸せにならなきゃいけない」と抱きしめた。
「私だけの問題だから」とも。美智は決意を顕にしていた。
人の感情は時間と共に消え去る場合と、増幅される場合とがある。殺意と私怨。という感情に支配されている美智は例え、愛。に気づき始めたとしても、消し去ることは出来なかった。
身が引き締まる程の寒いイブの夜だった。
「鈴香ちゃん。いよいよ今日で終わりだね」
「大森さん。寂しくなるね」
「片岡さんも公休日なのに、有難うございます」花束を持った鈴香は涙目になっていった。午後五時半。終業時間に合わせて美智はやってきた。そして、そっと鈴香に近寄り
「大森さん聞いていい?」と問うた。鈴香はなんですか?と云う顔を美智に向けた。美智は妖しく笑い発す。
「博文ってまだ、鼻を舐める癖あるの?」鈴香は凄く驚いた表情を見せた。そして美智は続ける。
「今日。掃除したら、博文の私物が沢山出てきたの。捨てられないから、 持って帰って欲しい。ごめんね。持ってきたら良かったね」と。
職場から美智の部屋へは三駅。鈴香の住まいとの中間に位置していた。電車の中で、鈴香が先に話しをしてきた。
「知りませんでした。博文さん何も言わないから」
「昔の事だから。それよりご足労かけたね」
「こんな日に、早く帰りたいよね」鈴香はかぶりを振り、
「大丈夫です。帰り道ですから」と笑顔で発した。
美智は最後までこの子は苦手だった。自分が無知という罪を犯している事も知らずに、日々を暮らしている。美智という存在を消し去って、未来永劫、博文と共に暮らす。 美智はその未来を奪うために、鈴香と共にいる。
「だからこの間、来られなかったのですね。我が家に」鈴香は済まなさそうに言った。美智は思わずふっ。と笑った
工場の近くまで来ると、美智は目を見張った。誠が前に佇んでいたからだ。そして、なんの躊躇いもなく鈴香を襲った。
「だ、誰!」鈴香は後ろから、羽交い締めにされ、シャッターの下りている、工場内に引きずられる。従業員出入り口を通る際に花束が床に落ちた。美智は瞬時に悟った。
『誠。いけない! 貴方は手を汚さないで』美智は心で叫びながら、誠をスタンガンで気絶させる。そして、階段の傍で床に倒れこんだ誠に、上着をかけた。美智はゆっくりと入り口を閉め、鞄の中から刃物を取り出し、美智は鈴香と云う『的』に近づいた。
「か、片岡さん」誠の傍で、恐怖で地面に倒れ込み怯えて見つめている。『的』。
その髪の毛を鷲掴みし身体を引きずる。美智は鬼になっていた。
「や、やめて」『的』は叫び声を上げるが、遮断されている外の世界には、決して届きはしない。美しい鬼はシートが轢いてある、所定の位置まで引きずり、恐怖でおののいている『的』に妖しい笑顔で囁いた。
「あなたの首 博文にプレゼントするね」と。
恐怖で腰が引け、立ち上がれなくなった『的』を見た鬼は、再び髪を掴み顔を押し上げる。泪で濡れている疎ましい顔に、刃物で憎しみを込めて斜めの線をいれた。斜めの線から紅い液体が噴出し、顔面の激痛に耐えられないで あろう『的』の大きな悲鳴が、静寂な工場内に響き渡る。必死で逃げようと、身体を起こそうとするが、無駄な行動だった。鬼は殺意という感情と共に、『的』の腕を掴み、身体を引き寄せ、渾身の力で、豊満な胸元を刺していく。今まで尋常ではない、叫び声と共に、必死で抵抗していた『的』は、紅い液体を吹き出し、紅色に染まっていきながら倒れこんだ。
「お前を許せない」鬼は叫びながら、もう一度刃物を振りかざし、身体全体を支配していた憎悪を注ぎ込むかのように、刃物を胸に刺し込んだ。引き抜くと液体は、留まる事を知らないかの様に吹き出していった。動かなくなった『的』を確認した後も、何度も何度も取り憑かれた様に鬼は刺し込んだ。
やがて、工場内は静寂になった。
鬼は誠が用意していた電動チェンソーを持ち『物体』の首に近づいていく。身体全体を覆いつくしていた、私怨という感情を纒った鬼は、肉と骨を裂く音を工場中に響き渡らせている。飛び散る肉片や言いようのない異臭も気にならなかった。紅い液体や、肉片がビニールシートの上に飛び散り、鬼にも降りかかる。それを気にも停めない様子で、取り憑かれたように『作業』を続けていた。
『作業』を終え 倒れていた誠を見入る。まだ気がつかない。紅く染まった鬼は、美智と云う人間に戻っていった。
『良かった何も見ていない』美智は安堵した。今迄はめていた手袋を、肉の塊が入っている。ゴミの袋に投げ入れる。そして、紅い刃のチェーンソーをシートで包み、工場のゴミ置き場の中に入れていった。何も無かったかのように、工場の中は静まり返っていた。
紅く染まった美智が、誠にかけていた上着を取り、立ち去ろうとした刹那に、足首を掴まれた。
「み 美 、智。逝くな。俺も……一緒に ……愛し、ている」絞り出す様な声で、美智に愛を告げる誠。美智はまだ起き上がれない、誠の頭を撫でながら聖女の様に囁いた。
「誠の愛にもっと早くに、気づいたら良かった 」
「最期に空っぽの私を愛してくれて 、人間にしてくれてありがとね」その言葉の後に美智は、頬を温かい物が伝わってくのを、感じていた。
「愛しかけてたよ ……」そして何か誠に言葉をかけて工場を跡にする。首元に携えていたスカーフが、風に靡いていた。誠は再び、気が遠くなるのを感じていた。
街はイルミネーションで輝いている。所々にクリスマスソングが響き渡るのを聞きながら、美智は博文から言われた言葉を、思い出していた。
『全ての出会いには、意味があるんだよ』
「教えて欲しい」
「二人の出会いは、なんの意味があったの? 私を殺人鬼にする為に出会ったの?」美智は、左手の鈴香の頭が入った袋が、やけに重たく感じ自然に涙が出た。
全てを終わらす為に博文の部屋へと向う。美智の中で博文を許す選択枠など、無かった。
『どんな言葉でも良かったから、最後にきちんと話をして欲しかった。存在を無視するのは、最大の罪』博文の罪を裁く為に……そして、人の未来を奪ってしまった、美智自身の処刑を執行する為に、イルミネーションの片隅にある、部屋のインターホンを鳴らす。
翌日の正午過ぎ。誠はニュースの報道にて、美智が死亡した事を知った。刺された男は意識不明の重体。傍に身元不明の、分断された頭があった事も併せて報じられていた。その背中には、ゴミ収集車の音が鳴り響いていた。
『美智。一緒に逝きたかった』最後の夜を思い出す。
『誠は幸せにならなきゃ』との美智の言葉を。
「お前を失って 、美智。どうして幸せになれる?」誠は誰もいない空間で、叫びながら、壁に頭をぶつけ嗚咽していた。
『美智を救う事が出来なかった自分自身』を呪い続けながら。
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