第四話 孤児院での出来事



 アニが家主を務めているこの家は、俗に孤児院と呼ばれるらしい。

 親から捨てられたり、戦争によって両親を失ったり、あるいは俺のような【魔物】に襲われて天涯孤独となった子供たちを引き取り、暮らしているのだという。

 つまりは、血縁関係のない者たちが共同生活をしている、ということだ。


 そう。それは、ブラウン家が身寄りのない俺を引き取ってくれたように。

 語弊はあるかもしれないが、どこの馬の骨ともしれない人間を引き取るということは、こうして考えてみると凄いことなのだ。俺たち魔物では、こうはいかない。魔物という生物は、こういった場合には切り捨てることを選んできた。何故なら、足手まといな小を切り捨てることで自分たち、すなわち大が守られるのならば、そうした方がのだから。


 その方が、合理的だと。そう言えるから――


「スライくん? どうしたの?」

「――ん? あぁ、ごめん。何でもないよ」

「ほんとぉ?」


 つい、【スライムぜんせ】の最期の出来事に思いを馳せて、ボーっとしてしまっていたらしい。目の前の、赤い髪をお団子にした少女――シータに心配されてしまった。シータはそばかすのある幼い顔に、不安気な色を浮かべてこちらを覗き込んでくる。

 しまった。こんな顔をさせてしまっていたら、アニに怒られる!


「ホントだって! ほら、さっさと洗い物終わらせて、外で遊ぼう!」

「あ――うんっ!」


 俺はそう言って笑顔を作り、シータの頭をそっと撫でた。

 すると少女は一瞬小さな声を発した後、満面の笑顔でそれに応えてくれる。相手が素直なシータでよかった。これで今日の食器洗いの担当が、イタズラ坊主のマーサだったりしたらどうなっていたことだろうか。――考えるだけで、恐ろしい。


 などと考えていると、また手が止まってしまうので忘れよう。うん。

 そんなこんなで俺は今、朝食後の食器洗いを行っていた。この孤児院では当番制で家事をしており、ある子は布団を干したり、またある子は洗濯をしたり、さらにまたある子は部屋の隅々まで掃除をしたり。アニが不在だというのに、みなサボることなく役割を果たしていた。


 ただそれは、俺のようなアニへの恐怖心から行うモノではなく。各々が全体のために、そうして働いている。そのように思われた。


「さぁ、終わった! それじゃ、外で遊ぼうか!」

「――うん! 先に行ってるね、スライくんっ!」


 俺が最後の一枚を片付けてそう言うと、シータは再び笑顔を見せてから台座を飛び下り、外へと向かって駆け出す。その後ろ姿を見送って、俺はふっと、息をついた。

 そして、歩き出そうとしたところで――


「――なーに、隠れてるんだ?」

「うげっ!?」


 とある人の存在に気付いた。

 俺がその人物の隠れている場所――こちらからはちょうど死角になる、大きめの棚の後ろだ――に歩み寄りながらそう言う。すると、そこには先ほどのシータと歳の差がないであろう黒い短髪の少年の姿があった。


「マーサ? どうしたって、そんなトコに隠れてるんだよ」

「う、うるせぇ! お前なんか嫌いだっ!!」

「はぁ? なんでだよ」


 俺が声をかけると、少年――マーサは頬に絆創膏を貼った、ヤンチャそうな顔をぐいっとこちらへ向けてそう叫ぶ。その内容は理解不能なモノであったが、少なくとも彼が起こっているのは分かった。しかし、嫌われる理由なんてまるで見当もつかないが。


 ――むぅ、謎だ。

 初めて会った時からそうだったし、ここは一つ、その疑問を解決しておく必要があるのかもしれない。そんなわけで、俺は少年の返答を待った。

 すると、である。

 何故だろうか、彼は顔を真っ赤にして――


「う、うるせーっ!! お前にアニ姉ちゃんも、シータも渡さないからな!!」


 そう、大声で言い放って外へと駆け出して行ってしまった。


「……はい?」


 俺は首を傾げることしか出来ず、その背中を見送る。

 どういうわけか、結果としてさらに謎が深まってしまった。俺がシータとアニを、何だって? 奪うとでも言うのだろうか。そんなこと、あるはずもないのに。

 と、いうか。そもそも――


「――渡さないって、どういう意味だよ」


 

 だが、考えても仕方ないので、俺は釈然としない気持ちを抱えながらも、子供たちの集まる外へと向かう。

 どうにも、やはり【人間】とは難しい生物であるようだった。


◆◇◆


 さてさて。

 一通りの家事を終えると、ここ数日と同じく外へ出て遊ぶ。人間の子供とは元気なモノで、体力がなくなるまで走り回る。それに注意していないと、興味を引かれるモノに吸い寄せられるかのように、そちらへと向かってしまのであった。中には危険なモノ、あるいは場所に近づいていく子もいて、常に気を張っていなければならない。


 それを怠ると、大変なことになる。

 例えば――


「――お兄ちゃぁぁぁぁぁぁんっ! うわぁぁぁぁぁぁんっ!!」

「だーっ! どうやってそんな場所に行ったんだよ!?」


 これ、このように。

 どこからどう登ったのか、それは不明だが一人の女の子が屋根の上から降りられなくなっていた。そこそこの高さがあるはずなのだが、子供の好奇心とは侮れない。

 そんなわけで、救出に向かおうと思うのだが――


「お前ら……何をそんなに、期待した目で俺を見るんだ?」


 ――何故だろうか。

 子供たちがキラキラとした眼差しをこちらへと向けてきていた。

 俺がそれを疑問に感じていると、シータが苦笑いをしながらこう教えてくれる。


「あのね? アニお姉ちゃんだったら、ぴょーんって、ジャンプして助けるの。だから、みんなそれが見たいんだと思う」

「あのねあのね! アニちゃんはね、すごいんだよ!」

「うん! かっこいいんだぁ!」


 するとそれに呼応して、子供たちは異口同音にアニへの賛辞を送った。

 なるほど、アニの【身体強化】の【能力スキル】か。たしかに、アレを使えば並の人間だって、こんな高さくらい余裕で越えられるだろう。ともすれば、俺もそれに倣うとしよう。


「実は、さ。俺も――」

「出来るわけねぇーって! コイツに、アニ姉ちゃんみたいなこと!!」

「――……え?」


 そうして、俺がみんなを安心させようとした。その時だ。

 マーサが、そんなことを言ったのは。


 彼は口をへの字に曲げて、詰まらなさそうにこちらを睨み上げている。腕を組んで、足を軽く上下させるその様子からは、苛立っていることが伝わってきた。どうやらマーサからすると、俺が頼られ、注目されている現状が気に食わないらしい。

 だが、それは理解できないこともないモノである。俺だって【スライムあのころ】は、【分裂】の使える仲間を内心、快く思ってはいなかった。


 劣等感、と言えばいいのだろうか。

 そういった感情は、抱いてもおかしな話ではないように思えた。だから、俺はマーサのことを気遣って、言葉を変えようと――


「こんな役立たずなボンクラに、出来るわけねぇよ。だって、だぜ? こんなに、アニ姉ちゃんみたいなこと、出来るわけねぇっての!!」

「……………………」


 ――……思ったんだけどなぁ。

 つい、マーサのその言葉に反応してしまった。

 あぁ? なんだって? 誰がだって?

 俺はこめかみの辺りが引きつくのを感じた。理性という留め金が、いとも容易く弾け飛ぶ。我が筋肉を愚弄する者には、女子供関係なく裁きを下さなくてはならない。


 だがしかし、それは暴力という形ではなく、もっと精神的な部分で。

 すなわち――


「キャーっ! スライお兄ちゃん!?」

「お、お前! 何、急に脱いでんだよ!!」


 ――……圧倒的なその差を、見せつけることによって。

 見よ、この隆起した広背筋を。見よ、この鍛え上げられた上腕二頭筋を。

 大胸筋に力を込める。絞り上げるほどに俺の期待に応えて、彼は天へと向かって咆哮を上げた。僧帽筋、腹直筋、腹斜筋、上腕三頭筋、さらには大腿四頭筋もまた、あたかも獣のように唸りを上げる。


 子供たちは驚き、目を見開いていた。

 それは、そうであろう。【人間】の俺は着痩せするタイプであると同時に、今までこんな姿を見せたことなどなかったのだから。


 そう。俺は今この時に、初めて己が存在価値きんにくを示していたのだ――。


「さぁ、始めようか――」


 脚に力を込めた。

 熱が満たされていく。それと共に、締め上げるような痛み。しかし、それは快楽へと向かうまでの瞬間の苦痛に過ぎない。


 そして俺は、とうとうそれを解放した――ッ!


「――宴をッ!!」


 声を張り上げ、上へ。

 しかしそれは、決して重厚なモノではなく。

 むしろそれは、とても軽快なモノであった。

 タンっ――という音と共に、身体は中空へと投げ出される。引力に逆らい与えられる浮遊感に、刹那、身を任せた。そして、着地点を見定める。


 俺の身体は屋根までの高さを、数メートル越えていた。

 やり過ぎたかもしれないが、今はどうでもいい。来たる引力という反動に備えて、膝から力を抜いた。そうしていると、ついに落下が始まる。

 そして――


「――……ふっ!」


 俺は音もなく、すっかり泣き止んでしまった子供の前に舞い降りた。

 さっきまで活気に満ちていた孤児院が、瞬間に静寂に包まれる。だがしかし、それは間もなく、誰かのこの一言によって破られるのであった。


「……すごいっ!」――と。


 その直後、俺には拍手喝采が。

 子供を抱きかかえて大地へと降り立つと、他の子供たちが俺のことを取り囲む。そして口々にこちらを賛辞する言葉を投げかけてきた。


 あぁ。最っ高の気分だ――。


 俺は【人間いま】の姿になってから、これまでで一番の昂揚感に酔っていた。周囲の声が遠い。自分以外の存在すべてが、まるで己を引き立てているのではないか、その舞台装置なのではないかという錯覚。


 そう。この時の俺は、完全に自分に陶酔していた――。


 だが、これでも問題ないと考えていた。

 すべてのコトが丸く収まったのだと、そう思っていた。





 数日後に、あのような事件が起こる。

 その時までは――



 ――俺は気付くべきだったのだ。

 歓声を上げる子供たちの中で、一人だけ。

 面白くなさそうに、舌を打っていた少年がいたことを――



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る