エピローグ 2 新しい【家族】



「お帰りなさいませ――スライ様。此度の旅は、いかがでしたでしょうか?」


 赤色の光が収まったかと思えば、そこはもはや見慣れた景色。

 【魔王】としての身体が座する玉座と、その前にて片膝をつくフーコの姿だった。俺は少しだけ顔を拭い直してから、彼女の方へと歩み寄りながら言う。


「あぁ、とても良い旅だったよ」――と。


 それを聞くと、フーコはゆっくりと立ち上がった。

 目深に被ったフードをほんの少しだけ揺らしながら、彼女は首を傾げるような仕草をする。それはきっと俺の表情を見て、不思議に感じているからだろう。あぁ、俺だって不思議な感覚だった。

 なにせ、自分が泣くことになるなんて思ってもみなかったから。


 最初は、ロマニさんの命が助かったと分かった時。

 二度目は、クリムとロマニさんとの別れを決めた時。


 嬉しいという感情。そして、悲しいという感情――それらは【スライム】時代には感じられなかったモノであった。そして【魔王】となった今も、【人間】としての生活を体験してみなければ、得ることが出来なかったモノであっただろう。


 何しろ【スライム】――もとい、自分を含む【魔物】という存在は、私利私欲、あるいは徹底的な合理性によって生きている。それはそれで正しい、とは思う。だがしかし、【人間】としての不安定さは儚くも、とかく愛おしく感じられた。


 これはまた、それで正しい。いいや、素晴らしい在り方だ。


 俺はふと、【魔王】としての己の肉体を見つめた。

 否――正確には、その【魔王】の肉体に宿っていた先代の【魔王】の魂について考えたのである。いったい彼は何のために、何を思い、何を考え、その最期に【人間】について学ぶことを選択したのだろうか。それはもう、答えの出ないモノのように思われたが、考えずにはいられなかった。


「どうか、されましたか? ――スライ様?」

「あ、あぁ……ごめん。心配させちゃったな」


 そうしていると、フーコがもう傍らに。

 そして、俺のことを気遣うように見上げていた。それはまるで――


「――ありがとう。大丈夫だから」


 クリムのように、思えて。

 俺は自然と、ロマニさんが俺にそうしたようにフーコの頭を――布越しではあったが――撫でていた。無意識なそれは、俺たち双方が困惑する。フーコはびくりと肩を震わせて、俺は思わずその手を離してしまった。


「ご、ごめんっ! 気を悪くしたか?」

「い、いえ……その、すみません。突然だったモノで」


 フーコはこちらに背を向けると、俺に撫でられた箇所を両手で押さえ付ける。

 その姿は恥ずかしがっているようだったけれど、どこか滑稽で、思わず俺は失笑してしまった。すると彼女はこちらを振り返り――


「――な、何を笑っておられるのですか!?」――と。


 そんな、抗議の声を上げた。

 普段、淡々と話す彼女にしては珍しい。

 明らかな動揺と、羞恥心がそこからは見て取れた。


「スライ様! 理由を説明して下さいっ! ワタシには分かりません!」

「い、いや――ごめん。ごめんって! ふふっ」

「また、笑いましたね!」


 そして果てには怒りだしたものだから、俺はついに我慢できなくなってしまう。

 俺はそれをなだめるようにして、またポンポンと、彼女の頭を撫でた。

 すると途端に小さく、大人しくなってしまうものだから――


「――ごめん。その、フーコがあまりに可愛くて、さ」


 つい、そんなことを言ってしまった。

 するとフーコはポカンと、鳩が豆鉄砲を食らったかのようになる。

 おっと、今のはさすがに失言だったのだろうか。随分と【人間】としての生活に慣れてしまったために、思わずポロッと出てしまった。それは、クリムに対して常々感じていたことでもあったのだけど――うん。今のフーコには、それと似た感情を抱いている。


「スライ様――よく、笑うようになられましたね」

「えっ……?」


 そう考えていると、だ。

 フーコが、どこかで聞いたような台詞を口にした。

 そう。それは、俺がある日の夜に、クリムに言われたことだった。それを思い出すと、不意に懐かしい感情に駆られる。

 そうだった。たしか、あの夜に話したのは――


「そっか……ありがとう」


 ――【家族】について。

 俺はフーコに感謝の言葉を述べつつも、思い出す。

 たしかあの日は、俺が不用意なことを言って、クリムを泣かせてしまったのだった。だけども、【家族】という繋がりを認識できた、そんなありがたい一日であったとも思う。


 あぁ、そうだ――そうしよう。


 俺は、あることを今、決めた。

 それは、何と言うことも――別段、特別なことではない。

 フーコにも話してあげよう。俺が何を見て、何を経験したのか。


「スライ様、何がアナタをそこまで変えたのか、教えていただけますか?」


 どうやら、彼女もそれを望んでいるようだった。

 まぁ、この子の場合は知的好奇心によって、というところが大きいと思うけど。それでも、それならもう決まりだなと、そう考えた。

 だったらその前に――


「じゃあ、その前に……フーコ。一ついいか?」

「はい。何でしょうか?」




 ――俺たちの関係を変えていこう。

 そう。主従ではなくて――




「――俺たち、【家族】にならないか?」


 そう。あの温かな時間を得られるように。

 俺は彼女に提案した。

 そして――


「――【家族】、ですか?」


 不思議そうにする彼女に、俺はこう畳み掛ける。

 だけどそれは、以前から思っていたことでもあった。


「だから顔、見せてほしいな」――と。


 その言葉を聞いて、フーコはハッとした様子になる。

 しかし、一つ、二つとうなずいて言った。


「了解しました」


 その一言は、まだまだ【家族】というには程遠い距離感ではあった。しかしその感覚は、最初の頃の俺とクリムのようでもあり、懐かしい。




 ――そう。ここから築き上げていけばいいんだ。

   新しい、俺たちの関係を――




「――それでは」


 言って、フーコは被っていたフードを外した。

 果たしてそこから現れたのは――




 ――白い、無垢な【人間】の少女であった。

   穢れのない、白き【人間】の少女――



 ――新雪のような髪に。

   白磁のような肌――



 ――金色と蒼色の瞳――



 ――そしてそれが、俺とフーコの出会い――




「初めまして、で良いのでしょうか? ――――スライ様?」






 柔らかく微笑む少女。

 俺はただ、言葉を失ってそれに見惚れているだけだった。



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