第七話 夢と約束



 気付けば、季節も移り変わろうとしていた。

 肌に触れる風の感触も、次第に鋭く、刺すようなモノになっていく。それは秋から冬へ、その自然様式を進めようとしている証拠だった。【人間】になって初めて覚えるその感覚。俺はその感慨に耽っていた。


 畑での日常となった作業を一時中断して、天を仰いだ。今日は晴れていながらも、雲が多少その輝きを覆って、遮っている。しかし、その流れは速い。もしかしたら、じきに綺麗な晴れ間を望めるかもしれなかった。


 さて。

 そうしていると俺に声をかけてくる人があった。クリムだ。


「スライく~んっ! もうすぐお昼なんだけど~っ!」


 彼女はそう言いつつ、パタパタと俺のもとへ駆け寄ってくる。

 そして、隣までやって来て不意にしゃがみ込んだ。そして――


「――……あっ!」


 と、何かに気が付いたように声を上げた――かと思えば、嬉しそうにこちらを見上げてくる。次いでプラキア葉が生い茂るその中を指差した。なので俺もしゃがみ、彼女の指のその先を追いかける。

 すると、そこにあったのは、小さな小さなつぼみだった。


 直径一センチにも満たないそれは、三つが束となって、身を寄せ合うようにして生っている。新緑の初々しい輝きを放ち、未成熟ながらも生命の息吹を感じさせるそれは、どこか見ていて微笑ましかった。

 クリムから以前聞いた話によると、このつぼみはそれぞれに赤い実をなしていくとのこと。そして、新雪の中で、それに負けないように辛み成分を宿していくそうだ。


 しかし、クリムの笑顔には、それ以外の意味があったように思えた。

 だから俺は、それを訊ねてみることにする。


「つぼみ、だな。これがどうかしたのか?」

「えへへ~っ! 実はね、こうやって三つのつぼみがくっ付いてるのって、珍しいんだよ!」

「へぇ……そうなのか」


 なるほど、笑顔の意味はそこにあったのか。

 俺はそう思い勝手に納得する。――が、クリムはこう続けた。


「これ、なんかアタシたちみたいじゃない?」

「え? それって、どういう……」


 俺は困惑する。

 このつぼみが俺たちのようだ、とはどういうことだろう?

 それを問いかけようとすると、クリムはにっこりと微笑んで答えを教えてくれた。


「んっとね? まだ出来たばっかりだけど、こうやって身を寄せ合って一緒に生きてるでしょ? それって、アタシたちみたいだなぁ……なんてっ!」


 そこまで言って恥ずかしくなったのか、彼女は苦笑する。

 あぁ、しかし。その説明で十分に理解がいった。つまりは、こうだ。

 彼女はまだ熟していないプラキアのつぼみを見て、俺たちと重ねた。たしかに俺たちは【家族】として未成熟だ。それでも、こうやって協力し合いながら生きている。その姿を、クリムがどう感じているかは分からないが――少なくとも、俺には良いモノに感じられた。


 だから、自然と――


「――俺たちも、こうなれたらいいな」


 そう口にしていた。

 そうだ。まるで、このプラキアのつぼみのように。

 いつかは熟して赤い実となるように、俺たちもそんな【家族】になれたら、と。


「【家族】は常に互いを想い、助け合うべし――なんてねっ!」

「えっ? それ、なんだ?」


 そう考えていたら、クリムが立ち上がり胸を張ってそう言った。

 俺はその唐突な宣言に、つい驚いてしまう。しかし、そんな俺の表情が面白かったのか、少女は「えへへっ」と笑って後ろで手を組み、前かがみになって俺を見た。そして、俺の疑問に答える。


「これね、お父さんの口癖――と言うか、家訓、みたいなモノかな? 【家族】ってのは、お互いのことを大切に考えて、守り、守られるものだー、ってね」

「なるほど、な……」


 それを聞いて、俺は思わず口角が上がってしまった。

 なるほど。たしかに、ロマニさんが言いそうなことだ。彼は見ず知らずの俺のことを拾って、置いてくれている【人間】だ。そして、先日聞いた過去もある。

 あんな経験をした彼ならばこそ、説得力のある言葉であるように思えた。


「だから、その……この間は、ごめんね? スライくん」

「えっ? なんのことだ?」


 心温まるのを感じていると、不意にクリムから控えめな謝罪の言葉。

 俺は今日二度目の驚きの声を上げてしまった。何故なら本当に、彼女から謝られることなんてされた覚えがなかったから。こちらは、目を丸くするしかなかった。

 だけども、少女は心底申し訳なく思っているのか、目をキュッと閉めている。


「どうしたんだ? ほら、頭を上げて……」

「う、うん。あのね――」


 仕方なしに、俺は立ち上がって彼女に訊ねることにした。

 クリムに頭を上げさせて、同じ視線になるよう腰を屈める。そして頭を軽く撫でてやると、彼女はようやく、おずおずとではあるが話し始めた。


「――この間。お話の途中で、部屋から追い出しちゃったでしょ? だから……」

「あぁ、あれか……」


 俺はそう言われてようやく思い出す。

 そうだった。彼女とはまたこうやって話せるようにはなったが、あの時のことはお互いに何も話し合っていなかった。しかし、アレはこちらが一方的に悪いように思える。

 無神経に、少女の心の中に踏み込むようなことをしたのだから――


「あれは、俺が悪かったよ。その――」

「――違うの! そうじゃないの……」


 ――だから、こちらから謝ろうとしたら。

 クリムは、大きく首を左右に振ってそれを否定した。

 それは違うのだ、と。そう、俺の言葉を遮るようにして声を上げた。


「あの時、泣いちゃったのは……思い出したからなの」

「思い、出した……?」


 俺はその言葉に、一瞬ドキリとする。

 それはつまり、ロマニさんが俺に話した惨劇のことを、だろうか。だが、もしそうであれば、彼女にとっては辛い思い出のはず。こうやって話そうとは思わないはずだった。

 それなのに、彼女は俺に話そうとしている。


 意味が分からず、俺はもう、それを黙って聞くしか出来なかった。

 それを確認してから、クリムは大きくうなずく。

 その目には、決意があった。


「うん。思い出したの――泣きじゃくるアタシのこと、あやしてくれた人がいたこと。それと、これはあまり覚えてないけど、きっとアタシのことを守ってくれてた、ってことを」

「守って、くれた……?」


 俺は、言葉を繰り返す。

 すると、少女はどこか困った風に笑いながら言った。


「変、だよね……お母さんはアタシを産んですぐ亡くなった、はずなのにね」


 寂しげな目をしながら、頬を掻くクリム。

 その表情を見ているとどこか、俺の胸の奥に熱くなるモノがあった。

 その正体は、俺には分からない。けれども、今こうして目の前にいる少女のことを、この少女の『心』を救いたいと、そう思った。


 だから――


「――探そう。その人のこと!」

「え――っ!?」


 つい、そう口走っていた。

 叶えようもないような、そんな夢物語を。


「【家族】は助け合い、だろ? だから、いつか俺がこの村を離れる時が来たら――」


 ――だけど、止まらなかった

 どうすればいいのか、それは分からない。

 だけど、だけど、だけど、どうしても止められなかった。


「スライくん……」


 俺はいったいどんな表情かおをして話しているのだろう。

 クリムはハッとした顔をして、胸に手を当てていた。そして――


「――ありがとう。スライくん」

「クリ、ム……?」


 そう、俺の言葉を断ち切るようにしてそう言った。

 俺は言葉を詰まらせる。次いで、少女のことを見ると、彼女は――笑っていた。


「それじゃ、指切り――だね」

「……指切り?」

「そ、約束のおまじない」


 クリムはそう言って、小指を立てて俺に差し出す。


 それに釣られるように、自然と俺も小指を差し出していた。すると、彼女は小指どうしを絡ませて、こう唱える。「指切りげんまん」――と。


 それの意味は分からなかったが、それでも少女の『心』の救いになるというのなら、と。俺はそれに身を委ねた。そして「指切った」――と。


 俺たちの繋がりは、断たれた。

 しかしどこか、物理的ではなく、不思議な繋がりが生まれた。


 俺には、そう思えた。


「えへへっ、それじゃ! 約束だよ、スライくん!」

「えっ! あ、クリム!?」

「お父さんのこと、説得するのは大変だよっ! 頑張ろうねっ!」

「あっ、もしかして――」


 ――ハメられた!?

 俺は突然に駆け出したクリムを、目で追いながらそう思った。

 たしかに、先に行ったのは俺だ。だけど、少女の笑顔はどこか悩みが晴れたような、あるいはどこか決心がついたかのような。そんな表情に見えた。


 叶えようのない夢。

 どこまで本気なのか、それは分からない。

 それでも、彼女は何か目的を見つけたような様子であった。


「………………」


 これで、よかったのだろうか。

 俺はもう見えなくなったクリムの背中を見送りながら、そう思う。だけども、きっとこの願いは俺がこの村を離れない限り、前には進まない。それなら、まだ考える時間はあるだろう。


 それに、そう。

 俺の目的は、あくまで【人間】について学ぶことだ。

 それだけなら、この村から離れる必要も、その願いを叶える必要も――きっと、ない。そこまで気に病む必要は、ないはず。そのはず、だ。


 ――そう、俺は考えることにした。

 自分には、どうしようもない問題だと――



 だけども、思ってもみなかった。





 ――その前提を揺るがす事件。

 それが、もう目の前まで迫ってきていたことを――



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