第26話 約束だよ

 夢みたいな時間が終わるのは、呆気ない。

 夢から目が覚めるのは、ほんの一瞬。

 今ソモルの、淡くて優しい夢が終わる。



 俺とラオンの、時間が終わるんだ……。

 何だ、変だな……。俺、全然駄目だ。言葉が、浮かばねえ。



 もう、これでお別れなのだと思うと、何も言葉が出てない。

 伝えたい事は、数え切れない程幾つもある筈なのに。


 気のきいた言葉でとか、そんな事はもう意識しなくていい。

 自分の正直な気持ちを言葉にすればいいだけなのに。


 気持ちはぐるぐると溢れ返っていた。なのに喉でつっかえたように、言葉に変わらない。苦しくて、破裂しそうに心は張り詰めているのに。


 何も云えずに、ソモルは黙ったままラオンを見詰めていた。


 もうこれっきり、二度と会えないかもしれないのに……。


 今この眼に刻みつけたラオンの形が、急に現実から遠い場所に離れてしまったように揺らいだ。



 大好きな、ラオンの形……。



 俺たちもっと大人だったなら、何か変わってたのかな……。


 苦しいな……。苦しいよ、どうすればいい……?


 本当ほんとはこんなの、嫌なんだよ。

 これが最後かもなんて、そんなの納得できるわけねえじゃん。


 もっとずっと、傍に居たいんだよ! 一緒に、居たいんだよ!


 本当はお前の事、一生守ってやりたいって、本気で思ってんだよ!


 離れたくねえ……。


 ずっと、俺の傍に居ろよ……。



 ……って、そんな事、絶対云えるわけねえじゃん。

 本当の本当、俺の本心。だから尚更、そんな事云えるわけもねぇ……。



 せめて、好きだって云えたらいいのに……。


 好きだって云った場合と云わなかった場合、どっちが後悔するだろう……。




「ソモル」



 言葉を忘れたように黙り込んでいたソモルより先に、ラオンが口を開いた。

 心地好い、ラオンの声。ソモルの名前を紡ぐ、ラオンの声。



「すっごく楽しかった! ありがとう、ソモル」



 そう云ってソモルを見たラオンは、今日一日の中で一番最高の笑顔を浮かべていた。


 ソモルの張り詰めていた感情の線が、酷く揺らいだ。

 隙を突かれたように、涙腺が弛みそうになった。


 ソモルは奥歯を噛み締め、ぐっと堪える。

 ラオンの前で泣くなんて、そんな恥ずかしい事はできない。


 だって俺、男だから。



 弛みそうになった涙腺をごまかすように、ソモルも最高の笑顔で応える。



 感情が、交差していた。


 いとしい、苦しい、切ない。離れたくない、離れたくない、離れたくない……。


 そして結論は、たったひとつの感情に辿り着く。



 俺は、ラオンの事が好きなんだ。




 言葉にしなければいけない。ラオンに、伝えなきゃ。


 俺の、たったひとつの気持ちを。


 ラオンに…………。




「…………ラオン、俺………………」




 言葉を紡ぎかけたソモルを、ラオンは綺麗な翡翠ひすいの眼で見詰めていた。


 ソモルも、ただ真っ直ぐにその眼を見詰め返す。



 息が、苦しい。

 心臓が、ソモルの事を邪魔するように凄い勢いで、内側からどっどっと打ちつけてくる。



 このまま破裂して、死んじまうかもしれない。

 今死んだら、俺、きっと成仏できねえな……。


 だって肝心な事、まだなんにも伝えてねえ。


 せめて、せめてこれだけは、云わなきゃ……。




「…………また、会えるよな」




 結局、こういう逃げ方をしてしまう。肝心なところで意気地無しだ。


 けれど、これでもう二度と会えないなんて絶対嫌だ。

 また一年半……それ以上の時間が空いたとしても、我慢する。我慢するから。


 だからもう一度、もう一度会いたい。


 そう、強く強く思う。




 ラオンは、ソモルの眼をじっと見ていた。真っ直ぐに、逸らす事なく。


 何だか、急に恥ずかしくなった。

 けれど、ソモルもラオンの眼を見詰め返す。もう眼が合っても逸らさない。そう決めたから。


 刹那、ラオンの顔がふっとほころんだ。



「また絶対会いに来る。約束ね」



 そうだ俺、その言葉が聞きたかったんだ。ラオンの声で。


 またうっかり、涙腺が弛みそうになった。



 今日の俺、ヤバイや…………。



「ソモル、これ」



 ラオンはズボンのポケットから何かを取り出して、手のひらをソモルの方に差し伸べた。広げたラオンの小さな手のひらの上には、5ムーアコインが一枚乗っていた。



「これ、ソモルにあげる」


 ラオンの意図が判らず、ソモルは差し出された5ムーアコインをきょとんと見詰めた。



「おまじないだよ。自分の生まれた年に造られた5ムーアコインをもう一度会いたい人に渡すと、また必ず会えるんだって」


 ラオンは、嬉しそうに教えてくれた。



「そう、なのか」



 占いやらまじない、女の子が好きそうなジンクス。ソモルはそんなもの、全く信じていなかった。なのにソモルの手は、いつの間にか自分の小銭入れの中の5ムーアコインを必死に探っていた。


 ジンクスとかまじないなんて、信じてなどいない。むしろ馬鹿にしていた。けれど今は、そんな頼りない希望にでも、すがりついていたかった。


 嘘でも出鱈目でたらめでも、なんでもいい。そんな事、もう構わない。

 ラオンと結びついていたかった。




「あった!」



 一枚だけ、ソモルの生まれた年の5ムーアコイン。



「じゃあこれ、ラオンにやる」



 ソモルは5ムーアコインの乗った手のひらを、ラオンの前に差し出した。

 ちょっと、つっけんどんな感じに。

 ソモルは照れると、こんな仕草や云い方しかできなくなる。


 今度会う時までには、こういうのもちゃんと直さなきゃな……。


 甘ったるい男もどうかと思うが、せめて自分の気持ちに正直に、素直に優しくできるようになりたい。


 ラオンはそんなソモルに、とろけそうに可愛い笑顔で、云った。



「約束だよ」




 そう、きっと会えるよな。

 ラオンがそう云ってくれたから、俺、信じていられる。


 次に会える時までに、俺、ちゃんと大人になるから。


 もっともっと、強くなるから。


 お前に、ちゃんと伝えるから。




 お前に好きだって、必ず伝えるから。




 約束だからな、ラオン…………。






          to be continue




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