第25話 俺は負けるもんかと歯を食い縛る!

 許せねえ、コイツら!

 こんな連中に、今日一日の俺の記憶の重さなんて判るわけがねえ!

 俺とラオンの頭から、今日一日の記憶を消すだと?




 ラオンにとって、ソモルと過ごした今日一日の記憶が、ソモルにとってのそれと同じ重さを持つものかなんて判らない。けれど連中は、ラオンの中からも丸々今日のソモルとの記憶を奪い去ろうとしている。


 ラオンは今日、ソモルに『ありがとう』と云ってくれた。

 ラオンの中に、刻み込まれたソモルとの記憶。


 ラオンが『ありがとう』と云ってくれた瞬間、心の一番深い場所で結びつけた気がした。


 繋ぎ合った手。その記憶。

 ソモルとラオンの、心の結び目。


 こいつらはそれを全て、奪い去ろうとしている。

 ソモルの体が、怒りで震えた。沸騰しそうな血流が、全身を駆け巡る。



 許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえ許せねえっ‼




「…………ふざけんじゃねえぞ、てめえら…………‼」


 吐き出した声が、感情の激しさに震える。

 連中は乾いた視線で、ソモルとラオンを見ていた。大人という生き物の見せる、一番嫌な眼で。


「このカプセル、坊やの方から呑んでもらった方が良さそうね」


 女の言葉と、ほぼ同時だった。

 隙をつくような動きで、ソモルとラオンの両脇に男二人が立っていた。



 くそっ!


 ラオンを庇いながら逃げようとしたソモルの肩を、男の手が掴んだ。鉄のように頑丈な手に体が固定され動きを止められた。抵抗しようとしたソモルの腕を、もう一人の男が掴む。


 その勢いで、ラオンを庇うソモルの体が引き離された。



「ラオンッ!」


「ソモル!」



 引き離された瞬間、急に夜の肌寒さを覚えた。



「放せってんだよっ! この野郎っ!」



 大人のくせに、二人がかりなんて卑怯だ。

 ソモルの体は、男二人に両腕を掴まれて身動きすらとれない。いくらもがいても、奴らの手はびくともしない。



 ちくしょうっ!



 自分がまだ子供だというだけで、こんな連中に力で全く歯が立たない事が、我慢できない程に悔しい。



 ふざけんなっ! ふっざけんなっ! ふっざけんなっ‼



 ソモルの頭の奥が、憤りで戦慄わななく。



「ラオンにだけは、手ぇ出すんじゃねええっ‼」


 吠えたって、何にもできないくせに。


 ソモルは、喚わめくだけで何もできない自分自身に、連中に覚えた怒りと同じくらい腹が立った。


 奴らはラオンに手出しする様子はなかった。

 そう、最初の標的はソモルなのだ。


 片方の男が、女から渡されたピルケースの中から、一粒カプセルを取り出す。


 24時間の記憶を消し去るカプセル。

 連中は、ソモルにこれを呑ませようとしている。


 ラオンと過ごしたソモルの今日一日を、奪い去ろうとしている。


 ソモルが、一生忘れないと決めた、大切な時間を。


 キラキラ、キラキラ……


 瞬く光の粒のように儚くてとうとい、一瞬一瞬のラオンを……。



 渡すかよ! 奪われてたまるかよ!

 もう二度と手に入らない時間。


 俺の中の、ラオン!



 男が指先につまんだカプセルを、ソモルの口元に近づける。



 呑まされてたまるかっ!


 ソモルは全身の力を込めて、歯を食い縛った。

 男がソモルの顎を掴み、無理矢理口をこじ開けようとする。

 男の握力に、ソモルは必死にあらがった。


 顎が、震える。首の筋がつりそうになった。


 ……負けるもんかよっ!


 息が苦しい。


 次第に頭に血が上り、意識がくらくらし始めた。食い縛った歯が、一瞬浮き上がりそうになる。




 …………負けねえっ!




 意識が、ますます不安定にぐらついていく。

 

 耳鳴りが聞こえた。



 駄目だっ! 耐えろ、耐えろ……!


 意識が落ちたら、奴らの思うつぼだ。



 ラオンを、守るんだろ?

 俺の傍に居るラオン、俺の中に居るラオン。




 …………ラオン…………!




 意識が、痺れていく。







「そこまでだ!」



 白く染まる意識。

 ぼーっという耳鳴りに交じって、遠くにいかつい声が聞こえた。


 同時に、ソモルの顎をこじ開けようとしていた男の手の力がゆるんだ。


 呼吸が楽になる。



 ……何だ……?



 ソモルは、きつく閉じていた瞼を開いた。



 眩しい。

 真昼のような光が、ソモルたちの周囲を取り囲んでいた。


 堪えていた顎の力を急に抜いたせいで、ソモルは一瞬立ち眩みのような目眩に襲われた。男の手からも解放され、ふらりとよろめく。



「ソモル!」



 崩れそうになったソモルの腕に、ラオンがふわりと寄り添った。


 甘い、ラオンの髪の匂い。


 視界が、まだぼんやりする。強い光のせいもあるかもしれない。

 首から上だけが、酷く熱い。ずっとりきんでいたせいで、顎から頭にかけて血が上り過ぎた。


 ラオンに支えられるようにして、ソモルはあらためて周囲を見回した。

 ざっと二十人くらいの重装備した警官隊が、連中と二人をぐるり360度隙間なく取り囲んでいる。


 どういう展開なのか、判らない。判るのは、どうやら自分たちは助かったのだという事だけ。



 …………良かった…………。



 張り詰めていた神経が弛み、アドレナリンが引いた途端、一気に力が抜けた。



 ラオンと、俺たち二人の大切な記憶を守りきったんだ……。



 隣に寄り添う、ラオンの温もりと感触。

 ソモルはラオンの肩にぎこちなく腕を回し、優しく引き寄せた。柔らかな髪が、首筋に触れる。ほんの少し、くすぐったい。

 ラオンと居られる、最後の幸せを噛み締める。



 この感覚も、俺の大切な記憶になっていく。


 忘れない、記憶に…………。


 大好きな、ラオンの。俺の……俺だけの、ラオン。




          ♡




 連中が、どうしてラオンのぬいぐるみを狙っていたのか。

 種明かしはこうだ。


 奴らの目的は、ぬいぐるみそのものではなく、それに埋め込まれていた青いガラス玉だった。

 ぬいぐるみの腹の部分に、飾りとして埋め込まれたガラス玉。

 これが実は、ガラス玉に模した機密データ保存球体だったらしい。この中に、奴らの計画に必要な重要データが全て保存されていたのだ。


 今マーズは、王の生誕祭で各星々からのVIP来賓も多く、警備もそうとう厳重になっている。その検問の目をくぐり抜ける為に、露店で売るぬいぐるみのひとつにその機密データを埋め込み、カモフラージュした他の同じ形のぬいぐるみの中に交ぜた。


 目印は、青いガラス玉。


 それが仲間内の伝達ミスによる手違いの為、そのまま露店で売られてしまったらしい。

 それをたまたまラオンが気に入り、ソモルが買ってやった。

 ソモルの瞳の色に似ているからと、ラオンは青いガラス玉の埋まったぬいぐるみを選んだ。

 赤やピンク、他の色のガラス玉のぬいぐるみをラオンが選んでいたなら、奴らに追いかけられる事もなかったのだ。


 あの露店の牛乳瓶底メガネの売り手も、奴らの仲間だったらしい。だからぬいぐるみを買った二人の顔もはっきりと覚えられてしまい、GPSから居場所もすぐに嗅ぎ付けられたわけだ。


 そうまでしてマーズに運び込んだ、球体に組み込まれたデータ。

 奴らの組織的な計画。


 それは、マーズ城の占拠。


 警官隊のふりをして潜り込んだ組織の連中が、来賓客や王族を人質にマーズ城を占拠する。

 そんな大がかりで、とんでもない計画。


 計画がそのまま連中の思惑通り実行されていたら、ラオンやその両親である王や王妃たちも人質の中に含まれていた。

 そう考えると、背筋がぞっとする。


 各惑星からのVIP来賓を人質にしてまで、連中の組織が要求したかった条件。

 それは、マーズの隣の惑星、地球アースによる殖民地化した小惑星の解放。


 地球の横暴な小惑星殖民地問題は、銀河系の惑星会議でもたびたび議論されている。

 ニュースにうといソモルでも、その事は知っている。


 人質にされる筈だった来賓の中には、地球からのVIP客も含まれていた。

 巻き添えを食う他の惑星客たちにはえらく迷惑な話だが、連中の組織も必死だったのだ。やろうとしてた内容は、誉められたものではないけれど。


 勉強した事のないソモルには、難しい事は判らない。全部、警官隊が明かしてくれた事実だった。


 奴らに酷い事をされたのは事実だが、連中はラオンやソモルに一切危害を加えようとはしなかった。それもまた、事実。

 なんだか、後味の苦い経験となった。



 ソモルとラオンが悪党に追われているという通報から、様々な裏付けで連中の計画が明るみに出たようだ。

 その通報者は、なんとオリンク。あのオリンクだった。


 谷底に落ちるソモルとラオンをアホ面して眺めてたオリンクは、その後ちゃんとしかるべきところに通報してくれていた。

 ソモルはほんの少し、オリンクを見直した。


 結局、ラオンが連中から必死に守り抜いたぬいぐるみは、証拠品として解析される為に押収された。

 警官隊に説得されたすえ、渋々ぬいぐるみを手渡すラオンの横顔は、ソモルまで悲しくなってしまう程にしゅんと項垂れていた。



「せっかく、ソモルがくれたのにな……」



 ぽつっとラオンが洩らした言葉は、多分ソモルの耳にしか届かないくらい小さな呟き。

 ラオンの翡翠ひすいの大きな眼が、きらりと揺れた。


 淋しそうなラオンの横顔を見詰めながら、ソモルは胸の奥の方がざわりと苦しくなった。



 ああ、そうか。


 俺たちもう、お別れなんだな……。






           to be continue


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