羊の唄

虎昇鷹舞

第1話

 草原の果てから日が昇る。明るい光は大地へと降り立つ。まだ肌寒く吐く息も白いがいい天気だ。

 丘の上に建っているこの家からは坂の下にある町の喧騒が聴こえてくる。家と言っても小さな集会場としても使われている場所だ。

 普段は孤児院となっていて身寄りの無い子供や戦争で親を失った子らが共同生活を送っている。

 町からの支援もあり若者は戦争の兵隊として戦地へ向かったり、町へ出て仕事に従事し、孤児院から出て行った。もちろん、素行の悪いのもおり、いずこへか行方をくらましてしまったのもいる。


 少女マリアもそんな孤児の中の一人だ。父親も母親の顔も分からない。物心ついた頃には既にここにいた。

 だが、寂しくは無かった。同じような境遇の子がここにはたくさんいたからだ。

「嬢ちゃん、今日は早いな」

 町の方から荷車を引いて中年の男が丘を上がってきた。荷車には日用品や食料などが積んであり、男の額には汗が光っていた。

「いつも町の方々よりこんなにも支援をしていただきまして、すみません」

 マリアが男に一礼する。

「なぁに、みんな好んでやってることだから気にしなくていいさ。それにここで一杯をもらうのが気持ちいいからな」

 男はマリアが出てきた家に隣接している大きな建物を指差した。そこはマリア達の住んでいる家に隣接している集会所の方だった。

 ここで孤児院の子は食事したり学んだりしていた。そこには管理人としてテレサという若い女性が住み込みで暮らしていて、彼女の入れるお茶は美味で皆から好評を博していた。

「テレサさんのお茶は美味しいからね~」

「そうそう、あの一杯を味わえるのならこれくらいの苦労なんて軽いもんだ」

 男はそう言って集会所の建物の方へ再び荷車を引いて歩いていった。マリアは街の方に背を向けて丘から見える地平線を眺めていた。


 この平原はヘイデバルスと名づけられ、過去にこの地を攻略し町を築いた将軍、ヘイバルブスの名前よりつけられた。町の名前も彼の何ちなんでヘイデルと呼ばれた。

 元々この地に暮らしていたのはデロー族、マソリヌ族、サー族と呼ばれる三つの蛮族が争奪戦を繰り広げていた地だった。東に流れるヌーロン川より水を容易に引くことができるので、農業に適した肥沃な土地だった。おまけにヌーロン川は流れも穏やかで大雨による氾濫を起こすことはほとんど無かった。

 その争奪戦を繰り広げている最中に、ヘイバルブスは調停役としてここより南方の国家アイネス王国より派遣された将軍だった。将軍は当初、和解案を持ってこの地を三族で分割する案を提案したが、その分割した土地をめぐって紛糾し、挙句の果てに調停に入ったヘイバルブスの軍を攻撃する始末だった。

 ヘイバルブスはこれに怒り、三族皆打ち負かしたのだった。そして、その三族の境界線に当初定めた場所に街を作ったのだった。それは三族に対する強さのアピールでもあった。

 戦後、三族皆がヘイバルブスに和解を求め、それに快く彼は応じた。その後は彼らを罰することはなく同じ民として扱ったのだった。

 戦いからは既に50年以上が経過していた。街は退役した兵士達が土地を与えられそこで暮らしたり、王国より商売のにおいをかぎつけてきた商人らが現れて活気を見せていた。軍としても本国とこれより北方の攻略のための補給基地としても重要視され、街も細かく整備されていた。

「…?」

 マリアが平原の先に土煙のようなものが上がっているのが見えたのはその直後だった。


(あれは…?)

 マリアは土煙の上がっている平原をじっと見つめる。煙は徐々に大きくなり、平原を何やらこちらに向かっている一団が目に入った。

(何かに乗った人がたくさん来るようだけど…)

 マリアはこちらに向かってくる一団が馬に乗っている男達だとわかった。しかし、その風貌はおかしなものだった。この地に暮らす男らは髪の毛は短く、髭も剃り、服も足までも覆うようなローブを着ているのが通常だった。

 兵士らは戦う際に動きを制限されないよう、皮と木を合わせて作られたサンダルを履き、ローブも膝までと短い物を着ていた。

 しかし、向かってくる男達は髪の毛はボサボサで長髪の者もいて、髭もぼうぼうに生やしている者も見つけた。なにより、着ている服は上着は肩口くらいまでで胸や肩には皮で作ったと思われる鎧を着込んでいた。ズボンは短く、太ももを大きくあらわにしている。

(早くみんなに知らせないと…)

 そう思ったマリアはまずは集会所へ駆けていった。


 集会所のドアを開けると、中ではテレサの入れたお茶を美味しそうに飲んでいる男の姿が目に入った。

「おや、マリアちゃん。息を切らせて慌ててきてどうしたんだい?」

 のんびりと男は息を切らせて飛び込んできたマリアを見て答えた。

「あのっ…外から…いっ…いっぱい見知らぬ人たちが、やっ、やってきてる…の」

 マリアが草原を指差して息を切らせながら話しかけた。

「見知らぬ人…? どれどれ…」

 男はマリアの言っていることを確かめるべく集会所の建物の外に出た。平原を町に向かって走ってくる男達の一団がはっきりと確認できた。

「あ、ありゃ…デロー族の連中じゃないか!! しかもあの装いは戦いの為の装飾…」

 男は真っ青な顔をした。マリアとテレサも男の後を追って外に出ていた。

「テレサさん、こりゃ戦いになりますぞ。今すぐ皆を連れて南のサントローヌスへ避難したほうがいい…」

 このヘイデルの町の南には2日くらい歩くと着くサントローヌスの町があった。ヘイデルに比べると少し規模は小さいが立派な町である。ここもヘイデルと同様に進軍した際の軍の駐留地として当初使われていた場所で、征服後は町として変貌を遂げていた。

「わかりました。子供達を連れてすぐにでも向かいますわ」

 テレサが凛とした顔つきで男に答えた。

「こちらも駐留している軍の兵を割きまして、護衛として多少回しておくよう手配しておきます」

「お心遣い感謝します」

「では、私は町に戻って兵舎の連中と話をつけてきます。テレサさんは子供達を連れて町の南門まで来てください」

 男は慌てて丘を駆け下りて行った。その間にも平原をこちらに向かって向かってきている一団の姿は大きくなってきていた。数にして二千人以上はいるであろうか。

「マリア、みんなを起こしてすぐに着替えさせて一人ずつリュックを背負わせてこの集会所の前に集まらせてください。私も準備をしておきますからね」

 テレサはマリアにそう伝えた。

「ハイ、みんなに伝えてきます」

 マリアはテレサに一礼をするとマリアら子供達が寝起きしている部屋へ向かった。

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