釣り人あかねちゃんと白線流し #終わった世界のイリオモテ

デバスズメ

本文

空が青い夏の日、青い空、入道雲が海の向こうに見えます。耳を澄ませば、波の音が聞こえてきます。ここはイリオモテ。遠い遠い昔は、西表島と呼ばれていた島です。


遠い遠い昔、空からとても強い光が降り注ぎ、世界は終わりました。衛星砲というとても恐ろしい兵器が、たった一度動いただけで、世界は終わってしまったのです。


それから長い長い時間がたちました。生き残った人間たちは、ほそぼそと命をつなげ、今となっては、それなりに平和な世界ができました。


あかねちゃんは、イリオモテに暮らす12歳の女の子です。タンクトップにハーフパンツという、なるべく暑くなさそうな服装で、元気よく走っていきます。


あかねちゃんの目的地は蒸気屋さんです。蒸気屋さんは、蒸気機関を扱うお店です。この終わった世界では、たくさんの物が蒸気機関で動いています。


「おーい!すずおねーちゃーん!」

あかねちゃんの元気な声が、蒸気屋の2階の部屋まで届きます。でも、返事は帰ってきません。


「すず!おねー!ちゃーん!」

もう一度呼んでも、返事は帰ってきません。

「むー」

あかねちゃんは、仕方ないなあという顔で、蒸気屋に入っていきます。


蒸気屋の中は、いろいろな機械がいっぱいあります。料理に使う蒸気鍋や自転車に付ける蒸気補助輪、何に使うかわからない、とても大きな機械もあります。


「やあ、あかねちゃん。いらっしゃい」

店の奥から、やさしそうなおじさんが出てきます。

「おじさん、すずおねーちゃんは?」

「また部屋にこもって、なにかやってるんじゃないかな。行って呼んであげなさい」

「ありがとう!」

 あかねちゃんはサンダルを脱いで、ドタバタと階段を上がります。


「すずおねーちゃーん!」

おかねちゃんは、元気よく力いっぱい部屋の扉を明けます。

「あ、あかねちゃん。来てたんだ」

すずさんはぼんやりと振り返ります。散らかった部屋の真ん中では、なにやらよくわからない蒸気機関が、蒸気を吹き出しながら動いています。


「また変な機械作ったの?」

「変な機械……ちがうよ。これは、その……まだ未完成なだけだよ」

薄手の作業着を着たボサボサ髪のすずさんが答えます。

「ねーねー、今日は海に行く約束だったでしょ!早くいこうよ!」


「そうだっ……け?」

すずさんはぼんやりとした顔で答えます。

「そうだよ!この前、約束したでしょ?早く行こうよ!」

あかねちゃんは、居ても立ってもいられないといった様子です。


「それじゃあ、行こうか。先に行って、準備しておいてね」

すずさんは、カバンに色々なものを詰め込み始めます。方位磁石に本やノート、他にも色々です。準備ができた時には、とっくにあかねちゃんはいませんでした。急がないと、またあかねちゃんに怒られてしまいそうです。


すずさんは、汚れた作業着のまま、青いスカーフでボサボサの髪を簡単にまとめて、出かけます。

「お父さん、行ってきます」

「いってらっしゃい」

お父さんは、出かけていくすずさんを見送ります。


すずさんは、蒸気自転車に乗ります。すずさんは15歳、もう蒸気自転車を運転できる年齢です。スイッチを入れてハンドルをひねると、スイスイと進んでいきます。



港では、とても穏やかな波が、静かな音を立てていました。空からは、海鳥の鳴き声が聞こえてきます。遠く浅い海岸に作られた、小さいけれども穏やかで、優しい港です。すずさんは、この港が好きでした。


小さな音を立てて、すずさんの乗った蒸気自転車が、港に到着しました。

「すずおねーちゃん遅いよ!早く早く!」

1隻の舟の上で、白いスカーフをリボンにしたあかねちゃんが手を振っています。


すずさんは、あかねちゃんの乗っている船に乗り込みます。日除けの屋根がついた、細長い船です。この船も、蒸気で動く蒸気船なのです。


すずさんは、出港の準備を始めます。海の水を汲んでタンクに注ぎ、カバンの中から小さな箱を取り出して、蒸気機関に火を入れます。他にも色々と準備をしています。あかねちゃんは、その様子を、とても真剣に見つめています。


「いいなあ。私もすずおねーちゃんみたいに、早く一人で船に乗れるようになりたいなあ」

「じゃあ、勉強もしっかりがんばらないと、だね」

3級免許を持っているすずさんは、ちょっと意地悪な顔で答えます。

「むー」

5級免許のあかねちゃんは嫌そうな顔をします。


イリオモテの蒸気船免許は、1級から5級までの5種類があります。1級免許は一人前の蒸気船乗りの証でもある最高位の免許で、獲得するためにはいろいろな条件があります。5級は子どもでも取れる簡単な免許で、港の近くで普通のボートを運転できます。


すずさんの持っている3級の免許があれば、一人で蒸気船に乗って、島の近くを運転することができます。ですが、3級の免許を取るための試験には、海の天候や季節の風など、いろいろなことを勉強しないと合格できません。あかねちゃんは、勉強が嫌いでした。


「さあ、準備ができたよ。出発しよう」

すずさんがそう言うと、蒸気機関が元気よく動き出します。船の後ろから、ボコボコと水蒸気の泡が吹き出します。その泡に押されて、船がゆっくりと進みだしました。


穏やかな潮風を受けた蒸気船は、どんどん加速して、歩くよりも速い速度で沖に向かって進んでいきます。



船が沖に出て、しばらく時間がたちました。港は遠く小さく見えます。

「ここらへんでいいね」

そう言うと、すずさんは、蒸気機関を止めます。船がゆらゆらと浮かびます。

「よーし!釣るぞー!」

あかねちゃんはいそいそと釣り竿に餌を付け、海へと糸を垂らします。


 太陽が真上まで登ってきました。あかねちゃんのお腹がなります。

「むー」

そろそろお昼の時間です。あかねちゃんは釣りに熱心で、沢山の魚が釣れました。すずさんは、ずっと本を読だり何かメモを取ったりしていました。


「すずおねーちゃん、お腹すいたー」

「それじゃあ、ご飯にしようか」

「すずおねーちゃん、何読んでるの?」

本が気になったあかねちゃんが質問します。

「これは『博士の異常な愛情また私はいかにして衛星を愛するようになったか』だよ」

すずさんが答えます。


「博士の……何……?」

「あかねちゃんにはまだ難しい本だから、まだ読まないほうがいいと思うよ」

「そう……なんだ……」

あかねちゃんは、なにかを怖がるような顔をして、そっと目をそらしました。


「さあ、釣ったお魚でお昼にしよう」

すずさんは、本を閉じ、カバンの中から小さな箱を取り出して、蒸気機関に火を入れます。今度は、船を進めるためではありません。お湯を沸かすためです。


お湯が湧くまでの間に、あかねちゃんは魚を三枚おろしにします。料理屋の子どもなので、これくらいは簡単です。あっという間に、お刺身ができました。真ん中の骨の部分は、屋根に吊るして干物にします。あかねちゃんの家の秘伝のラーメンの美味しさの秘密は、この骨の干物なのです。


すずさんは、カバンから茶色い団子を取り出します。茶色い団子をカップに入れてお湯を注げば、温かいスープのできあがりです。それから、すずさんのカバンの中からは、おにぎりも出てきました。小さいのが1個と、大きいのが1個です。釣ったばかりの新鮮なお刺身、白く輝くおにぎり、温かいスープ。これで、お昼の準備が出来ました。


「いただきます」

「いただきまーす!」

二人は海鳥の鳴き声を聞きながら、ご飯を食べました。


「うーん、食べ過ぎたあ……」

船の上にごろんと寝転がるのは、あかねちゃんです。

「だから食べ過ぎだって言ったのに」

「だって、大きいおにぎりのほうが美味しそうだったんだもん」

「胃もたれしないように気をつけてね」

「はーい……」

静かな時間が流れます。すずさんは、本の続きを読み始めました。


太陽が少し傾いてきた頃でしょうか。あかねちゃんが勢い良く跳ね起きました。

「……白線流しだ」

そう言うと、少し離れたの海の上を指さしました。そこでは、船の上から白いスカーフを結んだ紐を流す、何人かの人がいました。


「いいなあー。私も、早く白線流ししたいなあ」

あかねちゃんは、目を輝かせてその光景を見ています。白線流しとは、3級の免許を取った人たちの儀式です。それまで使っていた4級以下の見習いのスカーフを海に流して、新しく3級の青いスカーフを貰うのです。


もちろん、すずさんは3級の免許を持っていますから、青いスカーフを持っています。ボサボサの髪をまとめているのが、それです。

「3級の前に、あかねちゃんは4級だね」

白線流しを一緒に見ながら、すずさんは言いました。

「むー」

あかねちゃんは、やる気に満ちた表情です。


「ねえ、すずおねーちゃんは、白線流しの願い事は、何にしたの?」

白線流しの儀式では、願い事をしながら白いスカーフを流すという決まり事があります。でも、みんなの前で言うことになるので、未来への夢や目標を誓う人がほとんどです。


「わたしは、旅に出たいって言ったよ」

すずさんは、自分が白線流しに参加した時のことを思い出しながら、話し始めました。

「いろいろな蒸気機関をもっと勉強して、もっと便利な蒸気機関を発明して、それを世界に広めたいって言ったんだ。でもね……」

すずさんは、どこか遠くを見つめています。


「でも?」

あかねちゃんは、すずさんの顔を見上げるように覗き込みます。

「でも、おかしいよね。船の免許の儀式なのに、蒸気機関のことなんて」

すずさんは、ちょっと悲しそうな顔をして、白線流しをじっと見つめています。あかねちゃんも、すずさんをじっと見ています。そして、言いました。


「じゃあ、わたしは、すずおねーちゃんと一緒に旅ができるように、お願いする!すずおねーちゃんの発明を、世界中の人に届けるんだ!」

あかねちゃんは、笑って言いました。


「あ、ありがとう……」

あんまりにも真っ直ぐな言葉に、すずさんもちょっとだけ、どきどきしてしまいました。それでも、いえ、あかねちゃんの言葉があったからこそ、すずさんはすぐにいつもの調子に戻りました。

「それじゃあ、いっぱい勉強して、まずは4級からだね」


「むー」

勉強という言葉を聞いて、あかねちゃんは、いつもの嫌そうな顔をしました。ですが、今回はそれだけではありませんでした。

「がんばるもん!いっぱい勉強がんばるもん!」

あかねちゃんは、笑顔で言いました。その笑顔を見たすずさんも、小さな笑顔を浮かべます。



空が夕焼けに染まってきました。船は、釣った魚でいっぱいです。何匹かは開かれて、屋根に吊るされています。

「そろそろ帰ろうか」

すずさんが言いました。

「うん!今日は大量だったね!」

あかねちゃんも、沢山の魚に満足のようです。


すずさんは、カバンの中から小さな箱を取り出して、蒸気機関に火を入れます。歩くよりも速い速度で、蒸気船は、港へと帰って行きました。


おしまい

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