弟を守れるなら命なんて惜しくもない。

プロローグ

痛い。

先程腹を強く殴られたせいで、息するだけでも腹部に痛みが走る。震える手で顔を覆えば、ぬるりとした感触。ああ、鼻血でも出ているんだろうな、という考えは、離れたところで聞こえた、うぐっ、という声でさっぱり綺麗に無くなった。

少年は、動かすだけで痛みが走る体を、仰向けからうつ伏せになり、顔を上げれば、もう一人の少年が一人の男に蹴られていた。


「け、けんしんっ……!」

「はいはーい、人の心配してる暇あるのかなー?」


『謙心』と、呼んだ少年に向かって弱々しく伸ばした手を、またある一人の男に踏み潰され、口からは何ともみっともない声が発せられた。

周りにいるのは『謙心』だけじゃない。

また、もう一人の少年も、仰向けの状態で腹の上にどかりと男に座られているため、いつも明るく笑っている口も今では閉ざされて歪められている。

さらに、もう一人の少年は、助けなきゃ、と、口にして彼の傍に行こうとしているが、体が痛んでそれを行う事が出来ていない。動かすこと出来ても、傍にいる男等によってそれは出来ないだろう。

四人とも、もう体はボロボロだ。

その原因を作ったのは、この周りにいる十数人の男達だ。


「なあなあー、もう終わりー? 前の奴等みたいに楽しませてくれないのー?」


一人の男が言うと、ぎゃははと可愛いげもくそもない笑い声が周りの他の男達から発せられた。

こんなに多い笑い声や、今までに起きた大きな音で気付かれないのは、ここが古ぼけてもう使われていない工場の中だからだろう。俗にいう不良の溜まり場の様なところだ。

四人がここに連れ込まれたのは、つい一時間ほど前の話だ。





今日は何故か、一心いっしんの体調が良くなかった。熱が出る、とか、咳は鼻水が出る、とか、風邪の症状ではなく、原因不明の体調の悪さ。本人曰く大丈夫だとの事だが、顔色も悪いし目眩もしていた為、今日は大人しくする、とのことだった。いつもなら、まあ体調悪いだけでしょ、寝れば治るって、みたいに冗談ぽく言えるが、体調悪い一心を見るが、真人まこととても辛そうな顔をしていたから、その様な冗談も言えなかった。

謙心けんしん大輝だいきが、何かやることある!?と、言ったり、みゆきが珍しく心配そうな顔をしていたり、優磨まさとがおろおろしていたりするものだから、真人は四人にこう頼んだのだ。


「心配すんな! すぐ元気になるって! 元気になるために一心が食べれそうな物とか、飲み物とか買ってきてくれるか?」


それを聞いた四人は、すぐに行動した。

スーパーに行き、食べやすそうなりんごや梨、スポーツドリンクなどを買い、これで一心が元気になれば、と街中を歩いていた。


「一心、これで元気になるかなー?」

「大丈夫だよ、謙心。一心兄さんだもん、すぐ元気になるよ」

「うーん……あの体調も"あれ"で良くなればいいんだけどなあ……」

「それは無理だよ、"あれ"にはそういうものが無いから」


一心の事を話しているだけで、心配になってくる。早く家に帰ろうと、優斗が知っていた近道で帰ろうと、提案して裏道に入ったのがいけなかった。

少し薄暗い道に入り込んだ時だった。優斗の肩に誰かの手が乗せられた。優斗は今、一番後ろを歩いているはずだ。なのでこの手は兄弟のものではない。

誰?と、振り向いたら、そこに、いたのだ。金髪で口には煙草をくわえ、いかにも俺たち悪いことしてします、と顔に書いてあるような奴が。


「どうもー、君ら、篠崎兄弟だよね? ちょーっと君らのお兄さんたちにお世話になってさ、お礼したいんだよねー……ってことで、付き合ってくれる?」






そして今に至る。

奴等によれば、前に真人と一心とトラブって、その時にコテンパンにされた様だ。あの二人は喧嘩が強い。真人は兄弟の中で一番強いし、一心もいつもはクールぶっているが、誰よりも手が早い。

そんな二人に似ている弟がいると、聞き付けて探していたそうで、丁度四人が裏道に入り込んでいたのをチャンスだと思ったのだろう。最初は数人だったのも、呼んだのか今では多くなっている。

優斗は、腹を蹴られたことでごほごほと噎せていれば、うるせえとまた殴られた。理不尽だ。

この四人も喧嘩が弱いわけではないのだ。彼らの通っている学園では、手を出したら、死ぬ。という言葉もいわれているぐらいだ。大輝は頭の回転か早いし、謙心は時々人を殺してしまうのではないかと思う目付きをするし、優磨や幸だってやる時はやるのだ。

ただ、今回は人数も人数だし、何より一心が心配だったのだ。早く帰りたい、でもこの状態で逃げて、あの体調が悪くふらふらしていた一心にこいつらが襲ったりしたらどうしよう、と。

そういったものが頭でぐるぐる回り、今ではもう動けない状態だ。ここから反撃なんて出来るはずもない。

だが不良共は、帰す気はさらさらないようだ。


「まだいけるでしょー。ね? まだ息あるもんねー」


仰向けで転がっていた謙心の胸元を掴んで、ぐいっと顔を近付ける。首が絞まり、一瞬息か出来なくなるような感覚がしたが、謙心は負けじと目の前にある胸くそ悪い顔を睨み付けた。

その目を見た男は、かはっ、と笑って、ニヤニヤと口許をあげる。


「なにー? まだやる気あんの? でもさー、この状況じゃ無理だと思わない?」


周りには息はあるが、立ち上がることも困難そうな兄弟達。謙心も体が痛みで走るが、このままではいけない。何としてでも逃げて、早くあの二人の元へと帰らねばならない。

けらけらとうざったい顔でずっと笑っている男の顔を睨み付けたは、息を吸って、吐いて、吸って、止めて、そして、一気に自分の額を目の前の男の鼻にぶつけた。


「ぐふっ……!」


いって、これ絶対額に歯ぶつけた。

謙信は、鼻を押さえて横になる男を跨がり、大輝の元へと走る。動かす度に体が痛むが、そんなの関係ない。大輝の近くにいた男に体当たりをし、転がした直後にすぐ大輝の手を握って走る。よたよたとしていたが、走れない訳ではなさそうだ。

あとは優磨と幸……!

二人に向かって走り出し、もう少しで手が届く、という時に、男等はそれをさせない。

走っていた謙心の足をはらって、転けさせたのだ。一緒に走っていた大輝も共に転がってしまい、二人は思い切り地面に後戻りだ。


「よくやってくれたじゃん……」


近付いてくるのは、鼻から血を出し、楽しそうに笑っている男。先程謙心が頭突きをした男だ。

運良く足元に転がっていた鉄パイプを手にし、謙心と大輝の間の地面に思いっきり叩き付けた。先程の頭突きで切れたたのか、目が血走っている。


「おーい、みんな注目ー! 今からこいつ等の頭割りまーす!」


鉄パイプを上で軽く振りながら宣言すると、周りからはいけー、とか、俺がやりてー、とかいう声があがる。

謙心兄さん、と優磨と幸の声が上から聞こえ、謙心は握っていた大輝の手を強く握った。大輝がそれに応える様に握り返してきた。

それを見た男は、ニヤニヤと笑って、鉄パイプを振り上げるために上にあげた。


「恨むんなら、兄さん達を恨むんだな!」


鉄パイプが自分のところへ向かってくるのが、スローモーションで見えた。

ああ、梨やりんご、また買いに行かなきゃな、なんて考えた自分は、なんて緊張感が無いんだろう、なんて。そう思いながら目を閉じた。


がしゃぁあん!と、扉が思い切り開く音がした。

ここはもう使われていない古ぼけた工場だ。扉なんて、簡単に開くものではないし、一人で開けたとしても一枚ずつ開けなければ開くことも出来ないくらい錆びているはずだ。

だが、今はどうだ。まるで一人手に勝手に開いたかのように、扉が開いた。一瞬で。

鉄パイプを空中で止めた男は、唖然と扉を見る。そこには、二人分の影。


「はいどうもー。弟達がお世話になっているようでー」


あ、声を出したのは大輝で。目を見開いたのは謙心。兄さん、と呟いたのは優磨、安心したように笑うのは幸だ。

扉の向こう側から来たのは、真人と一心だった。


「……お前らっ……!」

「おーおー、人がこんなに。いやー、よくこんなに集まるモンだね。二度もやられるってーのに」


何の躊躇もなく、二人は工場の中に入り、真人は周りを見渡して笑う。一心は普段考えられないような無表情で、ただ一点を見ている。


「どうしてここが……!」

「いやね、弟達が帰ってこないってコイツが言うからさー。まあ空中から探させてもらったよ。工場の周りに見張りか知らないけど、バカみたいに人がいるからすぐ分かったよ」


空中から? 探せてもらった? 何を言ってるんだコイツは。

言っている内容が意味分からず、考えようとしたが、冷静になって考えてみる。今はこいつら二人。こっちは十数人。前は人数が少なかったが、今度は多い。こんなの勝ち目は決まっている。


「はっ、たかが二人で何が出来るんだ! 前みたいにはいかないからな!」


男がそう叫べば、周りにいた奴等もそれぞれナイフな鉄パイプやら武器を手に持ち、こちらに敵意を向けてきた。


「お前らもこいつ等みたいにしてやるよ!」


こいつ等。そう言って、鉄パイプで差したのは、倒れている四人の弟達。四人とも見るからに酷い怪我だ。それを見た瞬間、一心の空気が変わった。それが分かったのは、隣にたっている真人のみ。分かっていない男達は、いくぞ!なんて、どこの少年漫画だと思わせるような掛け声で、全員でこちらに走り出してきた。

それを見た一心は、一歩前に出て、手を横に軽く振った。


すると、どうだ。


ぴたりと、男達の動きが止まった。時が止まったかのように、石になってしまったのではと思わせるかのように、ぴたりと。


「あ……な、なんだ……?」


動くのは口と目だけ。それ以外は動かすことも出来ない。男は、いま自分に起きている事が信じられずに、声を出す。


「おい! なんだ、なんだよ……なんだよこれ!」

「なんだよなんだようるせーな」


叫ぶ男に対して、真人は先程のへらへらとした笑顔を消し、手を前に出した。

すると今度は、周りにある物達が動き出した。そのへんに積んであった鉄パイプの山、もう使われなくなった木材、大きな石、それら全てが、まるで宇宙にきたかのようにふわりと浮かんだのだ。

ひぃ、と声を出したのは、誰だったか。

そんなのは興味もなかった。ただ思うのは、1つだけ。


弟達を、傷付けたのは、許さない。


「前会ったときはさ、これ使わなかったから記憶消さなかったんだけど。今からはいい。もう記憶消すのも必要ない」


今度は一心が、手を前に翳しながら歩く。後ろから、あんま使いすぎんなよ、と聞こえる真人の声は、聞こえなかったに等しい。

だってこいつ等は傷付けたのだ。大事な大事な弟達を。そんな奴等、生かしておく理由がない。

一心が歩き出していた足を止めれば、男達が持っていた武器がするりと手から抜け、懐に入っていたナイフやらが出てくる。真人がその隣に並べば、浮いていた木材や鉄パイプが男達の上へと移動する。

さあ、この男達をどうしてくれようか。


「ま、て……何なんだ、おまえ、ひっ……」


男が喋ろうと口を動かせば、浮いていたナイフが目のほんの先へと移動した。もうあと一ミリ動けば、そのナイフは目へと突き刺さる。


「お前に喋る権利はない。……もう用はないからな」

「っ……! お前らのそれを世間に言ってやる! そうすればどうだろうな! お前らは、ごふっ……!!」


一瞬だった。

それでも口を開こうとする男の目の前に、いつの間にか真人がいて、男を顔を殴った。だが男はそこから動くことはない。いや、動くことも動かされることもない。表情や体勢は同じで、変わったのは顔の腫れと口から垂れる血だけ。

その間に一心は、四人の所へと駆け付ける。


「いっ、一心に……!」

「一心にーさっ……」


不安そうに見上げる弟達を見た一心は、ぽんと、両手を謙心と優磨の頭に乗せて、先ほどの無表情からは考えられないように、ふわりと笑った。


「もう大丈夫だ。遅れてすまなかった」


その優しい声を聞いた瞬間、四人の目からはダムの様に涙が流れ出した。それを見た一心は、ふっと笑って、四人の体をゆっくりと浮かせて立ち上がらせた。真人も近付いて、大輝と幸の頭を撫でて、あちゃー早く帰って手当てしような!と笑って、二人に肩を貸す。一心も他の二人に肩を貸して、ゆっくりと歩き出した。

ずっと固まっている男達の横を通りすぎ、扉から出る、というところで、真人は足を止めた。

首だけを後ろに向かせ、弟達に向けるあの笑顔ではなく、一瞬で冷たい目付きに変え、男達へと言う。


「もし運良く生きてた奴に言う。……この事言ったら、次はないと思え」


それは、もうこの世を終わらせるような目付きで、男達は口を開くことはなかった。

ただ、痛い目を見させてやる、と思っただけなのだ。自分等をぼこぼこにしたあいつ等の、弟達を傷付けて、痛い目を見せようと。それが、あんな物を見せ付けてくれるなんて。

あんなの。あんなもの。あんなやつ。


「怪物ーー……」


そんな呟きを聞いた真人は、くるりと前を向き、その工場から出れば、また思い切り扉ががしゃんと閉まる。

そして、ふっ、と小さく笑って、


「家族を守る、怪物さ」


呟けば、工場の中で木材やら鉄パイプが落ちる音が響いた。


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