非対関係
り(PN)
1 非月
誰か、あるいは何かを可哀想と思ったことが一度もない。そういえば少しは伝わるだろうか。愉しいと思ったことはある。苦しいと思ったこともある。ただ、それが他人(ひと)の感情と同じなのか、違うのかがわからない。わたしと似た感覚の持ち主が他にいるのか、いないのかがわからない。元より他人に興味がない。だから、わからなくても構わないが……。他人がわたしを知らなければ、それだけのこと。わたしが他人を知らなければ、それだけのことにさえならないだろう。
けれども困ったことに、わたしに興味を抱く他人がいる。好意ならばまだマシだが、悪意の場合、わたしの神経が磨り減らされる。わたしは自分の神経が磨り減らされる感覚が好きではない。好きな人間はいないだろう。だから相手を黙らせる。子供の頃には直接に、殴る/噛み付く/引っかく。相手が弱ければ、それで終わり。片が付く。相手が自分より強くても怯んでくれれば何とかなる。が、そうでない場合は返り討ち。わたしの神経がまた磨り減る。好きではない感覚が増大する。
それでも子供の頃は訓練すれば効果がある。親に金がないので自己流だが、相手を腕力で負かす方法を研究し、その成果を用い、復讐する。
そもそも罪がないわたしに相手が悪意を持ったのがいけないのだ。わたしに成敗されても仕方がない。殺されても文句は言えない。もっとも当時のわたしに相手を殺してしまうほどの力はない。それでも偶然の助けがあれば子供など簡単に死ぬが、あの頃わたしはまだ人を殺していない。だから、その行為が生む快感も知らない。
けれども薄々は感じていたと思う。アリを踏み潰すよりは虫を踏み潰す方が愉しかったし、スズメを殺すよりは鳩を、ネコを殺すよりは(ネコよりも大きな)イヌを殺す方が愉しかったから。身体に溢れる快感量が多いことを知っている。
もちろん、わたしは意味もなくアリや虫を殺しはしない。アリには噛まれたから、虫には湿疹を誘発されたから殺したのだ。最初に悪を仕掛けたのは彼らの方で、わたしではない。だから悪いのは彼らであり、決してわたしではない
ネコにしても、そう。不意に目の前に飛び出し、わたしの身体を自転車のサドルから道路に激突させる。イヌは無防備に道を歩いていたわたしを脅し、あのとき手に持っていたアイスクリームを落下に導く。だから彼らが悪いのだ。わたしは悪くない。
けれども世間は、そう見てくれない。
元々わたしは口数が少ない方で独り言も呟かないから、大抵の場合、わたしの行為は誰にも知られない。目撃者がいれば話は別だが、相手がわたしを知らなければ、口の利けない動物と同じ。が、そうでない場合、何件かに一件、親や学校に通報される。その結果として、わたしが親や教師に叱られる。
「動物は人間ではないのだから赦してやれ」
例えば教師にそう言われる。そうやって、わたしを諭そうと力を注ぐ。相手が明らかにわたしよりも弱いスズメのときは、
「可哀想だとは思わないのか」
と諭される。スズメはわたしの掌中で血と肉と骨に変わり命が費えたわけだが、それだけのこと。他に感慨があろうはずもない。手についた血の感覚がトロリとし、面白かった記憶のみが付随。悪さをしたのはスズメの方だから悪いのもスズメ。そんなわたしの考えは今に至るも変わらない。
もっともスズメの件に関しては、わたしにも一つ落度がある。わたしが握り潰したスズメが、わたしにフンを落としたスズメと同じではなかったかもしれないからだ。スズメの個体識別は難しい。わたしの視力と記憶力は他人のそれより格段に優れていると後に知るが、それでも完全には識別できない。毛色に若干特徴があり、わたし以外にも悪さをした報いか、尾の一部が欠けていたのでまず間違いないと確信する。が、わたしが罠を仕掛け、捉え、潰した後に別の良く似た別個体が現れる。わたしには二羽の区別がつけられない。それほどまでにそっくりだ。が、刑はもう執行済み。時間遡行力がないわたしにはどうすることもできない。だから諦めて貰うしかない。
この件に関し、わたしに言い訳があるとすれば、集団に責任を取って貰ったとなるだろうか。人間ならばクラスの誰かが悪さをしたので別の誰かが仕返しされた、ということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます