番外編④ 『菜の花』の花言葉

【陽光病院】


 黒髪のポニーテールの少女は、とある病室の前で足を止めた。ノックをして部屋に入ろうとするも、その手はドアの直前で止まってしまう。


(どんな顔をして入ればいいんだろう……)


 その少女の名は、菜の花 乃呑。全国で一番の秘宝使いを決める『秘宝大会』上位8名のうちの一人だ。


 いつもは活発で明るい彼女だが、今日は暗い表情をしている。


(クソ親父のDVが原因で、お母さんはずっと入院している……けれど私は5年間、一度も前の・・お母さんと顔を合わせていない)


【父親のDVは次第にエスカレートしていき、お母さんだけでなく、飼っていた猫の『ミント』にまで暴力を加えるようになった。


 私は9歳の時、黒猫の『ミント』と藍黒色の燕の『セルフィ』を連れて家を出た。


 それから私は誰に対しても心を閉ざしてしまっていた。今の親友、愛佳に会うまでは……


 ある日の体育の授業のことだ。

 男子同士、女子同士でペアになって行われる。

 いつもの私のペアの相手と、愛佳のペアの相手が欠席だったので、私は愛佳とペアで体育の授業を受けることになった。


 50m走、私の一番得意な種目だ。私の隣を走るのは、見るからに文化系の女の子。あーあ、これじゃ張り合いがないね。


 エアガンの銃声が鳴った。私は最初から全速力で走る。今日こそ7秒をきる!4……5……6……! 私が50mのラインを越えた。


「タイムは!?」


 私はペアの女の子に空かさず聞いた。絶対に6秒台の自信があった。しかし、ストップウォッチは止まっていない。7秒……8秒……と刻まれていく。


「ちょっと、何ボサっとしてんの?」


 私が声を荒らげると、その女の子は子鹿のような眼で体を震わせた。


「あっ……ごめんなさい」


 ストップウォッチは10秒を越えたところで止まる。


 最悪。そう思いながら私がスタート地点まで歩いていこうとすると、隣で並走していたはずの女の子が半ばで膝を抱えていた。


 そっか、この子を見てたんだ。

 私は瞬時に理解した。でも納得はしていなかった。

 手元にあるストップウォッチくらい、すぐに止めれるじゃん。そう思った。


 私が転んだ女の子の横を素通りしようとすると、後ろから私のペアの女の子が、転んだ女の子に駆け寄った。


「大丈夫?」


「はい、ありがとうございます……」


 傷の舐め合い。

 転んだ子を助けてあげる私優しいでしょ?

 そんな風に感じた。

 馬鹿馬鹿しい。


 先生に事情を説明して、もう一度タイムを測りなおすことになった。さっきよりも早く。私はそう決意してスタートラインに着いた。


 エアガンの銃声がなった。私はグングンと加速していく。4……5……心の中で数える。50mのラインが目前に迫ったその時、私は足を捻って転倒してしまった。


 私のペアの女のが、ストップウォッチも止めずに駆け寄ってくる。


「大丈夫?」


 しかし私はその手を突っぱねた。


「そうやって、私を利用して、周りからの評価を上げようとしてるんでしょ!?」


 つい叫んでしまった。その女の子の瞳には涙が溜まっていた。私は言い過ぎたと、少し後悔した。


「大丈夫……怖がらなくていいよっ……」


 !!? その女の子は、涙が溢れながらも笑顔で手を差し伸べ続けた。


「私も怖い。人が怖い。でもね、その気持ちって相手にも伝わってくるんだよ。だから笑ってほしい。菜ノ花さんには笑顔のほうがずっとずっと似合うから……」


 気がつくと、私の瞳にも涙が溜まっていた。

 私は学級委員。自分の弱みを見せないよう、ずっと虚勢を張っていた。私は泣いてることを悟られないように、そっと彼女に背を向けた。


「ありがとう……」


 ボソッと呟いて、私は足を引きずりながら一人で保健室に向かった。】


 黒髪のポニーテールの少女は、意を決して、トントンと病室の扉を叩いた。


「はい、どなたですか?」


 ガラガラと扉が開く。ポニーテールの少女の眼の前には、懐かしいお母さんの姿があった。


「私だよ……お母さん」


「乃呑……!? どうして」


 ポニーテールの少女の母親は、手で口を覆う。


「ずっと素直になれなかった……」


「乃呑……」


「今のお母さんとお父さんの事は嫌いじゃない。けど、体育祭の時、今の両親に『来んなっ!』って叫んじゃった……」


 菜の花 乃呑が家出した時、何の身寄りもなかった彼女は児童施設に保護された。そこには親身になってくれる人物がいたが、心に負った傷から、人を信じられず、新しい両親も受け入れることができなかったのだ。


「でも、今の私は幸せだよ。愛佳っていう親友ができた。ううん、それだけじゃない。学校の友達にも、少しだけ心を開けるようになってきた。このヘアゴムも、学校の友達から貰ったもの……」


 ポニーテールの少女はヘアゴムを外し、髪を下ろした。


「お母さん……!!」


 ポニーテールの少女は、母親の顔を見つめ、震える声で叫んだ。


「お母さんは、今でも私のお母さんだよ……! 早く良くなってね!」


「乃呑……」


「約束だよ!」


 ポニーテールの少女は、ようやく胸のつっかえが取れたような、晴れ晴れとした笑顔で言った。


菜の花の花言葉は、『小さな幸せ』。

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