第10話 010

有川が四葉電機本社ビルの入り口で社員証をかざすと、ゲートが緑色に光った。

 どうやら仮処分は有効らしい。てっきりうちの会社のことだから、仮処分が下されても従わないと思っていた。

 有川はエントランスを抜けエレベーターへと向かい、ちょうど到着した一番右のエレベーターに乗り込む。有川が17階のボタンを押し、「閉」ボタンを押すと、ドアが閉まる直前、男性が一人半身を隙間に挟んで乗り込んできた。

 男性は有川を見て驚いた表情になった。

「あ……有川……。戻ってたのか」

 彼の名は橋田智之はしだともゆき。おでこが広く、人が良さそうな表情をしている彼は、四葉重工業のプログラマーであり、兵器開発や軍事ネットワークの設計などを仕事としている。

「あぁ。つい先日裁判所の仮処分が出た」

 有川は橋田と目を合わせず答える。

「そうか。それはよかった。ってことは、これから裁判が?」

「そうなる。第一回が来週ある。それよりなぜ君がここに?」

「ちょっとこっちに用事があってさ」

 橋田がそう答えるとエレベーターが10階に止まった。

「僕じゃない。君だろ」

 そう言って有川は橋田に降りるよう促す。

「あぁそうだが、もう少し君と話がある。君のフロアまでついていくよ」

 橋田はそう言って、閉ボタンを押した。

 誰も乗り降りしないことを察したエレベーターが扉を閉める。

「うちの会社を相手に裁判とは君も大勝負に出たな」

 橋田がエレベーターの階数表示を見ながら言う。

「戦わなければ勝つこともない」

 有川は冷静に言う。

「まあそれはだけど、裁判は金もかかるし、相手は四葉グループだ。勝てっこない」

 橋田がそう言ったタイミングでエレベーターが17階についた。二人が一緒に降り、有川がどこかへ向かって歩き始める。その脇を橋田がついていく。

「それに、その、君は難しい立場だ。えっと、つまり……」

「僕はロボットだから裁判を起こす権利もないかもしれない」

 有川が簡潔に言う。

「まあ、そういうことだ。もちろん俺は君のことを人間と思っているし、それは今でも変わらない。けれど、世の中っていうのは非情なものだ。法律一つで人を幸せにも不幸にできる」

 そんなことを知っている。いつもそうだ。増えすぎた法律は、もはや誰のためのルールなのか分からない。

「君さえ良ければ俺にできることなら協力する。そりゃもちろん俺も社内の立場があるから表立っては無理だが、君と俺は親友だ。なにかあった時は助け合うのが普通だ」

 有川が橋田と知り合ったのは、大学時代だ。同じ学部で同じクラス。研究室も同じだった。有川はそのコンピュータの脳みそのおかげもあって大学一優秀で、橋田はそのおまけのような存在だった。

 研究室の推薦で二人とも四葉グループに入社したが、なぜか優秀な方の有川が四葉電機に入り、そのおまけであったはずの橋田は四葉重工業に入った。

「それはありがたい話だけど、君に迷惑はかけられない。僕に協力したことが知られれば、君なんて簡単にクビだ」

「いや、その心配はない。今僕は新しい多脚戦車の開発チームのリーダーをやってる。僕が構想した戦車だ。会社だってそうそう簡単にはクビにしないよ。今度大きな試験も控えてるんだ」

 橋田は笑って言った。

「君だって会社はクビにしたいわけじゃないはずさ。その、つまり君は優秀だし、今の介護問題や高齢化問題にも詳しい。そういう人は必要だ」

「それならなぜ会社は僕をクビにした」

 二人は両壁が白く光る長い廊下をひたすらに歩いていく。

「それは、その、君を……人として雇うことはできないからさ」

 橋田は言葉を選びながら言った。

「いいや違う。できないんじゃない、したくないんだ。僕を人として扱えば、余計な問題が出てくるし、給料だって発生する。そうじゃなく、僕を会社の一AIとして働かせたいんだ」

 有川の返答に橋田は何も言わなかった。

 ずっと歩いてきた有川が黒い扉の前で足を止めた。

「ここまででいいよ」

 扉には「第6開発室」と書かれてある。

「有川、ここって開発室だろ。君はここに戻ったわけじゃないと思ってた」

「正式には戻れてない」

 有川が橋田の目を見て言う。

「だけど、今度のアップデートデータの最終チェックをやり残してる。それをやってしまってからここを去りたい。なにせ十年以上やってきた仕事だ。やり残しがあるのは嫌だ」

「最後なんかにはならない。君はまたここに正式に戻ってこられる。そのためなら俺はなんでも協力するぞ」

「気持ちだけありがたくもらっておくよ。それじゃ」

 有川は橋田にそう告げると、ドアのセキュリティに社員証をかざした。ビーッという嫌な音がなり、セキュリティが赤く光る。

 一瞬固まった有川はゆっくりと振り返り、苦笑いした。

「その、なんでも協力するってのは……」

「僕のを使えよ」

 橋田はそう言って社員証を差し出す。

 四葉グループ内は共通の社員証を使っているため、権限レベルが統一されている。

「ありがとう」

 有川が橋田の社員証をかざすと、セキュリティは緑色に光って、扉が開く。社員証を橋田に返し、中へと入ろうとした有川が立ち止まる。

「なんでも協力するって話だけど、もう一つ頼んでもいいかな」



 有川が中へと入ると、部屋の電気が人の気配を察知して点いた。手前から奥へと順に明るくなっていき、何台ものパソコンやガラスのパネルが照らされる。

 部屋に誰もいないことを確認すると、有川は自分のパソコンへと向かい、上着のポケットからデータチップを取り出すと、パソコンに差し込んだ。

 この会社は、内部から外部に記録媒体を持ち出すことに関しては厳格だが、外部からの持ち込みに関しては入り口のセキュリティゲートをくぐるだけだ。

 パソコンの画面が立ち上がり、有川は作りかけのアップデートデータのファイルを開く。

 もちろん、悪意を持った社員や部外者にマルウェアを持ち込まれる可能性がないわけではないが、大方のウイルスは入り口のゲートで発見されるし、万が一持ち込まれても社内のコンピュータは自衛隊の軍事用ネットワークにも使われているセキュリティが内蔵されているため、ハッキングを仕掛けられることはまずない。

 有川が持ってきたデータチップから自作AIを立ち上げると、パソコン画面の右端にカメレオンのキャラクターが現れた。

「レオン、このプログラムの続きを指示した目的に沿って書いていってくれ」

 レオンと呼ばれたそのキャラは、一度だけ小さく頷くと、こっちを見たまま体を左右に揺らし始めた。すると、アップデートデータのプログラムに新しいプログラムが書き加えられ始める。

 軍事用セキュリティを唯一破り得るトゥレラウイルスは、感染したロボットからの分析も非常に難しいほか、培養、つまりコピーもほとんど行うことができない。それゆえ、トゥレラウイルスはこれまで人為的にテロなどに使われたことがない……ということに表向きはなっている。だが実際のところ、フロンティア戦争が終わった後にトゥレラは現れ、その二つに関係がないとは到底思えなかった。

 もし関係があるとすれば、トゥレラはあの戦争に関わったどこかの国が作った兵器ということになる。

 有川はデスクの上のガムボトルから一粒取り出し口に放り込むと、椅子の背もたれに寄りかかった。

 AIが答えを知っているかのように書いていくプログラムの流れを眺める。

 そして誰もいない無機質な開発室を見る。

 いつかこうなるとは思っていた。

 いつか僕が人間でないことがばれて、人間としての権利を失うことになると思っていた。

 完全義体化したのは小学5年生の時だ。僕は下校中交通事故に遭い、瀕死の状態になった。このままでは助からないと悟った両親は、密かに完全義体化を請け負っていた医者に頼んで僕の体と脳を人工物に変えた。

 脳が生まれ持ったものであれば、法律的には人と認められる。

 だから両親は義体化してロボットの体となった僕に、脳だけは本物だと言った。

 学校では体のことでいじめられ、殴られても体は痛くなかったが、心は傷ついた。でもそのことが、どこか僕を安心させていた。体は偽物でも心だけは本物だから、魂があるから傷付くんだと。

 義体化してから頭が良くなった気はしていたが、それは命を救われたことを感謝して勉強に精を出すようになったからだと思っていた。

 才葉大学に現役で合格し、僕はロボット工学について学んだ。そのうち自分のボディの整備も自分でできるようになり、海外製ボディの余計に高いメンテナンス料を毎月払う必要もなくなった。

 ただそれがいけなかった。

 自分の体を研究対象にあれこれいじっているうちに、知らなくてもいいこと知ってしまった。

 僕の頭には脳みそは入っていなかったのだ。

 代わりに入っていたのは、人工脳と呼ばれるニューロンネットワークを模して作られた高性能コンピュータだった。

 それで全ての謎が解けた。

 僕のボディが海外製なのも、バッテリーパックが必要以上に大きいのも、義体化の後、妙に頭がよくなった気がしたのも、全て。

 処理能力に関しては、一般の人間と同じくらいになるようセーブされていたようだが、試しにそのリミッターを外してみると、別世界に行ったようだった。

 見方を変えれば世界が変わる、と昔誰かが言っていたが、まさしくその通りで、全てのことに対する認識の仕方がこれまでと次元が違い、ただ街を歩くだけで何百もの本や映画やニュースを同時に見ている気分になった。

 ただ日常生活の中でそれをしたところで、僕はすれ違う人達との違いを感じるだけだった。だからリミッターを外すのは、プログラムを書いたりする時だけだ。

『書き終わりましたよ。ただ書き足した部分とこれまでの部分にアルゴリズム的な矛盾がありますね。修正しますか?』

 レオンが話しかけてきた。有川は書き足された部分のプログラムを、指でスライドしながら一行一行簡単にチェックしていく。

 うん、指示通りだ。

「あぁそうしてくれると助かる。それと、いくつかの個体用の特別ファイルも同時に書き進めてくれ。それのインストールはランダムじゃなくて、登録コードから均等に散らばるように」

 レオンはまた一度だけ頷き、また体を揺らし始める。

 人間とロボットはこれからどのように生きていくか。

 警備ロボ達の暴走のせいで中断されてしまったあの日の講義の続きを有川は考えていた。

 今、ロボットは人間に協力している状態だ。ロボットやAIは人間の道具であり、所有物だ。人間とロボットは対等な関係ではない。

 最近、人間とロボットは共存できる、という主張をみかけるようになった。街中でそれを叫ぶ人達は皆生身の身体を持っていて、どこか偽善臭く感じてしまうが、悪いことではない。

 けど人間とロボットは、共存はできないと思う。

 できるとすれば共生だ。

 ロボットを人間に協力させるか、人間とロボットが共生するか。

 二つに一つだ。

 そしてその選択は、誰かがきっかけを与えない限り、常に前者が選択される。

 ロボットは声を奪われているからだ。

『終わりました。チェックお願いします』

 レオンの報告を受け、有川はプログラムに目を通す。

 全て指示した通り、完璧だ。よく書けてる。

「レオン、ありがとう」

 有川はそう言ってレオンをシャットダウンする。そしてデータチップをパソコンから引き抜き、パソコンの電源を落とした。

 僕の中学の時の先生が、こんなことを言っていたのを思い出す。

 楽しいか楽しくないかではなく、正しいか正しくないかで判断しろ。

 ロボットを道具として扱うのは人間にとって楽しいことだ。

 だけど、人間はその昔黒人を奴隷にして道具のように扱った。それは白人達にとって楽しいことだった。

 けれど歴史が証明した通り、それは正しくなかった。

 ロボットも同じだ。正しくない。

 有川はパソコンの電源が落ちたのを確認し、開発室から出ていく。彼が横を通り過ぎたホワイトボードには「アップデートファイル納品完了」の文字が書かれていた。

 彼が出ていった数秒経った後、部屋は闇に包まれた。

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