第8話 008 ツナガリ
――東京都 武蔵野市
吉祥寺駅からほど近い住宅街は、ゴールデンウィークに入って人が多く家にいるせいか、普段よりにぎやかな雰囲気だった。空もよく晴れていて、雲の量が絵画のようにちょうどいい。
駐車場に車がない家はどこかに遊びに出かけ、逆に家の前の道路にいつも見かけない車の停まっている家は親戚や友達が遊びにきているのだろう。
そんな住宅街の中のとある一軒、茶色を基調とした西欧風のデザインの一軒家はいつもどおりの様子だった。
二階の子ども部屋のドアが開く音がして、足音が階段を伝って一階まで聞こえてくる。徐々に大きくなっていく足音が最後の二、三段を飛ばしたようで一度途切れ、一段と大きくなってダイニングに響いた。
「お父さん、おはよう!」
女の子が元気に挨拶をした。
彼女は
「おはよう。もう十二時近いけどね」
「ドリーもおはよう」
柑奈はリビングの方を向いて挨拶した。
「柑奈、おはよう」
そこには、柑奈とほぼ同じ背丈のロボットがいた。まんまるの目に簡単な開閉式の口、身体の関節はボール状のものという旧型のロボットらしい見た目で、手や足を動かすのが少し不自由そうだ。
柑奈はすぐにはテーブルにつかず、ドリーに近付いて楽しそうに話しかける。
「ねぇ、ドリー。今日は何の日か分かる?」
ドリーは柑奈の顔をじっと見つめ、分からないというふうに首を傾げた。柑奈の表情が曇る。
「え、本当に分からないの?」
「ごめん……。僕、分からない」
柑奈は悲しくなった。
毎年この日はドリーが朝一番にお祝いしてくれていたのに……。
「柑奈、ドリーももう年なんだ。もの覚えが悪くなっても不思議じゃないだろう?」
雄一が静かに言う。
「そうだけど……、でも今日は私の誕生日なんだよ? それも忘れちゃうなんて……」
ロボットだから何かを忘れたりはしないはずなのに、ドリーはここ最近記憶力が悪くなっていた。
なんとか直せないかとお父さんに相談したけれど、ドリーはすでに十年以上前のロボットみたいで、メーカーはもうサポートを終了しているらしい。サポートが終了すると、部品交換や修理をしてもらえなくなってしまうみたいで、ドリーの手足の動きが悪いままなのもそのせいだった。
「仕方ないよ。ドリーの代わりに新しいロボットを買ってみようか。そしたら柑奈の新しい友だちになれると思うけどな」
「ドリーじゃなきゃヤダ! 新しいのなんていらない!」
柑奈は大声で言った。
「わ、分かってるよ。でもいざ遊んでみたら楽しいかもしれないよ」
「いいの!」
柑奈は突き返すように言った。
「まあ、とりあえず食べよう」
雄一に言われ柑奈は椅子に座り、父を見てあることに気付く。
「ねぇお父さん。なんでスーツなの? 今日はお仕事休みじゃないの?」
自分のトーストにバターを塗っていた雄一の手が止まる。
「ご、ごめんなぁ……。さっき急に連絡があって少しだけ仕事に行かなきゃいけないんだ」
「なんで? 今日はお休みって言ったじゃん」
「ほんとごめん。夕方前には戻るから。ちょっとシステムトラブルがあったみたいで、お父さんが必要だって」
雄一はPoSuの管理運営などを行う電監の電網監理部のシステムエンジニアをやっている。
「今日は動物園に遊びに行く約束だったじゃん」
柑奈が雄一を睨む。
「じゃあもういいよ。ドリーと遊んでるから」
柑奈はふれくされて下を向く。
「ごめんって。でも早めに帰ってくるから。それまで大人しく家で待っててくれるか? お出かけは今度の休みに必ず行くから」
雄一は柑奈に顔を近づけた。
じっと見つめてくるお父さんの目は、本当に申し訳なさそうだった。
「……分かった。今度は絶対だよ」
柑奈がトーストを両手で掴みながら言う。
「絶対だ。約束する」
「じゃあ夕方前には帰ってくるから、それまで家でいい子にしてるんだぞ」
「分かってるよ。もう私十才だよ?」
「それもそうだな。じゃあいってくる」
雄一は笑ってそう言うと、玄関を出ていった。自動で鍵が閉まるのを見届けると、柑奈はリビングに走っていく。
「ドリー、遊ぼ?」
柑奈の呼びかけにドリーは反応をしめさなかった。
「どうしたのドリー? チェスでもする?」
柑奈はそう言って、テーブルの引き出しからチェス盤と駒を取り出す。柑奈が盤に駒を並べていくが、ドリーは手伝おうとしない。
「ねぇ、ドリーも並べてよ」
しかしドリーは手を動かそうとしない。
だが柑奈は特に疑問には思わなかった。最近こういうことがよくあるからだ。話しかけても反応がなかったり、しばらく全然動かなかったり。でも少しするとまた元にもどる。だからこういう時は気にしないのが一番いい。
「ドリーも並べてよ」
ドリーが喋った。しかしその言葉は柑奈がさっき言ったことと同じだった。
「なんで真似したの?」
柑奈が聞く。
「なんで真似するの?」
ドリーは今度は口調を真似し、そしてゆっくりと首を横に振り始めた。
柑奈の頭に一つの言葉が思い浮かんだ。
異常動作。
雄一がよくこの言葉を使っているのを柑奈は聞いていた。そして、異常動作を起こしたロボットがどうなるのかも、柑奈は知っていた。
「ドリー! ドリー、しっかりして!」
柑奈は駒を並べる手を止め、ドリーに呼びかける。しかしドリーは首を振るのをやめようとはしない。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
柑奈はびっくりして持っていた駒を落とし、玄関の方を振り返る。
誰だろう。お父さんはさっき出かけたばかりだし、忘れ物を取りに戻ったにしても鍵を持っているはず……。
柑奈は一度インターホンのモニターを確認しに行く。その間ドリーは同じことを繰り返し喋っている。
これはきっと異常動作だ。ドリーはとうとう壊れてしまったんだ。
また玄関のチャイムが鳴る。
柑奈は玄関へと走っていった。
『警視庁から入電中。警視庁から入電中。武蔵野市吉祥寺南町の住宅街で少女が行方不明になった模様。繰り返します。武蔵野市吉祥寺南町の住宅街で少女が行方不明になった模様。在庁員は至急現場に急行してください』
電監庁舎、監視第一課のフロアにアナウンスが入る。
「おいおい、いつからうちは警察署になったの?」
黒田課長が顎を触りながらぼやく。
「今詳しい情報が。少女の父親が家に帰ると、娘とロボット一台が消えていたとのこと。ロボットの方は最近調子がおかしく、暴走の可能性もあると。それと、父親は電網部の植村です」
宮野班長が報告する。
「なるほどね。まあそういうことなら、うちの仕事でもあるね。御木君、それと……鳥居。君たち現場行ってきて」
「分かりました」
春香はすぐに返事をする。
「僕ですか。あ、今日翔君非番か」
鳥居はそう言いながらデスクのパソコンから端末を引き抜く。
「電パト一台、出動許可証の発行を」
春香がパソコンのAIに向かって話しかける。画面に書類が表示され、必要事項が一瞬で記入されると、それが紙飛行機の形に折りたたまれ、画面の奥に飛び去っていく。数秒待つと、紙飛行機が帰ってきて、開かれると総務部の判子が押されてある。
それを端末に移してパソコンから引き抜き、春香はオフィスを出る。先に出ていた鳥居がエレベーターを捕まえていたので、春香は彼と一緒にそれに乗り込んだ。
二人が現場に到着すると、パトカー一台と数人の近所の人だと思われる人達が集まっていた。制服姿の警察官が父親の雄一に話を聞いている。
「それで、ロボットの識別コードのほうは?」
警察官が雄一に質問する。
「あぁ、えっと、これです。ただもう結構古いロボットなので、識別信号が出てるかどうか」
雄一は自信なさげに答え、ポケットから出した携帯を警官の持つ端末にぶつける。
「識別コードは重要です。なぜ定期的なメンテナンスをしてないんですか?」
警察官と雄一の間に春香が割って入って質問する。
「あの……あなたは?」
「私は監視一課の御木です」
春香は携帯の免許をかざしながら答える。
「あぁ、今回はお世話になります。実は娘がメンテナンスを嫌がって。まだ子どもですから何か異常が見つかるとすぐに処分されると思ってるようで」
「でもあなたも電監職員ならメンテナンスの重要性は分かっているはずでしょう」
「それはそうなんですが……」
雄一が申し訳なさそうに言う。
「識別コード、受信しませんね」と警官。
「ウイルスによる暴走で、そもそも識別コードを送信してないのかもしれない。状況の方はどうなってます?」
鳥居も免許を見せながら話に入る。
「少女の方は既に手配済みです。彼女の携帯のGPS信号を追っているところです」
「それなら娘さんの方はすぐに見つかりますね」
春香は少しほっとした。
「いえ、それが移動速度が早く、おそらく車で移動しているようなんです」
「ということは、誘拐ですか?」
「もう警察ではその線で捜査を始めています」
雄一の表情が暗いのはそのせいなのだろう。
彼を見ていたら、鳥居に肩を叩かれた。
「御木ちゃん、僕はロボットが少女と一緒にいる可能性があるから、彼女のGPSを追うよ。君は別の線を当たってみて。ほら、電監にも捜査はできるんだから、家の中見てみてもいいし」
「分かりました」
「おまわりさん、そのGPS信号うちにも送ってもらえますか?」
「えぇ、かまいませんよ」
「ありがとう。じゃ御木ちゃん、車は借りてくよ」
鳥居はそう言うと、電パトに乗り込み、走り去っていった。
「あの……あなたは行かなくてよかったんですか?」と雄一が聞く。
「はい。私には捜査があるので」
春香が少し得意げになって答えた。
「植村さん、少し家の中を見せてもらってもいいですか?」
「いいですけど、さっき刑事さんが見たあとなので、特に手がかりになるものはないと思いますけど」
「探すものが違うので」
春香はそう言うと家の中へと入っていく。
玄関を入ると、まず廊下と階段と、そして大きめのダンボール箱が目に入った。
「二階は子ども部屋と私の寝室になっています」
「あの、失礼ですが奥さんは……?」
「あの子が生まれた後すぐに病気で亡くなりました。それでドリーを買ったんです」
「そうだったんですか……。その、ドリーっていうのは、いなくなったロボットですか?」
「はい。スバルテックの十年以上前の家庭用ロボットです」
「じゃあえっと、あのダンボール箱は?」
「中を見てみれば分かりますよ」
彼がそう言うので箱を開けてみると、半年前に発売された家庭用汎用アンドロイドのパッケージが見えた。
「今日は娘の誕生日なんです。それで、プレゼントとしてそれを。でもそれを受け取るために玄関を開けたせいで誘拐されたのなら、仕事に行った私のせいです……」
「娘さんはこれを楽しみに?」
「いえ、娘にはこのプレゼントのことは言ってません。あの子はドリーが大好きでしたから。でもドリーはもう壊れかけていて、新しいロボットを買ってあげたいと」
雄一はそう言って、玄関の上がり框に腰を下ろした。
「でも、それは言い訳なんです。私が子どもの遊び相手にしかならないドリーより、家事をやってくれる新しいアンドロイドを欲しかったんです」
「では娘さんは、今日このアンドロイドが配達されてくることは知らなかったんですね」
「えぇ。でもそれがなにか?」
刑事ドラマならこの時点ですでに主人公の頭の中にある程度の推論が立っているのだろうが、春香はまだ何も思いついていなかった。
「す、少なくともこれが配達された時点では娘さんはいたことは分かります」
こんなこととっくに警察は知っているだろう。
一階にはダンボール以外特に気になるものはなく、春香と雄一は二階へと上がった。
「ここが娘の部屋です」
雄一にそう言って案内された部屋は、見るからに小学生の女の子の部屋という感じで、水色のアイテムで部屋中溢れていた。ベッドの布団も水色、カーテンも水色、部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルも水色。だがランドセルはワイン色だった。
春香は端末で植村の娘の名前を確認する。
「柑奈さんは水色が好きなんですか?」
「えぇ。小学校に上がる前はピンクが好きだったんですが、二、三年生のころから急に水色が好きになったみたいで」
「私もそうでしたよ」
壁には、クレヨンや水彩絵具で描かれた絵具が数枚貼ってある。
「絵を描くのが得意なんですか?」
「はい。学校で描いたのが賞に選ばれたりして。家でもたまに描いてます」
「あれはお父さんですか?」
白いヘルメットを被った男性の絵を指差す。
「えぇ、まあ。柑奈は私の仕事に興味を持ってくれていて、私を喜ばせるためかもしれませんが、将来は電監に入るって言っています」
雄一は嬉しそうに言った。
「いい娘さんですね」
春香がそう言うと、雄一は照れたように頭を掻いた。
今のところ、柑奈ちゃんはアンドロイドの宅配を受け取るために玄関を開け、その時に誘拐されたことになっている。けれど、それではロボットがいなくなったことの説明がつかない。かなり古いロボットだから高値で売れるわけでもない。
少女の行方不明とロボットの行方不明の原因はそれぞれ別で、少女が誘拐された後に、ロボットが何らかの原因で暴走し脱走した可能性もある。
ただ春香には、一つ引っかかることがあった。春香は昔、今の柑奈と似た経験をしたことがあるのだ。
小学生の頃、飼っていた犬が死んでしまい、私がすごく落ち込んだことがあった。両親はそんな私を心配して、一週間後に死んだ犬と同じ犬種の犬を買ってきた。でも私は死んでしまった犬が好きだったのであって、新しい犬が欲しかったわけではなかった。
柑奈ちゃんももしかしたら同じような気持ちになったのかもしれない。
「ドリーの調子が悪くなり始めたというのはいつごろですか?」
「もう半年ほど前からだと思います。去年、ロボットのメーカーサポートが終わって、修理やOSのアップデートが終了してしまったもので」
「ウイルス対策ソフトは最新のものを?」
「一応入ってはいるのですが、最新のものは容量の問題で入れられなくて、かなり前のものを」
そうなれば、ウイルスに対する脆弱性がかなりの間放っておかれたことになる。トゥレラをはじめ、その他のウイルスに感染している可能性は高い。
「調子が悪いというのはどんなふうに?」
「急に動かなくなったり、物忘れが激しかったりですかね」
どちらも変なことには変わりないが、トゥレラの保菌者であったにしては症状が大きすぎる。
「それなのになぜ修理をしなかったんですか?」
「私だってロボットには詳しい。もちろんしようとしましたが、メーカーの修理は受けられないし、近くの修理屋にもっていったら初期化しかないと言われて」
初期化してしまったら、このタイプの古いロボットは記憶を外部に保存できないから、ドリーの記憶は全て失われてしまう。新しいロボットを嫌がっていた柑奈ちゃんがそれに賛成するはずはない。
「他に症状は出ていませんでしたか?」
「えっと、そうだな、最近はごくたまに私達の言葉や口調を真似ることがありました」
真似るといえば、カメレオン現象だ。OSのプログラムが徐々に書き換えられていき、ロボットとしての自我が失われていくと、近くの人を真似て見繕おうとする。
そして、カメレオン現象を引き起こすウイルスで最も有名なのは、「スーパーサイズ」。一昔前に流行ったウイルスで、感染したコンピュータやロボットは重要なプログラムが意味のないプログラムへと書き換えられてしまい、最終的には動かなくなる。
「ねぇ、鳥居さんの電パトに送っているGPS情報、私の端末にも送って」
春香が右耳のイヤホンを押さえAIに指示を出すと、端末のホログラム画面上にマップが表示された。道なりに進んでいるように見えるが、時折道を逸れ、建物を突っ切ったりしている。
春香はマップを覗きながら、またイヤホンを押さえる。
「鳥居さんにつないでくれる」
ボワンという電子音が耳に響く。
「はい、こちら鳥居。どうした御木ちゃん」
「柑奈さんは見つかりましたか?」
「それがまだ追いつけてない。対象が雨の日のマラソンみたいに隠れるのが上手くて追いついたと思ってもまた逃げられる」
「GPSの動き方、少し変じゃないですか?」
「まあ多少のズレはあるけど、誤差の範囲内じゃないかな」
マップ上の点は休むことなく動き続けている。
ちょっと待って。
休むことなく?
車で動いているなら必ず信号に止まる。止まらなければ次の信号から停止命令が出され、路肩に車を寄せることになる。誘拐犯が手動運転のみのガソリン車の可能性もあるが、もっとマシな答えがある。むしろどうしてこれだけの人間が見ていて誰も気付かない。
「鳥居さん、その対象は車じゃありません!」
「じゃあなんだ」
「配達ドローンです!」
春香はそれだけ言うと、鳥居との通信を切った。
「柑奈の居場所が分かったんですか?」
「いえ、まだです。ですが、誘拐の可能性はなくなりました」
春香はそれだけ言うと、またイヤホンを押さえた。
「スバルテックへの捜査協力の申請をして」
春香はAIに指示を出しながら階段を降りていく。端末に書類が表示され、AIによって自動で書き込まれていく。
「誘拐でないなら、柑奈はどこにいるんですか?」
「おそらくこの近くです。柑奈さんはおそらくドリーの異常に気付き、修理されないようドリーを連れて逃げているんです」
「で、でもじゃあ携帯のGPSは」
「娘さんは賢い子ですよ。荷物を配達してきたドローンに自分の携帯をくくりつけて、まんまと私達を出し抜いたんですから」
端末がピピピッと音を出し、イヤホンに電話が通じる。
「こちらスバルテック情報管理センターです」
「私は電監監視一課の御木です。今日かかってきた修理依頼の電話記録を見せて欲しいの」
「分かりました。本日のお電話は今現在で567件あります。全てを参照しますか」
「いいえ。十歳くらいの女の子の声でかかってきたものだけに絞って」
「2件あります」
「発信場所が武蔵野市近辺のものは?」
「1件あります」
ビンゴ。
「発信場所を教えて」
「東京都三鷹市井の頭四丁目、井の頭公園内公衆電話からです」
「ありがとう。捜査への協力感謝します」
春香はそう言って満足気に電話を切って、雄一の方を向いて言った。
「柑奈さんはおそらく今、井の頭公園にいます」
課長に電話をかけ、付近の警察にも公園の捜索を依頼した後、春香と雄一は井の頭公園へと向かった。植村宅から公園までは住宅街の中を流れる川沿いに歩くと十五分ほどだった。
散り終わった桜並木の下を見回っていると、警察から通信が入った。
「野球場付近のベンチで柑奈ちゃんと見られる女の子を発見。ロボットも一緒です」
「了解しました。至急向かいます」
井の頭公園の南側、野球場や遊具の並ぶ場所は、子ども達とその親達で賑わっていた。その中、ベンチに不安そうに座る二つの人影が見えた。柑奈はTシャツ姿、ドリーはフードで顔を隠していた。 そしてその二人を見下ろすように警官が二人立っている。
走ってきた春香と雄一は彼らを見つけると、春香は膝に手をつき息を整えようとし、雄一は柑奈に走り寄った。
「柑奈!」
雄一はベンチに座ったままの柑奈を両腕で抱きしめた。
「お父さん……ごめんなさい……」
柑奈は雄一の肩に頭をのせながら謝った。
「いいんだ。お前が無事ならそれでいいんだ」
雄一はそう言って更に強く娘を抱きしめ、二人の様子を見守る警官二人に頭を下げた。
「娘を見つけてくださり、ありがとうございました」
「いえいえ。仕事ですから」
警官達は少し照れたように笑った。
息を整えた終わった春香も彼らに歩み寄る。
「ご苦労様です。協力ありがとうございました」
春香の会釈に警官達は敬礼をした。
「娘さん見つかってよかったですね」
「本当にありがとうございました」
「いえ、いいんです。私も仕事ですから」
春香は胸を張って答えたが、人探しは電監の仕事ではなかった。
「柑奈ごめんな。お父さん、お前の気持ちも確かめずに新しいロボットなんて買って」
「いいよ。大丈夫」
柑奈はそう言って笑った。
しかし春香の仕事はここで終わりではない、というかここからが本業であった。柑奈の右手に座るドリーは、さっきから一言も発しない。
「ねぇ柑奈ちゃん、ドリーはどうしたの?」
春香はしゃがんで柑奈と目線を合わせて尋ねる。
「はじめは一緒に歩いてたんだけど、途中から全然動かなくなっちゃったの……」
おそらくウイルスに全てのプログラムを書き換えられてしまったのだろう。こうなってしまってはどこに持っていっても元に戻すことは不可能だ。
「柑奈ちゃんはお父さんの仕事に興味があるんだよね?」
「うん。電監っていって、ロボットとかインターネットとかの管理をしてるんでしょ」
「そうだよ。柑奈ちゃんのお父さんはインターネット、私はロボットの管理をしているの」
柑奈の表情が曇ったのが春香にも分かった。
「ロボットはね、壊れたら持ち主が直したりすることが法律で決まってるけどね、すぐに壊しちゃうわけじゃないんだよ」
春香はゆっくりと説明した。
「私達は、ロボットの持ち主にいいよって言われてからじゃないと、ロボットを勝手に壊したり直したりしちゃいけないの」
「ドリーは異常動作をしてるんでしょ?」
柑奈は春香の目をまっすぐに見つめ聞いた。
「そう。だから直さなきゃいけない。それは分かるよね」
「……うん」
「それでね、ドリーをどうやったら治せるか、少し調べなきゃいけないんだけど、それをしてもいいかな?」
柑奈は小さく頷いた。それを見て春香は雄一の方を向く。
「植村さん、このまま帰って近いうちに修理に出すこともできますが、おそらくドリーは初期化しか方法がありません。ウイルスはおそらくスーパーサイズですが、もし別のウイルスだった場合早くに手を打ったほうがいい。少なくとも検査、できれば修理までの代執行をここで行ってしまいたいのですが……」
「検査することは娘も納得しています。それにもう初期化しか手がないことは私にも分かります。だから、それは私が話します」
雄一はそう言うと、柑奈の脇に座った。
「柑奈、ドリーはこのままだともう動かないままだ。どこに持っていっても直してはくれない」
柑奈は下を向いたまま黙っている。
「もしドリーにまた動いたり喋って欲しいなら、初期化といって、ドリーを買ってきた時の状態にするしかないんだ」
「それって、前にも言ってたやつでしょ?」
柑奈が小さく呟く。
「そうだ。初期化すると、中のプログラムは元に戻るけど、ドリーの記憶は全部消えてしまう。だから、ドリーは柑奈のことや柑奈との思い出も忘れてしまう」
柑奈の目に涙が溜まっていった。涙袋に収まりきらなくなった涙が両頬をつたう。
「ぜ、全部……忘れちゃうの……」
柑奈が泣きじゃくりながら言う。
「そうだ……。忘れてしまう」
「そんなの嫌だよぉ!」
柑奈は雄一の胸に顔をうずめて大声で泣いた。
春香はその様子をじっと見つめていた。
きっと彼女にとってドリーは、遊び道具ではなく遊び相手だったのだ。そして、愛着ではなく愛情を持ってドリーと接していた。
ロボットはただの道具なんかではないのだ。きっと、友達にもなれるし、恋人にもなれるし、家族にだってなれる。
そんな存在を相手に私は仕事をしているんだ……。
徐々に泣き止んできた柑奈が雄一の胸から顔を上げた。目を泣き腫らしている。
「ドリーは……、っ、ドリーはもう……それでしか治らないの?」
雄一は柑奈の目をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。涙を両手で拭いながら柑奈が春香を見た。
「ど、ドリーを……、治してください」
春香は短く答えた。
「まかせて」
電監のドローンにパソコンを持ってこさせ、動かくなったドリーの首筋にダイレクトケーブルを差し込んだ。パソコン画面に表示されるOSにプログラムは全て意味のない文字列に書き換えられていて、唯一発見した有効なプログラムがウイルスのスーパーサイズだった。
「ではここにサインを」
代執行の令書に雄一のサインをもらい、春香は初期化の準備に取り掛かる。意味のないプログラムの一部を消去し、空いた部分を使ってネット経由でリカバリーモードでドリーを起動させる。
「この復元の押すと、ドリーが初期化される。柑奈ちゃん、お別れはいいの?」
「思い出はまた作ればいいし、ドリーはいるもん。さよならじゃないよ」
柑奈はそう言って微笑んだ。
「そうね」
春香がパソコンの復元ボタンを押す。ブゥーンというファンの回る音低い音が響き、画面上をプログラムが流れていく。
今日ドリーを初期化しても、また別のウイルスに感染してしまう可能性は高い。その度に初期化を繰り返していれば、いつかは本当にお別れをしないといけない時がくる。
人間は死んだら生き返らない。だけど、ロボットは記憶やボディを使いまわすことができる分、たちが悪い。諦めがつかないからだ。
どうやって家族の死を受け入れたらいいか分からなくなる。
流れていたプログラムが止まり、パソコンにドリーの設定画面が表示された。
「どうなったの……?」
柑奈が不安そうに聞いてくる。
「たった今、無事ドリーは治ったわ」
春香がそう言うと柑奈は笑顔でドリーの名を呼んだ。
「ドリー!」
ドリーの球状の目に光が灯り、彼は辺りを少し見回し、柑奈を見た。
「ドリー、私柑奈っていうの。忘れちゃっていると思うけど……」
「柑奈、こんにちは」
ドリーが右手を挙げて挨拶した。
「うん、こんにちは」
柑奈は嬉しそうに言った。
記憶はなくても、ドリーの性格は大きくは変わらない。だけど、彼はドリーとは似て非なるものだ。
「私のこと何か覚えてる……?」
上目遣いで柑奈が尋ねる。ドリーは、彼女のことをじっくり眺める。
「ハッピー……バースデイ」
ドリーはそう言った。
春香達は驚きのあまりその場に固まってしまった。
「ど、ドリー……、どうして……? 覚えてくれてたの?」
「……そう」
「凄いドリー! 私の誕生日覚えてくれてた。ねぇお父さん凄いよ!」
柑奈はより一層喜んで、ドリーに抱きついた。
そんなはずはなかった。ドリーのメモリーはウイルスに書き換えられ、さらに初期化までしたのだ。どこにも記憶が残っているはずはない。
でも、もしかしたらロボットにも魂があって、それが彼にハッピーバースデイを言わせたのだろうか。
春香がそんなことを考えながら楽しそうな二人を見つめていた。
「では私はこれで」
春香は雄一にそう告げると、その場を後にした。歩きながらAIに指示を出す。
「令書のコピーを課長に送っておいて」
春香の後ろでは、すっかりいつもどおりに仲良くなった柑奈とドリーが手を繋いで遊具の方へと走って行っていた。
「ねぇドリー、一緒にブランコ乗ろうよ」
笑顔でドリーをブランコへ誘う彼女のTシャツには、アルファベットで、「HAPPY BIRTHDAY」と書かれていた。
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