津村記久子「君は永遠にそいつらより若い」 書評

ゆめ

日常に潜む暴力との対峙

津村記久子「君は永遠にそいつらより若い」 ちくま文庫


夕食をとりながら、何気なくテレビから流れるニュースを聞く。

ニュース、次のニュース、また次のニュース…。そこにあるのは、死。死、死、また別の死。

ニュースって、人が死んだ話ばかりだ。誰かが誰かを殺した、誰かが誰かを傷つけた…。無数の死、無数の傷、無数の悲しみ。そんな次々と読み上げられるニュースをBGMにして、あなた/私は平然とご飯を食べている。

 

他人が受ける傷や苦しみは、あくまで他人のもので自分のものではない。と、わざわざ言い切ってしまうのは、なんだか自己中心的なような気がして憚られる。しかし、他人の苦しみをすべて自分の苦しみと同じように感じていたとしたら、人は生きていけないだろう。

「苦しんでいる他者の存在を意識の外に置く」ことは、私たちが生きていくためのすべなのだ。

本小説の主人公・ホリガイは、このような割り切りができない人物として描かれている。他人の身に起きた不幸について想像を繰り返すうちに、まるで自分の身に起きた本当の記憶のように思え、また、なぜ自分はこんなにも無力なのかと考え続けるのだ。


小説内では、2つの大きな「他者の不幸」が扱われている。一つ目は、主人公が高校を卒業した春にニュース番組で取り上げられていた、行方不明の男の子。二つ目は、大学四年生になった主人公が出会うある女性の、子供の頃に受けた誘拐被害だ。

物語の時間軸では、主人公はすでに就活を終えて卒論のめどもつき、わずかなコマ数の授業とバイト先と下宿先を行き来しながら、残り少ない大学生活を送っている。主人公は、大学を出た後は児童福祉司として働くことが決まっている。その、主人公が児童福祉に関わろうと思ったきっかけというのが、ニュースで見た行方不明の男の子なのだ。いつか自分の手であの子を探し出す…、というのが主人公の志望動機のすべてであり、自分の決めた進路が行方不明の彼につながっていると信じることが、罪悪感から逃れる唯一のすべなのだった。

普通に考えて、一度ニュースで見たきりの男の子を自分の手で見つけ出すというのは到底できそうなことではない。主人公も、その考えがどこか妄想じみていることを自覚している。しかし、頭に取り付いて離れない罪悪感が、どこかちぐはぐな行動へと主人公を駆り立てるのだ。


この小説の、改題前のタイトルは「マンイーター」。「人々を喰うもの」=日常の裏に潜む暴力と悪意。

弱者の存在にこだわり抜いてみせる主人公に、「正義感」とはただ美しいものではなく、苦しめる側への憎しみを抱えることでもあるのだと気づかされる。

だらだらと日常を過ごしながら、不意に強い行動力を発揮する主人公。いびつさを抱えた彼女に、最後かすかに希望の兆しが見え、救われる思いがした。

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津村記久子「君は永遠にそいつらより若い」 書評 ゆめ @2010929

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