最果タヒ「星か獣になる季節」書評

ゆめ

「死んでしまう系」を生きるギリギリの17歳たち

『星か獣になる季節』 最果タヒ 筑摩書房


冴えない高校2年生「ぼく」が追いかけている地下アイドルが、ある日殺人容疑で捕まった。

この事件をきっかけに、主人公は、ほとんど話したこともなかったクラスメイト「森下」と関わるようになる。森下は、主人公とは対照的に、明るく人気者。だが、主人公は、捕まった地下アイドルのライブ会場で何度か森下を見かけていて、彼がアイドルファンなのを知っていた。

模倣犯で捕まって自分が真犯人だと思わせれば、彼女は釈放される−−森下の計画に、主人公は「手伝おうか?」と申し出る…。


「星か獣になる季節」とは、人が17歳として過ごす1年間のことですーと著者は言う。

キーパーソンである「森下」は、クラスメイトから人望もありながら、「アイドルを救う」という目的だけで、何のためらいもなく連続殺人を犯す、いわゆる「サイコパス」のように描かれている。その人物設定も、「地下アイドルを救うために17歳が模倣犯をして殺人を犯す」という筋も、リアリティがあるのか? と問われれば、即座に、ある、とは答えられないだろう。

なのに、この小説の中に私は、なぜか圧倒的な「リアル」を感じる。

 

著者・最果タヒは、詩人としてデビューし、本作が初の小説作品だ。代表作は、詩集としては異例の売れ行きを見せている、「死んでしまう系のぼくらに」。

そのタイトルからも分かるように、彼女の作品と、「死」という一字を切り離すことはできない。

では、彼女の作風は退廃的なのか? というと、そうではないのだ。

むしろ、「死」という、一つの「極」をぼかすことなく書くことで、色鮮やかさが増し、言葉が「生きて」いる。そんな印象を受ける。

 

「星か獣になる季節」でも、それは変わらない。最果タヒの詩の中で繰り返し扱われてきた、「死」「青春」が、今度はストーリーという形になる。

どきりとさせられる、極端なストーリーと人物設定。でも、その「極端さ」は、青春期・10代が持つ、刹那的な輝きに似ているのではないだろうか?

殺人事件という非・日常を描きながら、そこにあるのは、私やあなたのものであるかもしれない日常だ。

「死んでしまう系」を生きるギリギリの17歳たちに、ぜひ本書を開いて出会ってみて下さい。

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最果タヒ「星か獣になる季節」書評 ゆめ @2010929

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