第1話 新入生のTable Limit
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。階段を上り、降りて出口まで向かう。改札機にICカードをかざし、通り抜ける。駅舎から出ると、雲一つない青空が僕を出迎えた。無事何事もなく目的地に着いたことを実感し、僕は安堵の息を吐いた。
「問題なく着いたみたいだな……よかったよかった」
「あー緊張した。自分たちだけで電車乗るの、何気に初めてだったもんね」
僕が独り言のように呟くと、隣に立っていた女子生徒も声をあげた。そちらを向くと、彼女は屈託のない笑みを浮かべた。
「ま、私は永人(えいと)についていけばよかったから楽だったけど」
「あのなぁかんな、これから三年間同じ道を辿って登下校するんだぞ? 降りる駅とか乗り換えとか、自分で覚えておかないといけないんだからな?」
「わかってるよ。おいおい覚えるから」
「おいおいじゃなくてさ」
足を高校の方へ進めながら、僕と幼馴染はいつもの調子で話し始めた。僕たちはこの春から鳥羽高校という私立高校の生徒になった新入生だ。今日が二日目の登校であり、初めての自分たちだけの登校だった。昨日は入学式だったから、親の車に乗って登校したのだ。
「いいじゃん、来るときも同じ制服の人沢山いたし、その人についていけば間違えないでしょ」
「行きはそうかもしれないけど、帰りはそうもいかないだろ? 僕たち結構辺鄙なところから電車を乗り継いできてるんだから、帰る時まで一緒の道を行く人が都合よくいるとは……」
「あーもうわかったよ。永人は本当に細かいんだから」
「不確定な物事に身を任せるのが嫌いなだけだよ」
「そして理屈っぽい」
「物理学者と生物学者の子供だからしょうがないだろ」
そんなことを言い合いつつ、軽い足取りで高校まで向かう。ぴかぴかの一年生特有の、希望に満ちた歩みだ。かんなも新しいローファーの感触を楽しむように弾んで歩いていた。彼女の体が上下するたびに、柔らかいショートカットが一緒に跳ねて、真新しいチェックのスカートが揺れた。
「しかしかんなとまた同じクラスになるとはなぁ。腐れ縁って本当にあるんだな」
「それはこっちのセリフよ。小学校に中学と九年間も同じクラスだったのに。先生たち狙ってやってるんじゃないの?」
「僕らを同じクラスにして何の利益があるんだよ。偶然だろ? 全くあり得ない確率でもないだろうし」
僕らは赤信号の前で足を止めた。交差点の周りには先生らしき大人たちが立っていて、通りがかる生徒に挨拶をしていた。交通安全対策の見守りと、新入生が道に迷わないようにするための目印を兼ねているのだろう。その大人たちの中に、見覚えのある女性の姿があった。女性の方も僕たちに気がついたのか、こちらに歩み寄ってきた。
「あ、おはようございます九十九先生」
「おはよー神在(かみあり)さん、八葉君。早速カップル揃って登校?」
「おはようございます。そんなんじゃないですけど」
からかうように挨拶を返す担任の九十九先生に、僕はあっさりと疑念を跳ね返した。この人は何故か入学初日からやけに僕に絡んでくるのだ。信号が青になり、先生を振り払うように僕は歩き出したが、先生は持ち場を離れて僕についてきた。
「またまた、そんなこと言っちゃって」
「またまた、じゃないですよ。というか先生、持ち場離れていいんですか?」
「うん? 八葉君も来たし、まぁいいかなって」
「どういう基準なんですか、それ……」
僕はため息をつきながら、歩みをさらに速めた。けれど先生も、そしてかんなもすらっとしていて足が長いせいか、大股で歩いて難なく僕に追い付く。男子としては標準的な身長と足の長さ(決してチビでも短足でもない!)を持つ僕には勝ち目がなさそうだった。
「あぁ、もう無理」
「相変わらず体力無いわね、あんた」
あっという間に力を使い果たした僕は、先生を振り払うのを諦めて足を止めた。そんな僕をかんなが、僕よりもほんの少し高くから見下ろしてくる。遅刻寸前というわけでもないのに、僕は何をやっているのだろう。
「どうせここで振り払っても教室で会うけどね」
「そうですよね……はぁ」
九十九先生が笑って言う。落ち着いてみると、そういえば先生に聞かないといけないことがあったのを僕は思い出した。出会った勢いで会話していたから頭から抜け落ちていた。
「そういえば先生、気になることがあったんですけど」
「なになに? 先生の年齢? 私はねぇ、永遠の十七歳よ!」
「ええ、先生すごい!」
「聞いてませんから。かんなも真に受けない」
僕は呆れながら、ブレザーの内ポケットから生徒手帳を取り出して開く。
「昨日生徒手帳にあった校則に目を通していたんですけど、変なところがありまして」
「え、永人そんなの読んでたの?こわっ」
「なんでそれだけのことで怖がられなきゃいけないんだよ。自分の過ごす集団にルールがあるなら簡単にでも把握しておきたいだろ。不確定要素は出来るだけ排したいんだよ」
「先生今までに十クラスは受け持ったけど、そんな周到な子初めてだわ……」
「今の発言で先生が三十代であることが確定しましたからね」
「あ、うそうそ。本当は君たちが人生初担任なんだっ」
「なんだっ、じゃないですよ。遅いですから……本題に入りますよ?」
この人の話に付き合っていると永遠に本題に入れなさそうだ。校門も近づいてきたことだし、僕は半ば無理矢理話の腰を折って主導権を取り返した。
「校則の最後、第十五章で終わってますよね」
「ふんふん、確かにそうだね」
僕は先生に、その第十五章が書かれているページを開いて見せた。先生はどこか他人ごとみたいな口調で答える。
「ここ、他のところは『第三章、服装』みたいに見出しがあって、その後に詳しい条文があるじゃないですか」
「ほんとだー」
かんなも覗き込んで、間の抜けた声をあげる。三人の足取りは完全に止まってしまっていて、通学路の真ん中に奇妙な団子を作っていた。時折、不思議そうに見てくる他の生徒の視線が痛い。
「でもこの第十五章、学校での争いの解決とある章は見出しだけあって後に続く条文が無いんですよ。最初は落丁かなと思ったんですけど、ページの中ほどに見出しがあって、あとが空白になっているからそうではないと思って……どういうことなんですか?」
僕はそれだけ言うと、手帳をしまった。かんなは自分の手帳を取り出して同じ場所を確かめていた。やはり、僕のものと同じような状態になっているようだ。僕の疑問を聞いて、先生はにっこりと笑って口を開いた。
「それはねぇ……第十五章は心の清らかな人にしか見えないんだよ」
「……真面目に答えてください」
「第十五章が空白なのは、その答えをみんな自身に見つけてほしいからだよ」
「本当ですか?」
先生はうんうんと頷きながら、爽やかな笑みを僕に向けてくる。その笑顔は、今まで見たことのある笑顔の中で一番胡散臭いものに感じられた。
「はぁ、いいこと考える人もいるんですね」
「今の説明信じるのかよ……」
かんなが感心したように呟いたので、僕はツッコミを入れた。そんな安っぽい道徳の授業みたいな話があってたまるか。
僕らがぼんやりと通学路に突っ立っているうちに、先生は歩みを再開して僕たちに「ほら、早くしないと遅刻するよー」と言いながら校門まで進んでいって、高校の敷地内に入って行った。
僕たちが校門へ着くと、年配の教員に「君、見回りはどうしたんだい?」などと問い詰められている九十九先生がいた。やっぱり持ち場を離れるのはだめだったらしい。
「えー一年生の皆さん、おはようございます」
体育館の壇上から、男性教師(今朝九十九先生を問い詰めていた人だ)の低い声が響く。男の挨拶に合わせて、フロアに整列している生徒からちらほらと挨拶が返った。返礼が終わるのを待ってから、教師は柔和な笑みを浮かべて「それと、改めて入学おめでとうございます」と続けた。フロアの生徒たちはそれが礼儀だと思ったのか、軽く頭を下げる。僕もそれに続いた。昨日の入学式から散々言われていて食傷気味だったが、だからと言ってお祝いの言葉を無視するわけにもいかない。
「入学二日目にしてなぜ一年生だけ体育館に集められたか不思議に思っているかもしれません。あぁ、安心してください。入学早々お説教というわけではありませんから」
教師は優しい声色で言った。彼の発言に、フロアの生徒たちはざわつく。僕たちは今日、一時間目から理由を明かされずに体育館に集められていた。九十九先生に理由を尋ねても、彼女は「まぁ、行けばわかるって」と意味深な笑いを浮かべてそう言うだけだった。無論、入学早々お説教をくらう心配はしていなかったけど。
不意に、後ろから肩を指でつつかれた。小さく振り返ると、僕の真後ろにはかんながいた。名簿順にすると僕のだいぶ前になるはずだが、整列の時に九十九先生が「ああもう、なんか適当に並んじゃって」などといい加減な指示を出したせいでこのような並び順になったのだった。本当に適当な人だな。
「ねーねー、どうして私たち集められたのかな?」
「僕に言われてもわかるわけないだろ? 先生の話を聞けって」
僕が小声で応じると、かんなは不服そうに口を尖らせて黙って、髪の毛の先端を指でいじり出した。相変わらず集中力に欠ける奴だ。
「皆さんを呼んだのは他でもありません。この学校で生活する上での大切なルールを伝えるためです」
壇上から先生の声が聞こえてきて、僕は慌てて顔を前へ向けた。入学二日目からよそ事をしていた、などというくだらない理由で注意されたくないと思う程度には僕は優等生だった。
「口で説明するより実際に見てもらう方が早いでしょう。華原さん、宮口さん。出て来てください」
生活する上でのルールというから、てっきり「制服はきちんと着ましょう」みたいな話をされるのか、名前を呼ばれた生徒はその手本を示すためにやってきた上級生とかなのだろうか……といった僕の、あるいは一年生全員の想像は、出てきた彼らの恰好を目の当たりにして完全に吹き飛んだ。なにせ彼らは二人とも金髪で、腰パンで、どこかの先住民族みたいに顔に沢山のピアスをしていて、とても手本になるような人物ではなかったからだ。
「不良じゃん」
と後ろでかんなが呟いた。その場にいる全員が同じ感想を抱いていた。先生の目的が全く分からない。フロア中のざわつきがどんどんと大きくなった。
「静粛に」
壇上の先生が落ち着いた声でみんなをなだめた。それに従うように、ざわつきは少しずつだが小さくなっていった。
「彼らは二年生……になるはずの華原省吾君と宮原智也君です。見ての通り学校の規則を守らず、この二月には窃盗事件を起こし補導されました」
教師の信じられない説明に、せっかく小さくなったざわつきが勢いを盛り返し大きくなっていった。
「不良っていうか犯罪者じゃん」
至極もっともな感想をかんなは洩らした。先生は僕たちのざわめきを妙に慣れた雰囲気で見ていた。まるで、恒例の学校行儀を眺めているようだ。
「では皆さん、生徒手帳の十六ページを開いてください」
先生はマイクを握り直し、ざわめきに負けないようにはっきりと言った。僕は生徒手帳を取り出して、言われたページを開いた。校則がつらつらと書かれている部分だ。周りを見ると、他の生徒もそれぞれ手帳を引っ張り出して開いていた。
「その最後、十五章は見出しだけで終わっていると思います」
僕はページの最後を見る。今朝登校中に先生に問い詰め、そしてはぐらかされたところだった。「その答えをみんな自身に見つけてほしい」などという理由ではないらしいことは確定した。
「これを見て奇妙に思った人もいるかもしれませんね……そこが空白になっている理由を説明しましょう」
いつの間にか、フロアのざわめきは収まっていた。この場に集められた理由とか、生徒手帳の不可解な記述の秘密が明かされるところだ。みんな紙芝居の終盤を熱心に聞く子供のような眼で先生を見ていた。
「そこの第一条にはこのような文章が入ります。『第一条、学校内で衝突があった場合、全てギャンブルで決着すべし』」
体育館は時間が止まったかのように静かだった。咳ひとつ聞こえない。みんな、反応に困っているのだ。あるいは、先生の言葉の意味が分からなかったのだろう。周りの人と顔を見合わせているが、誰一人言葉を発しなかった。
「皆さんにはピンとこないでしょう。ですから、実際に見せますね。ここにいる華原君と宮原君は、先程も言ったように校則に悉く抵触し、社会の法も犯しました。校則では、退学になるはずです」
一年生全員の視線が、二人の不良生徒の不機嫌そうな顔に注がれた。こんな不良と同じ学校にいたくないという心の声が漏れ出しているような一体感を僕は覚えた。当然だ。
「しかし、時期が丁度良かったので理事長がある提案をしたのです。第十五章にのっとり、彼らの処遇をギャンブルで決めようと」
なるほど、ちょっとずつ話が見えてきた。にわかに信じがたいことだが、この学校では対立をギャンブルで決定するのだろう。その対立は生徒の進退にすら及ぶと。……ダメだ、自分で言っていてもこれが現実だとは考えられない。意味がよくわからない。しかし壇上の教師も、フロアにいる他の教師陣も、不良生徒の方でさえもそのルールが当たり前であるかのように平然と立っていた。そう思ってみると、不良たちの顔も単なる不機嫌というよりは「かかって来いよ」という喧嘩直前のイキった表情に見えてきた。
「それでは今からこの二人にギャンブルをしてもらいます。ここから先の進行は理事長にお願いします」
それだけ言うと先生は、舞台袖から歩いてきた初老の男性にマイクを渡した。新たに出てきた男性は、総白髪で相当歳をとっているようだったが、しゃんと背筋を伸ばしていて若々しい雰囲気も失ってはいなかった。
なにより、言葉にしにくい重厚で生命感にあふれた雰囲気を纏っていた。何というか、自分が人生の成功者であると信じて疑っていないのだろうと感じられる雰囲気だ。カリスマ性の具体例を出すならば、こんな感じ。その雰囲気のせいか、生徒たちの注意は一斉に彼の方へ向いていた。
そういえば、入学式には理事長は来ていなかった。一年生と理事長は、これが初の邂逅ということになる。
「皆さん、おはよう」
重たくも気さくな声で、理事長は僕たちに挨拶した。僕らも挨拶を返す。さっき男性教師にした挨拶よりも確実に声が大きくなっていた。理事長は返ってきた挨拶に満足げに笑うと「皆さん、入学おめでとう。理事長の鳥羽始です」と続けた。
「さて、早速ですが今回のギャンブルのルールを説明しましょう。といってもルールは簡単です。ここにサイコロを七つ用意しました」
理事長がそう言うと、舞台袖からさっきの男性教師が再び現れた。腕には表彰状を乗せるような重たいトレーが抱えられており、その上にソフトボール大の大きなサイコロが七つある。四つは赤色で、三つは青色だ。教師が出てくるのと同時に、スクリーンが上から降りてきた。
「彼らにはこの赤いサイコロを振ってもらいます。私は青い方を振りましょう。そして出た目の合計が多ければ勝ちです。単純でしょう?」
状況がようやくまとまり、生徒たちはざわざわと隣り合う他の生徒とやり取りする余裕が出来たようだ。フロアのざわめきが大きくなっていく。
「サイコロの数、赤の方が一個多いよね……」
かんなが僕の肩を叩きながら、不安そうな声で言った。周りの生徒も同じことを相談していた。理事長がマイクを握り直し、口を開く。
「皆さん、サイコロの数が違うと思っているでしょう? これはハンデです。私はあまりにもギャンブルが強すぎるので、こうしてハンデを与えているのです」
理事長の説明にみんなは納得したようだが、ざわめきはさらに大きくなった。何という自信。しかし理事長の自信は、とてつもない根拠があるような気がしてしまう。実際には、そんなことはないはずだが。そんなことを考えている間に、不良チームはサイコロを確かめるように持ち上げてみたり、重さを比べたりしていた。細工がされていないか確認しているのだろう。何も言われなくてもそのような行動をとれるあたり、やはりこのようなゲームは高校では日常で、慣れているのだろう。
「ではゲーム開始と行きましょう」
理事長の合図とともに、フロアの明かりが落ちた。突然の出来事に、方々から軽い悲鳴が上がる。壇上にスポットライトが当たり、理事長と対戦相手の不良二人を照らした。スクリーンには舞台の床が映し出される。そこにサイコロを転がしてみんなに状況を知らせる手はずのようだ。
「では赤チーム、サイコロを」
理事長に促され、不良たちがサイコロを二つずつ手にとった。そして気合を入れるように声を出してから、乱暴に床に放り投げた。スクリーンにサイコロが転がり現れる。
スクリーンに映るサイコロの目は六、五、四、二。合計で……
「十七か……」
僕は出目を足し算してひとり呟いた。かなりいい数字と言えるだろう。この数字に三つのサイコロで勝利するには、全てのサイコロで六を出さなければならない。つまり六分の一の三乗だから……。
「理事長の勝率はおよそ〇・五パーセントか」
僕の独り言に、周りの視線が集まった。なんとなく理事長に勝ち目が薄いことをわかっていても、数字にされるとその絶望的な状況が実感を持って感じられるのだろう。
「永人、どうやって計算してるの……」
かんなが呆れ半分、関心半分といった調子で声をかけてくる。僕は「暗算」とだけ言って、舞台から目を離さなかった。不良チームの方はもう勝ったも同然とでもいう様子で、ガッツポーズを決めたりしていた。フロアに諦めムードが漂う中、理事長は一人余裕のある笑みを崩していなかった。
「十七ですか、いい数字ですね。私は六を三つ出さないと勝てませんね」
理事長は改めて、危機的な状況を口に出して整理した。そうしてからサイコロを三つ手に取ると「みなさん、いいですか?」とフロアに呼びかけた。静かでどこか力強い声に、ざわついていたフロアは一瞬にして静まり返った。
「運というのは、人を選んでやってくるのです。その人の意志の強さが、運を引き寄せるのです」
理事長は言い聞かせるようにそう言うと、サイコロを投げた。スクリーンに現れた青いサイコロは、赤いサイコロを弾きながら転がり、止まった。
サイコロの目は、全て六だった。
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