2/7 亭主のゆううつ

「うっ、大神公たーしぇんくーもご苦労なされているのですねぇ……」

 えぐえぐと涙ぐみながら、柚林ゆうりんは急須を握りしめていた。

 門庁げんかんに設けられた小ぢんまりとした茶室に通されたあと、なぜか老狼らおろうは質問ぜめにあっていた。

 どうして画師えしと一緒にいるのかだの、今までどんなことがあったのかだの、画師にひどい目にあわされたことはないのかだの、そんなことを延々と詰問されていたのだ。

 ちなみに、その間怜乱れいらんはだんまりである。話が自分へ向けば多少返事はするものの、それ以外は首をわずかに傾けて座るばかりだ。

 きっとあたりのあやかしを探しているのだろうと見当をつけて、狼は柚林の相手をしていたのだった。

「いや、柚林が思っているよりは新鮮で楽しいぞ。それより柚林ゆうりん、そろそろ狼藉ろうぜき者の所行を教えてくれんか」

 止めなければまだまだ質問を続けそうな柚林を遮って問いかけると、彼女はしまったという顔をした。どうやら話を聞くことに夢中で忘れていたらしい。

「あっ……そうでしたね、そうでした! 悪党を退治してくれる画師えしさんがいらっしゃるんですものね」

「いや、僕らは退治してるんじゃなくて封じてるんだけど」

「出てこられないように閉じ込めてくれるなら退治ですよ!」

 そこは聞き捨てならなかったのか怜乱が口を挟むが、柚林は聞く耳持たないようだった。急須を握りしめながら力強く言い切って、ともあれ、と口をとがらせた。

「あの性悪大熊猫ぱんだがやってきたのはたしか、去年の冬のことでした。最初はただのお客さんだったんですけれど、温泉に入ったとたん豹変して。ここは私たちにはもったいない場所だから俺がもらってやる、とか言い出して……その時はみんなに協力してもらって、なんとか追い払ったんです。でも」

 そこまで話すと柚林はまたしてもがっくり肩を落とす。

 左右に揺れる灰茶の頭を見ながら、狼は怜乱と出会ったのも確かその頃だったことを思い出した。

「…………」

 怜乱に視線を向けると、彼はなにやら渋面を浮かべてゆるゆると首を振る。

 お前もそんな顔ができるのかと思ったのが一つと、問いかけ柚林がいないときのほうが良さそうだと思ったのがもう一つ。狼は黙って柚林に視線を戻した。

 客人たちの様子には気付かず、柚林は話を続ける。

「性悪大熊猫ぱんだはどうやらここを見張っているみたいでして。追い払った次の日から、朝早くに門の前で騒ぎ立てるようになりました。結界を張っているので壁から内には入れませんし、お客様に直截ちょくせつの被害はないんですけど。どうしたって怒鳴り立てる声は聞こえますし、おまけに行き帰りのお客様に嫌がらせをしているみたいで」

 お宿は守れても、外に出れば何もできなくて、と柚林は唇を噛んだ。何かを思い出したのか目に涙を溜めている彼女に、老狼らおろうが慰めの言葉をかける。

「柚林、泣くな泣くな。悪さをする妖なら怜乱がきっと何とかするだろうし、もしこいつが嫌がっても俺がちょっと捻ってやるから。な?」

「そうだね。そういうたちの悪い妖の相手は、画師ぼくらの領分だ。老狼もいるし、掴まらない妖はいないと思うよ」

「そ、そうですか……? ありがとうございます」

 客人二人の申し出に頬を染め、柚林ゆうりんは深々と頭を下げた。

 そして突然立ち上がり、ぱっと両手を広げる。

「性悪大熊猫ぱんだはお客様が来られた翌朝にやってきますので、今日の夜はゆっくりお過ごしいただけると思います。できる限りのおもてなしをいたしますので、どうか本日はこの宿でごゆるりとお過ごしください。つきましては、大神公たーしぇんくーに行幸いただくために、こつこつ増設した客棟おへやがございますので、そちらにご案内致しますね」


             *  *  *


 いくつもの回廊を抜け、案内された客棟はとりわけ豪華だった。

 前面が回廊でつながれた七室続きの建物は、寝室が三つに起居いまが二つと応接室が一つ、残りは遊戯室らしく、あれこれと暇つぶしの道具が置かれている。

 へやという室には凝った調度品が所狭しと詰め込まれ、扉や欄間には精緻な彫刻がひしめいている。金銀糸と鳥の羽の織り込まれた鮮やかな錦でこれでもかと飾り立てられた壁は、兎にも角にも壮観だった。

 さらに裏手には使用人の控室らしきものまで設置され、足りないのはかまどくらいのものだ。

 市井の宿では滅多にお目にかかれない──というよりも王侯士族の離宮もかくやという凝りように、二人はぽかんと口を開けた。

「いくら場所と時間が有り余ってるからって、これはちょっとやりすぎなんじゃない?」

「いえいえ! 大神公たーしぇんくーをお迎えするのでしたら、このくらいは当然です! それに、新しい棟ができあがれば順次一般の客室に模様替えしておりますので、問題ありません!」

 内装に三十年かかったという怒涛の解説にやっとの事で口を挟むと、柚林ゆうりんは得意げにふんすと鼻息を鳴らして胸を張った。

 後ろでは老狼が頭を抱えている。

「当然だ、じゃないだろう。俺は柚林にここまでされるようなことをした覚えはないぞ」

「いやいやいや、何を仰言おっしゃいますやら! 地面をのたくるばかりだったわたしにこれだけの場所と妖力ちからを与えてくださったのは、誰あろう大神公たーしぇんくーではありませんか! 感謝してもし足りることなんて未来永劫あり得ません!!」

 ぐいぐいと詰め寄ってくる柚林に完全に押しまけて、老狼は納得がいかないという顔で耳を伏せた。

「さ、さよか……」

「ええ、ええ、そうですとも! おかげさまで年々従業員も増えておりますし、おまけにあの性悪熊まで退治していただけるなんて、本当になんとお礼を言えば良いやら……!あ、あまり長居するとお二人がくつろげませんよね。ですので、わたしはこのあたりで失礼いたします! 裏に下働きを何羽かはべらせますので、どうか良いようにお使いくださいませ」

 丁寧に頭を下げて出て行く柚林を見送ると、入れ違うようにお仕着せらしい前掛けをした四人組が入ってくる。皆まだ変化の術が習得しきれていないのだろう。髪や着物のあちこちにかなりの羽毛が残っていて、小鳥の精だというのが見て取れた。

大神公たーしぇんくー画師えし様。よくいらしてくださいました!」

「こちら、お迎えの地酒でございます。ここの温泉水を使っているので、とても滋養に良いんですよ」

「もうお聞きになられたかもしれませんが、ここの温泉は龍穴の上に湧いているんですよ。なんと! それが今なら貸しきり! 貸しきりなんです!」

「……まあ、最近はずっと閑古鳥が鳴いているんですけどね」

 彼らは口々に歓迎の言葉を口にして、ぺこりぺこりと頭を下げる。そしてきびきびとした動作で餐卓つくえ卓布ぬのを広げて酒器を並べ、色とりどりの甜菓かしを置いていく。

「ありがとう、ちょっとゆっくりしたいから、ここまででいいよ。ところで、下がってもらう前にいくつか質問してもいいかな」

「はい、我々に判ることでしたらなんなりと」

 酌をしようとする小鳥たちを仕草で押しとどめながら、怜乱は四羽の顔を順番に見回した。小鳥たちはちぃちぃと鳴き声の残る声を揃えて、ぱっと餐卓つくえの前に整列する。

「ありがとう。それで、柚林ゆうりんは色々言っていたけど、君たちは何か被害を被ったりはしていない? 誰かが大きい声のせいで変化できなくなったとか、怪我させられたとか食べられたとかおどされたとか、そういうのがあれば教えてほしいんだ」

「いえ、柚林様は一人矢面に立って我々従業員を守ってくださるいい亭主なんです。宿の囲いの中であれば龍穴の力を借りて、結界を強化できますし。おかげさまで、最初にあの熊が騒いだときを除いては、怪我人は一人も出ていないんですよ」

「そう、それは安心だね。ところで、熊以外にも君たちにちょっかいをかけてくる相手はいるかな」

 怜乱の問いかけに、一番形の整っている雀の精が誇らしげに胸を張った。

 雀に頷いてみせて、怜乱は他の三羽にも視線を巡らせる。小鳥たちはそれぞれに首を振って否定の意を示した。白黒の鶺鴒せきれいの精が答える。

「そちらについては、わたしたちにもよくはわかりません。最初の騒動以来、あの熊が諦めるまでは結界の外に出ないようにと、柚林様より仰せつかっておりますので」

「そうなんだ。じゃあ、君たちはそれ以降のことはよく知らないわけだね。うん、ありがとう、もう下がってくれていいよ」

「はい、では、ごゆるりと。ぜひともうちの自慢の温泉をお楽しみくださいね。お望みでしたら、温泉にも酒肴をお持ちしますよ。こちらで呼びつけてくださいな」

 金翅雀カワラヒワの精が、腰につけていた呼鈴を外して餐卓つくえの隅に置く。

 酒と聞いて、怜乱はほんの少しばかり目を光らせた。

「いいの? 白酒せいしゅがあるならお願いしたいな。甘いのとか濁酒はちょっと」

「俺は甜菓あまいものがいいな。素食で頼む」

「はい、かしこまりました~」

 二人から注文を聞くとぴょこりと頭を下げ、小鳥たちは一列に並んで出ていく。

 彼らの足音が遠ざかったのを確認すると、怜乱れいらんは掛けていたながいすに突っ伏した。ふっくらした錦の肘掛けにあごを乗せて、どこかうんざりしたように呟く。

「……下にも置かぬ扱いだったねぇ……」

 そんな怜乱に向けて、老狼はやれやれと肩をすくめてみせた。

「すまんな。慕ってくるとは思っていたんだが、まさかここまで大げさな扱いを受けるとは思わなかった」

「ほんとに……大神公たーしぇんくーって、最上級の扱いじゃない。老狼、いったい何したのさ」

「いや、俺は本当に何もしていないぞ。ちょっとここに温泉を掘って、どうしてもここに宿を建てたいと云う柚林に場所を都合してやっただけなんだ」

 老狼は尻尾を振り回しながら弁明する。怜乱はその内容にぴくりと眉を上げた。むくりと起き出して、ほとんど睨みつけるような目で狼の顔を見上げる。

「……いや、それは全然ちょっとじゃないし、神様扱いも納得の所業だよ。この宿、そんなに規模は大きくないとはいえ龍脈の上に建ってるし、温泉は龍穴の上にあるんでしょう? そんな場所に明日をも知れぬ小動物を置いて管理資格まで与えたら、そりゃ感謝もするし大神扱いもするよ」

「そうか? そこまで大したことではないと思うがなぁ……」

 首をひねる老狼を、怜乱はあきれたように見つめた。

 狼の行動は、その辺の小動物をやる気があるからと言って下級神に据える行為だ。人の世界で例えれば、浮浪児をいきなり小さなむらの長にするのに近い。大したことではないという感覚の方がずれているはずなのだが、狼はまったくぴんときていないようだった。

 非難めいた視線を向ける怜乱に首を傾げた狼だったが、その視線で先ほどの疑問を思い出した。

「ところで怜乱よ。ここにやってくるという狼藉者はあれか、お前さんが追っかけてるやつか」

 狼の質問に、怜乱は多少居心地が悪そうな表情を浮かべた。

「そうなんだよね。柚林ゆうりんは推理だと思ってるみたいだけど、あれ、飛龍ぼくが死んだときに逃げていった流星あやかし一ついっぴきなんだ。気配から察するに他に何匹かおまけがいそうだし、それでこの扱いはちょっと居心地が悪くてさ」

「成程。そんなところだろうとは思っていたが。しかし、狩っても狩っても出てくるじゃないか。いったいどれだけ逃げ出したんだ?」

 狼の問いかけに、怜乱は緩く首を振る。

「……まあ、その辺は秘密ってことで頼むよ。逃げ出したけどそこそこ改心している連中もいるし、そういうのを数えても意味がないから。一度封じた妖は逃すべきじゃないって画師えしもいるけど、改心して大人しく暮らしているなら、僕はそれで良いと思ってるんだ」

「お前さん、意外とそういう所で人が良いんだな」

画師えしの役目は害のある妖を封じることで、誰かの復讐をする事じゃないからね。偶然自由を手にして、全うに暮らそうとしている妖まで封じる権利なんて、誰にもありはしないんだ」

 どこか遠くを見つめて、怜乱は軽くため息をついた。

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