大華国頼事帖・その弐

不可視の盗賊(上)

「……そんなわけで、最近、姿の見えない盗賊団の話で持ちきりなんですよ」

 野良仕事帰りの男はそう言って、背負子しょいこを担ぎ直した。

 彼の話をふむふむと聞いていたのは齢十四、五の少年だ。彼は白い頭を仔犬のように傾げて、隣を歩く農夫を見上げる。

「盗賊ねぇ。姿が見えないって言うなら、隠身おんしんか目くらましの術を使ってるっていうのが定番だよ。そういうのは道士連中の方が詳しいんだけれど、彼らには頼んでみたのかな」

 至極常識的な少年の問いかけに、男は首を横に振った。

「道士様はどうやらこのあたりがお嫌いらしくて。なんて言うか、里は居心地が悪いんだそうで」

「そうなの? これだけ豊かそうな場所なのに」

「あいや、確かに、今は綺麗に見えますけどね。この辺りって昔から実りと洪水だけが名物、みたいな土地なんですよ。毎年とは言いませんが、二、三年にいっぺんは見渡すかぎり水浸しになっちまうんで、農民以外からは敬遠されてるって次第で。里もほら、あんなですから」

 男が示したのは、彼らが歩く街道から一里ばかり離れた位置に等間隔に並ぶ、高さ三丈十メートルばかりの丘のいくつかだった。

 一面の麦畑の只中に点在する丘と丘の距離はざっと二里程度。四方に通路の設けられた斜面は灰緑の石でかれ、その上の平地には民家らしき建物が際までひしめく。

 地平まで並んだそれらの一つ一つが里だと気づいて、少年は目を丸くする。

 一番近くの丘に目をやれば、斜面の中ほどに染み付いた水の跡が見えた。

「あれじゃ確かに、道士連中の居場所なんてないね。それに、ずいぶんと水が出るんだ。……でも、賊が来てからもう三年にもなるんでしょう。何とかしようとはしなかったの」

「いえね。俺らは皆ここの平原の出なもんで、伝手がなくて」

 彼らも見回りをしてみたり、寝ずの番を立ててみたこともあるのだが、それでも被害は減らなかったという。官府やくしょに訴えて警護を呼んでみたこともあるが、一月と経たずに引き上げてしまったと男は説明する。

 彼は警護の鼻先で被害が出たことや、薪代や食い扶持も馬鹿にならないことが原因ではないかと憶測を述べているが、官吏が本腰を入れなければならないほど被害が大きくないというのが実情だろう。

 租税さえ納められれば百姓しょみんの生活など知ったことではないという官吏も多い。わざわざ人を呼んでやるくらいなのだから、ここの住人はそれなりに大切にされているらしい。

 内心で推測を重ねながら、少年はさらに問いかける。

「それもそうか。一応確認するけれど、里のあやかしが悪さをしているなんてことは?」

「妖って、夜でも見える人のことでしょう? そんな人がいるなんて話は、とんと聞いたことがないですねぇ」

「そう。なら、廃村とかに賊が潜伏してる可能性は?」

「それもないですね。収穫が安定してるんで、里は常にいっぱいなんですよ。今も二十里ばかり向こうに新しく里を作るっていうんで、あっちこっちの長男坊次男坊が駆り出されてるところです」

 どこかの山から切り出してきた巨大な石をいくつも積み上げ、その上に土を盛り、突き固めて里の高台とするのだ、と男は説明する。

「そうなんだ。かなりの重労働みたいだけれど、逃げ出した人足が悪さをしてる可能性は?」

「うーん、そういう難しいことはお役人様に聞かないとわかりませんけど。人足の大半はここらの里の人間ですし、外から来た連中も工事が終わったら家と田畑が貰えるってんで、まじめに勤め上げてるって聞きますよ」

「ということは、今までも特にそういうことはなかった?」

「俺の知ってる限りだとないですねぇ。このあたりって、ほんと水が出る以外は平和なんですよ」

 挙げた可能性を次々と否定されて、少年は不思議そうに首を傾げた。

 彼らが歩くのは前後左右、どこを向いても地平線の見える大平原だ。排水溝を兼ねる水路と前後に伸びる街道を除けば、麦畑とあぜ道、そして街道からかなり引っ込んだ位置にある里の高台以外に見えるものはない。

 盗賊が隠れられそうな山や森は一日二日でたどり着ける範囲にはなく、びっしりと張り巡らされた水路は船が通せる程度の広さしかない。

「確かに、これだけ隠れるところがないと潜伏するのも難しいか。船を根城にしている賊もいるけど、そもそも大型の船を通すだけの水路がないよね」

「ええ、ここの水路は排水と麦の搬出用ですんで。最後にはどこか、大きい河に繋がるって聞いてますけど、俺らは見たことないですね」

「そう。大体ああいう連中って、山中のちょっと見えづらいところとか川の中洲、あと廃屋なんかにたむろして人を狙うのが定番だけど。近くにそういうのが一切ないって言われると、手がないなぁ……」

 腕を組んで考え込む少年の白い頭を見下ろして、男は困ったように眉を寄せた。

「画師様、そんなことを仰言らずに、お願いしますよ。もう画師様だけが頼みの綱なんです」

「まあ、話を聞いた以上は無碍にするつもりはないよ。ただ、妖が関係していないなら、僕の出番はあまりないと思うけど」

「いえ、それでも助かりますよ! 姿が見えなくなってるって妖しの術さえ何とかなれば、鍬とか鋤でぶん殴ることだってできますし。好き放題あれこれ持って行かれて、皆腹に据えかねてはいるんです」

「それは頼もしいや。妖が関わってないなら、君たちを何人か呼ぶことにしようか」

 農具を振り回す仕草をする男に目を向けて、少年は口の端にほんのりと笑みを浮かべる。

 そして、思い出したように少しばかり眉を上げ、懐から白銀の紙束を取り出した。

「君の里はそろそろだったっけ。せっかくだから、芸の一つでも見ていきなよ」

「?」

 不思議そうな顔をする男の目の前で、少年は手の中の紙をざらりと宙に撒く。

 撒かれた紙は金属の擦れる音を立てながら扇状に散開して地面を滑り、鳥の形に変じながら大きな螺旋を描いて舞い上がった。

「ほえー、画師様ってのはやっぱり凄いんですねぇ」

 白銀の鳥が四方へ散っていくさまをぽかんと見ていた男は、しばらくしてからようやく口を開いた。

 感嘆の視線を向けてくる相手をほんの少し見上げて、少年は首を横に振る。

「画師なら誰だってできる手慰みだけどね。ところで、府庁やくしょはどこにあるのかな」

「あ、ああ、それならもう二刻ばかり北に行ったところです。里と違って街道の張り付きにあるんで、すぐにわかると思いますよ。宿もそこにありますんで」

「ありがとう。明日そっちでも話を聞いてみることにするよ」

「はい、では、俺はここで。画師様、どうかよろしくお願いします」

「うん、できる限りのことはしてみるよ」


 何度も頭を下げて帰路へついた男を見送って、少年は少し後ろで立ち止まっていた狼の妖に声をかけた。

老狼らおろう、何か匂いとかはしなかった?」

「いや、ここまでの道のりからは麦と人と家畜の匂いがするばかりだな」

「ま、僕の気配感知にも何も引っかからないし、当然といえば当然だね」

 老狼と呼ばれた狼の妖は、あちこちに黒い鼻を向けたあと、大げさに肩を竦めてみせる。

 それを見た少年は、やれやれとばかりに首を振り、わざとらしいため息をついた。

「ところで怜乱れいらんよ。姿の見えない人間といえば、先日例の蛇に頼まれたあれが関係してるのではないか?」

 狼の問いかけに、怜乱と呼ばれた少年は軽く首を傾げる。

「あれって、四年前に頼まれた? 時期的には一致してるけど、わざわざこんな遠くまで足を伸ばすかな。可能性がないとは言わないけれど、お金に目がくらんだ道士の仕業っていうほうが現実的な気がするよ」

「ほう。画師が手を貸している可能性はないのか」

 狼の軽口に、少年は目を細めた。

「……面白い冗談だね」

 二尺は上にある狼の顔をじっと見上げて、平坦に言う。陽射しの下に晒された目の色は、暖色の地の色とは裏腹に冷ややかなものだ。

「ま、そういうの始末も僕の役目の一つだけどね」

 視線以上に冷たい声色に、狼は鬣を逆立てた。何か触れてはいけないものに触れてしまったような感触に、尻尾の先をちろちろと振る。

「……すまん、軽口が過ぎた」

「……いいけど。老狼がそういうこと言うと割と冗談じゃ済まなくなったりするから、あんまり不吉なことは口にしないでほしいな」

 少年はほんの少し肩を竦め、そして再び歩き始める。狼もおとなしくその後を追った。

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