-/7 余話

 ──そして、百と何十年かあと。


「──っ」

 みちを歩いていた少年が、不意に胸を押さえて歩みを止めた。

「どうした?」

 隣を歩いていた狼のあやかしが、驚いたように耳をぴくりと動かして立ち止まる。

 少年は黙ったまま首を横に振ると、胸の前で握った手を狼の前に差し出した。

 反射的に手のひらを差し出した、その上に落とされたのは雀の頭ほどもある緋色ひいろの玉。

「……なんだ、これは」

 狼は少年から渡されたそれをくんくんといで首を傾げた。

 半分透き通ってはいるが、硝子がらす玉ではなさそうだ。

 何の匂いもしないそれを爪の先でつついてみると、かたいような柔らかいような、妙な感触が返ってくる。しかし、石ではない。金属でもない。

 だが、妙な力のようなものだけは感じられる──何となく、居心地の悪いような気配。

 いくら検分しても正体の見当がつかず唸っていると、少年はわずかに口許くちもとを歪めた。

涼清刀りょうせいとうって『』のこと、覚えてる?」

 言われて、狼は視線を宙にめぐらせる。

「ああ、お前にしては珍しく持ち主に帰してやったやつだろ? もう百何十年か前だったっけなぁ、あれ。持ち主がえらく入れ込んでいたように記憶しているが、あれからあいつ、どうしたんだろうな」

「それ、あの子だよ」

「……は?」

 狼はきょとんとした顔で、手の中の緋色ひいろの玉と少年の顔を見比べた。

「あいつ? この玉が?」

 少年は生真面目な顔で頷く。

「そう、涼清刀。そう呼ばれた『鬼』の、これが根源。存在のもとい外形かたちと意味をつなぐもの」

「……かたち? 意味? ……まさか」

 その奇妙な塊が画師えしの血だということに気付いて、狼は『それ』が戻ってきたことの意味を悟った。

 画師は絵によって形を定め、己の血液をもって形に霊性れいせいを与えて『鬼』を創るということは、狼も承知している。

 その血の役目を外形かたち機能いみの霊性を繋ぐのりのようなものだと仮定するなら、どちらかが機能しなくなればそれは要らなくなる。もしくは、それががれ落ちれば『鬼』は『鬼』として存在できなくなる。

 言外げんがいに殺したのかと視線で問う狼に、少年は首を振った。

契約やくそくしたからね。連雀しゅじんが死んだら僕のもとに還る、って。一応、あの町の管理者に帰属する選択肢も示したんだけど、これ以上主人はいらないって」

「ああ、あの──気の弱そうな男、死んだのか。だが、何故わざわざ」

 僅かに悼むような表情を浮かべた狼に、少年はこともなげに手を振った。

「ああ。僕は人じゃないからね。何をするにも血の力は必要なのに、自分で生成できるだけの分じゃ間に合わないんだ。こうやって過去の遺物から霊性をみ上げないと、やがては枯渇こかつすることになる」

「……枯渇ってお前な」

「んー、まぁ、普段は生成が消費を上回っているからいいんだけどね、たまに大怪我するじゃない。ああいうの、本当はかなり辛いんだよ。土の上なんかだと回収するのも大変だし、水だったらもう手が出ないしね」

「あ、そ」

「大事なんだから、くしたら承知しないよ」

 呆れた顔の狼の手から玉を取り戻すと、少年はそれを掌の上で転がす。

「それにしても、ほんのひとしずくで十分だってのに。あれだけの形と力を与えるならもっと運気の調整をしてやらないといけないのに、それすらもしていないなんて」

 そんな文句を誰ともなく呟いて、少年は掌の玉を大切そうに懐に仕舞った。

 細い掌の下、それはじわりと融けて真白い肌に広がる。

「運気の調整って、そんなに都合のいいことまでできるものなのか、画師って奴は」

「まぁね。特に人型を取れる『鬼』は、係累けいるいの途切れがちな画師にとって子供みたいなものだから。できればしあわせに、ってのは人情だろ。

 ……最終的には大事にしてもらったみたいだし、それはそれでよかったのかもしれないけど」

 すぐに消えたその赤い染みに気付く由もなく、狼はふいとため息をついた。

「……そうか、それなら良かった」

 心底安心したかのような狼の様子に、少年は軽く肩をすくめる。

「全く。人の心配をしてる場合じゃなかろうに」

「ん。何か言ったか」

「いいや。どんなものでも、幸せに消えられるのが一番だねって話」

「ん、まぁ、そうかもしれんが。だがお前が言うと、何となくせんような気分になるのは気のせいか」

「いや、それは君が妖だからだよ」

「そうか……いや、そうなのか?」

「判らないのなら無理に判ろうとしなくて良いと思うよ」

 珍しくけらけらと声を上げて笑って、少年は先へ行くよ、と連れをうながした。



       ────────【使命果たすに過ぎたる刃/狂刃・了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る