「ここがいいか、な」


 テリアの店を右に出てまっすぐ歩いたところにあるそんなに大きくもない噴水。お昼時のため昼食に出ているのか、簡易のステージやジャグリングのピンなどの大道具のおいてあるシートを避け、だれもいないレンガ造り噴水の前に腰を下ろす。しゃわしゃわと上から流れ出ている水だけが、その場で音を立てていた。

 暖かい春の風に振り向いて、水が冷たく清潔であることを、汚染された事実がないことを‘怠惰‘で確認する。

 

 左腰につけてもらったウエストポーチからポーションを取り出し、人目がないことをもう一度確認してから<災厄>にかけた‘虚飾‘を解いた。

 すると、腕の中にあったアンティーク調のクマのぬいぐるみは一瞬で傷だらけの獣へと変わると同時に、フードの中で青く光っていた瞳も黒く落ち着いた。


 手のひらにポーションをたらし、人肌で温めてからマッサージの要領で塗っていく。

 もみこむたびにひっんと鳴いていたが気にせずすべてを塗り終えると細かい傷はなくなり、耳の欠損もなくなって根元にゆらゆらとリボンのように揺れる触角の生えた可愛らしいウサギ耳が現れる。しかし、どうしても昔の古傷は直せず左の太腿と腹部とひれに残ってしまったが。


 首周りには薄桃色のもふもふとした毛並み、全体的に白い毛皮に残ったポーションの水滴がきらりと太陽に光る。独特の模様がある尾先の傷は完全になくなり、先は鋭いが尾は柔らかいそれがひらりと翻る。


「ごめん、ね」


 いつから気が付いていたのか、<災厄>がゆっくりと伏せていた顔をあげると、薄桃色の瞳と咲也子の漆黒の瞳が出会った。ぴゃっと声をあげ、身を固まらせる。

 触れようとした手にひどくおびえているのが悲しかった。


 それでも咲也子は恐怖に震える<災厄>を抱え、太陽でぬるくなった噴水の水の中に入れた。水属性だというのなら、咲也子の膝の上にいるよりもいいだろうと考えて。


 案の定、水という自らのフィールドに戻ってきた<災厄>は嬉しそうに器用に尾と前ひれを使って噴水を1周りした後、前ひれでふちを掴み咲也子をうかがってきた。

 噴水に背を向けるように座っていた咲也子は、足をあげ、今まで腰かけていた部分に噴水の方を向いて正座する。


「あの、ね。おれ、これから観光したいな、と思って、て」


 視線をまっすぐに合わせながら言葉を紡ぐ咲也子に<災厄>は時々ふちで顔をかくしながらもうかがっている。その瞳には咲也子に対する怯えはない。

 ただ、傷が治っていることに、優しい声かけに不思議なものを見ているといった色が浮かんでいるだけだった。それほどまでに、不当な扱いしか受けてこなかった<災厄>は。


「よかったら一緒に来ません、か」


 服の袖から手を出して、袖越しではない、縫い跡だらけの手を差し出す。

 周りに誰もいなくてもどこからか聞こえていた喧騒が、一気に波を引くように失せていった。まるで、世界にお互いしかいないような静けさを少なくとも1人と1匹は感じていた。妙にスローモーションがかったようなその空間で、ぱしゃりと水がはねる。

 

 縫い跡だらけの小さなその手に、湿った前ひれが触れた。

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