5.姫琴さんと葦木くんは梅雨に溺れる。

5-1.姫琴は雨に濡れない。


 土日が明けて、今週はずっと雨が続いている。

 窓の外は灰色で、先週までの快晴がまるで嘘のようだ。


「今日傘忘れちゃったよ……」


 ずぶ濡れのまま葦木くんは教室に姿を現した。

 な、何故そうなるの? 朝……もっと言えば夕べから雨降ってたじゃん! 家出た時に気付こうよ!

 あぁ、雫を滴らせながらこっち来ないで……。


「なんか、行けるかなと思って……雨粒くらい避けられると思って……」


 どうりで今日は登校が遅くなったわけだ。そりゃそうだよね、雨避けてたら時間かかるもんね。

 なんて、納得できるわけないでしょう。


「ほら、タオル貸してあげるから早く拭いて! もう、風邪ひいちゃうよ!?」


 くしゃみをしながら彼は頭をガシガシ拭いている。

 わたしはお母さんか!


「姫琴さん、お母さんみたいね。でも、彼が風邪を引く事はないと思うわ」


 心の中のツッコミを、教室に入ってきた帆篠さんが更に付け足して代弁した。それは遠回しに彼がバカだと言っているのだろう。

 それに気付かない葦木くんはもう一度くしゃみをした。

 蔑んだ目で彼を見る帆篠さんの長い髪の毛先も僅かに濡れている。


「帆篠さんも濡れてるよ! ほら、早く拭いて!

 あぁ、タオル一枚しか持ってきてないよ。ハンカチで良い?」


 帆篠さんは、自分のがあるからと断りを入れてハンカチを髪に当てている。

 淡い青色のハンカチが瞬く間に濃く染まった。


「もう少し早く来ていれば姫琴さんからタオルを借りられて、葦木くんがずぶ濡れのままだったのに……惜しいことをしたわ」


「ざまぁみろ!」


 いやいや、葦木くんが威張るところじゃないし、そんなしてやったりな顔をされても困る。

 そんな私達の朝のやりとりを、教室は既に半ば受け入れているようだった。以前のように居心地の悪いヒソヒソ話も少なくなったし、それは帆篠さんが輪に加わった事も少なからず影響しているのだろう。

 無口で深窓の令嬢としてのイメージが強かった彼女が葦木くんに対する当たりの強さを見せる事に、最初は皆驚きを隠せないようだったけれど、『まぁ葦木くんだし』みたいな雰囲気でその振る舞いも免罪符を得ていた。

 葦木くん、なんて不遇なんだ。


「それにしても、なんか教室の感じが暗いな。雨降ってるからか?」


 ひと通り身体を拭き終えた後もじっとりと湿ったまま葦木くんは周囲を見渡した。


「来週中間テストだから、みんな勉強してるんだよ」


「あぁ……迎井先生がなんかそんなこと言ってたな」


 彼からタオルを受け取ろうとしたところで帆篠さんは葦木くんの手をピシャリと叩き制止する。


「ちゃんと洗ってから返すわ」


「いいよいいよ、そんなの。それに帆篠さんに洗ってもらうのもなんか違うくない?」


「葦木君は自分の洗濯物と一緒に洗濯機に放り込みそうで怖いもの。だから、あたしが洗ってくるわ」


「おい、俺に洗濯させたら余計に汚れるみたいに聞こえたぞ」


「オブラートには包んだつもりだけれど?」


「なら良いわけじゃねぇだろ! そもそも悪口を言うな!」


 クラスのみんなの視線が集まる。

 これは好奇のそれと言うよりも、勉強してるんだから騒ぐなと言う意味合いが強い。申し訳なくってここで話を打ち切る事にしたい。


「じ、じゃあお言葉に甘えようかな」


 そう言ったところで遠く彼方から怒声が聞こえて来た。


「なんだこれは! 廊下が水浸しじゃないか! どうせ葦木だろう! 職員室に来い!」


「む、迎井先生誤解です! 濡れ衣です! ほら、その字面のごとくこんなに制服濡れてるし!」


 それが動かぬ証拠となって彼は連行されて行った。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「最近ひめっち、付き合い悪いよねー」


 昼食を終え席に戻ったところで、数人のクラスメイトに囲まれた。

 一応補足しておくと、『ひめっち』とは私のあだ名だ。もうひとつ補足するなら、雨が降り始めて私達は屋上でランチタイムを取ることが出来なくなったから、三人適当な空き教室を見つけて昼ご飯を食べている。


「ずっと葦木とお昼食べてるし、最近は帆篠さんも一緒なんでしょ?」


 それまで一緒に昼休みを過ごしていた友達数人は不満気にそう言った。


「なんか私達、蔑ろにされてるって言うか……ちょっと寂しいなーって」


「そんなつもりじゃないよ」


 取り繕うように笑って誤魔化すのはいつの間にか得意技になっていた。葦木くんで言う悪魔パンチみたいなものだろう。労力を使わず、とりあえずこの場をやり過ごすことが出来るエコな技。ただ、精神的負荷は意外と重い。


「って言うか、葦木と付き合わない方が良いって。ひめっちまで変な目で見られちゃうよ?」


 囁くように声を殺す。

 そうする意味は、彼の耳に言葉が届かないようにする為ではない。その内容が深刻であると強調するための装飾に他ならない。

 他のみんなも黙って繰り返し頷く。

 わたしを心配して忠告してるんだよと、声に出されないニュアンスが含まれていることを無理強いしている。


「葦木くんはすごく良い人だよ?」


 嫌悪感を露わにするのは苦手だ。だから、まだわたしは笑みを隠さない。


「でもさぁ……」


「繭ちゃんもみゆきちゃんも、友達だよね?」


「そ……もちろんだよ!?」


「わたしにとっては葦木くんも帆篠さんも大事な友達なんだ。だから、そんな風に言わないで欲しいな」


「い、いやほんとに私達ただ心配してただけで、全然そんなつもりじゃないよ!?

 ごめん、怒った?」


 話をここで終わりにしよう。

 わたしは友達を少しでも失いたくないのだから。

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