3-3.悪魔は切り替えが早い。


「数学の範囲は問題集が主だから、教科書は見返すだけで良いわ。実際に問題を繰り返し解いた方が公式とにらめっこするより暗記に繋がるし、何よりも流れを掴んでおけばどんな出題にも対応できる様になるわよ」


 二週間後に控えたテストに向けて、女子生徒が帆篠からアドバイスを受けている。ありがとうと謝辞を述べて彼女達は帆篠の机を後にする。

 こうしてテスト勉強の頼りにされる程度には帆篠はクラスに馴染んでいる。つっても、教員が似た様な事を言ってたから、それを繰り返してるだけみたいだけど。小言の多い数学の江川よりも帆篠の言葉の方が説得力があるのだから目も当てられないな、江川よ。

 隣の席の女の子からは「帆篠さん、髪すごく綺麗だけどシャンプーとコンディショナーはなにを使っているの?」と雑談を持ちかけられる程には、彼女にもクラス名簿の連中と交友がある。

 無機質に、しかし誠実に彼女は言葉を返す。これもひとつの他愛の無い時間なのだろう。

 でも、一連のやり取り俺が姫琴と交わした昼休みの談笑とは違ったもののように思える。今垣間見えた言の葉の往復は、創り出すものではなく壊さない為のコミュニケーションでしかない。

 昨日の帆篠からは確かに人間らしさを感じた。他の人間となんら変わりの無い感情を確かに覚えたのだ。

 掴み所のない霞の様な帆篠ではなく、誰しもが持つ感情を露見させた帆篠雫月。願わくば、それが本当の姿であると信じていたい。

 本当はお前も友達が欲しいんだろ? 昨日の俺を見て羨ましかったんだろうが。

 願えよ。

 俺にその願いを打ち明けろよ。そうすれば、そんな悩みなんてわけないさ。俺は悪魔で、その願いを叶えるだけの魔力を持っているんだから。

 確かに魔術で作り出した関係が本当の友情と呼べないかもしれないけれど、人間ごときがそんな事気にしてどうするんだ、それは悪魔の仕事だろう。欲望に素直に生きる姿こそが、人間の本質じゃないのか。

 俺の目的だとかそんなものはどうでも良い。お前の願いを叶えたいのは、早く魔界に帰りたいからじゃない。

 見ていられないんだよ、お前がただの人間だと知ってしまったら、そんな立ち振る舞いを見て見ぬ振りできるわけないだろうが。

 と、そんな事を考えている間に我が女神姫琴様が御登校なされた様だ。

 この話はもう終わり。


「おはよう、姫琴!」


 振り返してくれる手に満足して椅子に座りなおす。挨拶できる友達がいる事に感謝して、その幸福を噛みしめる。

 今日も良い一日になりそうだ!


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「見ろよあの雲! このエビチリにそっくりだ!」


「いや、それはちょっと無理があるかな」


 昼休み。場所は例のごとく屋上。

 弁当箱を広げて青空を仰ぐ。隣には笑顔の姫琴が居て、他にはなにも要らないな、最高の昼食二日目だ。

 屋上の鍵は施錠されたままだったから、今日は昼寝マンは居ないし邪魔も入らない。念の為所定の位置を確認したが、やはりそこには黒斗の姿は無かった。

 今、この空間は俺たち二人だけのものだ。

 姫琴はピクニックシートを持参していて、俺に隣に腰掛ける様勧めてくれた。晴天を二人じめして、世界で一番美味い食事に舌鼓を打つ。

 まぁ、姫琴と一緒なら場所なんて関係ないのだけれど。こんなに幸せで、俺は許されるのだろうか?


「葦木くんって、魔法が使えるんだよね?」


「ん? そりゃあ悪魔だし、使えるけども」


「じゃあさじゃあさ、必殺技とかもあるの?」


 眼を輝かせながら姫琴は言う。


「実はわたし、漫画とかアニメとか大好きで、そう言うのにちょっと興味があるって言うか……」


 なるほど、超常的な力を用いて少年少女が戦いに興じる物語はこの世界の創作ではメジャーな分野だ。昨今の若者が憧れる事も頷ける。

 姫琴が俺の存在をわりかしすんなりと受け入れることができたのも、そういった文化があったからであろう。

 期待が込められた眼差し。その焦がれた表情を裏切ることができようか、いやできない。

 それを友達が望むのなら尚更だ。


「勿論必殺技あるぞ! とっておきのやつが!」


「ホント!? どんなのどんなの?」


「『灼熱の波動』と言ってだな、この技を使うと地平線まで全てが焼け野原と化す! まぁ、見ていろ……」


「だ、ダメダメ! そんな技ここで使っちゃダメ!」


 右手に魔力を込め始めたところで制止を受けた。


「実際に見せてくれなくても良いから! そんなことしちゃったら、大変なことになるでしょ?」


 確かに。

 危うくこの地域どころか、姫琴まで塵にしてしまうところだった。


「じゃあそうだな……『悪魔パンチ』って言うのがあるぞ。これなら周囲に被害はでない」


「さっきの技に比べたら名前のグレードがだいぶ落ちる気がするけど……。

 それってどんな技なの?」


「悪魔パンチは凄いぞ! まずは拳を握って、そのまま相手に叩き込むんだ! これ一発で大体の敵は撃破できるし、何より魔力を一切使わないところがエコで凄い」


「それってただのパンチなんじゃ……」


 確かに。

 いや、薄々は勘付いてたんだけどね。


「ま、まぁ魔力って戦い以外にも使うからね。寧ろそっちの方が多いしね」


 貨幣だって作り出せるし、部屋に入って来るカメムシとかを防ぐためにバリア貼ったりとか色々使えるし。あ、制服をクリーニングに出さなくて良いところも便利。


「魔法を使えばどんなことでもできるの?」


「ふふん、俺くらいになれば出来ないことは無いと言っても過言では無い」


 感心する姫琴を横目に胸を反らす。

 どうやら全知全能の力を持つ俺に羨望の眼差しが注がれている様だ。体がチリチリと熱を持ち始めている。

 ちょっと、あんまり見らんといて。恥ずかしいから。


「……ニュースで見たけど、この地域だけ梅雨入りが遅れてるんだって。

 葦木くん、魔法でなにかしてないよね?」


 怪訝そうな表情でアスパラのベーコン巻きを頬張る姫琴の質問に応える為、唐揚げをひと回り小さい物に選び直して箸を突き刺す。


「魔力で雨雲を払いのけてるけど」


「だ、ダメだよそんなことしちゃ!」


 姫琴は酷く慌てている様だった。

 額に縦線を走らせて俺を叱る。


「雨が降らないと困ることだってあるんだから! 農家の人とかお米作れないし、水不足にだってなっちゃうんだよ!」


「でも、雨が降ったらここで飯食えないじゃん」


「その時は教室で食べれば良いの! 今まで雨の日はどうしてたの!?」


「ここで傘差して飯食ってた」


「こ、今度からは一緒に屋根のあるところに行こうね」


 大変お怒りである。

 しかしご立腹の姫琴もやはり可愛らしい。いつまでも見てられるし、なんならこれを肴に酒でも飲めそうだ。


「だからむやみに天気をいじっちゃダメ!

 あと、人に迷惑をかける様な魔法も禁止! わかった?」


 素直に頷く事にした。

 いくら怒った顔が愛くるしいとは言え、やはり笑顔には代えられない。そして何よりも彼女に嫌われては元も子もないのだ。

 あと、天気変えるのちょっと疲れるしな。


「姫琴も怒ったりするんだな」


「お、怒ってないよ。ただちょっと困っちゃうだけ」


 ほっ。どうやら怒ってはいなかった様だ。安心安心。

 安心ついでに梅干しをパクリ。うーん、酸っぱい。梅干しには防腐効果がある。最近暖かくなって来たから、昼休みまでに弁当が痛む可能性がある。それを補うのがこの梅干しなのだ。

 白米が悪くならない様見守る梅干しの様に、俺が腐らない様にずっと側で見守っていてくれ、姫琴。


「怒ってると言えば、帆篠さんなんだか機嫌が悪かったね」


 眉をハの字に曲げて彼女は白米をつつく。


「帆篠? 普段通りじゃなかったっけ?」


「ううん、なんだか目が怖かった」


「あいつの目つきが悪いのはいつものことだろ」


 最後の唐揚げを口に運ぶ。我ながらジューシーだ。コツとしては油で揚げる前に一度軽く茹でておくこと。そうする事で油で揚げる時間が短縮されべちゃべちゃになりにくい。こないだテレビで見た。

 一方姫琴は箸を止め、少し悲しそうに目を伏せた。


「朝、帆篠さんと目が合っちゃったんだ。なんだか、わたしを睨んでるみたいだった」


 なんと、それは聞き捨てならん。

 友達に仇なす者は即ち俺の敵でもある。許せん、姫琴を睨むなど言語道断! 成敗してくれる!

 俺が姫琴の梅干しとなる時が来たようだ! 紫蘇でもいい。青春とは酸っぱいものなのだ。


「ちゃんと注意しとかないとな!」


 姫琴は慌てて奮起する俺の言葉を遮る。


「や、やめて! そんな事したらホントに怒るから!」


 拒絶は大袈裟なものでは無い様だった。俺がそれを実行に移そうものなら本気で彼女の怒りを買ってしまいそうな程、姫琴の表情には焦りが見える。

 慈しみの権化、姫琴様がそう仰るなら従わざるを得ない。腑に落ちないが、本人が事を荒立てたく無いのならば俺が波風立てるべきでは無いのだろう。

 俺のせいで姫琴が嫌な思いをするのは、何よりも悲しい事だから。


「姫琴ってさ、帆篠と友達なの?」


 何気無い質問……ではなかった。

 僅かに感じ取っていた、姫琴から帆篠に向けられる感情。それは特別な色合いを秘めている。

 気にならないと言えば嘘になる。今し方の挙動もさる事ながら、気になるのはあの日、姫琴と出会った夜の教室で彼女が口にした『帆篠を悲しませる事をするな』という言葉。忘れたわけでは無い。友達と初めて交わした約束で、それは彼女の願いだ。

 その言葉の孕む意味合いについて、今一度推敲する必要がある。


「……友達、ではないよ」


 言葉を選びあぐねている様だった。それだけその想いは単純ではないと言う事だろう。

 流れる雲の影が俺達にかかる。再び陽の差し込むまで姫琴は沈黙を守った。


「難しいな、人に説明するのは」


 曖昧な笑顔はこれまで見たどの表情よりも琥珀色に光っていた。それが彼女の本質だと気付けるはずもなく、今はただ首をひねることしかできない。

 意味のある会話は今を壊す。

 創造と破壊は表裏一体で、全てが功を奏すわけでも、嘆きを産むわけでもない。壊された日常が再び積み上げられた時、それが今までと何ら変わりのないものである可能性の方がずっと高い。

 彼女はとても優しい。だから、一度しかチャンスのない答え合わせには誠実さを要するのだと、たどたどしい口調がそう物語っている。


「実はちゃんと話したことはないんだよ、一度も。でも、帆篠さんはわたしにとって特別な存在。葦木くんにとってもそうでしょ?」


 泣いている様で笑っている、ピエロみたいなその表情。隠しているのか、それとも見つけることができないのかわからない。

 ただ、真実だけがその思いに込められているのだと朧げに感じ取れた。


「そうだな。変な事を聞いて悪かった」


 言葉を返す。

 困り顔がうつったみたいだ。今の俺はまるで人間みたいな顔をしているに違いない。

 鏡の様に同じ面持ちを見せ合って、乾いた様に笑う。ただそれだけの時間。

 帆篠が俺にとって特別な存在であることは違いない。でもそれは姫琴についても同じこと。

 ニュアンスやベクトルは全く違うけれど、それぞれしまっている引き出しは別々だけれど、確かに帆篠は俺にとって特別だった。


「姫琴が友達になってくれて良かった」


「わたしも、葦木くんと友達になれて良かったよ」


 片方の思いが双方の想いだとこの時の俺は勘違いをしていた。

 俺が抱えている感情を、帆篠も同じ様に俺に向けているのだと勘違いをしていたのだ。

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