1-2.悪魔はリンチされかける。


 帆篠ほしの 雫月なつきは優等生である。

 成績優秀かつスポーツも申し分なく、人当たりについては決して良いとは言えないものの、誰に対しても真摯に接する姿勢を崩さない。平坦な口調に棘はないし、誰にも分け隔てなくまっすぐに応える。そこには確かに悪意が無い……どうやら俺は例外らしいけど。

 よって、これから話す内容も俺以外のいわゆる世間一般での帆篠への評価を論じていると言うことを念頭においていただきたい。

 帆篠は所謂、良い人で真面目な人間だ。教員連中からの信頼も厚い。頼まれ事には嫌な顔をせずに頷き……まぁ、人前で表情の変化に乏しい帆篠嬢のそんな反応は肯定も否定も含んではおらず、単なる淡々とした瀬戸物染みた面持ちを崩さないだけであるのでなんとも言えないところではあるが、ともかく彼女が学友や生達の間で『良い人』ないし『良い生徒』の評価を得ている事に違いはない。

 誰からも信頼を得て、誰からも好かれ得る素質が彼女にはある。

 しかしながら彼女はいつも一人だ。

 休み時間も食事の時間も、あまつさえクラスの連中と雑談を交わしている時だって。

 彼女の四面は言わずとも語る透明な壁で囲まれているのが事実である。そして、動物的な本能か、それとも長い歴史の中で人が培ってきたコミュニケーション能力の為せる技なのかはわからないけれど、皆が皆そのバリアを認識する事になるのだ。

 誰もが帆篠の背中に手を伸ばした時、その透明で手応えの無い何かに触れる。そしてその表面を撫でたところで、彼女と親しくなるのを諦めるのだ。

 違和感と言う衣を身に纏い、ひとしずくの浮遊感を放つ彼女は、誰にも正体を掴めない非現実さに浸っている。

 ここからは俺の意見。

 帆篠はすべからく人から好かれ得る要素をポッケに突っ込んでおきながら、その宝物を自ら彼女は腐らせている。俺にはそう見えていた。

 剣を持っていても、その刃を研がなければ仇を討つ事はできない。帆篠はその研磨を怠っている様に、俺には映る。

 あくまで多数派の話だが、人は誰しも人に好かれたいし気に入られたい。その理屈に基けば、帆篠は友達を作る為の努力を放棄していると言えるだろう。

 それは俺が彼女に対して感じる苦味のひとつだった。

 それはそうと、対する俺はと言えば、ポケットの中身を全部出して両手を広げているっつーのに、人っ子ひとり話しかけて来やしない。て言うか、避けられてる。なんで?

 どうしたもんかね?

 いやいや、別に友達が欲しい訳じゃあないんだよ? そんな訳ないじゃない、俺悪魔だし。人間なんかと仲良くするのなんかごめんだね!

 あぁ、屋上で一人食べる飯の美味いこと美味いこと。

 見ろよあの雲、このタコさんウインナーにそっくりだ! ほら、見ろって! あれだよ、あの雲だよ! 早く見ないと雲の形が崩れて……あ、俺一人だった。誰も見てくれる人なんていなかった。参ったね。

 そもそもさ、飯食う必要ないんだっつうの、悪魔の俺には。それが誰が好き好んで朝早く起きしてまで弁当作ってると思ってんだ。俺だって教室でみんなと一緒にランチタイムしたいっつうの。……やべ、本音漏れた。

 青空に向かって溜息を吐く。

 帆篠はいいなぁ、要らないならくれねぇかな友達できる要素。俺の方が絶対上手く使えるよ。ハーレムつくるよ。

 俺にちょっかいかけてる暇があったら少しはその心の壁を崩せよ。なに考えてんだまったく。なんで天は欲しがる者に欲しがる物を与えないのかね?

 神様なんていないって知ってるけど、悪魔の俺からしてもこれは残酷だな。いっそ魔力で友達作ってやろうか? いや、粘土工作じゃあるまいし、そんなの意味ないよなぁ。そんなもん友達じゃないよなぁ……。

 二度目の溜息と同時に強い風が吹いて俺の弁当からつくねを奪っていった。

 おいおいちょっと待て! どんだけ強い風だ! て言うか今物理法則を無視した動きでつくねが弁当箱から逃げていったぞ!? やめろ、転がるんじゃ無い! こ、怖い! なにこれ!?


「おい、静かにしてくれ。うるさくて眠れやしない」


 肉団子を追う足を止め、思わず声の元へ頭を向ける。

 気だるそうな表情をした男が隅のソーラーパネルの裏から顔を覗かせていた。


「だ、誰だ!? いつからそこに居た!?」


 とっさに出た言葉は悪事の現場を目撃された小悪党の様。悪い事なんかしてないのに。ただつくねを追っかけてただけなのに。なんか俺、こんなんばっかりだね。

 三秒ルールはとうの前に意味を成していなかった。つくねは砂にまみれて塵になって消えた。ホントどうなってんだ、屋上の物理法則。


「お前が来る前から居たさ。屋上は立ち入り禁止だぞ」


 大きなあくびを一つして男はのそりと立ち上がった。学生服の襟には俺と同じ二年生の青いピンバッチが光っている。


「え、そうなの? 知らんかった。鍵、開いてたし」


 立ち入り禁止ならお前もダメだろと続ける。


「俺が開けたんだよ。いつもここで昼寝してんだ」


 ひと月近く昼休みはここで弁当を貪っていたと言うのに、今日の今日まで気付かなかった。気配消すの上手すぎだろこいつ。

 そもそも、なんだって貴重な昼休みの四十五分間をこんな所で昼寝に費消しているんだよ。お前も友達いないのかよ。

 ……お前も友達いないの?


「な、なぁいつも一人でここにいんの? 良かったら昼飯一緒に……」


「お前、もうここ来るなよ。昼寝の邪魔だから」


 そう言葉を遮った男は階段へ続く扉を開き出ていった。

 雲の流れる空には青々とした空が広がっている……なんかこの日本語間違ってるよね、知ってる知ってる。ちょっと動揺しただけさ。

 さて、心の解放だ!

 なんだあいつ!? 人がせっかく勇気を振り絞ったと言うのに! だからぼっちなんだお前は! みんな言ってるぞ! お前のそう言うところがダメなんだって!

 声を聞いたこともない『みんな』の耳にしたこともないその男の悪口でなんとか平常心を繋ぎ止める。

 そうだ、こんな時は歌を歌おう。『どんぐりころころ』とか良いんじゃない? あ、ダメだ、声が震えて歌えない。俺は今動揺している。童謡だけに。

 弁当の残りを口に掻き込み乱暴に蓋を閉める。

 怒り足で廊下を歩くとまた二度ほど転んだ。俺が転ぶ度に傍を歩く生徒どもが振り向くが、誰一人として手を差し伸べてくれる者はいない。いよいよもって心が折れそうである。

 誰でも良いから俺に優しくしておくれ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 教室には不穏な空気が流れていた。

 数人の女性とが群れになって一つの机を囲んでいる。麻雀でもすんのかな?


「あんたが昨日フったの、ウチの彼氏の先輩の友達の弟なんだよね。調子乗ってんの?」


 一番声の大きそうな女がその想像通り大きな声で何やらまくし立てている。

 クルクルとうねった明るい髪に短いスカート。まつ毛が化け物の様にフサフサしている。ギャルだ! ギャルがいる!

 スカーフの色が黄色だから三年だ! 三年生のギャルだ!


「すみません、好みじゃなかったので。

 あと、登場人物が多すぎて今回の件におけるあなたの関係性がわからないので相関図を作ってもらえると助かるんですが。

 ごめんなさい、理解力に乏しくて」


 ばっかでぇ、俺でも理解できたっつうの。

 て言うか、ギャル集団に囲まれたそのバカは帆篠だった。昨日人に知的レベルがどうとか言っておきながらお前も結構アホじゃん、ぷぷぷ。

 しょうがない、俺が説明しやろう。

 あれだろ? 昨日お前に告白したのがあの女の友達の彼氏の弟の彼氏なんだろ? ……ん? なんかBL混じってない?


「舐めてんね」


「別に舐めてなんかいません。

 他のことは置いておいて、日本では年齢が上と言うだけでも敬うべきと言う悪習がありますから」


 火に油を注ぐのが好きだなぁ、帆篠は。

 天ぷらでも作るのかな? 海老天の尻尾だけ俺にくれ。あれを残すやつの気が知れん。

 ギャルのリーダーは見るからに怒っている。こめかみの青筋にその感情を込めて言う。


「ちょっとあんた、来なよ。体育館裏にウチの彼氏達も待ってるからさ」


 集団が帆篠を取り囲み離席を促す。

 はぁ、と溜息を吐いて帆篠は腰を上げた。

 こ、これはもしや……!


「なんだなんだ! リンチか! やっぱりリンチなのか!?

 ほれ見ろ! 俺が昨日言った通りじゃねぇか!」


 勝ち誇った様に帆篠を指差す。

 視線が俺に集まった。やべ、ちょい恥ずかしい。


「麗華、あいつあれだよ。こないだ転校して来たほら、馬鹿で有名な‥‥‥」


 ヒソヒソと馬鹿にされた。

 誰が馬鹿だ。馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ、この馬鹿。


「じゃああんたこいつの代わりに来いよ」


 じゃあってなんだよ!

 てか、なにこれ? 俺がリンチされる流れ? それおかしくない?


「殺してやるよ、ほらさっさと来な」


 やばい! 殺される! 殺されるのは嫌だなぁ。


「おい、お前今『殺す』って言ったか?」


 殺意の込められた声がした。

 立っていたのはさっきの昼寝野郎だった。お前、どこからともなく声かけるの好きだな。ブームなの?

 殺すって言うやつが殺されるんだぞ、この野郎、いつか殺す。

 俺の思考とは裏腹に、この場の空気が張り詰めている。気不味いったらありゃしない。

 教室はたちまち静寂に包まれた。怒髪天を突いていた三年女子ギャルグループも、昼寝マンの気迫に言葉を詰まらせている。

 このまま俺へのリンチがなかった事になればいいな。


「なに騒いでんだ! おい、お前ら三年だろ。教室に戻れ、昼休み終わるぞ!」


 俺の背後で迎井教諭が怒鳴った。

 俺を叱る時の二倍目を釣り上げて青筋を立てている。このままでは目が地面に対して垂直を向く日も近い。想像したら怖くなって来た。こうやって現代日本にも妖怪が生まれるんだなぁ。

 ギャル達は舌を打ち打ちぞろぞろと去って言った。

 引き換えに、教室にざわめきが返る。


「ヤバい、黒斗こくと君超かっこよかったね!」


「三年の先輩達相手にあんな風に凄めるなんて、素敵だよ」


 どうやら昼寝男の名前は黒斗と言うらしい。

 て言うかちょっと待って、なんであいつが全部良いとこ持って行ってんの? 俺も少しは気にかけられても良くない? リンチされかけたんだよ? 半リンチ状態だよ? 字面だけ見れば青痣だらけの鼻血タラタラですよ?


「大丈夫か?」


 黒斗が帆篠に声を掛ける。

「ええ、気にしてないわ」と相変わらず人形の様に無機質な声で帆篠は答えた。

 そして俺をチラリと見て目を逸らした。

 なんだ、何故かお前の代わりに殺害予告までされた俺に言うことは無いのか。他の奴らはこの際まぁいい。お前くらい俺を気遣う言葉をかけてくれてもいいじゃねぇか。

 腑に落ちないまま、俺はどっかと自分の机に腰を下ろし、何故だかうまく椅子に座れずに尻餅をついた。

 廊下だけじゃなくて教室でまで転ぶのかよ、俺。

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