死んでからは一緒に

@RAKUHEI

初回


「そう、分かった」

 寝台に身体を委ねた少女の声が狭く閉ざされた部屋に染み、そして消えた。

白く塗装された壁。塵一つない床。

 渦高く積まれた本の他には、日常で目にするような物はまるで置かれていない。 幾重にも束ねられた透明な管と定期的に変化する折れ線や数字を表示し続ける機械が、代わりに殆どの空間を占領している。

「驚いたな。俺が今まで訪れた人間は、例外なく否定してきたものだが」

 彼女の眼を覗き込むようにしながら、青年が首を傾げた。コキリ、と音がする。

着ている黒いジャケットと煤けたジーンズは、全く場の雰囲気に馴染んでいない。

いや、彼以上に違和感を禁じ得ないのは、当然のようにその背に担がれた物だろう。

 本来は麦などを刈り取る為に作られた農具でありながら、その印象から不気味な者に結びつけられてしまった物品。

 有り体にいってしまえば天井に届く程の大鎌が、異様な存在感を放っていた。

「皆臆病なのね。私も騒いだ方が良かったかしら。今からでも叫びましょうか?」

「悪い冗談は止せ。どうやらまだ状況を良く理解していないらしいな」

 無表情のまま青年が少女を見据える。割れた硝子の様に鋭利な視線を、少女はわざとらしい寝返りを打って躱した。

「いいか、俺は人間に死神と呼ばれる存在だ。終わりが近づいている生物を訪れ

肉体が滅んだ後に魂を運ぶ。中でも」

「同じセリフをまた繰り返す必要はないわ。大体、その武器が貴方が何者かを雄弁に語っている。誰だって見れば勘付くでしょ」

 少女の肩が微かに震えた。長く整えられた髪が布団からゆっくりと落ちていく。

 説明を遮られたにも関わらず、青年は目を細めて口角を上げた。余裕めいた優しげな表情が、少女の心を苛立たせる。

「ほう、成程。他と違うようでいてそこは変わらない。やはり完成された発想というものは多少時代が進んでも揺るがないな」

「変なことを言わないで。どんな意味かちゃんと説明しなさい」

 彼女は青年に向き直り、声を荒らげた。

 とはいえ、最初からか細いそれが少々大きくなったところで迫力はさほどない。

「死神の服装や装備は、存在を認識させた生物が抱くイメージによって定められる。自分でどうこう決めることは許されていないし、出来ない。判断のしようもない。大体はそこまで考える知能を持ち合わせていないが」

「鏡にでも姿を写せばいいじゃない」

 溜息混じりの言葉に、青年は片眉を上げた。人差し指を立てて左右に振る。

「試してみろ。百聞は一見にしかず、と人間の言葉にもある」

 少女は横たわったまま、首だけを動かして辺りに目をやった。毛布と病衣がさらさらと擦れる柔らかな音がする。

「カーテンの前に落ちてるわ。拾ってきて」

 確かに手鏡が伏せられていた。掌ぐらいの大きさだが、今の目的には充分だ。

「お前の方が近い」

「私、自分じゃ転がってしか動けないの。無様な姿を眺めて面白がることをお望みならやらせて頂きますけど」

 悲しそうな声。いかにも冗談めかした言い方ではあったが、青年の心に彼女が浮かべた寂しそうな表情は深く突き刺さった。

「知っていれば最初から俺が動いた。早く話してくれ」

 右腕を顔の前に掲げ、何やらブツブツと唱える。すると、ゆっくりくるくると回りながら手鏡がそちらに向かって飛び始めた。

「へぇ......、凄い。死神の名は伊達じゃなかったみたい」

 少女が目を丸くするのを見て青年はしきりに頷いた。こういった下らない小手先の技でも、覚えておいて損は無い。

 反応を確かめられているのにも気付かず、少女は瞬きもせずにその不思議な光景を注視し続けた。黒い瞳が宝石の様に煌めいている。

 そうしている内に二人の視線が合った。直後、彼女の頬に朱が差す。思わず顔を背けて舌打ちする様子に、青年はにやりと笑みを形作った。

「只の曲芸だ。仕事では無価値さ」

 じろりと睨まれ、瞬時に表情を引っ込める。しかし、完全には喜びを隠し切れてはいなかった。ベットの陰に隠れた左手がぐっと握られる。

「ほら、受け取れ」

「いいえ、貴方がやって」

 青年は何か言いたげに口を開いたが、結局彼女の指示に従った。暫く手鏡を左右に傾けた後、肩を竦めて差し出す。

「部屋しか写ってないじゃない」

「問題ない。死神は自分の姿を標的にしか見せないからな。存在を認識されず、ありとあらゆる物を欺き、過たず仕事を遂行する」

 高らかに言い放つ様子に、少女は眉を顰めた。何故そんなに偉そうなのだろう。

「まさか、格好つけた台詞を言いたいだなんて理由でこんな回りくどいことをした訳? そこまで面白い人だとは思っていなかったわ」

 しばらくの間時計が進む単調な音だけが響く。青年が無理に不自然な咳払いをするまで、重苦しい沈黙は延々と続いた。

「どんな奴だと思っていたんだ? 俺は血も涙もない魔物。自身の行いに躊躇いも罪悪感もない。賢明ならからかうのは止めておけ」

 青年の大鎌が、眩しいぐらいの光を反射してギラギラと光る。わざとらしい脅しが、少女には恐ろしいどころか寧ろ滑稽だった。

 彼女は何故か、彼が嘘を付いていると確信していた。淡々としていた語り口調が崩れたのも理由ではあるものの、どんな存在であれこれだけ自分と話してくれる珍しい物が危険だとは感じられないというのが、正直な所なのだろう。

「ふふ、貴方が来てくれて良かった。最期の時ぐらいは楽しい気分でいたいもの」

 少女は身体を可能な限りの力で持ち上げた。目を瞑り、来るべき痛みに備える。

「さぁ、もう前口上は十分よ。早く仕事を済ませて頂戴」

「いいんだな。後悔はないと言い切れるか? 俺はまだこうしていてもいい」

「大丈夫。死神に心配されるなんて私も偉くなったものね。あの世に行ってから話したらきっと笑われるでしょうね。まぁ、私に相手なんていないでしょうけど」

「そうか、それは困ったな。今度来るときは面白い話題を仕入れておくから、楽しみに待っているといい。少しは友人作りに役立つだろう」

「えっ、今度? 待ちなさい、私よく意味が」

 目を開いた時、既に青年は消えていた。まるで最初からいなかったように。

 部屋はまた静けさを取り戻し、不本意ながらも少女も再び眠りに付いた。

 彼女の心に残ったさざ波を無二の証として、死神は去ってしまったのだった。 


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