じゅうなな
僕が孤児院で女の子から貰ったアヒルのオモチャ。それが元コックの彼の手元にある。
一体どういう事なのかと混乱する僕に向かってニヤリと笑みを浮かべた鳶が、自分のポケットに手を突っ込んだ。
「こっそりチェンジ大成功ー! ってね」
そして取り出してみせたのは、なんと。
「旧印!」
「オイラもしかしたらスリの才能もあるんじゃない? まーやらないけどさー。あっ、でもアヒル勝手に借りてごめんね! ちょうどいいサイズだったから」
「ううん! ……ありがとう、鳶」
旧印を受け取りながら礼を告げると、鳶が嬉しそうに目を細めて「ひひひ」と笑う。
呆然とアヒルと見つめ合っていた元コックの彼が、ようやくハッとしたように鳶を睨んだ。
「な、なんつもりでやんすか! 運送屋!」
「あっそういえば今回の運送料金タダにしとくから! おかげでもっと良いお客 見つけられたしさ、サービスってことで」
「いったい何の話を……!」
「んー。オイラは依頼通りに金を届けたし、領主様も連れてきたじゃん? その時点で契約終了なんだよねー。
だから次の依頼に移ったんだよ、この旧印をにーちゃんに届ける、っていうね」
堂々と言い放たれた言葉に、目を丸くして鳶を見る。だって僕は依頼をしていない。
しかしこちらが疑問を述べるより早く、鳶は僕にぱちりと片目を瞑って「後払いでいーよ!」と言った。
思わず声を上げて笑う。ああまったく、なんて嘘つきな運送屋さんだろう。
「なんっでそんな依頼受けたでやんすか!!」
「何でも引き受けるのが鳶くんの売りなんでー」
「ならあっしもまた依頼するでやんす! その旧印をあっしのところまで……!」
「残念! もう次のお仕事入っちゃってるんですよねー」
鳶は一度僕と顔を見合わせてから、勝ち気な表情を浮かべて元コックの彼を見据えた。
「次の依頼は、おっちゃんを自警団までお届けする、でいいかな?」
「うん!」
僕は旧印をしっかりと鞄にしまって、鳶の横に並び立つ。
旧印は取り戻した。あとは彼に罪を償ってもらうだけだ。
「で、ここからどうしよっか、にーちゃん」
「…………うん!?」
「いやさぁ、オケラのおっちゃんだけなら二人掛かりで何とかなる気がするんだけど、下っぱトリオもいるじゃん?」
忘れてた。
肩越しに後ろを見やれば、肩を寄せ合ってひそひそ話している三人組の姿。
「なにがどうなってんだコラァ」
「めちゃくちゃ蚊帳の外にされてんぞオラァ」
「とにかく俺らは、アニキにバレる前にあの方を牢屋に戻さなきゃなんねぇんだよな?」
「そ、そうだな……」
「つ、捕まえねぇとな……」
完全に気乗りしていない様子ではあるが、それでも彼らの助力が得られるらしいことを察した元コックの彼が、水を得た魚のように生気を取り戻した。
「ダメでやんすねぇ、さっきも教えたでやんしょう? そういう大層な口は自分達が有利なときに言うもんだってね! さぁニイさん方! やっちまってくだせぇ!」
「何を仕切ってんだオケラ野郎コラァ!」
「すいやせん!!!」
「……まぁいい、や、やるぞ、お前ら!」
チンピラ三人組がこちらに向き直る。
出口は、元コックの向こう側。この狭い通路では脇をすり抜けるのも難しい。
しかし僕の横には、賭場に繋がっている大扉がある。昼間見たとおり、そちらにも外に繋がる扉があることは知っているが。
「何かこう、無理なんだろうなって予感を感じる」
「真正面の扉が開かないのって逃げる系のお約束だもんね! でもそんなこと言ってる場合じゃなさそうだよ」
「だよね……」
選択肢なんて無いも同然の一方通行だ。
檻と分かっていても飛び込むしかない僕らが、「せーの」で大扉を開けて踏み出した足が、ぱしゃりと水を跳ね上げる。
天窓から差し込む月光に照らされた室内は、かろうじて机などは纏めて端に寄せられているものの、それ以外はほとんど手を付けられておらず、どこもかしこも水浸しである。
そんな中を一直線に駆け抜けて、外への扉に手を掛けた。
何度も押したり引いたりを繰り返すが、扉はむなしく硬い音を立てるだけでびくともしない。よく見ると、扉には鍵穴がついていた。
「内側から閉めるタイプ……!」
「やー、お約束って本当にあるんだねぇ」
当然、僕らは鍵なんて持っていない。つまりこの扉はただの壁でしかないということだ。
「また自分から袋の鼠になるとは、愉快なお人でやんすねぇ」
「おとなしくお縄について下さいってんだアァン!?」
振り返れば、半円形のフォーメーションを取ってじりじりと距離を詰めてくる彼らの姿。
「にーちゃん、これどうにかなんの?」
遠い目で空笑いする鳶に向かって、大丈夫、と精一杯の虚勢を張る。
運動神経は良くないし、戦う力なんて皆無だし、使用人に一斉離職されてしまうくらい人望の無い、顔が怖いだけの頼りない僕だけど、自分で言っててちょっと泣きそうだけど、それでもひとつ信じている事があった。
「僕はね鳶、これでも運だけは良いんだよ」
「……こんな状況になってる時点で良くないと思うけど」
「でも本当なんだ」
父が死んで空っぽになった屋敷に、それでも残ってくれた人達がいる。
人手が欲しかっただけなんて言いながら、困っている僕を見かねて雇ってくれた人がいる。
美味しいアップルパイをくれた人。危ないところを助けてくれた人。温かい言葉をかけてくれた人。ありがとうと言ってくれた、あの子。
たくさんの人に支えられてここに立っている僕は、周囲の人々に恵まれる運だけは、誰にも負けない。
「絶対に、大丈夫」
強く言い切った僕に、鳶は小さく肩をすくめて「信じるよ」と笑った。
「ぜ、全員でかかるぞオラァ!」
「いっせーのせだからな! 逃げんなよコラァ!」
「こえぇよカアチャァァァン!!」
鳶を背に庇いながら、肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握り締める。
そして「いっせーの」で息をそろえた三人が、「せ」の音を発そうとした。
瞬間。
――ドガン、という音が頭上から響いた。
「なっ……なんだぁ!!?」
反射的に見上げた視界に映るのは、ぽっかりと穴を開けた天井の向こうに光る月、ばらばらと落ちてくる屋根の残骸、そして。
「うむ、やはりこうして入るほうが早いな」
目の前で華麗に着地してみせた人影が、メイド服のスカートをふわりとひるがえしながらこちらを向く。
「ジャック、無事で何よりじゃ。怪我はしておらぬか?」
そう言って彼女は、その美しい顔に男より男前な笑みを乗せた。
「ルイーゼ!」
「いやどっから降ってきてんの!?」
「そこなる扉が開かなかったものでな、抜け道を利用したのじゃ」
「抜け道っていうか完全にぶち抜いてるよね天井! あーもうホント怖いんだけどこの人!!」
チンピラ三人組と相対していたとき以上に怯えた様子で僕にしがみつく鳶を、苦笑いで宥める。
ルイーゼは、周囲であまりの出来事に言葉をなくしている面々を見て首を傾げた。
「それで、わらわは何奴をねじ切ればよいのじゃ?」
「ねじ切っちゃダメだよルイーゼ……」
「そうか。ならばねじ切りはせぬと約束しよう」
彼女が淡々と頷いたところで、それまで呆然としていた元コックの彼が、ざっと青ざめていく。
「し、使用人はみんな辞めたはずじゃ……!」
「む? ……ああ、おぬしは早々に出て行ったゆえな、知らぬのも無理はない。わらわもこんな事が無ければ、おぬしの顔など二度と思い出さなんだわ。
久しぶりじゃのぉ、元コック」
口の端を上げたルイーゼが、ひたと彼に視線を合わせる。元コックが、ひ、と息を飲んで後ずさった。
それをよそに、チンピラ三人組はまた何か顔を寄せ合って相談し始める。
「あのメイドを人質にすればいいんじゃねぇか」
「でもよ、天井に穴開けたヤツだぞ?」
「バッカそんなもん、どっか老朽化してたに決まってんだろ」
「大体おっかねぇ戦闘狂一族とガチでやるより、メイド捕まえるほうがいいだろ」
「そ、それもそうだな!! オイそこのメイド! 痛い目に合いたくなきゃ、」
ずかずかと近寄ってきてルイーゼに手を伸ばしたチンピラその二が――宙を舞った。
吹き飛んだその体が、脇に寄せられた机の上に派手な音を立てて落ちる。
その間ぴくりとも動けずにいた残りの二人が、「……は?」と間の抜けた声を零した。
「なんじゃ、まるで紙切れではないか」
たった今、大の男一人を投げ飛ばしたとは思えないほど涼しい顔で、ルイーゼが呟く。
二人組になったチンピラ達は目の前で起きた光景に、しかし否が応にも認識させられる現実に、頬を引きつらせて彼女を見た。
「……あ、あんた、本当にメイドか!?」
「いかにも」
「なら何でこんなつえぇんだよコラァ!!」
「む? “何で”とはおかしなことを言う。おぬしら、よく知っておったではないか」
首を傾げたルイーゼが、スカートの裾をきれいにさばいて彼らに向き直る。
「とある領主家は戦うことを好むあまりに地位を捨て、一家揃って武者修行の旅に出た、とな」
彼女の言葉を頭の中で精一杯噛み砕こうとするように、彼らは何度も瞬きを繰り返す。
やがてその顔から、ざあっと血の気が引けていった。
「我が家もなかなか有名なようじゃな。では話のタネにもうひとつ教えてやろうぞ。
その領主家の一人娘は、旅の最中に空腹で倒れたところを、さる領主家の子息に助けられた。そして一宿一飯の恩に報いるため、今もその子息のところで、メイドとして働いておるという」
男顔負けに男らしい仁王立ちをしてみせたルイーゼが、美しい顔に可憐な笑みを浮かべた。
するとそれまで立ち尽くしていた元コックの彼が、弾かれたように身をひるがえして、通路側の扉へと走り出す。
「にーちゃん! アイツ逃げたよ!!」
「ならばここはわらわに任せよ。すぐ後を追うゆえ、無茶はせぬようにな」
「……うん、ありがとうルイーゼ!」
この場は彼女に託すことにして、僕は鳶と一緒に駆け出した。
その際チンピラ二人組の横を通り過ぎたが、彼らは蛇に睨まれた蛙のように、ルイーゼから目をそらすことも出来ないでいる。
元コックの彼が、扉を開いて通路のほうへ消えた。僕らもすぐにその後を追って扉を抜ける。
後方で閉まりゆく扉の隙間から、ルイーゼの声が聞こえた。
「さて、続けようではないか。わらわを捕らえるのであろう?
約束ゆえ ねじ“切り”はせぬ。されど―――貴様ら限界までねじってくれようぞ」
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