「ど、どうしよう」

「むぅ。まさかここまでとは」


 ゲーム開始から十分後、僕とルイーゼは早くも困り果てていた。


「オラァ……ッ!」

「なんだコラァ……!」

「ァァァン……」


 目の前にはうなだれる三人組。

 そして僕の手元には、フルセット揃ったカード。


「やべぇよ鬼つえぇよオラァ……」

「いや貴様らが弱すぎるのじゃ。三人掛かりでまさか一組も取れんとは思わなんだ。いっそ見事な負けっぷりであったの」

「ルイーゼ、包んで、言葉を包んで」


 さすがに気の毒で、敗者に鞭打つ所業をそっと諌める。

 しかし時すでに遅く、膝を抱えてすっかり落ち込んでしまった彼らをどうしたものかと悩んでいると、けらけらと明るい笑い声が背後から響いてきた。


「いっやー、怖い顔のにーちゃんすごいねー! 秒殺じゃん!」


 振り返ると、そこには一人の少年がいた。

 くすんだ茶色の髪に、栗色の瞳をしたその少年は、いつの間にこちら側へ入って来ていたのか、衝立の前で笑い転げている。


「……えーと、君は?」

「オイラ? オイラはただの通りすがり! それでチラッとここ覗いたらさ、その人らはめっちゃ弱いし、怖い顔のにーちゃんは容赦ないし、メイドのねーちゃんは真顔だし、もうすごいウケてさー」


 さらりと三人組にとどめを刺した少年は、そのまま流れるようにタタミに上がり込むと、僕とルイーゼの間に腰を下ろした。

 ちなみに今のゲームに関しては僕の容赦がなかったというより、手加減する間も無いほどに彼らが、なんというか、うん。


「そんで、なに賭けてやってたの?」

「しいて述べるなら、そやつらのプライドというやつかの」

「なにそれつまんなっ!!」


 ぶは、と少年が噴き出す。しかしルイーゼ以上に歯に衣着せぬ言動である。


「じゃあ怖い顔のにーちゃん達のメリットゼロじゃん! よく受けたねー!」

「まぁなりゆきで……あの、怖い顔ってわざわざつけるの止めない……?」


 じわじわ心に来るから。


「ふむ、メリットか。ではジャック、賭けの対価としてそやつらに話を聞いてみたらどうじゃ?」

「あっそうか情報収集に来たんだった。……でもこれ、話聞けるかなぁ」


 出来立ての心の傷口にルイーゼが思いきり塩をぶちまけ、それを少年が力いっぱい擦り込んだ状態にある三人組は、うずくまってプルプルと震えたまま、もはや立ち上がれそうにない。


「なに、怖いにーちゃん達なんか知りたいの?」


 呼び名から“顔”が省略されたが、意味するところはあまり変わってないような。まぁ心に来る感じが多少にましになったけど。

 少年にどう話したものかと迷っていた、そのとき。


「おうおう随分と無様な格好じゃねぇか、おめぇら!」


 大きな音を立てて衝立を蹴倒した見知らぬ大男が、突如としてこちら側に乗り込んできた。その声を聞いたチンピラ三人組がはっと顔を上げる。


「アニキぃ! コイツ……この方ひでぇんすよ!」

「このやろ……このお方まじ容赦ねぇんすよ!」

「このお人のせいで俺達の心ボロボロっすよ!」

「えっそれ僕だけのせいかなぁ」


 確かに起点を作ったのは僕かもしれないが、何か釈然としないものを感じる。


 アニキ、と呼ばれた大男は、タタミの上の何もない彼らの陣地を見て、次に僕の手元にあるカードの山を見たあと、最後にこちらの顔を見てビクッと肩をすくめた。


「……コイツらぁ負かしたのはテメェか?」


 しかし彼はその動揺を一瞬で抑え込むと、鋭く僕を睨みつけてそう言った。

 あの三人組への警戒はわりと早いうちに消えてしまったが、今度こそいかにもチンピラらしい大男の登場に、じわじわと恐怖が再燃してくる。

 これは情報収集とか言っている場合ではないかもしれない。


「はい……その、一応」


 ひとつ頷いてみせると、大男はずかずかとタタミに上がり込んできた。

 どけ、と三人組を蹴散らして、僕の正面にどかりと腰を下ろす。


「おう、こんな三馬鹿でも弟分だ。カタキは取らしてもらうぜ」

「アニキ~! やっちまっ……てさしあげて下さい!」

「ぎったぎたに畳ん……お畳み申し上げてください!」

「目にモノみっ……お見せしてくださいどうぞ!」


 精神的ダメージの深さゆえか三人組の敬語も怪しくなっている。いや、それでも敬語にしようという努力が見受けられる時点でだいぶ涙ぐましいが。


「いーぞいーぞー! やっちゃえー!」


 無責任に煽る少年を横に、おかしな話になったなぁとルイーゼと顔を見合わせる。

 でもこの状況を見るに、大男はチンピラ三人組同様、あくまで何がしかのゲームで勝負するつもりのようだ。ならまだ大丈夫だろうか。


「こいつらとカードでやったらしいが、オレに言わせりゃぁそんなもんはガキのままごとだ」

「あー……まぁ、ですよねぇ……」


 なにせ神経衰弱である。


「男の勝負といやぁ、これだろ」


 そう言って大男がタタミの上に放り出したのは、小さなサイコロだった。


「おうおう気をつけろよ、こいつはカードみたいに優しくねぇぜ。これで身ぐるみ全部はがされちまった奴もいたなぁ」


 サイコロを使ったゲームは昔いくつか柴に教えてもらったけど、実際にやった事はあまり無い。少し不安になってきて、ごくりと息を飲んだ。


「先手は譲ってやるよ。さぁ選びな!」


 大男の声に合わせて、三人組がバッと大きな紙を広げる。

 そこに描かれているものを見て、僕は目を見開いた。


「こ、これって……」

「双六だ」

「すごろく!!!?」


 色とりどりに塗られたいくつものマス。隙間を埋める楽しげな絵。

 確かにどこからどう見ても、年始にお馴染みのアレだった。


「アニキかっけぇ……さすが大人の男は違うわ……」

「俺達もいつかガチの男の勝負やりてぇな……」


 何なんだ。僕がおかしいのか。これが男同士の常識なのか。友達がいなかったから知らないだけなのか。

 もう何も分からなくなってきた。少年はさっきからゲラゲラ笑ってるしルイーゼは真顔だし。


 ほら早く自分のやつ選べよ、と彼らがコマの入った箱を差し出してくる。

 僕はそれにうつろな目で頷いて、いわく“本当の大人の男の勝負”とやらを開始した。


 *


 そして十分後。


「おぅ……ぅぉおぅ……」

「アニキぃぃぃいい!!!」


 目の前には、十分前のリプレイのような光景が広がっていた。

 結論から述べさせてもらうと、双六でこんなに差がつく事があるのかと逆に驚くレベルで圧勝した。


「ううむ、ジャックの出目が良かったというより、貴様の出目が悪すぎたの。特に出だしの一の目、五連続は悲惨であったわ」

「ルイーゼ! しっ!!」


 また冷静に相手の心へ塩をぶちまけていくルイーゼに、口の前で人差し指を立てる。

 タタミに突っ伏して震える彼にかけるべき言葉が見つからない。いっそ途中から手加減してしまいたかったが、双六で手加減ってどうすればいいのか分からず、この結果である。


 しかしますますもって話を聞きたいなんて言える雰囲気では無くなってしまった。

 お通夜状態の場で途方にくれていると、大男がゆらりと身を起こす。


「ぉう……おうおう……こんなのよ、おかしいじゃねぇか……」

「貴様らの弱さがか?」

「そいつの勝ちっぷりがだよ!!」

「なんじゃ、同じことではないか。のうジャック」

「ルイ。ルイーゼ。ルイーゼさん」


 最初に彼が衝立を倒してしまったから、一連のやりとりは賭場中に晒されていて、ただでさえ公開処刑なのだ。そこに追い打ちはオーバーキルにも程がある。


 しかし大男は、再度折られかけた心をどうにか立て直したらしい。やや涙目になりつつも、勢いよく立ち上がってこちらを睨み下ろした。


「ふざけるなよ、こんな結果、イカサマに決まってらぁ!!」

「双六でイカサマってどうすれば……」

「うるせぇうるせぇ!! おいテメェら!」


 呼ばれた三人組が、びくりと身を震わせて大男を見た。


「えぇぇぇでもアニキぃ……」

「コイツ……この方とスかぁぁ……?」

「戦闘狂の一族かもしれないんすよ、いやきっとそうすよ、ムリっすよぉ……」

「泣きごと言うんじゃねぇ!!」


 彼らは半泣きで拒否するも、一喝されてのろのろと立ち上がる。


 これはちょっと、まずいかもしれない。

 目前の彼らのみならず、この様子を見ていた賭場のあちこちからも「何だ喧嘩か?」「おもしれぇ」「俺もやるぜ」と剣呑な気配が滲んでいく。「見ろ、アイツ片手じゃ足りねぇほど殺してるツラしてるぞ」という声も聞こえた。だから顔は関係ないじゃないか!


 僕はルイーゼの腕をしっかりと掴んで立ち上がり、あの少年も、と巡らせた視線の先に、誰の姿も無いことに驚いた。


「あの子は?」

「途中でどこぞへ行きおったわ」

「どうりで静かだと……まぁ、逃げてくれたならいいか……」


 さて、あとは自分達が逃げる算段を立てなければ。

 怯えて腰の引けている三人組はともかく、ムキになっている大男と、出口までの間にいる他の野次馬たちが、そう簡単に逃がしてくれるとは思えない。


 悩む僕を、ルイーゼがちらりと見た。


「のうジャック。よいか?」

「だ、だめ! 待って! お願いだから!!」


 いよいよ焦りながら打開策を求めて周囲を見回したとき、賭場の片隅に、あの少年の姿があるのに気付いた。


 向こうも“気付かれたこと”に気付いたようで、にかりと笑って手を振る。

 そして少年の口が小さく「いくよ」と動くのを見て、はっとしてルイーゼの手を掴み直した。


「このイカサマ野郎をやっちまえ!!」


 大男が大きな声で号令をかけた、その瞬間。


「本日は晴れときどき雨っ! 突然の豪雨にご注意くださーい!」


 少年は軽快な掛け声と共に、倉庫の壁についたレバーを引いて回す。

 すると天井から、まさに豪雨のように大量の水が噴き出して、賭場全体に降り注いできた。


「ぅわあああ! なんだこれ水!?」

「消火装置だ! おい誰だ動かしたの!!」

「いいから早く止めろ!!」


 突然のことに皆の意識がそれたのを逃さず、ルイーゼと一気に出口まで駆け抜ける。

 後ろであの大男が怒鳴っていたが、振り返らずに走り続ければ、その声はすぐに遠くなった。



 そして倉庫を出て、路地裏を抜け、表通りにある広場まで辿り着いたところで足を止めた。


「こ、ここまで来れば」


 ぜえぜえと肩で息をしている僕とは対照的に、息一つ乱していないルイーゼが背中を撫でてくれる。

 水に濡れた髪をかき上げて、ようやく安堵の息をついた。


「あの子はちゃんと逃げたかな」

「オイラのこと?」

「ぅわ!」


 背後から響いた声に驚いて振り返ると、あの少年が立っていた。大して濡れている様子もない。


「よかった、無事だったんだ。さっきはありがとう」


 ほっとして思わず笑みを浮かべた僕を、なぜか少年はまじまじと見て、それから「どーいたしまして!」と上機嫌に笑った。


「すっごい笑わせてもらったからさー、そのオヒネリみたいなもんかな!」

「はは……」


 当事者としてはまるで笑い事じゃなかったが、おかげで助けて貰えたのだから、あの居た堪れない時間も無駄ではなかったのかもしれない。二度とやりたくはないが。


「ところでにーちゃん達、結局アイツらに何が聞きたかったわけ? そんなことチラッと言ってたよね」

「あ、ちょっと人探しをしてるんだ。それで情報が欲しくて」


 他にも知りたいことは色々あるけど、今のところ一番気になるのは“領主の使い”を名乗る人物だろう。


「ならオイラ結構あっちこっち行くから、特徴とか教えてくれたら気をつけて見といてみるけどー?」

「そっか。助かるよ」

「へへー。で、どんなヤツ探してんの? 男? 女?」

「僕にも分からないんだ。そのへん含めて知りたいっていうか……そうだ、君はこのへんで“領主の使い”って人を見なかったかな」


 尋ねると、少年はぱちりと大きく目を瞬かせた。


「……どうして、その人探してんの?」

「うーん、そうだなぁ」


 “領主の使い”氏がどんな思惑で動いているのかにもよるが、現時点では直接会って話を聞きたい、というところだろうか。


 そう伝えようと口を開きかけたとき、ジャック、と僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

 発信源を探して巡らせた視線の先に、こちらへ駆け寄ってくる柴の姿を見つける。


「柴!」

「は? 何でずぶ濡れなんだお前ら」

「……色々ありまして」

「ほう」


 柴は半眼でじとりと僕らを睨んだが、「まぁその色々は後で聞くとして」とひとつ息をついて話題を切り替えた。


「“領主の使い”とやらの特徴、少し分かったぞ」

「本当!?」

「まぁな。実際そいつに金を渡しちまった奴の話によれば、男……っつぅか子供だったらしい、が……?」


 ふいに言葉を切った柴が緩々と僕から視線を移していく。

 その先には、あの少年。


「……アップルパイ」


 少年をまっすぐに見据えた柴が、ぽつりと呟いた。


「この匂い間違いねぇ……あの婆さんのアップルパイだ……」


 少年は何か不穏な気配を察知したように、口元を引きつらせて後ずさる。その頬に、一筋の汗が伝った。


「に、にーちゃん、この変なヒト何なわけー?」

「……そうか、なるほど、お前だな」

「一人でブツブツさぁ、何言って、」

「今朝あの婆さん家に行った“領主の使い”、お前だなぁ?」


 獲物を定めた猟犬がごとく、柴がにたりと壮絶な笑みを浮かべる。

 刹那、少年は弾かれたように身をひるがえし、一気に駆け出した。


「追うぞ雌豹女!」

「むぅ、おぬしに指示されるいわれは無いが……あの小僧がジャックの探し人であったのじゃな?」


 ならばゆこう、と頷いたルイーゼが地を蹴る。


「え、ちょっ、待ってみんな!」


 そして瞬く間に遠ざかっていく三つの背中を一瞬ぽかんと見送りかけたが、すぐにハッとして、慌てて僕もその後を追った。

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