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グレート与志田
プロローグ
回想
「人は誰かと繋がらずには生きていけない」なんて言葉がある。
独りで生きていこうとしている人間に釘を刺そうという意思の込められた言葉なのだろう。
ずっと僕はこの言葉を、なんて無責任で、現実に則していない言葉なのだろうと思っていた。
実際には人は一人だろうが生きていけるし、一人じゃないだろうと思っている人は大体周りのことなんか目に入っていないものだ。
でも、もしこの言葉が違うことを言いたいがためのものだったとしたら、どうだろうか。
「人は誰かと繋がらないように生きていくことは不可能だ」という意味にもとれるだろう。
人と人とは、点と点のような関係で、近くに別な点があればそれを関係付ける線によって結ばれてしまうものだ。
広義の意味で一人で生きていくことはもちろん可能だけれど、本気で人と関わらないように生きていくことは、文字通り不可能というものだろう。
僕も、そうだった。
両親はいたけれど、彼らのおかげで今日まで生きてこれたなんて思ったことは一度もなかった。
彼らは「親」ではなかったのかもしれない。
けれど、彼らがいなければ、生きてはこれなかっただろう。
生きてこれた要因にはなっているけれど、彼らの功績、実績としてのそれではない。
物心ついたときからずっとそう思ってきた。
しかし、何だかんだ言っても、結局は繋がりを断ち切ることなくずるずると生きてきてしまっている。
僕は、そんな環境がたまらなく嫌だった。
生かそうとも、殺そうとも思っていない、極端に言えば何の感情すらも向けてこない相手によって、結局は生かされている事実が嫌だった。
それが、一つの理由。
もう一つ、理由があった。
「人は誰かと繋がらないように生きていくことは不可能だ」
その通りだった。
でもそれは、さっきまでみたいな意味じゃない。
たった一人、僕と繋がっている人間。
大切な妹。
彼女は異常な環境で、しかし決定的に何かを崩したりすることはなく育ってはくれたけれど。
意思と感慨のない土壌での生育期間は、彼女の何かを歪ませるのには十分すぎて……。
そんな歪みを、僕はどうにかして正そうと思ってきた。
でもある日、気づいた。
今の環境は、閉塞的な円のようなもので、
その中には、「僕と妹」という点が一つ存在するだけなのだと。
繋がり過ぎたために、僕と妹は近寄り過ぎた。
結果として、妹は「妹」という点であることを止めてしまったのだと、気づいてしまった。
そんな歪んだ実在が、別の歪みを治してくれるはずなんて、なかった。
だから、大学生活も終わりに近づき始めた頃―――
僕は、妹を連れて、家を出ることにした。
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