02.魔女の店

「…おはよう」

「おはよ、ご飯できてるよ」

 美咲の一件から更に二ヶ月、ゴールデンウィークを目の前に周囲はそわそわし始めていた。私はどちらかと言うとその後に控えている中間考査のことが気がかりだったがだいたいが連休の課題の中から出題されることが多いのでそれを待つ他なかった。教師も休み明けに一からテストを作りたくは無いだろう。

 朝のテレビが淡々とニュースをループさせる。母は毎回同じ番組を見るが私はどうもあれがすきになれない。朝っぱらから元気いっぱいのタレントが出てきて番宣をする。若いモデルがスイーツを頬張る絵面なんて朝には胃が痛い。リモコンを少しいじると、ちょうど今朝までの出来事を報じている番組に行き着いた。どこそこに強盗が入った。有名人が不倫した、地方出身の代議士が汚職したなど、毎度誰かの人生を代償にメディアはその価値を高めている。だがそれを必要として楽しんでいる人がいる以上、それは必要なものであってそこにはお金の流れが生まれる。話題は次々塗り替えられ、美咲の話題は一ヶ月と経たず他の話題にすり替えられた。

「お父さんは?」

「朝一で会議とかでもう出たよ」

「ふぅん」

 ご飯に味噌汁、そしてお弁当の余りのおかずと昨晩の煮物が少々。朝食には重いかもしれないが、「朝食にこそ一日のちからが宿る」というのが父の口癖だった。アスリートもそうだが、学生や学者と言った頭をつかう職業でも相当なエネルギーを消費する。座学だけでもお腹が空くのは頭が働いているからだ。

「はい、お弁当」

「ありがとう、行ってきます」

 母の言葉を背に家をでる。世の中少しずつ熱を帯び始めている。この時期は嫌いじゃないが夏はあまり好きになれない。願わくば春先、または冬に入るまえの秋くらいがちょうどいい。セーラ服と言うのはこういうとき厄介だ。ブレザーや学ランであれば上着を脱ぐだけである程度対応できるがこの服はそうもいかない。金銭的に許されるのであれば冬、夏用以外に春、秋用の制服も用意してもらいたいと思う。昼に近づくほど夏に似た陽気になるとよほどそう思うものだ。

 今日も授業が始まる。休み時間になれば祝日を望む声がいくつも聞こえてくる。私はと言うと栞を挟んだ文庫本を開く。ハードカバーでしか出ていないと思っていた文庫をこの間書店で見つけてしまった。今はこいつの相手で忙しい。小さな国の王様が他国との交流に奔走する話だが、優しくも強い王様の心には学ぶものが多い。だがこれも、三限目の休み時間に読み終えてしまった。



「で、なんであんたは図書室の、しかも司書室で弁当を食べてるわけ?」

「委員の特権です」

「そんなものはない」

 私は部活に所属していない。だが図書委員として昼休みと放課後、ここにやってきてまだ読んだことの無い本を漁っている。

「そういえば巳城の自殺事件の子、あんたの友達だっけ?」

「何ですか突然?」

「いや、ちょっと記事になっててね。まぁ、ゴシップだよ」

 府城第二高校はもともと二校あったうちの一校だったが、第一高校は十年近く前に起きた中規模な地震によって倒壊、第二と統合されたが学校名はそのままになっていた。その跡地に建ったのが彼女の言う私立巳城学園だ。

 府城第二はこの辺で言えばそれなりの進学校だが、あくまで公立高校だ。特進クラスいがいはごくごく普通の頭脳が集まっている。私は後者だ。

「で、納得できたのか?」

「え?あー、忘れてください。あの時の私は荒れてましたし」

「そうもいかないよ。あれだけ揺さぶられることが起きたんだ。そう簡単に解決しない」

「まぁ…まだモヤモヤしてますけど」

「そのモヤモヤ、どうにか出来るかもしれないけどどうする?」

 その言葉を聞いて心臓の奥が揺らいだ。もちろん比喩表現の一つだが、経験がある人は少なくないはずだ。気持ちの根幹が揺れるような言葉や出来事。極小さなことでも良い、それは世の中に溢れている。

「どうにか出来るとは?」

「彼女の自殺に納得出来ないんだろう?」

「と言うよりもその理由です。美咲は簡単に命を投げ捨てるようなタイプではない。最後に会ってから半年以上立っていましたけどずっと一緒に居た十年に嘘は無いはずです」

「そうかい…歳の割に頑固だねぇあんたも。…秋葉書店って知ってる?団地の方に上がっていく途中にある…あ、魔女の店って言えば分かりやすいか」

「ああ、それなら」

 『魔女の店』と言うのはもちろん俗称だ。年配のおばあさんが朝夕とプランターに水やりをするのが目撃されているからそう呼ばれている。営業しているかも分からない謎の店。風の噂で本屋であることまでは聞いていたが店名までは知らなかった。

「そこには今本当に魔法使いが居る」

「馬鹿にしてるんですか?」

「いやいや、探偵とまでは言わないが今あそこにいる男はそう言った分からない事を想像することに長けていてね。大学時代もよく使ったものだ」

 使うという表現が少し耳にかかった。学校司書である夏目晶子はそのサバサバした性格から生徒たちから慕われてはいるが彼女こそ魔女のような雰囲気を醸し出している。長い黒髪に高い身長。モデルでもやれば人気が出るのでは無いかとも思うが「性格上ムリだ」と言い一蹴しているのを見かけたことがある。「ひとに使われるよりも使う方が好きだ」というのが彼女の心情らしい。つまり大学時代の被害者が今秋葉書店に居る彼というわけだ。

「ま、行ってみろ。少し変わっているが信頼できるやつだ。私が保証する、責任もちゃんととるぞ?」

「…分かりました。それに賭けてみます、外れたら何か奢ってください」

「いいぞ?」

 やり取りが終わるかどうかのタイミングで昼休み終了のチャイムがなった。

 午後の授業を受けながらその本屋に居る男の名前を聞きそびれた事を思い出した。そのことが気がかりで授業に身が入らずにいるとわりと早く終業のチャイムが鳴ったように感じた。放課後に図書室に聞きに行こうとしたが職員会議とかで晶子は居なかった。帰りのバスに乗ると、私はいつも降りる団地西ではなく東側のバス停で下車した。秋葉書店はこのバス停から少し坂を降りたところにある。若干戻ることにはなるがもう一つ手前のバス停は高台にある団地の麓、この坂を登るのは何かと苦労する。小中学校の頃はかなりに苦痛だった。

 いざ、と本屋までたどり着いたは良いがインターホンらしきものはない。このドアを押し開けるのには少し勇気がいりそうだった。店先には昔と変わらずプランターに花が咲いている。名前は分からないが沢山の種類が空に向かってその花弁を広げていた。などと考えていると両開きの引き戸がガラガラと音を立てて開く。

「どちら様?」

「え!あっと…その…」

 言葉がすぐ出てこない。緊張もあるだろうが初対面の男性にみっともない姿を見せている現状が何よりも恥ずかしい。正直、夕方の少し冷めた空気がありがたいと思うほどだ。もし暑ければ自分の頭はオーバーヒートしていたことだろう。

「府城第二…あぁ、晶子さんの言ってた人?女の子だったのか『生徒』としか聞いてなかったわ。あ、入ってて。水やりしたらすぐ戻るから」

「は、はい…」

 言われるがまま、彼の開いた扉の中に入る。古い紙の匂いにまじり、香ばしい匂いを感じる。家でも嗅いだことがある、コーヒーの匂いだろう。だが少し違う、もっと濃い薫りがしていた。中に入るとすぐ書店でよく見る什器が並んでいた。と言っても売り物ではないようで、雑誌などのものはなく、古い小説や辞典の類だけが残っているようだった。よく見る名作も多いが名前も知らない作家の本もある。内容が気になるが、触れるのはやめておこう…。

「おまたせ…ってあれ?」

「あ、すいません。ちょっと見てました」

「あぁ、図書委員だったね。本好きなの?」

「まぁ…他の子よりは…」

 ここでようやく彼の顔を見ることが出来た。私だって女だ。ある程度整った顔を期待したがそこに居たのは天然パーマのキツイ太眉に眼鏡を掛けた男が立っていた。何色とも形容しがたい色のチノパンに少し皺の寄ったデザインのシャツだろうか、それを着こなせる程度にはスタイルがいいがごくごく平均的な容姿といえよう。自分から見ると身長は高いが男性で言えば平均的だろうか。

「それじゃぁ、奥に。コーヒーでいいかい?」

「あ、大丈夫です」

 奥のスペースには什器がふたつしかなく、そこにパソコンや応接用のテーブルなどがある事務所スペースが設けられていた。残された什器には彼の趣味だろうか、わりと最近の本が並んでいるように見える。自分にも見覚えがあるものが多くあった。

「やっぱり本に目が行くんだね。晶子さんが本の虫って言う訳だ」

「虫ってほどじゃないですよ」

「大丈夫、僕らの代にも蔵書目的で府城第二に来てた奴いたくらいだもん。君みたいなタイプは何年かに一人や二人くらい居るんじゃない?」

「は、はぁ」

 小言をたれながら男はコーヒーカップを私の前においた。彼が持っているのはマグカップ、おそらくこれは応接用のものだろう。

「あ、ミルクと砂糖。普段入れないから…ちょっとまってね」

「あ、ブラックで大丈夫です!」

「本当?なら良かった。今見るとミルクを切らしてるみたいで」

 普段からコーヒーやお茶に砂糖を入れることをしない人間だった。既成品だったらともかく、自分で淹れるとなると話は別だ。母の用意する豆は毎度違う。それぞれに砂糖の塩梅がかわり味が変わるのが嫌だった。そのため無糖で飲む癖が中学二年の頃には出来上がっていた。

「さて、本題に入ろうか友達のことで悩んでるんだっけ?」

「あの…」

「何?」

「っと…あなたは探偵さん、ですか?」

「うーん。あ、名乗って無かったね。僕は常磐明人、ここの現店主。と言っても本屋としては営業してないけどね。名刺は…今切らしてるんだ。今度あげるよ。君の名前は?晶子さん生徒が行くって言うだけ言って電話きっちゃって」

 身分を証明していないが一応学校関係者からの紹介だ。間違いのある人間じゃないだろう。言葉の雰囲気もそう見えない。

「白坂葵、府城第二高校の二年です」

「よし、じゃあ葵さん。君の友だちの話を聞かせてくれるかな?なるべく詳しく」

「はい…」

 ことのあらましを明人に語る。二ヶ月前のことではあるが、記憶は風化せずはっきりと残っていた。棺に入れられた美咲の顔は思ったより綺麗だったこと、他人事を簡単に重く語る他人に違和感を覚えたこと。なにより美咲が何故死という選択をしたのか、それに納得が行かないこと。なるべく伝わりやすいように話した。

「…なるほど、彼女は巳城の生徒だったんだね?」

「ええ、クラスまではわかりませんが普通科だったと思います」

「なるほど、通りで」

「え?」

 明人は顎に手をやり少し考えこむような顔をしていた。何か合点の言ったような事をつぶやくと此方に目線を移した。

「つまり君は東条美咲さんが何故春を前に自殺という行動にでたのか。その真意が知りたいってことだね?」

「そうなります。美咲が死んだ結果は自殺であろうと他殺であろうと変わらないし、プロの見立てで自殺と言うならそうだと思います。でも、人は嘘をつきます」

「そうだね、美咲さんが自ら死を選んだ。その行動に嘘は無い。結果として現れている。だがその後、警察が周囲の人物を調査した時に嘘が生まれた可能性がある。君はそう思っているんだね?」

 少し抽象的な言い方になったと思ったが、明人はその一言からある程度のことを察した。晶子が想像に長けていると言ったのはこういうことだろう。彼は少ない情報から多くを想像することが得意だ。そしてそれはある程度的を得ている。

「はい、誰が何処で嘘を付いたのか。もしくは表面だけじゃ分からないことがあるんじゃないか。そう思ったんです」

「うん、でもそれは君だけじゃ出来ない。だからこの二ヶ月、諦めたフリをしていたんだね」

 その言葉に再び心臓の奥が揺らいだ。『諦めたフリ』そのとおりだ。今日の昼に晶子が美咲の話題を出すまで、このモヤモヤと一生を過ごす気でいた。忘れることは無いだろう、そして納得することもない。そんなの出来っこないと諦めていた。そういうフリをしていた。まさしくそのとおりだ。

「…そう、です。でも晶子先生はあなたなら出来るだろうと」

「解決は難しいかも知れない」

 きっぱりと言う。やはりこのモヤを一生背負って生きるのだ、そう思っていると明人は続けた。

「彼女の真意はもう失われた。それを知る方法は時間を遡らない限り無理。ただ、事実を並べて想像することは遺された僕らにも出来る。それは真実とは少し違うかもしれないけど諦めて考えることを止めるよりはよっぽどマシだ。その程度であればお手伝いさせてもらうよ」

 席を立つと彼は此方に手を差し出してきた。場の流れのまま、私は彼の手をとった。いわいる握手という行動だが、意味がある握手をしたのは人生でこれが初めてだったかもしれない。

「遠いなら車で送るけど?」

「いえ、団地の少し向こうなので」

「そう、気をつけてね。明日は学校まで迎えに行くから」

「わかりました」

 帰り道、少しだけ肩が軽い気がした。いつもの時間より遅めの下校は少しひんやりした空気の中、足は軽やかだった。

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