四人で晩餐を
森音藍斗
sideA
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「
俺はコーヒーを啜りながら、ふと新聞から顔を上げた。ふと、何気なく、無意識に——と見えるように。
「今日は朝練だって」
「朝練なんてあったのか」
同じ家に住み始めて一か月、彼女の所属する吹奏楽部が朝練を催しているなんて初耳だ。
「本番が近いときだけ、やることもあるのよ」
「ああ、今度の土曜日だっけ」
「そう。空けてあるよね?」
「もちろん。楽しみにしてるよ」
っていうか。
「
「何でって……時間余ったから」
「いや俺やるって言ったじゃん。午後の打ち合わせしか用事ないからって」
コーヒーをダイニングテーブルに放置して、彼女の持っているスポンジを取り上げようと台所に入ったところで、俺の息子が台所にひょっこり顔を出した。
「行ってきます」
ふたりでいるところを自分の息子に見られるのは、何となくまだ気恥ずかしい。
「行ってらっしゃい」
梨恵が笑顔で返事をし、ついでに俺からやんわり逃げる。
「今夜サークルで飯食ってくるから、母さん、夕飯要らない」
「あら。今日は私も食べないのよ。今日の晩ごはん担当はお父さん」
「あ、そうなんだ。じゃあ、親父、そういうことだから」
「あいよー、行ってらっしゃい」
息子の
玄関のドアが開き、そして閉まる音がする。
「じゃあ、私ももう行かなきゃだから……
彼女がスポンジをスタンドに置き、流しで手を洗う。
「元々俺がやるって言ってたじゃん」
台所を出かけた梨恵を、思わず俺は呼び止めた。
「梨恵」
「ん?」
いや。
相談——するにはまだ、早すぎるか。
俺と充月さんの問題だ。どうしても解決できないということが分かるまで、考え抜くのが先だろう。
「何でもない」
「そう?」
彼女はちょっと首を傾げる。
「何かあったらいつでも言うんだよ」
「分かってるよ」
俺らはずっと、そうやってきた。そういう夫婦になりたいと思って。そういう家族になりたいと思って。だから、俺は彼女の育児方針に、感謝すべきなのだ。
ちゃんと言うように、充月さんを育ててくれた梨恵に。
「ありがとう」
「どうしたの急に」
梨恵は鈴を転がしたように笑い、
「じゃあもう行くね」
と台所を出ていった。
「行ってらっしゃい」
「打ち合わせ、遅れちゃ駄目だよ。前に寝坊して三時間待たせた編集さんでしょ?」
「大丈夫、原稿終わってないから寝れない」
「……頑張ってね」
苦い響きを残し、彼女は家を出ていった。
独り残された台所で、俺は皿を洗いながら考える。
仕事より大切なことを考える。
——何で、呼び捨てにしてくれないの。
そう充月さんに言われたのは、昨晩のことだった。渉は自室に籠っていて、梨恵は風呂に入っていて、リビングにいるのは俺と充月さんだけだった。
俺が答えに窮するのを見て、充月さんはちょっと悲しそうな顔をした。
パジャマ姿でクッションに顎を埋めて、でも俺からしっかりと目を離さないでいた。
「お兄ちゃんのことは呼び捨てにするのに」
「渉は渉だから……」
少し考える。
「お母さんだって、渉のこと渉くんって呼んでない?」
「お母さんは私のことみっちゃんって呼ぶもん」
渉のことをそういうあだ名で呼ぼうとすると……そうか、渉くんとしか呼びようがないか。
「でもお父さんは、私のこと充月って呼べると思うよ」
「そうだね」
充月さんはまだ俺のことをじっと見つめている。恨みがましく。
ちょっと怖い。
「いい。寝る。おやすみなさい」
充月さんは急に立ち上がった。あまりにも唐突だった。
「え、ちょっと待ってよ充月さん」
「ほら」
言われて気づく。また『さん』を付けた。
「私のこと、家族だと思ってくれてないんだ」
その言葉は——単純に、傷ついた。
「そういうつもりじゃないよ」
慌ててそう言うも、彼女はもう既にリビングの出口に向かっている。立ち上がり、追いかけようとした俺を振り返り、手に持った携帯を、耳にかざした。
「ついてきたら通報するよ」
……どうしろと言うんだ。
充月さんはそのまま自室に入った……音がした。目で確認はできていない。
俺はまたソファに腰を下ろし、BGMと化していたテレビのスイッチを消した。
風呂から上がった梨恵が、明日は寿退社する同僚の送別会だから夜ごはんの当番を交代したいと言う話をして、俺は梨恵に寿退社したかったかと訊き、だったらあなたと結婚してないと返され(ごもっともである)、その夜はそれだけだった。
原稿にも集中できなさそうだったので、寝た。
結局。
原稿も充月さんからの挑戦も、何ひとつ片付いていない。
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