啜るひと時

成亜

一人称ver

「ただいま」


「お帰りなさい」


台所から食器を洗うカタカタとした音が聞こえる。

午後は11時、深夜も差し掛かろうという時間帯。


今日は飲み会があった。酒とツマミはそれなりに食べたのだが、正直言ってマトモな食事は摂れていない。駅から自転車で帰るうちに、胃袋は空になっていた。


「悪い、なんか食うもんあるか? 簡単なものでいいから」


「じゃあ……ちょっと待ってて」


そう言って妻は、食器を洗う手を止めて食材を漁りだした。


決して広くは無いが、やはり我が家という空間は落ち着く。また、独り身の時には感じることの無かった安心感に包まれ、同時に酔いと疲労がどっと背にのしかかってきた。


一先ずはネクタイを外し、上着はハンガーにかけておく。ベルトを抜いて、ズボンをスーツから軽い寝巻き用のものに穿き変える。そうしたら次は、トイレに入って用を足した。



多少、酒臭さを気にしつつリビングに入ると、テーブルの上には自分の箸が置かれていた。


「お茶漬けで良かった?」


見れば、妻は電気ケトルから急須へお湯をコトコトと注いでいる。落ち着きのあるテンポに安らぎを感じた。


「んにゃ、十分、この位の方が食べやすいしな。ありがとう」


席に着けば、ほんのりとお茶の香りが漂ってくる。


「はい、どうぞ」


テーブルに置かれた拍子で揺れる薄い緑色の中で、黒い海苔が漂い白米の岸に打ち上げられる。

軽くお茶を啜れば、程よい塩味が舌の根元から唾液を誘い出してきた。

上手いこと、自分の好みに合わせた味付けに調整されている。


洗い物を済ませた妻が、向かいの席に着いた。見れば寝巻きで、どうやら既に風呂に入ってあるようだ。


妻が向かいの席で膝を抱え、じっとこちらを見てくる。微妙に居心地が悪い。


「……なんだ?」


「いや、別に?」


「なんだよ、食いにくいだろ」


「どうかお気になさらず」


おどけた調子の妻に軽く笑うと、彼女もまた笑っていた。



残り少なくなった米粒とお茶をかき込む。


「ごちそうさまでした」


「お粗末様でした」


立ち上がり、茶碗と箸を持って台所へ。水で軽く流し、スポンジに洗剤を付けて擦り洗う。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


洗ったら乾燥棚に置き、手をタオルで拭いた。


「それじゃ、お風呂入ってきます」


「はーい」


彼女の笑みに微笑み返し、脱衣所へ向かう。


お茶漬けの温かさが、胃袋をやさしく満たしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る