7.手紙

 昼休みの文芸部室。これまで通りに三人で昼食を取る。あの屋上でのやりとりがあった後でも、この風景自体は特に以前と変わることはない。

「和葉」

「……なぁに、たな……真由子、ちゃん……」

〝契約〟の締結以降、変わったことと言えば、ひとつだけ。それは互いに名前で呼び合うようになったということだ。なんでもそれは真由子からの提案で、教えてもらったところによるとより距離を縮めて彼女のことを理解するため、らしい。何度言っても必ず一度「田中さん」と言おうとするから、私の名前「たなまゆこちゃん」みたいだ、と愚痴られたこともある。国民的おかっぱ娘みたいだ、と。

「手紙を書いてきて」

「手……紙……?」

 真由子は不思議な提案をした。首を傾げる白石。

「そ、手紙。……それは遺書、弔いの言葉、あるいは、自分自身」

 白石に感化されたのか、どことなく掴みどころの言葉回しで説明する。

「これまでの人生のこと、今思っていること、世界に対する想い、全部書いてきて」

「え……」

「いい? 絶対だよ。これも契約において必須の項目だから」

 なんでも、真由子は事ある毎に「契約に必須」という言葉を用いて、白石を従わせているらしい。部活を休んでまでしていることといえば、普通に一緒にショッピングモールに出掛けるだとか、本屋に行くだとかオタクショップに行くだとか、案外そういうありふれた女子高生っぽいことらしいのだ。休日には少し遠出をしたりだとか、なんだかまるで普通の友達だ。

「今からちょうど一週間後、来週の月曜日。その日を約束の日にしよう」

「約束の、日……くひっ、な、なんだかそれ、いい……ね……」

「そう、約束の日。その日に、それを読み上げる」

「読み、上げる……?」

「そう。あの屋上で、世界に向けて、言葉を飛ばすの」

「…………」白石は黙り込む。それが何を意味するのか、考えているのかもしれない。

「もちろん私も書く。私が先に読む。じゃないとフェアじゃないから」

 白石は長く垂れた髪の隙間から、真意を窺うようにして真由子を見つめる。

「あ、パソコンで作ってくるのは駄目。A4サイズの真っ白な普通紙でいいから、ちゃんと手書きで書いてくること。自分の文字には自分の魂が宿るから」

「魂……うん、言霊と同じだね……分かるよ……」

「それから、人名はなるべくぼかして書いて。父とか母とかね。自分の名前も書かなくていいから」

「う……うん、わかった……」

「本気の言葉で書いてきてね。お道化たり茶化したり、誤魔化すのは駄目だから」

「そ……そんなの……はず、恥ずか……くひ、恥ずかしい……よ……」

「本気の言葉は、いつだって恥ずかしくて、痛々しくて、情けなくて、かっこ悪いものだよ。でも、剥き出しにしないと前に進めないことだってあるから」

 剥き出しにしないと前に進めないことだってあるから。

 真由子の口からそんな言葉が出たことに、俺は少し驚いた。

 いつの間に、こんな風に言えるようになったんだろう。

 ああ、気づかないうちに、こいつは――――

「ナオも書く?」

 見つめたままだった俺の視線に気づいたのか、真由子はそんな風に訊いてきた。

「何を?」

「手紙」

「……いや、いいよ」

 俺の本音なんて、あの日ほとんどお前に伝え尽くしたから。とは、言わない。



 そうして、一週間はあっという間に過ぎていった。一緒にいる時には真由子も白石も手紙については特に触れないため、俺が動向を把握することは全くできなかったけれど、ある日の部活終わり、携帯電話を確認したら智佳先輩からメッセージが着ていた。

『まゆちゃん、最近頑張ってるみたいだね』

 頑張っている――部活もやや欠席気味の彼女に対し、そう言われて思いつくのは白石との契約のことだけしかない。しかしそれを真由子は、智佳先輩に話したのだろうか。

『頑張ってる、って何ですか?』

 返信を送ると、しばらくして再びメッセージが返ってくる。

『ファッションとか、メイクとか、前以上に頑張ってるらしいじゃん』

 ……どういうことだろう。白石との契約でいっぱいいっぱいのはずじゃなかったのか?

『私が見てあげようか、って訊いたけど、全部自分だけでやりたい、ってさ』

『えっと……何のことかちょっと分からないんですけど』

『え⁉ うそ、聞いてないの? 知り合いの女の子にいろいろ教えてあげるんだって、私にいろいろ訊いてきたんだけど』

 ……ああ、そうか。

〝智佳流〟で、真由子は白石を変えようとしているのか。

『ああ、そのことですか。なんとなくは聞いていますが、詳しいことはちょっと……』

『受験勉強で忙しいかとは思いますがよろしくお願いします、なんてさー、まゆちゃんに言われちゃったら付き合ってあげちゃうに決まってるよね~』

 ああ、よかった。迷惑にはなっていないらしい。息抜き程度になってくれれば幸いだ。

『演劇部の方も上手くやってるかな、セキヤくんも含めて。二人が本入部してからは全然顔も出せてないな~』

『はい、なんとかやってます。大会でもお互い役をもらって』

『え、二人とも⁉』

 ……そうなのである。実はどういうわけか、俺だけでなく真由子もまた、役者として舞台に立つのである。

『まあ……彼女は今ちょっと、その女の子につきっきりって感じで、あんまり部活来てないですけど』

『なに、なんか問題ある子なの……』

『問題というか……そうですね、まあその、昔のあいつみたいなタイプの子で』

『なるほど、そっか。……うん、でも、大丈夫だよ。まゆちゃんなら、きっと』

 智佳先輩の「大丈夫」。信頼と実績ある彼女の言葉に、俺も勇気づけられる。

ああ、そうだ。あいつならきっと、大丈夫。  

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